第61話 昇格
俺たちはもう関門を守る一兵卒として完全に機能していた。
検閲の列を捌き、巡回に出て、夜は修練場で剣を振る。それが当たり前の毎日になっている。蒼の外套もすっかり体に馴染んだ。
変わったことといえば、アリアの扱いだ。
関門で何か些細なことがあれば、必ずアリアにまで情報が回ってくる。書類の不備、荷の申告のずれ、旅人同士の揉め事。そのたびに騎士がアリアを呼び、意見を聞く。騎士が騎士見習いにだ。最初は周りも戸惑っていたが、今では誰も不思議に思わない。アリアの判断が一番早くて、一番正確だからだ。
間者と思われる連中も相変わらず暗躍しているようだった。
だが、俺はそれを見逃さない。
立ち姿。足の運び。荷を見る目つき。そして【天瞰眼】。怪しい隊商が来るたびに検め、この三か月で武具の隠し荷を何度か見つけ出した。塩の樽、油の瓶の底、干し草の束の中。手口は毎回変わる。だが、人は変わらない。それを『視』れば済む話だ。
摘発のたびに俺を見る騎士たちの目が変わっていった。今では検閲の列に俺が立つだけで、妙な汗をかき始める商人がいるくらいだ。
「あなた、もう関門の名物よ」
イザベルが呆れ半分に笑っている。
♢
その日、俺とアリアたち五人はコンラートに呼ばれた。
執務室に入る。相変わらず飾り気のない部屋。隅の氷像も初日のままだ。
だが、今日は別の者もいた。
「よう。息災そうだな」
ライナスだった。
教壇で見るのと同じ、飄々とした顔で立っている。なぜここに?
執務机の奥でコンラートが書類から顔を上げた。
「来たか」
相変わらず温度のない声だ。だが、その目が俺たち五人を順に見ていく。初日の値踏みとは少し違う目だ。
「三か月の報告が入っている。検閲、巡回、摘発、そして魔物の群れの討伐。いずれも申し分ない働きだという報告がな」
淡々と事実だけを並べるような言い方だった。それでもこの男の口から出る、申し分ないはずしりと重い。
「特にだ。軍議を待たずに飛び出した件――」
コンラートの目が俺で止まる。
「本来なら罰する。だが、あの判断がなければ東の街は喰われていた。速さも、力のうちだ。覚えておけ」
罰するのか、認めるのか、どっちなんだ?
分からないが、悪く言われていないことだけは分かった。
「ゆえに――」
ライナスが引き継ぐ。
「お前たちのここでの任務は終わりだ。学校に戻れ。戻ってこれからのことに注力しろ」
これからのこと。
「……どういうことだ」
「そのままの意味だ。お前たちは十分な成果を出した。ここでやるべきことはもうない」
ライナスがにやりと笑う。
「あとは王都で騎士になれる年になるのを待つだけだ」
騎士――その言葉だけがはっきりと耳に残った。難しい話は分からない。だが、いい成果を出せたから騎士に昇格できる。それだけはなんとなく分かった。
腹の底がじわりと熱くなる。隣を見るとアリアが深く頭を下げていた。イザベルもカイトもガロも続く。俺はそれを眺めるだけ。
コンラートはもう書類に目を戻している。だが、去り際にその声が背中に届いた。
「氷刻星将の部隊はお前たちを歓迎する。正式な騎士になった後、ここの部隊に属したければ来ればいい」
振り返った時にはもう顔は上がっていない。
♢
その夜、宿舎の食堂に十一人が集まった。
俺たち五人とダリオたち二年の五人、それにライナス。テーブルをくっつけて大皿を囲む。酒精は禁止の街だから杯の中身は果実水だ。それでも場は十分に賑やかだ。
「聞いてくれよ先生! こいつら、来て一か月で外套もらいやがったんだぜ! 俺たちは半年かかったのに!」
「うるさいわねダリオ。あんたたちだって、来年騎士になるんでしょ」
イザベルの言葉にダリオがにっと笑った。
「おう! 決まったぜ! 正式にな!」
ダリオたち五人も来年には騎士になることが決まったらしい。ネイもブルーノもヨナもレフも、どこか晴れやかな顔をしている。
「なあ、前から気になってたんだが」
俺は果実水を置いて聞いた。
「三年生ってのはいないのか? 二年の上は」
ダリオたちが顔を見合わせる。答えたのはライナスだった。
「いない。ステラ星煌学校は二年制だ。三年はない」
「なんでだ?」
「簡単な話だ。学校を一年で卒業すれば元服が十八から十六に早まる。二年なら十七だ。だが三年いたらどうなる? 他の連中と元服の歳が変わらん。学校に居座る意味がなくなるんだよ」
それもそうか。
「だからお前らはこの一年が勝負だったわけだ。よくやった。全員な」
素直な労いだった。ダリオたちが照れくさそうに杯を合わせる。
頃合いになってライナスが手を叩く。
「さて、業務連絡だ。騎士になれば基本各星将の部隊に本配属される。どの部隊を希望するか、学校に戻るまでに決めておけ。以上」
反応したのはダリオだった。
「へへっ、俺はもう炎獄星将様の部隊って決めているんだぜ」
「あら? じゃあ、私と一緒ね」と、イザベル。
「向こうじゃ負けねぇからな! 上位騎士になって武功を上げて、いい女をたくさん娶って――イザベル、お前を迎えてやってもいいんだぜ?」
「ダリオがソラくらいの武功を上げれば父も認めてくれるわ。そしたらお願いね」
含みのある笑顔で返すイザベル。ダリオは何を言っているのか分からないと言った様子で訊き返す。
「父って、結婚に親の承認がいるわけ……って、お前まさか、貴族か!?」
「いえ、父は騎士よ。炎獄星将部隊所属、灼星柱アゼル」
「「「――っ!?」」」
二年全員、目ん玉が飛び出さんばかりに見開く。
「ま、マジかよ……星柱なんて、雲の上の存在じゃねぇか……ってかソラくらいの武功ってどんなレベルなんだ?」
「去年の獣人たちとの戦いで牙獣柱を倒したのよ。アリアと二人で」
「「「――っ!?」」」
またもそろって目を見開く二年。
そんな二年を横目にカイトが述べる。
「イザベル、僕も学校への借りを返したら炎獄星将の部隊に行くよ」
「ええ、待ってるわ。早く来てくれないとおばあちゃんになっちゃうから」
俺でもこの二人の雰囲気がいいのは分かる。
そこにライナスが入る。
「カイト、戻ってみなければ分からないが、炎獄星将様の部隊に行くと言うのであれば、来年すぐに行ってもらっても構わない」
「え? でも僕には、父と母、そして弟や妹たちが……」
「もちろん、家族はお前が養ってくれ。しかし、学校への借りを返すと言うのであれば、一刻も早く騎士として仕えろ。お前は学校に借りを作ったのではない。国だ。フェリシテ星煌王国に借りを作ったのだ。どこで恩を返してもフェリシテ星煌王国のためであれば問題ない」
イザベルとカイトが見合わせる。
「だったらカイトが炎獄星将様の部隊で活躍して、出世すれば――」
「僕が結果を出して、イザベルのお父さんに認めてもらえれば――」
同時に二人の視線がライナスに向く。
「お前たちが何を思っているのかは分からない。ただ、こういうのも含めて学校で相談には乗る。だから、学校に戻る準備を進めておけ」
ライナスがそう言って、席を立とうとする。
それをアリアが制す。
「先生。学校へ戻る前にアストレアに寄ってもいいでしょうか」
「なんでだ?」
「確認しておきたいことがあるからです」
ライナスがアリアの顔をじっと見た。それから顎で食堂の隅を示す。
「……ちょっと来い」
二人が部屋の隅へ離れていく。何かを話している。声は聞こえない。アリアが何かを説明し、ライナスが短く問い返し、またアリアが答える。そんなやり取りがしばらく続いた。やがてライナスが頷く。
「構わん」
それだけがこっちにも聞こえた。
戻ってきたアリアが俺の前に立つ。
「ソラ。私、学校に戻る前にアストレアに寄るわ。それで――銀山に行ってみようと思うの」
鉱夫が帰ってこなくなった、あの閉じた山か。
「俺も行く」
考えるより先に口が動いていた。アリアが目を見開く。
「……理由も聞かないの?」
「お前が行くなら行く。それだけだ」
アリアが何かを言いかけてやめる。それから小さく笑った。
「……そう。ありがとう」
その時、カイトが立ち上がる。
「銀山って、鉱夫が消える山だよね。危ないよ。僕も――」
「カイト」
イザベルがカイトの袖を引く。
「二人がいいのよ」
カイトがイザベルを見る。イザベルが目で何かを伝える。カイトは一瞬きょとんとして、それから何か納得という顔になった。
「……そうだね。うん。二人がいい」
深く頷いている。ガロも腕を組んだまま重々しく頷いた。
なんだ? 危ないなら人手は多い方がいいだろうに。
だが、誰も説明してくれない。イザベルはにやにやしているし、カイトは妙に清々しい顔をしているし、ガロは目を合わせない。
まあ、いい。行くことに変わりはない。
♢
宿舎に戻る道すがら、俺は夜空を見上げた。空には星が瞬いている。
騎士になる。ずっと目指してきた場所にようやく手が届く。嬉しくないはずがない。腹の底はまだ熱いままだ。
なのに――
頭の隅に妙な引っかかりが残っていた。
騎士になれば一人前だ。
二人で一人前――ヴォリトにそう言われて俺たちはずっと二人で剣を振ってきた。片方が欠ければ半人前。だから並んで走り、並んで振り、並んでここまで来た。
だが、騎士になれば俺もアリアもそれぞれが一人前になる。
二人で一人前じゃなくなる。
それが何を意味するのか、うまく言葉にならない。ただ、その事実だけがなぜか頭から離れなかった。
銀山に二人で行く。
もしかしたらそれが二人で一人前のまま剣を振る最後になるのかもしれない。




