第58話 蒼の外套
任務は思っていたものとずいぶん違う。
もっと血なまぐさいものを想像していた。魔物と斬り結び、侵略者を追い返す。そういう最前線を、俺は思い描いていた。だが、実際は違う。ガルドレアで巡回していた時と変わらなかった。
「勘違いすんなよ。九割九分は何も起きねぇ」
ダリオが地図を広げながら言った。
「いつもの巡回ルートをいつもと違うところがないか見て回る。それだけだ。ほとんどの日は何も見つからねぇまま帰ってくる。この半年で俺たちが魔物と当たったのは四回。西方諸国の連中との小競り合いが二回。商人に扮した間者をとっ捕まえたのが一回。それっきりだ。ひと月に一度あるかないか」
思ったより少ない。俺は正直拍子抜けした。それが顔に出ていたんだろう。ネイもじろりと睨んでくる。
「その顔、退屈そうだね。言っとくけどその一回で人は死ぬんだよ」
薄緑の髪を揺らしてネイが鼻を鳴らす。
「油断した奴らから死ぬ。何も起きない日が九十九回続いても百回目に気を抜いた奴が真っ先に喰われる。だから何も起きない日ほど気を張る。それが斥候だよ」
その声には実感がこもっていた。こいつらはその百回目をくぐってきた……あるいは見たのかもしれない。
「ダリオ先輩、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
アリアがダリオのうなずくのを見てから質問を続ける。
「西方諸国とは交易をして友好関係を築いていると思っていました。今は敵国と判断しているのですか?」
「俺もここに来てまだ半年。詳しいことは分からねぇし聞いても教えてくれねぇ。ただ、肌感では右手で握手をして、左手でナイフを突きつけあっている状態だ」
「商人に扮していたと言ってましたが……?」
「ああ。巡回してた時に馬車から剣が一本、ぽろっと落ちたんだ。妙だと思って馬車を止めて、荷台の下から覗いてみた。そしたら底裏に剣がびっしり貼り付けてあってな。後でしっかり検分したら荷台まで二重底になってて、大量の剣が運ばれてた。あの時は氷刻星将様も喜んでくれてな」
「それに……」とネイが付け加える。
「星国も西方諸国に間者を飛ばしているようなんだよ。西方諸国が互いの寝首を掻くような緊張状態になっているのは、氷刻星将様の手柄ってもっぱらの噂だよ」
つまり、お互い様ってことだ。
ただ、アリアはダリオの話を深掘りした。
「あの、剣はどこに流すつもりだったのでしょうか? 間者を拷問などにかけたりはしなかったのでしょうか?」
「ん? それは分からねぇ。俺たちにその情報は下りてこないからな」
「そうですか……このあたりに賊は出ますか?」
「出るわけねぇよ。氷刻星将様のお膝元だぞ?」
ダリオの言葉に、アリアが腕を組んで顎に手を触れながらつぶやく。
「……そうよね……だとしたら、ばら撒く理由は……? アストレア付近の賊が手にしていた理由を考えると……」
剣がどこから来て、どこへ流れるのか。難しいことは頭のいい奴に任せておけばいい。しばらくアリアの隣で独り言を聞いてから、巡回へと向かった。
♢
その日から偵察の日々が始まった。
まずは土地勘から養う。どこに何があるか。どこが見通せて、どこが死角になるか。どこから魔物が来たら、どこへ退けばいいか。それを頭じゃなく、体で覚える。
俺にはちょうどいいやり方があった。重りをつけて走る。ひたすら走る。
偵察の経路を俺は自分の足で何度も踏破した。岩がちの荒れ地、涸れ谷、見通しの利く高台。起伏を脚で測り、距離を歩幅で刻み、風向きと匂いを覚える。地図の線が少しずつ体の中の地形に変わっていく。
高台に立つと俺は【天瞰眼】を使う。
金色の眼で一帯のいつもの光景を目に焼き付けた。何度も、何度も。いつもを覚えておけば、いつもと違うものにすぐ気づける。
偵察はダリオの言った通りだ。
何も起きない。西の際――国境の関門が見えるところまで行って、いつもと同じ景色を確かめて帰る。その繰り返し。魔物の影も、侵略者の姿もない。退屈だと言えば退屈だ。
だが、俺は気を抜かなかった。ネイの言葉が頭の隅に残っていたからだ。何も起きない日ほど気を張る。
見晴らしのいい高台で重りをつけて剣を振る。肩に食い込む重みにも慣れてきた。外した時の身の軽さが日に日に増していく。強くなっている。その手応えがある。
隣で木剣を振るアリアは重りをつけない。
「お前はつけないのか?」
「私はいつ何が起きてもすぐ動けるようにしておきたいの。二人で重りをつけたまま突然何かが起きたらたまらないでしょ?」
なるほど。それも一理ある。だが、俺は重りを外した瞬間の爆発するような身軽さが欲しい。だからこのままつける。
♢
偵察任務を終えると、修練場で訓練するのが日課。俺とアリアは誰よりも修練場にいる時間が長い。イザベル、カイト、ガロの三人もダリオに課されたメニューを毎日欠かさずこなしている。
半月が過ぎる頃には周囲からの目が変わっていた。ダリオたちだけではない。蒼の騎士たちからもだ。
そんな時だった。一人の男が修練場に入ってくる。蒼の外套。氷刻星将の正規の騎士だ。俺とアリアが打ち合っているのをしばらく眺めていた。それから、面白がるように声をかけてくる。
「お前の噂は聞いている。威勢のいい金髪がずっと修練場で気を吐いていると」
がっしりとした体つきの男だった。腕に覚えがあるんだろう。腰の剣に手をかけている。
「どうだ、一つ手合わせしないか? 俺もステラ星煌学校の卒業生。どこまで動けるかってのをこの目で確かめてみたくてな」
断る理由はない。俺は木剣を構え直す。
結論から言えばあっけなかった。
男が踏み込んでくる。でかい図体の割に速い。何度も剣を振っているのが太刀筋を見てわかる。だが、重りを外した俺の方が速い。【天翔纏】を纏わずとも。
男の剣が振り下ろされる。その軌道の内側へ体を滑り込ませる。刃が届くより先にもう懐だ。木剣を男の脇腹に軽く添える。それで決まりだ。本気で打っていれば肋骨が何本か持っていかれていた。
「……は?」
男が間の抜けた声を漏らす。何が起きたのか分かっていない顔だ。
「もう一本、やるか?」
俺が言うと男は毒気を抜かれたように笑った。
「……いや、参った。噂以上だな。偵察に置いとくにはもったいないくらいだ」
男は素直に負けを認めて、一人で素振りを始めた。
一部始終をダリオたちが見ていた。その顔にははっきりと書いてあった。正規の騎士すら倒される。だったら、俺たちが負けても問題ない……と。
そこからダリオたちも俺たちに挑んでくるようになった。二年生とやっても、俺は負けない。俺だけじゃない。アリア、イザベル、カイトの三人も勝ち、唯一ガロだけがブルーノと互角の勝負を繰り広げていた。
一度剣を交えてからは垣根はなくなった。任務が終われば一緒に訓練し、雑談もする。ある日、いつもの高台で素振りをしているとダリオが近づいてくる。
「ソラ、お前の【天瞰眼】ってどこまで視えるんだ? 例えば、壁を貫通して視えるのか?」
「魔力が届くところであれば視れる」
「ってことは、女湯や脱衣所も覗きたい放題ってわけか」
「だろうな」
「……毎日視てるのか?」
「そんなことをする意味ないだろ」
「……は? 意味がないってことは、お前……もうアリアと……!?」
ダリオが声を上げると、一つ上の野郎共が地面を叩いて悔しがる。
「くそっ! ワンチャンスって思っていたのに!」
「おめぇ! 年下のくせに卒業しやがって!」
「……許せない」
アリアが割って入るまで、ダリオたちはアリアの弟――リオンと同じ目を俺に向けていた。
変わったのはダリオたちとの関係だけではなかった。
この前、俺と戦った騎士が任務に向かう前に現れた。
「アリア、お前たちは明日から関門の警備にも回れ」
「関門……ですか?」
「そうだ。商人が西方諸国から交易品を持ってくる際、必ず通らなければならない場所だ。そこで検閲を行ってもらう。もちろんそれだけじゃない。付近で厄介事があればお前たちにも出動してもらう。ステラ星煌学校の制服を着ている限り、俺たちはお前たちのことを味方だと分かるが、相手側からすれば分からない。統率の取れていない部隊と思われるのも癪だ。だから今日からこれを着ろ」
渡されたのは蒼の外套。氷刻星将の部隊のものだ。
それを見ていたダリオとネイが、息を呑む。
「ま、マジかよ。赴任して一か月も経たないのに関門警備……しかも外套まで……」
「ステラ星煌学校の生徒が、星将部隊の外套を授かるということは……」
騎士はそんなダリオとネイたちにも蒼の外套を渡す。
「お前たちの分もある。励め」
「ま、マジっすかっ!?」
「あ、ありがとうございます!」
相当嬉しいようで、二年たちは抱擁しこれまでのことを労っていた。
そこまで嬉しがるものなのか? そう思っていると、俺の隣にアリアが立つ。
「これは聞いた話なのだけど、星将の部隊に派遣されて、その部隊の外套を授かることは部隊での活躍を評価された、または実力が認められたという証らしいのよ。ほとんどがその年に卒業できるという話よ」
ヴォリトの部隊にいた俺たちには、分からない感覚だ。確か、渡した騎士も学校の卒業生。その意味を知って渡したのか。
「でも卒業できるのは絶対じゃないから、油断はしないように」
「したことない」
「ふふふ……そうね。あなたはいつも全力だもの」
俺たちは蒼の外套に袖を通し、ダリオたちの喜びが収まるのを待って、西の関門へと出発した。
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