第57話 城塞都市オルセア
オルセアの城門は見上げるほどに高かった。
分厚い鉄扉が左右に開き俺たちの馬車を飲み込んでいく。城壁の内側に入った途端、空気が変わった。
王都の華やかさもない。ルパナルの喧騒もない。アストレアの寂しさとも違う。ここにあるのは張り詰めた鉄と石の匂いだ。
通りを行き交うのは蒼の外套を纏った兵ばかりだった。ほとんどが武装し、ほとんどが足早に動いている。荷を運ぶ者も、鍛冶場で槌を振るう者も、みな軍のために動いている。兵と住民の数がこれほど拮抗している街は初めてだった。
酒精は禁止。歓楽街もない。オルセアは戦闘に――防衛に特化した街だった。
ここが西の最前線。氷刻星将――コンラート・ゼーバッハの街だ。
国境の向こうから侵略者が来る。それを喰い止める盾がこの街なのだ。
「すごい所だな」
俺は思わず呟いた。腹の底がじんと熱を持つ。こんな街で剣を振れると思うとそれだけで血が騒いだ。
「浮かれないの。仕事に来たんだから」
アリアが釘を刺す。だが、こいつの目もどこか研ぎ澄まされているのが分かった。
♢
学校側から予め通達があったのだろう。案内役の後についてまず星将のもとへ通される。
執務室は簡素だった。飾り気のない石壁に大きな執務机が一つ。部屋の隅には彫刻。その奥に一人の男が座っている。
痩せた男だった。神経質そうに眉根が寄っていて、歳は分からないが若くはない。冷たく静かな目が書類から上がって俺たちを捉える。
「第四軍へようこそ。私がコンラート・ゼーバッハだ」
声に温度がなかった。歓迎の色はどこにもない。ただ淡々と俺たちを一人ずつ値踏みするように眺めていく。
その視線が肌に刺さる。息が詰まるような圧だ。纏う空気からして他の兵とは違う。強い。ひと目で分かった。
部屋の隅の彫刻に、目がいく。氷の彫像だ。透き通った氷の中に牙を剥いた獣が――魔物が閉じ込められている。飛びかかる寸前の姿のままその一瞬が完璧に留められている。まるで時だけが凍りついたみたいに。
装飾品かと思った。だが、違う。
「本物だ」
隣でカイトが小さく呟いた。その顔がかすかに強張っている。
「あれは作り物の像じゃない……魔物をそのまま凍らせてある。生きたまま一瞬で」
カイトの声が少し掠れていた。
こいつは氷属性だ。だから分かるんだろう。あれがどれほどの力の産物なのか。カイトの【氷凍界】でもあんな真似はできない。桁が違う。
この星将は敵を一瞬で氷の彫刻に変える。それだけの力を持っている。しかも氷を維持し続けられるほどの魔力を。
「諸君の役目は偵察と巡回、警備、時には斥候だ。西からは西方諸国の間者が商人に扮して忍び込んで諜報活動をしたり、魔物が押し寄せてくる。お前たちは先に学校から派遣されている者たちと連携して事前に察知し、報告する。それが役目だ。学校での成績も、家柄も、ここでは何の意味も持たない。示せるのは働きだけだ」
冷たい声だった。だが、言っていることは筋が通っている。
「励め。以上だ」
それだけ言うと、コンラートは再び書類に目を落とした。話は終わりということらしい。短い対面だった。あの氷像とあの目はしばらく忘れられそうにない。
♢
執務室を出ると修練場へ案内された。
広い土の練兵場だ。あちこちで蒼の外套を羽織った騎士や騎士見習い、従士たちが打ち合っている。剣戟の音、怒声、地を蹴る足音。汗と土埃の匂い。熱気がむんむんと立ち込めている。
その一角で五人の若者が俺たちを待っていた。こいつらだけは外套を纏っていない。だから氷刻星将の部隊ではないというのが一目でわかる。
一つ上の連中。氷刻星将の下で勤めているステラ星煌学校の生徒だ。
先頭の男がにやりと笑った。橙髪の目つきの鋭い男だ。
「お前らが噂の俺たちの後輩か。入学して半年で星将に派遣されるとはなかなか優秀なようだな」
肩をいからせ、値踏みするように俺たちを見回す。
「俺はダリオ。二年のリーダーだ。お前たちのお目付け役。言っとくがここは学校じゃねえ。西からの脅威はお行儀よく待っちゃくれない。使えない奴に預ける背中はねえんだよ」
口は悪い。だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
その後ろから女が一人前に出てくる。薄緑の髪を後ろで束ねた切れ長の目の女だ。
「ネイよ。索敵担当……ふうん。五人でリーダーはあんた?」
ネイと名乗った女の視線がアリアに向いた。
「そうよ。アリア。この班のリーダー」
「へえ」
ネイが少しだけ目を細める。値踏みの色の中にかすかな興味が混じった気がした。
その隣には大きな男が無言で腕を組んで立っている。ガロと同じくらいの巨体。ブルーノと誰かが呼んだ。土属性らしい。そいつの視線がガロとぶつかる。二人とも何も言わない。だが、無言のまま何かを語り合っているように思えた。
残る二人――ヨナとレフというらしい。二人は後ろで気だるげに構えている。
「まあ、口で言っても分かんねえだろ」
ダリオがにっと歯を見せる。
「早速で悪りぃがお前らがどれだけ動けるか見せてもらう。西の最前線で通用するかどうか、その体に聞いてやるよ」
ダリオたちが課してきたのは重りを背負ってのダッシュ。それから休みなしの打ち込み千本。仕上げに隊列を組んでの連携訓練。一つ終われば息を整える間もなく次が来る。
鎧を装着しない俺からすれば、重りを背負っての訓練は新鮮だった。肩に食い込む重み。手と足にもそれぞれつけて、地を蹴るたびに脚の奥に別の筋肉が目覚めていく。そして、重りを外した時の解放感――癖になる。これからは重りをつけての訓練も取り入れよう。
一方、アリアはかなりきつそうだった。体力面では問題ない。膂力の問題だ。それでも、負けん気の強さでカバーする。時には【聖翼纏】を纏って補う。イザベルも同じだ。
イザベルは薙刀を杖代わりにして、なんとか体を起こしている。汗だくで、息も上がっている。歯を食いしばり、それでも食らいついていた。アリアと同じく重りがきついようで、膝がプルプルと震えるほどギリギリだ。だが、脱落はしない。
カイトとガロも変わらない。カイトは肩で息をしながらも足を止めず、ガロは巨体を揺らして重りごと地を踏みしめている。二人とも限界は近い。それでも誰一人膝を折らなかった。
そして――俺はというと正直まだ全然いける。
課された分をこなしても、体はちょうど温まってきたくらいだ。これで終わりと言われると逆に物足りない。
「アリア、もう一本付き合え」
「……はぁ。あなたって本当に」
息を整えながらもアリアが木剣を構え直す。重りを外したこいつはやっぱり速い。
その時、視線を感じた。
ダリオたちだ。五人全員ぽかんとした顔でこっちを見ている。
「……おい、嘘だろ。初日からこのメニューをこなせる奴なんていねぇ。しかもあの二人……あれをやり切った上でまだやってんのか」
「アタイたちが半年以上かけてやっとできたメニューを初日で……しかも二人に至ってはまだ足りないって……」
「アリアは纏系魔法を使っていた。ちっ、本物ってわけか」
「アタイたちも負けられないねぇ……」
そこへ、蒼の外套を纏った一人の騎士が歩いてくる。
すぐに、ダリオたちが背筋を伸ばす。
「「「おはようございます! ヘイル様!」」」
昼はとうに過ぎている。なのに、おはようございます……か。
ヘイルは薄い笑みを見せただけで返事はしない。代わりに俺たちを見据える。
アリアが木剣を鞘に収め、俺も木剣を白銀の鞘に戻す。へばっていたイザベル、カイト、ガロの三人が立ち上がり、なんとか姿勢を正す。
「お前たちが新人だな。俺は雹騎士ヘイルだ。第四軍では主に斥候を任されていて、ここでお前たちの上官となる。分からないことがあれば最初のうちはダリオに聞け」
そう言い終えると、視線をダリオに向けた。
「まずはこいつらに周辺の地理を徹底的に叩き込め」
それだけ言ってヘイルは去っていく。その背中を見送ると班を代表してアリアが頭を下げる。
「ダリオ先輩、ご指導のほどよろしくお願いします」
それにイザベル、カイト、ガロも倣う。俺はそれを眺めるだけ。
「ふん、ヘイル様の命令だ。しっかり指導してやる。だけど勘違いすんなよ。ここでの役目は斥候だ。敵をいち早く見つけて、正確に報告する。体力自慢で務まるほど甘い仕事じゃねえ」
突き放すような言葉。だが、思いのほかきついトーンではない。
「今の訓練は任務後に毎回行う。明日からは斥候任務のあとにやるから、もっときちぃぞ。今日はもう部屋に戻って荷解きをしてから休め」
「俺はまだ――」
「ソラ。ダリオ先輩の言うことに従うわよ」
アリアに、ぴしゃりと止められる。もっと体を動かしたい。ただ、それは荷解きをしてからでもいい。
「分かった」
♢
俺が割り当てられた部屋は五人部屋。そこをカイトとガロの三人で使う。
兵舎の湯殿に浸かってから荷解き。二人は夕食の時間まで部屋で休むというが、俺は再度修練場へと向かう。
すでに訓練しているメンツは入れ替わっている。その中にぶっ倒れているダリオたちの姿。こいつらも必死なのだろう。そこへ背後から声がかかる。振り向かなくても分かる。アリアだ。
「やっぱり来ていたのね」
「当然だ。魔力が余っている」
「そうよね……早速やる?」
「もちろん。全力だ」
修練場の隅で【天翔纏】を纏う。金色の光が全身を包む。応じてアリアも【聖翼纏】を纏う。銀の燐光がその全身を覆う。
次の瞬間、俺たちは激突していた。
木剣と木剣がかち合い、重い音が弾ける。速さに速さを重ね、間合いが目まぐるしく入れ替わる。蒼で埋め尽くされた修練場に金と銀の光芒が交差し、幾筋もの残像を引いた。
蒼の外套が一斉に動きを止める。無数の視線が金と銀の軌跡を追う。
「なっ――!? 纏系だとっ!? しかも一つは、聖魔法の上位……」
「金色の魔力!? あんなの見たことねぇ」
「駄目だ、残像しか見えない……」
アリアと打ち合うこと数分。へばっていたダリオがこっちへ話しかけてきた。
「お、おい。お前ら、学校で武術と魔法の点数は何点だった?」
「どっちも満点だ」
「私は武術八十八点、魔法は百点です」
「ま、マジかよ……俺たちの代の首席でも最後まで両方九十点いくかいかないかだったのに……お前ら下手すりゃ教員より強ぇってことはないよな?」
ライナスには勝てる。だが、勝てない奴もいる。それも――事務員に。
それを口にするのが悔しくて言葉に詰まった。どうやらダリオはその沈黙を別の意味に取ったらしい。
「そ、そうだよな。さすがに教師には勝てねぇよな。騎柱もいるんだしな」
よっぽど言ってやろうかとも思った。だが、それを言うならルミィのことも白状しないとフェアじゃない気がして――やっぱりやめておいた。




