第54話 寂銀の街――アストレア
王都を出て五日が過ぎた。
街道はどこまでも続いている。石畳はとうに途切れ、今は踏み固められた土の道だ。畑が減り、林が増え、行き交う人の数も減っていく。西へ近づいている。それだけは肌で分かる。
馬車の中でじっとしているのは性に合わない。だから俺は毎日外に出て走る。ただ走るだけじゃない。木剣を握って駆けながら素振りをする。足を止めずに剣を振り続ける。封魔の森に向かった時と同じだ。
そして、それをやるのは今回も俺だけじゃない。
「ソラ、飛ばしすぎよ」
「訓練は全力だ」
アリアも隣を走っている。同じように木剣を振りながら。息は上がっているが、絶対に負けないという気概を感じる。こいつも大概だ。
馬車の中からイザベルが呆れた声をあげる。
「あの二人、休むってことを知らないの?」
「放っておけばいいよ。ソラとアリアはああいう人間」
カイトが苦笑する。ガロは御者台の上でうなずいた。
日が暮れると街道の脇に馬車を停めて野営に入る。
街や宿場町があっても俺たちは泊まらない。これも訓練のうちだからだ。騎士は行軍の途中、いつでも自分たちで陣を張れなければならない。宿に頼らず、野で夜を越す。それができて初めてどこへでも派遣される部隊になれる。ライナスにそう言われている。
野営そのものは俺とアリアには目新しくない。ヴォリトの部隊にいた頃に経験した。でも、どうやらそれは俺たちが特別だっただけらしい。
イザベルも、ガロも、カイトも、野営は初めてだという。
ただ学校でこういう疑似的な野営訓練はしている。それを活かすだけ。アリアが皆に指示を出して、効率よく動く。
火を熾すのはイザベルだ。せっかくの火属性。ここで活かさないわけがない。指先で小さな火花を散らせば、湿った薪でもすぐに燃え上がる。羨ましい特技だ。
ガロは力仕事。天幕の柱を打ち込み、重い荷を軽々と運ぶ。水汲みも桶をいくつも抱えて一人で済ませる。
カイトは右手の慣らしを続けながら、細々とした支度を手伝う。俺は薪を集めて運ぶ。それから、手が空けば素振りだ。
そして、飯を作るのはアリアだ。
これが驚くほど上手い。
同じ干し肉と乾物なのに、アリアが鍋を振るうとまるで違う料理になる。香草の使い方も、火加減も、手際がいい。こんな味、いったいどこで覚えたんだか。腕は本物だ。
俺もその隣に並ぶ。
ナイフを握って干し肉を刻む。斬るのは得意。手つきは我ながら悪くないと思う。
野営がこの先も続くなら自分でも作れた方がいい。誰かに任せきりではいざという時に困る。だから覚える。
アリアが手元を覗き込んで「そこ、もう少し薄く」と口を出す。俺は黙って従う。
こいつに料理を教わるのは不思議と嫌じゃない。
「明日で六日目。予定通りならアストレアに着くわ」
アリアが地図を広げて言う。
氷刻星将が治める街――オルセアまでは、普通なら七日の道のりだ。だが今回は少し道を逸れてアストレアを通る。そのぶん一日ずれて、オルセアに着くのは八日目になる。
アストレア――アリアの家、セレスティア子爵家が治める街だ。
なぜアリアがここへ寄りたがるのかは、前に本人から聞いた。家の現状を自分の目で確かめたいと。だから俺はそれに従う。
♢
六日目の朝。馬車が林の間の道に差し掛かる。俺は屋根の上で風に当たっていた。
何気なく前方へ目をやる。道の先の岩場に妙な気配を感じた。
魔力を練って魔法を唱える。
「【天瞰眼】!」
金の眼が岩場の影に潜む者たちを詳細に捉えた。十人ほど。息を殺し、得物を握って身を伏せている。街道を走る馬車を襲撃するつもりだ。
賊だろう。
俺は屋根から馬車の窓へ滑り込んだ。
「アリア。前の岩場に賊が伏せてる。十人くらい。得物持ちだ」
アリアは俺が言うことに疑いを持たない。
すぐに臨戦態勢を整える。
「みんな、聞いて。前方の岩場に賊がいる。数は十ほどで得物持ちよ。ソラが先に気づいてくれた」
正直、心は動かない。強いとは思えない。俺の直感がそう告げていた。
馬車が岩場に近づいていく。アリアが御者役のガロに合図を出し、少し手前で止めさせる。賊は俺たちがまだ気づいていないと思っているらしい。馬鹿な奴らだ。
「配置につくわよ」
アリアの声は落ち着いている。五人をどう動かすか。それを試される場面だ。ライナスに言われたことをあいつはちゃんと覚えている。
「ガロは前。馬車を守るように受けて。イザベルとカイトはガロと連携を取って一緒に守って。ソラは――」
「好きにやっていいか」
「……ええ。真ん中を頼むわ。私も隣で戦う」
思った通りの采配だ。俺もだんだんと陣形や配置についての知識が定着してきた。座学というよりも実戦を積み重ねての判断。やっぱり俺にはこっちの方が似合っている。
岩場の陰から賊が飛び出してきた。足が砂利を蹴散らす。汚れた身なりに不釣り合いなほど上等な剣。刃が朝の光を鈍く弾いた。数は見立て通り。十人と少し。
「囲め! 積み荷を奪え!」
頭らしい男が叫ぶ。だが、遅い。
俺はもう地を蹴っていた。【天翔纏】を唱えて金色の光が体に纏わりつく。世界が一段遅くなる。一歩で間合いが消えた。先頭の賊が剣を振り上げた時には、もう懐に潜り込んでいる。俺の得物は剣ではなく木剣。これで十分。その木剣の腹を横に薙ぐ。鈍い衝撃が腕に返り、男が声もなく吹き飛んだ。
返す足でもう一人。木剣が唸るたびに、賊が一人、また一人と地を転がっていく。手応えがない。振るうそばから面白いように吹き飛ぶ。【天翔纏】なんて、使うまでもなかったかもしれない。
横目にカイトが見えた。左手の剣で賊と打ち合っている。互いに得物は真剣。刃と刃がかち合い、火花が散る。だが、賊は焦り、カイトは笑っている。自然と出てしまうのだろう。
カイトは半歩踏み込む。左手の剣が賊の刃を下から跳ね上げ体勢が崩れる。がら空きになった胴へ返す刃を叩き込む。鮮血が舞い、賊が崩れ落ちた。
ガロの前には束になって賊が斬りかかる。だが、大剣がそれを丸ごと受け止める。びくともしない。まるで岩だ。そのまま振り抜かれた一撃がまとめて三人を薙ぎ払った。
イザベルの薙刀が横に走る。刃が炎を纏い、賊たちが怯んで飛び退く。その隙を逃さず柄尻を叩き込み、一人を沈めた。無駄がない。
賊の頭がなりふり構わず斬りかかってくる。だが、そいつの前にはアリアが立っていた。
剣先がまっすぐに伸びる。無駄のない一突き。賊の剣を弾いて軌道を殺し、そのまま肩を的確に貫いた。アリアの刺突、いつものやつだ。稽古で何度も受けているあのモーションがない速い突き。
それで終わりだ。
十人あまりの賊はあっという間に地に伏せた。誰一人怪我はしていない。
地に転がった賊の剣をアリアが一本拾い上げ、刃をじっと見つめている。
「……この剣、賊が持つような代物じゃないわ」
「そうなのか」
「ええ。造りがいい。それも、西の様式……どこから流れてきたのかしら」
戦いを終え、殺さなかった賊を捉えて縄で縛る。こいつらが装備していた武器はすべて没収しアストレアに向かう。
「ソラ、こっち向いて」
言われるままに顔を上げる。アリアの手が額に触れる。
「【聖光癒】」
柔らかな光が俺の頭部を包む。
「あなたの【天瞰眼】は非常に強力。だから常に唱えられるように、万全な状態にしておくの」
「これくらい平気だ」
「念のためよ。素直に受けなさい」
小言を言いながらもアリアの手つきは優しい。俺はされるがままにしておいた。アリアの体温が心地よくて――悔しくもあり、嬉しくもある。
♢
昼を過ぎた頃、アストレアの街の城壁が見えてきた。予定通り。賊たちを連れ、そのまま街中へと進む。
――なんだ、この静けさは。
人の姿がまばらだ。これまで通ってきた、どの街よりも少ない。行き交う数少ない人の顔もどこか沈んで見える。店は半分が戸を閉じ、市場だったらしい広場に出ているのは数えるほどの露店だけだ。
それに――騎士がいない。
いや、まったくいないわけじゃない。これだけの城壁を持つ街ならもっと巡回の騎士がいるはずだ。他の街ではそうだった。なのにここではほとんど見かけない。
俺でも分かる。この街は元気がない。
隣にアリアが並んだ。街を見つめるその横顔はいつになく硬い。
「見ての通りよ」
アリアが静かに口を開いた。俺が何か聞くより先に。
「昔のアストレアはこんな街じゃなかった。私が生まれる前は西でも指折りに栄えていたの」
アリアの声はどこか遠い。
「この街はね、二つの柱で栄えていた。一つは西方諸国との交易路。もう一つは――銀山よ」
「銀山?」
「そう。街の南西の山で、質のいい銀が採れた。セレスティア家も、街も、その銀に支えられてきたの」
アリアの声が少し沈む。
「でも、ある時から――銀山に入った鉱夫たちが帰ってこなくなった」
「帰ってこない?」
「ええ。何人も。原因は分からなかった。だから家の騎士団が山に入って隅々まで調べた。ベルモント子爵家の騎士団にも手伝ってもらって。でも、何も見つからなかったの。魔物の巣も、崩れた跡も、何もない――異常なし。なのに鉱夫の姿はどこにもなかったの」
俺は黙って聞いていた。
「それで安全だと判断して、採掘を再開した……そうしたらまた鉱夫たちが帰ってこなくなった。今度はもっと多く」
アリアが唇を噛む。
「結局、原因は分からずじまい。誰も山に入りたがらなくなって銀山は閉じたの。銀を失って街は一気に傾いた。そこへ交易路まで別の街に移って……人がどんどん出ていったの」
だからこの静けさか。
「巡回の騎士が少ないのもそれが理由よ。街を守るだけの力がもう残っていない。セレスティア家にはこの街を立て直すだけの余裕が……もうないの。だから街の外にまで手が回らない。賊もそれを知ってか、この辺りにいくつも根城を作ってるの」
アリアはそれ以上何も言わなかった。ただ寂れた街並みをじっと見つめている。
俺には街の立て直し方なんて分からない。交易路がどうとか、銀山がどうとか、難しいことは何一つ分からない。だが、助けにはなってやりたい。俺にできることはないか。懸命に考えるが浮かばない。
でも、一つだけ分かったことがある。
アリアがどうして自分の目でこの街を見たかったのか。前に理由を聞いた時は正直ぴんとこなかった。家の現状を確かめたい。そう言われてもよく分からなかった。
今なら少しだけ分かる気がする。こいつはこの寂れた景色を、自分の目に焼き付けに来たんだ。
俺はもう一度、街を見渡した。寂れて、人が減って、それでも確かにここで暮らしている人たちがいる。
アリアの生まれた街。俺たちはその中を進んでいった。




