第53話 旅支度
三日の猶予をもらった。
出発までに西で使う物を揃えておけ。ライナスはそう言って、勘定は学校が持つと付け足した。西の端までは遠い。長い道中になる。だから五人で必要な物を買いに街へ出る。
王都の目抜き通りは相変わらず人が多い。店が軒を連ね、売り子の声が飛び交う。孤児院にいた頃はこんな場所は想像もつかなかった。
「まずは食料からね」
アリアが先頭を歩く。まとめ役の顔だ。
「ソラ、ぼうっとしてないで。ほらこれ持って」
「おう」
渡された籠を担ぐ。中身がどんどん増えていく。保存の利く干し肉、油の瓶、火口、包帯の束。アリアが手に取っては籠に放り込む。俺はただ運ぶだけだ。
ガロはというと店先の袋を端から抱え込んでいた。腕の中に麻袋が山になっている。
「……足りない」
「いや、多いだろ」
俺が言ってもガロは首を振る。乾物の袋をもう一つ積み上げた。店主が引き攣った顔でその万力みたいな腕を見ている。無口なあいつが唯一雄弁になるのは食い物の前だけらしい。
イザベルは慣れた手つきで品を選んでいた。値を確かめ、要る物だけをてきぱきと籠に入れる。
「あんたたち、荷物になる物ばっかり見てないで実用品を買いなさいよ」
その隣でカイトが小物の棚を眺めている。柄の細い工具や軽い作りの道具。右手でそっと一つに触れかけて、けれど取らずに手を戻す。目だけがそれを追っていた。
「気になるのか」
「うん。いつか、右手に合う得物が持てたらいいなと思って……まだ早いけどね」
カイトが右手を軽く握って開く。前より滑らかに動く。こいつはまだ右手を諦めていない。
「カイト、これなんてどう? 軽いわよ」
イザベルが棚から一つ取って差し出す。カイトが受け取って、右手で握りを確かめる――小太刀のようなものだった。
「……うん。いいかも」
「でしょ」
二人が顔を見合わせて笑う。なんだか楽しそうだ。稽古の相談でもしてるんだろう。俺には二人が何をそんなに笑っているのか、よく分からない。
少し離れた所でアリアが何かを手にしていた。きちんとした作りの上着だ。それを持ってまっすぐ俺の方へ来る。
「ソラ、こっち来て」
「なんだ」
「あなた、氷刻星将様の部隊に行くのよ。制服の他にも持って行った方がいいわ」
アリアが上着を俺の体にあてがう。肩から胸に布が当たる。丈を見て、袖を見て、難しい顔をする。
「……少し大きいけど、これくらいでいいわ」
「いらない」
「は?」
「動きにくい。それにこんなの買う金があるなら剣を一本買った方がいい」
上着より鉄の剣の予備が一本ある方がずっと役に立つ。アリアが呆れたように俺を見上げる。
「制服も上等なものだけど、私服も持ちなさい」
「制服でいい。それに剣さえ振れれば身なりなんてどうでもいい」
「はぁ。あなたって本当に……」
アリアが上着を棚に戻す。買わない。あてがっただけだ。だが、その横顔にはどこか諦めたような笑いが浮かんでいた。
服を選ばれっぱなしなのも据わりが悪い。俺はアリアに何か見繕ってやろうと棚を見回した。手に取ったのは頑丈そうな革の水筒だ。
「これも必要だろ」
「……水筒?」
「丈夫だ。落としても割れない。実用的だろ」
「ふふ、そうね。ありがたく使わせてもらうわ」
呆れているのか喜んでいるのかよく分からない。だがアリアはそれを受け取って、自分の荷物に入れた。気に入ってくれたのか悪くない反応だと思う。
♢
買い物が一段落した頃、俺は列からはぐれていた。
通りを一本入った所にまた店が並んでいる。何気なくその一軒に足を向けた。表から見ても何を売っているのかは分からない。ただ、やたらと布が多い。細かい飾りのついた布ばかりが並んでいる。
中を覗こうと一歩踏み込んだ時、後ろから腕を掴まれた。
「ソラ、待って」
カイトだ。珍しく慌てた顔をしている。
「そこ、女物の店だよ」
「女物?」
「……女の人が身につける物を売ってる店。男が入っちゃ駄目なところ」
ああ、下着とか売ってる場所か。ガルドレアにもあったな。にしても様々な種類があるもんだ。もっと面積があったほうが防御力は高いというのに……女はよくわからん。
「そうか。悪い」
「うん。気をつけてね」
カイトに連れられて元の通りに戻る。ガロが麻袋を抱えたままこっちを見て無言で首を振っていた。あいつも何か言いたげだが言わない。いつものことだ。
通りに戻るとイザベルがアリアの腕を引いていた。
「ねえアリア。せっかく来たんだから、たまには違うのを着てみなさいよ」
「私はいいわ。動きやすければそれで」
「いいから、いいから」
イザベルに押し切られてアリアが店の奥へ消えていく。俺はガロと並んで待った。二人分の荷物は俺が持っている。買った物を数えた。干し肉、油、水筒。抜けはなさそうだ。
しばらくしてアリアが戻ってくる。
その姿に俺は一瞬言葉が出なかった。
いつもは制服でズボンを穿いている。ヴォリトの所にいた時もそうだ。だが今のアリアは膝丈くらいの、裾の広がった服を穿いていた。スカートというやつだと思う。
どうしてか息が一瞬止まった。手にしていた水筒を危うく落としかける。稽古でもないのに、強敵を前にしたわけでもないのに心臓が勝手に跳ねる。
なんだ……これは?
こんな感覚いつもの稽古では起きない。剣を打ち合っている時のアリアなら俺は誰より見ている。なのにいつものアリアと違って見えた。理由は分からない。ただ、その引っかかりだけが胸の奥に小さく残った。
「……いつもの方が動きやすいだろ」
なんとか、それだけを口にする。
アリアが少し目を見開く。それからぶっきらぼうに裾を払った。
「……そうね。これじゃ剣が振れないもの」
言うが早いか、アリアは奥へ引っ込んでいく。着替えてくるらしい。買う気にはならないようだった。
イザベルが俺の顔を見てにやりとする。
「ソラ、今の顔」
「……なんだよ」
「無理しちゃって」
「どういうことだ?」
「べつに? でもたまには素直になった方がいいわよ」
「…………」
なんか悔しい。
♢
三日はあっという間に過ぎた。
出発の朝。学校の門前に大きな馬車が停まっていて、その中に荷物を積み込む。ガロの麻袋の山で荷台が半分埋まっている。
「ガロ、お前の食料で他の荷が乗らないだろ」
「……胃袋に入れて減らす」
その様子を俺たちは呆気にとられて見ていた。
そして数分後――五人が揃って馬車に乗り込む。
見送りに来たライナスがアリアに向かって話しかける。
「アリア、みんなを頼んだぞ。特に一人は問題児。氷刻星将様相手にいきなり戦えなんて言い出しかねない。あまりやらかすと後輩たちを受け入れてくれなくなる。しっかりと手綱を握っとけ」
「はい。ソラの扱いには慣れていますから」
問題児というのは俺なのか? 俺よりガロだろ。
「では行って参ります」
「ああ。あとから生徒が追加で来るかもしれん。その時はアリアも面倒を見てくれ」
馬車が動き出して、王都の目抜き通りを走る。俺は窓から西の空を見た。あの下には見知らぬ強敵がいるかもしれないと考えるとワクワクする。
隣でアリアが同じ空を見ている。だが、あいつが見ているのは俺とは違う何かなんだろう。家のこと、西のこと……それに俺に言えない何か。
しばらくしてアリアが荷物から何かを取り出した。畳んだ毛布だ。それを無言で俺の膝に放る。
「なんだ?」
「どうせ王都から離れたら外に出て、訓練しながら走るのでしょ? それまで少しは休みなさい」
こいつ……なんで分かる? 毛布を掛けられなかったら、すぐにでも外に出て走ろうと思っていたところだった。
ただ、この毛布……落ち着く匂いがする。アリアの匂いだ。悪くない。王都から離れるまではこのままでいい。
カイトとイザベルが向かいの席で小さく笑っている。ガロがその二人と俺たちを見比べて、何か言いかけてやめる。こいつのこともよく分からない。
懐にしまってあったヴォリトの懐中時計を見る。王都から出て十分は経った。もういいだろう。
白銀の鞘に収められた木剣を握って馬車を降りると、アリアがついてくる。
「少しは落ち着きなさいよ」
「十分落ち着いた。馬車の中にいたいのであればいていいぞ」
「あなたに離されるわけにはいかないわ」
アリアが笑顔を見せると、俺よりも先を駆けていく。銀の髪が風になびいた。
上等だ――俺の方が速いと証明してみせる。
地を蹴った。風が唸り足元から土煙が舞い上がる。
いつまでも届かない白銀の翼を追って俺は西へと駆けるのであった。




