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第51話 母

 あの騒動から二か月が過ぎた。


 カイトはすっかり俺たちの仲間だ。食堂も、鍛錬も、いつも一緒。前よりずっと賑やかだ。


 その日の夕暮れも俺はアリアと二人で剣を振っていた。


「【天瞰眼ゼニス・アイ】」


 頭上に金色の眼が浮かぶ。周りのすべてが視えた。鳥の羽ばたきも、風に揺れる葉も、遠くを歩く奴の足取りも。


 この二か月、少しずつ使いこなせるようになってきた。前みたいに視えすぎて溺れることは減った。でもまだ長くは保たない。


 ずきり、と頭が痛んだ。


 俺は眼を消してこめかみを押さえた。使いすぎるとこれだ。頭を中からかき回されるみたいに痛む。


「もう。無理しないでって言ってるでしょ」


 アリアが俺の額に手を当てた。

 毎日剣を握っているとは思えないほど柔らかい手。


「【聖光癒サンクト・ヒール】」


 淡い光がこめかみを包む。痛みがすうっと消えていった。アリアの【聖光癒サンクト・ヒール】は傷だけじゃなく、こういう痛みまで消してくれる。


「助かる」

「毎回毎回、無茶ばっかり」


 口では呆れながらもアリアの手は優しかった。夕日に照らされたアリアがこっちを見て笑っている。


 こういうのも悪くない。


 また剣を構えた。打ち合いながら最近常々思っていたことを口にする。


「アリア。お前、剣が変わったな」

「……そう?」

「突きが増えた。前はもっと斬る剣だっただろ」


 アリアの剣に鋭い突きが混ざるようになっていた。切っ先がまっすぐ伸びてくる。モーションがなくて、いきなり目の前に剣先が現れる感覚。前から突きはあった。でもこんな速くはなかった。


 打ち合いをやめるとアリアが何か魔法を練り始めた。身体から淡いピンクの霧がふわりと立ちのぼる。最近になってたまに見かける魔法。でも俺の前で出すのは初めてだった。いつもは一人の時に唱えている。だから聞いてみる。


「その霧、なんだ?」


 アリアははっとした表情を浮かべると、霧がすっと消える。


 いつも凛としてるアリアが顔を赤くしていた。何か言いかけて口をつぐむ。珍しい。こんなアリアめったに見ない。


「……なんでもない。まだ練習中なの」


 それだけ言ってアリアは話を切り上げた。

 言いたくないなら聞かない。無理に聞き出すのは性に合わない。


 しかし、アリアは最近しょっちゅうライナスに呼び出されている。その度に剣の型が変わり、さっきの魔法もそれから見かけるようになった。


 少し離れた場所でイザベルとカイトが打ち合っている。

 最近は二人で組むことが多くなっている。互いに好敵手と思っているのかもしれない。


 カイトの左手の剣もだいぶ様になってきた。振り下ろされるイザベルの薙刀をなんとか受け止められるようになっている。刃と刃がかち合い、火花が散る。それでも二人は、打ち合いの合間に何やら笑い合っていた。


 イザベルの薙刀が【灼纏フランマ・エンチャント】の炎を纏う。赤い熱が刃を走る。だがカイトが凍てつく魔力を刃にのせ、その熱を殺す。相殺はできずとも弱めることはできる。俺が【天翔纏ゼニス・エンチャント】を覚える前のように。


 いいことだ。二人とも稽古を頑張ってる。


「……ソラって、本当にそういうところがねえ」


 隣でアリアがため息をついた。何のことだ? 俺は首を傾げる。アリアはやれやれって顔でそれ以上何も言わなかった。


 その二人をじっと見ている奴がもう一人いた。


 ガロだ。大剣を磨く手を止めてイザベルとカイトを見てる。それから、俺とアリアを見た。また二人を見る。何やらそわそわしていた。


「ガロ。どうかしたか」

「……いや」


 ガロはぼそっと言うと、すごい勢いで大剣を磨き始めた。無口なあいつが何を考えてるのか、俺にはさっぱり分からない。





 次の日の昼――


 アリアに客が来たという。面会室にいるらしい。俺は一緒にいたからアリアについて面会室へ向かう。


 扉を開けると一人の女がいた。


 銀色の髪。アリアによく似た顔立ち。だが、その顔には疲れが滲んでいた。着ている外套は上等だが、よく見るとあちこち古びている。


「母様」


 アリアが驚いた声を上げた。


 この人がアリアの母親か。使者じゃなく本人が来たらしい。


「久しぶりね、アリア。急に来て驚かせちゃったかしら」


 ロゼリアと名乗った。穏やかで品のいい人だった。


 アリアが俺を振り返る。


「母様。この人、ソラ。同じ騎士科でいつも一緒に鍛錬してる仲間です」


 俺は軽く頭を下げた。


「ソラだ。アリアには世話になってる」


 ロゼリアが俺を見てにこやかに微笑んだ。


「まあ、ご丁寧に。娘がお世話になっております」


 丁寧な挨拶だ。だが、その笑顔の奥がちらりと冷たくなった。あんまり歓迎されてないな、と肌で感じた。


「さあ、アリア。積もる話もあるでしょう。座ってゆっくり話しましょう」


 ロゼリアがアリアに椅子を勧めると、アリアが申し訳なさそうに俺を見る。


「ソラ。ごめん。少し、母と二人で話したいことがあるの。悪いけど先に戻ってて。家の話だから」

「ああ。分かった」


 俺はロゼリアにもう一度頭を下げて面会室を出る。


 扉を閉める時、ちらっとアリアの横顔が見えた――何か思い詰めた顔をしていた。





 その夜――


 いつものように校庭で剣を振っているとアリアが来た。母親はもう帰ったらしい。昼の面会のあと、慌ただしく王都を発ったそうだ。


 アリアはいつも通り俺の隣で剣を構える。

 だが、様子がおかしかった。剣の切れがない。時々手が止まってぼんやりしている。心ここにあらずって感じだ。


 以前にもこんなことがあったのを覚えている。確かヴォリトの部隊にいたころだ。母から手紙が届いたあのあたり。あのときも剣に身が入っていなかった。


 何があったのかは聞かない。家の話だとアリアは言っていた。俺が立ち入ることじゃない。それに話したくないことを無理に暴くのは好きじゃない。


 こういう時に気の利いた一言でも言えたらと思う。

 でも何を言えばいいかわからない。わからないから……剣を振る。

 もう一本――そう言おうとした時、アリアの方から口を開いた。


「セレスティア子爵家はね……もとは軍閥貴族なの」

「ワフェルと同じのか?」

「ええ、でももとはね。前に言ったでしょ? 貴族には大きく分けて軍閥貴族と宮廷貴族があるって」

「ああ。もとはってことは――」

「宮廷貴族でもない。セレスティア子爵家は没落貴族なのよ」


 軍閥と宮廷。貴族は大きくこの二つに分かれる。その軍閥の座から転げ落ちた家――それが没落貴族ということか。文字通りならアリアの家は落ちぶれている。その予感をアリア自身の口が裏づけた。


「もう貴族と呼べるのかも分からない。騎士団の人数を減らして、庭師も暇に出して、先月は執事も……近隣の軍閥貴族の晩餐会にも呼ばれなくなって、もうほとんどの者がセレスティア子爵家のことを忘れているの」


 俺は黙って聞いていた。

 話すことで楽になることもあると、シスターエレナが言っていたからだ。


「だから私は騎士を目指すの。軍閥貴族で一番お金がかかるのが騎士団の維持。自らの所領から得た税で雇わなければならない。兵舎に食事代、装備に給金。馬一頭にも相当なお金がかかわるわ。陛下から出陣命令が出れば、出征にもお金がかかる。その負担を私が軽くするの。出征で手柄を上げれば論功行賞の場で称えられ、信じられないほどの富と栄誉を得られる。そしたら父と母、そして弟が喜ぶ……」


 弟がいたのは初耳だった。


「さっきね、母から縁談の話があったの。相手はベルモント子爵家。同じ地方の軍閥貴族よ。昔から良好な関係だったのだけど、徐々に格差が生まれて、今では同じ子爵家でもベルモント子爵家の方が上。母はもっと上の貴族と結婚させたかったようだけど、今のセレスティア子爵家を考えるとそうも言っていられないって」


 アリアの言葉に腹の底がむかむかしてくる。

 しかし、次の言葉でそれがすっとなくなった。


「……断ったわ。結婚したところでセレスティア子爵家が救われることはない。じわじわと力を削がれて、結局は吸収されてしまうもの。自らの力で這い上がるしかないの」


 そして、アリアが俺をじっと見つめる。


「あなたがいてくれて良かったわ。いなければまた迷ってしまうところだった。私はもう決めたの――迷わないって」


 ナイトクローラーの髪留めに触れて、アリアの決意が瞳に宿る。


「そうか。じゃあ、もう一本」

「……ええ。今日はとことんやるわ」


 その声はいつものアリアに戻っている。

 俺たちは月明かりの下で、また剣を打ち合った。

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