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第50話 意趣返し

 翌朝の食堂。


 いつもの席に俺たちは揃っていた。俺、アリア、イザベル、ガロ。そして――カイトもだ。


 カイトの右手はまだ以前のようには動かない。フォークを左手に持ち替えぎこちない手つきでパンをちぎっている。それでもその横顔は穏やかだった。こうしてまたみんなで飯を食える。それだけでいい朝だ。


 その空気をぶち壊す奴が現れた。


「やあ、アリア嬢。今朝も麗しいね」


 ワフェルだった。


 相変わらずアリアにべったりと猫撫で声をかける。アリアは「おはようございます」とだけ、温度のない声で返す。それからワフェルの視線がカイトへと滑る。見下すような嫌な目つき。


「カイト。お前も苦労するな」


 わざとらしく同情めいた声を作る。


「僕はね、本当はお前を追放したくなかったんだ。お前はよく仕えてくれたからね。だが……家がそう決めてしまった。僕にはどうしようもなかった。すまないね」


 しおらしいことを言う。だが、その口元はどこか笑っているようにも見える。


 隣に座っていたイザベルが、俺にだけ聞こえる声でぼそりと呟いた。


「……おかしいわよね。どうしてマグナ侯爵家がカイトの右腕の負傷を知ってるのかしら。森でのことを報告したのはワフェルだしそう仕向けたのもあいつでしょうに」


 確かに、と思った。

 カイトを切るように仕向けたのは、ほかでもないこいつ自身だ。


 カイトは何も言わなかった。


 ただ、いつもの偽りの笑みを浮かべて、ワフェルの言葉を受け流している。波風を立てない。それが長いあいだこいつが身につけてきた処世術なのだ。


「まあ、達者でやれよ。これも何かの縁だ。最後に握手でもしようじゃないか」


 ワフェルが右手を差し出す。


 カイトは一瞬ためらってからその手を取った。穏やかな笑みのまま。

 次の瞬間、カイトの顔がぴくりと歪んだ。


 ワフェルの奴、握った手に思い切り力を込めていやがる。カイトの右手はまだ治りきっていない。そこを狙って握り潰さんばかりに締め上げている。カイトの額に脂汗がにじむ。それでもカイトは笑みを崩さない。


 頭にかっと血が上った。


 この野郎! 俺は思わず腰を浮かせた。ぶん殴ってやる!

 だが、俺より先に立ち上がった奴がいた――ガロだった。

 無口なガロがのっそりとワフェルの前に進み出る。


「ワフェル様。森ではあんたを守りきれず申し訳なかった」


 ぼそりと低い声で言う。


「今度はしっかり守る。だから――どうかよろしく頼む」


 そう言ってガロもまた右手を差し出した。


 ワフェルは毒気を抜かれたような顔でその手を握り返す。

 その瞬間、ワフェルの表情がぐにゃりと歪んだ。


 ガロの巨体から繰り出される握力はワフェルの比じゃない。万力のような手がワフェルの手をみしみしと締め上げる。ワフェルの顔から血の気が引いていく。


「す、すまない、ガロ。少し、力が……」


 ワフェルが声を絞り出す。ガロははっとしたようにぱっと手を離した。


「……すまない。訓練ばかりしていて、力の加減が分からなくなっていた」


 悪びれもせずしれっとそう言う。無口なガロのこれが精一杯の意趣返しだった。


 なるほど。

 俺は得心した。これは――いい手だ。


「ワフェル」


 俺は立ち上がってワフェルの前に立った。そして右手を差し出す。


「俺からも挨拶させてくれ」


 ワフェルの顔が引きつった。さすがに何かを察したらしい。一瞬、手を引こうとする。だが、ここで引けば自分が握手を恐れたことになる。軍閥貴族のつまらないプライドがこいつの手を俺の手へと伸ばさせた。


 その手をがっちりと握る。

 そして俺は込められるだけの怒りをその一握りに乗せた。


 カイトを傷つけた怒り。仲間を盾にしたあの森での醜態への怒り。そして、アリアへ執拗に迫る全部だ。全部この手に込めて――握り潰す。


 鈍い音がした。


「ぎゃあああっ!!!」


 ワフェルの絶叫が食堂に響き渡る。


 手加減はした。骨にひびが入る程度で止めてやった。これでも俺にしてはずいぶん優しくしたつもりだ。本当は握り潰してやりたかった。


「き、貴様! よくもっ……!」


 ワフェルが涙目で手を押さえて喚く。俺は素知らぬ顔で言ってやった。


「悪いな。俺も、力の加減が苦手でな」


 そこへアリアがすっと動いた。


 わざとひと呼吸遅れて。まるで止めるのが間に合わなかった、とでも言うように。


「まぁ大変。ワフェル様、お怪我を。今お治しします」


 澄ました顔でワフェルの手を取る。


 アリアに触れられてワフェルの目尻がだらしなく下がった。痛みも忘れてでれでれと相好を崩す。


「おお、アリア嬢。すまないね、君の手を煩わせて……いてっ?!」


 アリアがその手をぎゅっと握り込んだ。


「申し訳ございません。しっかり押さえないと治りにくいものですから」


 涼やかに微笑みながら、アリアはワフェルの折れかけた手を容赦なく握りしめる。【聖光癒サンクト・ヒール】の淡い光が、その手を包んでいく。治してはいるのだ。確かに治してはいるのだが――その握る力は明らかに必要以上だった。


 痛い。だが、好きな女に手を握られている。喜んでいいのか、悲鳴を上げるべきなのか。ワフェルは何とも情けない顔でその治療に耐えながら頬を緩ませている。


 やがて手の治療が終わる。


「ありがとう、アリア嬢。君は優しいな」


 まるで分かっていない様子でワフェルがアリアに礼を言う。それからぐるりと俺たちを見回し、取り繕うようにぴしゃりと言い放った。


「……ふん。今日は僕の機嫌がいいから許してやる。せいぜい励むことだな」


 誰がどう見ても負け惜しみだった。ワフェルは赤くなった手をさすりながら足早に食堂を出ていく。【聖光癒サンクト・ヒール】であれば全快できたであろうに、そうはしなかったようだ。


 その背中にイザベルがすっと立ち上がる。そして、塩の壺を手に取るとワフェルの去った戸口に向かって、ばっと塩をまいた。


「はい、お清め。厄が落ちますように」


 張り詰めていた空気がふっと緩んだ。

 誰からともなく、笑いが漏れる。胸がすく、とはこういうことを言うのだろう。


 そして――カイトが笑った。声を出して。

 いつもの作り笑いじゃない。剣を交える時に見せる、あの本物の笑みだ。目の奥までくしゃりと笑っている。憑き物が落ちたような晴れやかな顔。


「僕さ、決めたよ」


 カイトが左手でそっと右手をさする。


「もう、ワフェル様――……ワフェルとは、関わらないようにする」


 様、と言いかけて、こいつはその敬称を自分の意思で捨てた。長い間こいつを縛りつけてきた主従の鎖。それを今カイトは自分の手で断ち切ったのだ。


 もう誰の盾でもない。殴られるために笑う必要も見下される必要ももうない。カイトは一人の剣士として自分の足でここに立っている。


 いつか見たいと思っていたカイトの本物の顔。それが今目の前にある。長くて、苦い道のりだった。だが、こいつはちゃんとここまで来た。


 窓の外では朝日が眩しく差し込んでいる。


 封魔の森から始まった長い騒動もこれでようやく本当に終わった。カイトは戻ってきた。

 そして俺は新たな目標を見つけた――ルミィを超える!

 まだまだ前へ進める。


「カイト、今日の課外授業、思いっきりやるぞ」

「えっ!? さすがにソラの全力にはついていけないよ」

「大丈夫よ。多少の傷を負っても私が【聖光癒サンクト・ヒール】で癒やすから」

「あ、アリアまでっ!?」


 カイトの素っ頓狂な声に、皆の笑い声が響く。


「みんなありがとう。僕は君たちがいてくれたから、まだこの学校で強くなろうと思えてる。いつか強くなってワフェルにあの時解雇しなければって後悔させてみせる!」

「その意気よ。私も全力でサポートするから。いつかマグナ侯爵家を潰しちゃいなさい」

「い、イザベル……さすがにそれは言いすぎだよ……でもその心意気でやる!」


 カイトは皆の前で静かに決意を口にすると、皆で校庭へと駆けた。


 頭上には雲ひとつない青空。降り注ぐ陽光はまるで俺たちの覚悟を祝福するかのように燦々と照りつけている。その眩しさに背中を押されるたび、胸の奥で闘志が静かに燃え上がっていく。


 ――もっと強くなる。


 すべては、三大極星スリースターズ――遥か天頂へと辿り着くために。

『第2章 ステラ星煌学校編 前編』


これにて終了です。

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