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第49話 頂

 一週間が過ぎた日のこと。


 午後の課外授業。封魔の森での合同護衛訓練を終えてから、俺たちは四人で動いていた。俺、アリア、イザベル、それにガロ。班のまとめ役は相変わらずアリアだ。リブラとワフェルは貴族科だから、訓練が終われば食事の時以外で顔を合わせることもない。


 校庭で剣を振っていると、見慣れた影が近づいてきた。


「やあ、みんな。久しぶり」


 カイトだった。


 手には木剣。握っているのはやはり左手だ。右腕はだらりと垂れてはいない。治せるところまでは治ったのだろう


「カイト!」

「どうして!? もう治療は終わったの?」


 アリアが訊ねる。カイトはいつもの作り笑いではない穏やかな顔で頷いた。


「うん。まだ治療は続けてるけどだいぶいいんだ。スプーンも握れるようになったよ。それでね……退学にはならなかった」


 その言葉に俺は思わず身を乗り出した。


「マグナ侯爵家からは家族ごと切られた。それは変わらない。でもね……学校が僕を退学にしないでくれたんだ。それどころか僕の家族まで保護してくれるって」


 カイトの声にはまだ信じられないという響きがあった。


「ライナス先生が直接言いに来てくれたんだ。騎士になれば給金が出て、家族を養えるようになる。上位騎士になれば屋敷を構えることも可能だって。学費はその時に払ってくれればいい。僕がこの傷を負ったのは学校のせいでもあるから、騎士になるまでは家族共に面倒を見る。でも――来年、騎士に昇格するのは厳しいかもしれない。忖度はしないからそのつもりで、と言われたよ」

「当然よ。あなたほどの人をこんなことで失うほうがどうかしてるわ。剣だけでなく魔法も一流だしね」


 イザベルがそう言ってふんと胸を張る。まるで自分のことのように。


「……よかったな」


 ガロがぼそりと漏らす。短い言葉だが無口なあいつがそう言うのだから相当のものだ。カイトが嬉しそうに目を細めた。


 そういえばと俺はもう一つ気になっていたことを思い出す。


「あの黒装束はどうなったんだ」

「ああ、それね」


 答えたのはアリアだった。


「あの後、森に星将様たちが討伐に向かわれたそうよ。閃光星将様、疾風星将様、それに金剛星将様。もう片はついたと聞いたわ。でも手練れはいなかったという話よ」


 手練れが殺されずに、なぜかほっとした自分がいた。

 あいつは俺がやる。





 その日の夕暮れ。


 俺はアリアと二人、校庭の隅で新しい力の訓練をしていた。


天瞰眼ゼニス・アイ】。


 封魔の森で覚醒した金色の眼だ。天属性の魔力を溢れさせ、頭上に金色の眼を象る。すると周囲のすべてが手に取るように『視』える。背後も、死角も、何もかも。


 だが――問題があった。


 情報が入りすぎるのだ。視えるものが多すぎて頭がそれを処理しきれない。少し使っただけでこめかみがずきずきと痛み始める。


 慣れるしかない。だから俺は毎日こうして少しずつこの眼を使う訓練をしていた。

 金色の眼で周囲を『視』る。


 その時――遠くからこちらを見ている者の気配を捉えた。


 反対側の校庭、木立の陰。そこに誰かが立ってじっとこちらを窺っている。【天瞰眼ゼニス・アイ】が、確かにそいつの姿を映し出している。


 俺は眼を解きその気配のもとへ歩いていく。


「どうしたのよ?」

「あいつがいた」

「あいつ? あいつって……」


 アリアも察したようだ。俺の後をついてくる。


 そいつは逃げなかった。もう視られていたというのが分かったのかもしれない。


 そこにいたのは――ルミィだった。


 その瞳は俺を捉えている。


 俺もルミィから目を逸らさず、ゆっくりと向かう。


「多分、お前のおかげだと思う」

「何のこと?」

「カイトのことだ」


 ルミィは否定も肯定もしなかった。


「ルミィ。今度は偶然ではなく、俺の力でお前を見つけて正面に立った。この前の答えを教えろ」


 あの入試の最後の問題。この中で誰が一番強いか当てろと言われて俺は後ろの四人の男じゃなく目の前のこの女を指差した。あんたが一番強い、と。あの時こいつは正解とも不正解とも言わなかった。


「入試テストの時の俺の答えは……あっていたか?」


 ルミィの目がわずかに細められる。


 そして、ふっといたずらっぽく微笑んだ。


「正解よ」


 隣でアリアが息を呑む。


 俺の直感は間違っていなかった。


 あの中で一番強い者が今目の前にいる。だったらやることは一つしかない。


「だったら――俺と戦え。強い奴と剣を交えたい。それだけだ。お前があの中で一番強いってんなら俺はお前と戦いたい」


 ルミィはしばらく俺の顔をじっと見ていた。何かを見定めるような目で。やがてくすりと笑う。


「いいでしょう。でも今は得物がないわ。だから――」

「では、私の木剣をお貸しします。それでよろしいですか?」


 アリアが自分の木剣を差し出すと、逡巡するルミィ。


「……いいでしょう。今ならギャラリーはいませんから」


 ルミィがアリアの木剣を受け取り、軽く構える。


 俺も木剣を握り直し対峙する。受付の事務員と夕暮れの校庭で向かい合う。傍から見れば奇妙な光景だろう。だが、俺の肌は目の前のこいつがとんでもない相手だと告げていた。


「いつでもどうぞ」


 ルミィが涼しい顔で言う。


 俺は地を蹴った。


 まず一撃。袈裟に振り下ろす。だが――木剣は空を斬った。ルミィの姿がすっと半歩ずれている。当たらない。ならば横薙ぎ、返す剣で突き。立て続けに打ち込む。どれも掠りもしない。ルミィは最小限の動きだけですべてを躱していく。木剣と木剣が交わる音すらしない。


 速い。とんでもなく速い。身体能力が桁違いだ。


 だが――妙だった。


 これだけの速さと体捌きを持ちながら、ルミィが繰り出す剣はどこかぎこちなく見える。これだけの化け物じみた身体能力がありながら、なぜだ? 何かがおかしい。


 その違和感の正体は分からなかった。だが、肌がざわつく。こいつにはまだ何か裏がある。


 ならば本気で行く。


「【天翔纏ゼニス・エンチャント】!」


 金色の光が全身を駆け巡る。世界がゆっくりと見え、体が軽くなる。この状態の俺なら並の相手は捉えられない速さで動ける。


 俺は一気に間合いを詰め、渾身の一撃を振り抜く。


 その時、ルミィの唇が小さく動いた。何かをぼそりと唱えた。

 次の瞬間、ルミィの全身が強い光に包まれる。

 そして――俺の木剣はまたも空を斬った。


 いや、空ですらない。俺が斬ったのはルミィの残像だった。光を纏ったルミィはもはや目で追える速さではなかった。振り向けばいつの間にか背後にいる。斬りかかればもうそこにはいない。残像だけがちらちらと俺の視界に揺れる。


 【天翔纏ゼニス・エンチャント】を纏った俺の動きを完全に上回っている。

 速さだけならアリアの【聖翼纏サンクト・エンチャント】すら凌駕する。


 くそっ! これでも届かないのか!

 だったら――


「【天瞰眼ゼニス・アイ】!」


 頭上に金色の眼を象る。


 その瞬間、視界が変わった。残像に惑わされていた目が今度は本物のルミィの動きをはっきりと捉える。光に紛れていた軌道が金色の眼の前では手に取るように『視』える。


 右へ回り込む。その動きを先に『視』る。

 俺は迎え撃つように木剣を振るった。


 木剣と木剣が交わる炸裂音が夕暮れの校庭に初めて響く。

 ルミィの目がわずかに見開かれる。


「……あら」


 初めてこいつの涼しい顔がほんの少しだけ崩れた。自分の動きを捉えられたことがよほど意外だったらしい。


 やった。届いた――

 だが、それもそこまでだった。


 ルミィの動きがまた一段、変わる。木剣を交えたのは最初で最後だった。それきり、どれだけ天瞰眼で『視』てももう俺の木剣がルミィに触れることはなかった。視えていても身体が追いつかない。視るだけでは届かない。


 頭が割れるように痛む。【天瞰眼ゼニス・アイ】の使いすぎだ。視界がぐらりと揺れる。


「ソラ!」


 俺が地面に膝をつきそうになるのを、アリアが慌てて抱きかかえてくれた。

 惨敗だった。こめかみがずきずきと痛む。


 悔しい。心の底から悔しい。手も足も出なかった。一太刀、いや、たった一度木剣を交えるのが精一杯。


 だが――それ以上に燃えていた。


 世の中にはこんな化け物がいる。俺が目指す頂はこいつの遥か上だ。じっとなんてしていられない。


 絶対に超えてやる! 今は届かなくてもいつか必ず!


 それに収穫もあった。【天瞰眼ゼニス・アイ】を使ったあの一瞬。あの時だけはこいつの動きを捉えられた。木剣を交えられた。つまり――この眼を磨けばもっと届く。もっと上に行ける。【天瞰眼ゼニス・アイ】。この力をもっと鍛えなきゃならない。それに俺の金色の魔力に触れると、ルミィの動きが少し落ちるようにも思えた。夢中だったから確かではない。でも天属性の魔力はこいつにも通じるというのは肌で感じ取ることができた。


 ルミィがこちらへ歩み寄ってくる。何か言われるかと思ったが、こいつは俺には一言も声をかけなかった。ただ、静かにアリアのもとへ向かう。


「お借りしました。ありがとう」


 アリアに木剣を返す。その時、ルミィが声を潜めてアリアの耳元で何かを囁いた。


 その囁きは俺の耳には届かなかった。だが、アリアの表情がほんのわずかに緩んでから硬くなったのが分かった。アリアは何かを呑み込むように小さく頷いている。


 ルミィはそれだけ言うと踵を返した。夕暮れの光の中をゆっくりと回廊の奥へ消えていく。最後まで底の知れない女だった。


「アリア。今、何を言われたんだ」

「……なんでもないわ」


 アリアはそれ以上は何も言わなかった。何か引っかかる様子だったが、こいつが言いたくないなら無理に聞くことでもない。


 それから一分後、頭痛が収まった。


「アリア、もう大丈夫だ」


 アリアは何のことを言われているのか分からない様子だったが、未だに俺のことを抱きかかえているのに気づき、突き放すように俺から離れた。なぜかアリアの顔は真っ赤だった。


「お前、ルミィに何かされたのか?」

「な、何もされてないわよ」

「顔が真っ赤だぞ?」

「そ、そんなことないっ!」


 そう言ってアリアは女子寮へと駆けていく。


「…………」


 とにかく、強くならなきゃならない。ルミィを超えるために。その先にいるクロフォードに届くために。


 まずは【天瞰眼ゼニス・アイ】だ。明日からはもっとこいつを使い込む。頭が痛もうが、倒れようが関係ない。やってやる。


 夕日が校庭を赤く染めていた。俺は白銀の鞘を握りしめまだ見ぬ高みを思って、まだ星が出てない空を仰いだ。

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