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第48話 絶縁

 護衛テスト中、予想外の――いや、予想以上の襲撃を受け帰還することに。その王都への道中。馬車の中は重い沈黙に包まれていた。


 アリアはカイトの右腕に手をかざし、ずっと【聖光癒サンクト・ヒール】を唱え続けた。淡い光が絶え間なくカイトの傷を照らしている。額に汗をにじませながらもアリアはその手を止めようとしない。俺たちは固唾を呑んでその光景を見守る。


 ワフェルだけはどこか他人事だった。


「カイト。傷の具合はどうなのだ。早く治してもらえよ。お前がいないと何かと不便でかなわん」


 自分を庇って負った傷だというのにその口ぶりにはいたわりのかけらもない。カイトはいつもの作り笑いで「はい」とだけ返す。


 馬車の傍らにはライナスが馬を寄せて同行していた。


「今回の護衛任務のあいだ、我々教師はずっと生徒たちを見守っていた。何かあればすぐ割って入れるようにな」


 ライナスが告げる。封魔の森で窮地に陥った時もすぐ駆けつけてきたわけだ。


「もっとも、お前たちの班だけは他より距離を取らざるを得なかったがな」


 ライナスの視線がちらりと俺に向いた。


「お前の勘があまりに鋭すぎる。下手に近づけばすぐ気取られる。だから遠巻きに見ているしかなかった」


 言われてみれば道中、ずっと薄い気配を感じてはいた。誰かが遠くからこちらを窺っているような。あれはライナスたちだったのか。確信はなかったが何かいる、とは感じていた。





 王都に戻ってからカイトは学校ではなく別のところに運ばれた。閃光星将シャーレが率いる騎士団の詰所。そこには聖魔法や医師がいるので、しばらくそこで治療を受けるらしい。そのため部屋には戻って来ず、学校にも顔を出さないという。


 学校に戻った翌朝、食堂はいつもの賑わいを取り戻していた。


 あの封魔の森での戦いがまるで嘘のようだ。だが皆の心にはしっかりと爪痕が残っている。


 俺の向かいに座ったリブラが声を潜めて切り出した。


「ソラ。今回の件どう感じた? ワフェル殿は傷を負った従者を盾にした挙げ句、治療の順番まで我先にと求めた。軍閥貴族というのはああいうものなのだろうな」


 言葉の端々にワフェルへの……そして軍閥貴族そのものへの棘がにじんでいた。


 だが、俺は俺だ。自分の目で見たことしか信じない。


「ワフェルは気に食わない。それは確かだ。だが、それだけだ」


 俺がそれ以上同調しないと見るとリブラは小さく肩をすくめた。


 隣で黙々と飯をかき込んでいたガロがふいに手を止めた。そして、ぼそりと一言だけ漏らす。


「……仲間を盾にする奴は嫌いだ」


 自分から口を開くのは珍しい。短い言葉だったがその重みはリブラのどんな言葉よりよほど胸に響く。


 イザベルは別のことに感心していた。


「それにしてもアリアの【聖光癒サンクト・ヒール】はすごいわね。あの傷をあそこまで治すなんて……炎獄星将の部隊にも【聖光癒サンクト・ヒール】を使う

聖魔法使いはいるけれど、アリアほどの使い手はいなかったわ」


 当のアリアはそんな話など意に介さず、静かに食事を続けている。


 そこへワフェルがやってきた。カイトのことなどまるで気にする素振りもない。あの森での醜態をもう忘れたかのような顔でまっすぐアリアのもとへ向かう。


「やあ、アリア嬢。今日も麗しいな。どうだろう? 今度の休みにでも僕の屋敷に招待したいのだが」


 いつもの調子でアリアにちょっかいを出す。


 俺は奥歯を噛みしめた。こいつのせいでカイトは剣を握れなくなったというのに当の本人はこうも平然としていられるのか。


 だが、手は出さない。カイトとの約束がある。


 アリアはにこやかな仮面の下に冷たいものを湛えてワフェルをあしらった。


「申し訳ございません。剣の鍛錬がございますので」


 取りつく島もない返事にワフェルは鼻を鳴らして去っていく。



 朝の授業でライナスが教壇に立った。今回の合同護衛訓練について総評を述べるという。騎士科の面々が静かに耳を傾ける。


「まず全体の結果から伝える。今回、護衛対象の貴族科に死傷者は出なかった。これは諸君の働きによるものだ。よくやった」


 ライナスの声が教室に響く。


「いくつかの班は道中で賊の襲撃を受けた。賊を退けられず手こずった班もあったが、護衛対象を守りきったことは評価する」


 他の班の生徒たちがほっとしたような、あるいは悔しそうな顔をしていた。賊に襲われ、教師の助けでようやく切り抜けた班も少なくなかったらしい。


「そしてアリアの班だ」


 名を呼ばれて皆の視線がこちらに集まる。


「この班は最も危険な経路を進んだ。賊だけでなく魔物の群れにまで襲われた。仲間に負傷者も出た。だが――それでも護衛対象を守り抜き、全員が生きて帰ってきた。よく凌ぎきった。見事だったぞ」


 総評が一区切りついたところで俺は手を挙げた。


「ライナス、カイトの容態はどうなんだ?」

「……順調だとは聞いている」

「剣は握れるようになるのか?」

「……そこまでは無理だろう。ただもしかしたらスプーンくらいは握れるようになるかもしれない、とは言っていた」

「そうか……もう一つ、あの黒装束は結局何者だったんだ」


 戦った相手のことは知っておきたかった。

 アリアは呪国だと言っていたが、断定ではない。


「東方呪国の手の者だ。呪国とは今東部で激しくやり合っている。隙を突かれて国内に入り込まれたのかもしれん。封魔の森は呪国の国境にも近いからな。あいつらはまだ森の中にいると思うが、そこには閃光星将様と疾風星将様、さらには金剛星将様と話し合って討伐に出向かれるだろう」


 詳しいことは俺にはよく分からない。だが、あの黒装束の中に一人、飛び抜けて強い男がいたことだけははっきり覚えている。


 俺とアリア、二人がかりでも倒し切れなかった。たぶん、一対一だったら――もっと強くならなきゃならない。あの男にも、その先にいるだろう連中にも届くように。その先にクロフォードがいると思うとじっとはしていられなかった。





 三日後の課外授業の後――


 廊下を歩いていた俺の耳にライナスの声が届いた。事務室の方から誰かと話している。


「そうですか……マグナ侯爵家はカイトを切りましたか」

「ええ。護衛として見込みがあったからこそ雇っていた。しかし、剣を握れなくなった今、もう用済みのようです。学費はもう出さないから退学処分にしてほしいと、マグナ侯爵家から先ほど学校宛てに書面が届きました」

「如何なされるおつもりですか? シ――」


 退学処分――その言葉を聞いた瞬間、俺は考えるより先に駆け出していた。事務室の戸を開け放ち中へ飛び込む。


「ふざけるな!」


 飛び込んできた俺に、ライナスが気まずそうな顔をする。


 ライナスと話していたのは――ルミィだった。


「今の話を聞いていたのですか?」

「聞こえただけだ」


 ルミィがいつもの笑顔で俺に問いかけてきた。


「ねえ、ソラ。今回の件、あなたの目にはどう映ったのかしら。軍閥貴族というのは人を道具のように使い潰すものよ。仕えた者が傷を負えばこうして切り捨てる。そういう者たちをあなたはどう思う?」

「お前もリブラと同じような聞き方をするんだな。ワフェルは悪い。この目で見たからな。でも、それだけだ」


 誰に何と言われようと俺は自分の目で見たものしか信じない。


「俺も答えたから、お前らも答えろ。カイトはどうなる?」


 二人は顔を見合わせる。


「事務員の私がどうこうできるわけはないのですが……ライナス様、どうなるのですか?」

「……この件は学校側で慎重に協議を重ねる。俺が今この場で判断できることではない。ソラ、今の話はここだけに収めてくれ。変な噂はカイトのためにもよくない。いいな?」

「……わかった。カイトを頼む」


 そう言って、頭を下げる。


 これしかできなかった。誰かを頼る。今の俺にはそれ以外の選択肢がない。情けない話だ。だが――次は違う。もっと力をつけてやる。そう決意して俺は白銀の鞘を手に校庭へと駆けた。





 その日の夜、アリアと二人で剣を振っているとそこへカイトがやってきた。手には木剣。だが、握っているのは右手じゃない。左手だ。


「カイト!? 大丈夫なの!? 怪我は!?」


 アリアがカイトの右腕を心配する。


「うん、アリアがずっと【聖光癒サンクト・ヒール】を唱えてくれたからね。だいぶ良くなったよ。明日からも治療を受けないといけないんだけど、ずっと寝っぱなしだと体力が落ちちゃうから、許可をもらって出てきたんだ。ソラ、一本相手を頼めるかい?」

「ああ」


 カイトが左手で木剣を構える。俺も木剣を握り直した。アリアが少し下がって、俺たちに場所を譲る。


 打ち合いが始まる。


 だが――すぐに分かった。カイトの剣は別物になっている。


 右手の頃のあのぬるりといなす捌きの剣はもうそこにない。左手で振るう剣はぎこちない。俺の軽い打ち込みを受けるのが精一杯で、あの崩しの剣を織り交ぜる余裕などない。何度打ち合ってもカイトが俺の剣を捌き切ることはできなかった。


 それでもカイトは食らいついてくる。


 受けて、いなし損ね、よろめいて、また構え直す。左手にまだ馴染まない剣を必死に振るう。その目には剣を諦める色など微塵もなかった。


「ソラ。僕さ、剣を握れなくなったって聞いた時……正直終わったと思ったんだ」


 打ち合いながらカイトがぽつりと漏らす。


「でも左手がある。右がだめなら左で振ればいい。スプーンもまだうまく持てないけどさ。それでも剣を捨てる気にはなれないんだ」


 左手の剣が一つ俺の剣を弾いた。さっきよりわずかに動きが滑らかになっている。


「それでこそ騎士だ」


 右手を失おうとその芯は折れていない。

 ひとしきり打ち合って俺たちは木剣を下ろした。


 カイトの息は上がっていたが、その顔はどこか満ち足りて見えた。汗を拭いながらカイトがぽつりと切り出す。


「マグナ侯爵家にね、切られたんだ」


 知っている。事務室で聞いてしまった。だが、それを口にすることはできない。ライナスと約束した。変な噂はカイトのためによくないと。だから俺はただ黙って続きを待つ。


「ワフェル様に直接言われたよ。剣を握れなくなったお前にもう用はない。お前たち一家を雇う理由もないってね。頼み込んだんだ。家族のためにもこれまで通り仕えさせてくださいって。何度も頭を下げた……でも聞く耳すら持ってもらえなかった」


 カイトの声は震えていた。その奥に沈んでいるものの重さは痛いほど伝わってくる。家族のためにずっと仕えるつもりだったのだろう。殴られても蹴られても、笑って耐えて。それが自分にできる唯一の家族の養い方だとそう信じて。その道が断たれた。


 隣でアリアが唇を噛み、瞳には涙を浮かべていた。カイトの右腕を最後まで治そうとしたアリアだ。あの男への怒りがまた一つ膨れ上がっているのが分かる。だが、アリアも何も言わなかった。今言葉にしたところでどうにもならないことを分かっているからだ。


 俺は拳を握りしめた。


 今すぐワフェルのところへ行ってぶん殴ってやりたい。だが、それはできない。約束がある。それに――それをしたところでカイトは救えない。


 悔しかった。何もできない自分が。


 カイトが木剣を鞘に納めた。そして踵を返す。


 帰り際、ふと足を止めてこちらを振り返った。


「ソラ。アリア。今日はありがとう」


 いつもの作り笑いじゃない。剣を交えた後のあの本物の顔だった。だが、その笑みはどこか寂しげだった。


「たぶん、これが――君と交わす、最後の訓練になると思う」


 俺の胸がぐっと締めつけられた。


「学費が出なくなる。僕はもうこの学校にはいられない。だから……君と剣を打ち合えるのも今日が最後だ。短い間だったけど君と打ち合えて楽しかったよ。ありがとう――本当に」


 カイトは深々と頭を下げた。そして、夜の闇の中へとぎこちない足取りで去っていく。


 その背中に俺は何も言えなかった。引き止める言葉も、慰める言葉も……何一つ。ただ悔しさだけが胸の中で渦巻いていた。

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