第47話 天瞰眼
黒装束との戦いは膠着している。
中でも一人、頭抜けて強い男がいた。
俺が斬りかかれば、まるで先を読んでいたかのように受け流される。アリアが背後を取っても、振り向きざまに弾き返す。二人がかりで攻め立てても、押せはするが、どうしても倒し切れない。それどころかこちらの剣をいなしながら、鋭い反撃を差し込んでくる始末だ。
倒し切れない――だと?
信じられなかった。俺とアリアの二人がかりだぞ。あの牙獣柱を二人で討ち取った、あの時よりも俺たちはずっと強くなっているはずだ。それなのにこの男一人をいまだ仕留めきれずにいる。少なくとも獣柱以上の強さ。
じわじわと斬り合いが長引く。後衛も苦戦が続く。
その時、黒装束たちの動きがふいに変わった。
何かを察したのか潮が引くように反対側の森へと退いていく。目の前の男も含め、音もなく霧の奥へ消えていく。
追う気はなかった。森の奥から地響きと羽音がこちらへ迫ってきていたからだ。
血の匂いだ。倒した賊の屍、流れた血。その匂いを嗅ぎつけて何かが来る。黒装束が退いたのはこれが来ると分かっていたからだ。
森の木々を揺らして現れたのは二種の魔物の群れだった。
頭上を旋回するのは黒々としたカラスの魔物。一羽だけなら大したことはない。だが群れれば話は別だ。鋭い嘴と爪を備えた何十羽もが、上空から獲物を狙っている。
地を駆けるのは獣型の魔物。狼に似た体躯でこれも群れをなしている。低く身を伏せ、牙を剥き、四方からじりじりと囲んでくる。こいつらも一体では大したことはないだろうが群れれば手強い。
空と地上から同時に襲ってくる。屍肉を漁りに来たのか、それとも生きた俺たちが狙いか。どちらにしろやることは変わらない。来るなら迎え撃つだけだ。
俺は【天衝脚】で宙を蹴った。
空中を足場にして跳び上がり、急降下してくるカラスの魔物を空で迎え撃つ。一羽を斬り落とし、金を敷いて、足場にしてまた跳ぶ。アリアも【聖翼纏】の敏捷で宙を舞い、空の魔物を捌いていく。
空の敵に手が届くのはこの機動力を持つ俺とアリアだけだ。他の連中では頭上の魔物にどうにも届かない。
だが――地上もまた厳しい。
地上の獣型の魔物は思った以上に手強かった。
一体一体がさっきの黒装束に引けを取らない。しかも群れで連携して襲ってくる。これを捌くにはカイト、イザベル、ガロの三人が連携を組まなければとても抑えきれない。
カイトが動けなかった。
あいつはワフェルの専属護衛としてあの男の傍を離れられない。三人の連携の要となるべき一角が欠けている。ガロが土壁で守りを固め、イザベルが【灼纏】を纏った薙刀で薙ぎ払うが、カイトの抜けた穴はどうにも埋まらない。
地上の守りが崩壊寸前だ。
俺とアリアは空の魔物に手一杯。地上に降りたくても降りればカラスの群れが馬車に殺到する。動けない。万事休す――そう思ったその時。
森の木々を割って四つの影が飛び込んできた。
ライナスだ。それと他に三人の教師。なぜここに? でもそんなことはどうでもよかった。
「加勢する! 持ちこたえろ!」
ライナスたち教師四人が戦線に加わった。ライナスは騎柱。他三人の教師は上位騎士だけあって、その実力はカイトやイザベルより明らかに上だ。獣型の魔物を危なげなく斬り伏せていく。
崩れかけていた地上の守りがどうにか持ち直す……が、とにかく魔物の数が多い。カラスが空を埋め、獣型が地を覆う。教師四人が加わってなお、押し返すだけで精一杯だった。戦況は依然として危うい綱渡りが続く。
その時だった。
一体の獣型の魔物が守りの隙を縫って飛び込んだ。
教師の加勢でカイトがほんの一瞬ワフェルから気を逸らした、その隙。魔物が馬車の陰のワフェルめがけて襲いかかる。
「ワフェル様!」
カイトが咄嗟に身を投げ出した。
ワフェルとの間に割り込み、その身で魔物を受け止める。だが無理な体勢だった。魔物の牙と爪がカイトの右腕に深々と食い込む。
鈍い音がした。
肉を裂き、骨に達し、何か取り返しのつかないものを断ち切る音。カイトの右腕から血が噴き出す。
それでもカイトは左手に剣を持ち替え、振るった。歯を食いしばり、魔物を払いのける。ワフェルは傷一つ負っていない。カイトの鮮血がワフェルの顔に飛び散っただけ。カイトがその身を盾にして守りきったからだ。
「カイト!」
俺は思わず叫んだ。
「アリア、【聖光癒】を――」
言いかけて気づく。アリアはもう動いていた。
俺が言うより先にアリアはカイトのもとへ駆けていた。空の魔物を俺に任せ地上に降り立つと、血を流すカイトの右腕に手をかざす。
「【聖光癒】!」
淡い光がカイトの右腕を包み、噴き出していた血が止まっていく。だが傷は深い。神経まで断たれた腕は【聖光癒】をもってしても元には戻らない。今はとにかく血を止めるのが先だ。
そこへワフェルが喚いた。
「おい、僕が先だ! 僕の手当てを優先しろ! こんなにも血を浴びている! そんな従者より僕の方が大事に決まっているだろう!」
カイトが命懸けで守った当の本人が、傷一つ負っていないくせに自分を先にしろと言い張る。
アリアはワフェルを完全に無視した。一瞥もくれない。ただ黙々とカイトの治療に集中する。その横顔にはもはや隠しようもない怒りがはっきりと浮かんでいた。
俺も腸が煮えくり返っていた。だが――今はまだ駄目だ。目の前の魔物を片付けるのが先だ。怒りは後でいくらでも吐き出せる。
アリアがカイトの治療に回った分、空にできた穴は俺が埋めるしかない。
教師四人は、カイトやワフェル、劣勢のイザベル、そして守りを固めるガロまで、全員を守らなければならなかった。
ただ、アリアが抜けた分、空からの攻撃も受けるしかなく、防戦一方。
俺も地上に降り、応戦するがきつい。
頭上からはカラスの魔物が急降下し、地上からは獣型の魔物が牙を剥く。前を捌けば背後を取られ、上を弾けば足元を狙われる。守る対象を背負ったまま、四方八方からの攻撃を一人で捌くのは、いくら【天翔纏】の超反応をもってしても限界があった。
背後から獣型の魔物が飛びかかる。気配で辛うじて振り向き、剣を払う。だがそっちに気を取られた頭上から、カラスの魔物が爪を立てて降ってくる。
駄目だ。目が二つしかない。前を見れば後ろが、上を見れば下が死角になる。このままじゃ、いずれ手が回らなくなる。
くそっ。もっと、広く視られたら――。
そう思った、その時。
ふいに感覚が研ぎ澄まされる。
極限まで高めた【天翔纏】。その金色の魔力が抑えきれず、全身から溢れ出していた。そして――溢れた魔力が満ちた空間がまるごと俺の感覚に流れ込んでくる。
これは霧を晴らした時のような力とは違う。魔力をただ広く濃く周囲に満たす。すると、その魔力が眼になって視界を得る。
遠い昔の記憶がふいに繋がった。
あのシェーラとの戦い。あの時も土壇場で力を振り絞って【天翔纏】を限界まで高めた。あの瞬間、魔力が溢れて周りのすべてが視えた。あれはまぐれなんかじゃなかった。この力の片鱗だったんだ。
今、それをはっきりさせる!
俺にはその力が――言葉がある!
「【天瞰眼】!!!」
名を口にした瞬間――俺の遥か頭上に金色の魔力で象られた眼が浮かび上がる。
その眼が戦場を俯瞰する。
上空からすべてを見下ろすその眼は何一つ見逃さない。背後に迫る獣型の魔物の動き。頭上で旋回し、降下の機を窺うカラスの群れ。右から左から忍び寄る魔物の一匹一匹。茂みの葉の揺れ、土を蹴る爪の角度まで、細部の何もかもが痛いほど鮮明に視えた。
背後から飛びかかる獣型の魔物を振り向きもせず斬り伏せる。【天瞰眼】がそいつの動きを先に視ていたからだ。頭上から降ってくるカラスの魔物も、来ると分かっていれば躱して斬り落とすのは造作もない。
奇襲が奇襲にならない。どこから来ようとすべて視えている。
俺は縦横無尽に駆け回り、迫る魔物を片っ端から斬り捨てていく。空から来るものは跳んで落とし、地から来るものは薙いで沈める。【天翔纏】の超反応に【天瞰眼】の全方位の視界が加わり、もはや俺に隙はない。
戦況が一気に傾く。
俺が空と地上を一人で抑えられるようになり、教師たちにも余裕が生まれた。ライナスが獣型の魔物を斬り伏せ、イザベルが【灼纏】を纏いながらサポート。ガロが土壁で味方を守り、応急処置を終えたアリアも戦線に戻る。
空を埋めていたカラスの魔物が次々と地に墜ちていく。地を覆っていた獣型の魔物も急速に数を減らしていく。
そして最後に残った一際大きな獣型の魔物へ、俺は地を蹴って肉薄する。【天瞰眼】で、そいつの繰り出す爪の軌道を読み切り、その懐へ潜り込んで首を刎ねた。
どさり、と魔物の巨体が倒れる。
それきり動くものはなくなった。森に静寂が戻ってくる。
魔物の群れは全滅した。長い戦いがようやく終わったのだ。
戦いが終わると同時に頭上の金色の眼がふっと霧散して消えた。
その途端――激しい頭痛が頭の内側を殴りつけてくる。
ぐらり、と視界が揺れる。眩暈がした。【天瞰眼】が捉えた情報はあまりに膨大すぎた。葉の一枚、爪の一本まで戦場のすべてを一度に流し込まれて、俺の頭はそれを処理しきれていなかったらしい。戦いの間は無我夢中で気づかなかったが終わった途端――どっと疲労が押し寄せてくる。こめかみが割れそうに痛い。
まだ使いこなせる力じゃない。便利な分、頭への負担も相当のものだ。今後の課題がまた一つ増えた。
だが――今はそれどころじゃない。俺はすぐにカイトのもとへ駆け寄った。
カイトは地面に座り込んでいた。アリアの【聖光癒】で血こそ止まっているが右腕はぐったりと垂れたまま動かない。
「カイト! おい、しっかりしろ!」
「……ソラ。心配かけてごめんね」
カイトが力なく笑った。いつもの偽りの笑みとも、剣を交える時のあの本物の顔とも違う。痛みを必死に堪えた弱々しい笑みだった。こいつはもう知っているのだ。もう右手で剣を握れないんだと。
ワフェルを庇ってこうなったのだ。
カイトを盾にして、自分は傷一つ負わなかったあの男を庇って。挙げ句その男は治療の順番まで自分が先だと喚いた。
腹の底からどす黒いものが突き上げてくる。
握りしめた拳が震えた。今すぐにでもあの男の頬を打ち砕いてやりたい。だが――俺はカイトと約束した。あいつに手を出さない、と。カイトが、まだそれを望んでいる限り、俺はその約束を破れない。
だから俺は奥歯を噛みしめ、こみ上げる衝動をぐっと呑み込んだ。




