第46話 封魔の森
翌朝、俺たちはついに封魔の森の入口に着いた。
森の周辺には金剛星将の小隊がいくつか展開していた。鎧を纏った騎士たちが要所要所に陣取って目を光らせている。ただ一万を超える軍を率いているにしては物足りない。騎士たちを横目に隣を歩くアリアへ視線を向ける。
「アリア、金剛星将も一万を超える軍を抱えているんだよな?」
「そうよ」
「にしては展開している数が少なくないか?」
「当然よ。金剛星将の部隊はフェリシテ星煌王国全土に展開しているから、一点に戦力を集めることはできないのよ」
「全土?」
「そう、第一軍の閃光星将は王都、第二軍の轟雷星将は北、第三軍の疾風星将は東、第四軍の氷刻星将は西、第五軍の炎獄星将は南に展開しているのは知っているでしょ? 第六軍の金剛星将はフェリシテ星煌王国のインフラ整備――つまり、道路の敷設や舗装を担当しているから、一つの場所に戦力を割けないのよ……これ、授業でもやったわよ? 七輝星将が今六人しかいない理由と共に。覚えてない?」
「……覚えてる」
覚えてる……はずはなかった。そしてアリアもそれをわかっているが、敢えて口にはせずに隣を歩く。
俺たちが進むのは封魔の森を抜けて疾風星将が治める街へと続く道だった。森が少しだけ切り拓かれていて、馬車がぎりぎりすれ違える程度の幅はある。だがライナス曰く、ここが一番危険なスポットらしい。だからこそ金剛星将の小隊もこの一帯に重点的に目を配っている。
森を前にして隊の空気が一変する。
誰もが口を閉ざし、武器に手をかけている。ガロは大剣の柄を握りしめ、カイトの笑みからも軽さが消えていた。イザベルが薙刀を抱え直し、唾を呑む音が聞こえる。馬車の中のワフェルとリブラさえ、息を潜めて森の奥を見つめている。
この森がそれだけのものを纏っているということだ。
目の前にそびえる封魔の森は異様だった。王都の建物に劣らぬ巨木が際限なく群生し、枝葉が幾重にも陽の光を遮っている。まだ昼前だというのに森の内側は夜のように薄暗く、入口から数歩先でもう奥が見通せない。
そして――静かすぎる。
鳥のさえずりも虫の羽音もしない。葉擦れの音だけが風のたびにざわざわと不気味に重なり合う。その静寂を裂くように森の奥から低い唸り声が響いてくる。
獣の声だ。それも一頭や二頭じゃない。遠く奥深くから何かの咆哮がいくつも木霊してくる。姿は見えない。だが確かにいる。この森の奥には何かがいる。
封魔の森。魔を封じるという名の重さが肌にのしかかってくる。
「行くわよ。森を抜けるのに半日以上はかかるから、気を抜かないようにね」
アリアが警戒を促す。その声にも緊張の色が見られた。俺たちは息を潜めて封魔の森へと足を踏み入れる。
森の中は外で見た以上に不気味だった。
巨木の幹は苔むして黒ずみ、地面には薄い霧が漂っている。足元が白く煙り、自分の爪先すら時折霞む。風が枝を揺らすたびに葉が重なって音を奏でて、その音が近づく者の足音も気配も紛れさせる。視界も聴覚もこの森では当てにならない。
馬車にはカイト、イザベル、ガロの三人がぴったり張り付き護衛は完璧だ。誰もが無言でただ周囲に神経を尖らせている。
そして――封魔の森に足を踏み入れて一時間が過ぎた頃。
張り詰めていた緊張がふと緩んだ。何も起きないまま一時間も歩けば人の気はどうしても緩む。あれだけ警戒していた俺たちにもわずかな油断が生まれていた。
その隙を突かれる。
茂みが激しく揺れたかと思うと、複数の人影が一斉に飛び出してきたのだ。
「来たぞ!」
鉄の剣を抜き放つ。襲ってきたのは賊だった。
粗末な革鎧に刃こぼれした剣や斧。数こそ多いが動きは荒っぽい。明らかに食い詰めた野盗の類だ。十数人がわらわらと馬車に群がってくる。
だがこいつら相手に後れを取るほど俺たちは弱くない。
【天翔纏】を纏う。金色の光が全身を駆け巡り、世界の動きがゆっくりと見えるようになる。先頭の賊が振り下ろした剣を躱し鳩尾に柄を叩き込む。賊が膝から崩れ落ちた。返す刀でもう一人の首を刎ねる。
隣ではアリアが舞っていた。【聖翼纏】の敏捷で賊の間をすり抜け、的確に急所を打って無力化していく。銀の残光が薄暗い森に尾を引く。
「そっちに二人いくわ!」
「おう!」
アリアが弾いた賊を俺が引き受けて沈める。何も言わずとも連携が決まる。これが俺たちの呼吸だ。
イザベルも負けていない。【灼纏】を纏い、薙刀を振るって賊を寄せつけず間合いを支配している。長柄の利を活かし近づこうとする賊を片っ端から薙ぎ払う。
賊どもはなすすべもなかった。
あっという間に十数人の賊が地に伏していた。立っている者は一人もいない。
「……これが噂の賊か」
馬車の中から商人に扮したワフェルとリブラが呆然とこちらを見ていた。
「すごいな……騎士科の上位というのはここまでのものなのか」
リブラが感嘆の声を漏らす。ワフェルもいつもの傲慢な態度を忘れ、目を見張っていた。俺とアリア、イザベルの戦いぶりに二人とも圧倒されているようだった。
倒した賊のうち、数人は斬らざるを得なかったが、できる限り生け捕りにした。縄で縛り上げ身動きを取れなくする。
遠くに展開していた金剛星将の小隊が戦闘に気づき、駆け付けて来たので賊の身柄を引き渡す。
「助かる。こいつらを尋問すれば最近の襲撃の手がかりが掴めるかもしれん」
小隊長と思しき騎士が縛られた賊を引き取る。賊どもを護送するため小隊は街道を引き返していった。金剛星将の部隊の背中が俺たちが来た道を引き返していく。
ふっと肩の力が抜ける。
賊は退けた。金剛星将も動いている。森は不気味だがこの調子なら抜けられる。誰の心にもそんな緩みが生まれた瞬間だった。
その時――足元の霧がぐっと濃さを増す。
さっきまで足首ほどだった霧が見る間に膝を越え、腰へと這い上がってくる。乳白色の壁が四方からじわじわと迫ってくる。風もないのに霧だけが不自然に渦を巻いている。
これはただの霧じゃない。
数歩先のアリアの姿すら白く霞んで滲んでいく。視界が急速に奪われていく。
「気をつけて! この霧、おかしいわ!」
アリアが叫んだ、その直後。
濃霧の中から音もなく人影が滲み出た。
黒装束に身を包んだ者たちだ。全身を黒い衣で覆い、顔は布で隠している。手にしているのはよく手入れされた曲刀や短刀。霧に紛れ、いつの間にか俺たちを取り囲んでいた。さっきの賊とはまるで雰囲気が違う。立ち姿に隙がない。
俺は咄嗟に【天翔纏】を纏う。
金色の光が全身を包む。すると俺の周囲だけなぜか霧が薄くなった。乳白色の壁がいくらか払われて視界がきく。近くにいたアリアもその晴れ間の恩恵を受けたらしい。だがそれも俺の周りだけだ。少し離れたカイトやガロのあたりは依然として濃い霧に閉ざされている。今は理由を考えている場合じゃない。とにかく目の前の敵だ。
だがワフェルには相手の強さがわからなかったらしい。
「ふん。また賊か。今度は黒ずくめとは悪趣味なことだ」
そう言って、霧の向こうでワフェルはおもむろに腰の剣を抜く気配と音。
「アリア嬢。今度は僕も出るとしよう。これでも軍閥貴族の跡取りだ。剣の心得くらいはある。この程度の賊、僕の手でも捻ってみせる。見ていてくれ」
止める間もなかった。ワフェルは商人の扮装のまま馬車から飛び出して前に出る。アリアにいいところを見せようという魂胆が見え透いていた。
「ワフェル様、お下がりください!」
アリアが鋭く叫ぶ。だがワフェルは聞かない。得意げに剣を構え黒装束の一人へ斬りかかる。
ワフェルが前に出れば専属護衛のカイトも従わざるを得ない。カイトもまたワフェルを追って前へ出る。
そして――それが悪手だった。
ワフェルの剣はあっけなくいなされる。
黒装束の男はワフェルの斬撃を最小限の動きで受け流すと、滑るように懐へ踏み込んだ。曲刀がワフェルの首めがけて振るわれる。
速い! ワフェルでは反応すらできていない!
「ワフェル様!」
間に割って入ったのはカイトだ。
咄嗟に剣で黒装束の曲刀を捌く。が、無理に割って入ったため態勢が不十分。返す刀を捌けず、カイトの腕に浅くだが斬撃が走り、血が滲む。それでもカイトは軽鎧で衝撃を逃しながら、なんとかワフェルへの一撃を防ぎきる。
「カイト、お前……!」
俺は思わず叫んだ。だが俺自身も別の黒装束を相手にしていて、すぐには動けない。こいつもまた手練れだった。さっきの賊とはまるで格が違う。一撃一撃が鋭く重い。ワフェルとカイトを助けに行きたいのに目の前の敵を振り払えない。
ワフェルは自分の剣が通じない。カイトが傷を負ってまで庇った。その事実にようやく相手の力量を悟ったらしい。
顔から血の気が引いている。
そしてこの男は最低の選択をする。
「カイト! 僕を守れ! お前は僕の盾だ! 前に立って僕を守るんだ!」
ワフェルは傷を負ったカイトの背後に素早く回り込むと、その肩を掴んで自分の前に押し出した。腕から血を流すカイトを盾代わりにして、自分はその後ろで身を縮こまらせる。
あまりに露骨で見苦しい振る舞いだった。
カイトは何も言わなかった。ただ偽りの笑みを貼りつけたままワフェルを背に庇い、黒装束の刃を受け続ける。傷ついた体で主を守り続ける。
その光景をアリアが見ていた。
いつも涼やかなアリアの顔にはっきりとした怒りが滲んでいた。普段は感情をめったに表に出さないこいつが唇を引き結んで眉をひそめている。傷を負った仲間を盾にする。護衛対象とはいえその振る舞いはアリアの我慢の限界を確実に削っていく。
俺も腸が煮えくり返りそうだった。だが今はそれどころじゃない。目の前の敵から、ワフェルを、カイトを、リブラを守らなければ。怒りに任せる余裕すらない。とにかく守ることに必死だ。
全力の【天翔纏】で黒装束の手練れと互角以上に渡り合う。鋭い刃を見切り、踏み込んで剣を叩き込む。俺に気を取られれば、【聖翼纏】を纏ったアリアが背後から首を刎ねる。この手練れ相手でも俺とアリアなら押せる。
だが班の他の連中はそうはいかない。
何より厄介なのがこの霧だった。班のみんなは視界を奪われ、相手は霧の中でも自在に動く。その差が戦況を一方的に傾けている。
ガロは防ぎきれていなかった。土壁を起こす暇もなく、霧の奥から飛んでくる斬撃を鎧の小手を盾代わりにして必死に受け止めている。重い金属音が響くたび、ガロの鎧に新たな刃の痕が刻まれていく。守りの要のあいつが自分の身を守るだけで手一杯だった。
カイトは腕の傷に加え、ワフェルを庇いながらの戦いを強いられていた。視界もないまま、本来の捌く剣がまるで振るえない。背後のワフェルを守る制約がこいつの動きを完全に縛っている。
イザベルだけは違う対応を見せていた。【灼纏】の熱で、自分の周囲の温度を一気に上げている。立ち込めた霧がジュッと音を立てて蒸発し、薙刀の届く範囲だけ視界が開けている。炎の属性で霧そのものを焼き払っているのだ。それでも相手の練度は高く、押され気味なのは変わらない。
俺とアリアが前で抑えても後ろが崩れかけている。守るべき貴族が二人、傷ついたカイト、苦戦する仲間。守る対象が多すぎて二人だけでは手が回りきらない。
くそっ。なんなんだ、こいつらは。
そう毒づいた時、ふと気づいた。
さっき気に留めなかったあの晴れ間だ。俺の周囲だけずっと霧が薄かったが、【天翔纏】を纏ってからずっと、金色の魔力が霧を押しのけている。
これは――炎や氷の時と同じだ。カイトの氷を、イザベルの炎を、俺の【天翔纏】は弱めてきた。この霧も同じだ。黒装束の魔法だろうと、俺の【天翔纏】が弱めて――相手の魔力を喰って晴らしている。
だったら、と俺は試した。剣を振るう動きに合わせて、金色の魔力を周囲に撒き散らす。すると霧が面白いように晴れていく。俺の周りだけだったはずの晴れ間がぐっと広がる。視界が戻る。これなら戦える。
そして視界が晴れたことで、俺はもう一つ確信に近いものを感じ始めていた。
こいつら賊じゃない。
動きがまるで違う。さっきの野盗とは別物だ。一人一人が訓練された手練れで、しかも互いに連携を取っている。仲間が崩した相手を別の者が即座に仕留めにかかる。統率が取れている。何よりあの不自然な霧。あれはこいつらが呼んだものだ。視界を奪い、気配を消し、獲物を仕留めるための仕掛け。賊がこんな術を使うものか。
相手が何者だろうと俺のやることは変わらない。目の前の敵を斬る。
考えるのはアリアの仕事だ。
「ソラ、こいつらただの賊じゃないわ。おそらく――東方呪国の手の者よ。封魔の森は呪国の国境にほど近いわ」
アリアが戦いながら言い切る。
「なんでもいい。とにかく、強いってことだろ」
「……あなたらしいわね」
アリアが正体を見極めてくれるなら俺は剣を振るうだけだ。
イザベルもガロもその異変を察したようだった。商人に扮した囮をこれだけの手練れが霧まで使って本気で襲ってくる。ただのならず者の仕業じゃない。もっと組織立った、何者かの意思がある。
全員がその事実を悟った。
ただの護衛訓練だったはずのものがただの賊との小競り合いだったはずのものが――得体の知れない、本物の戦いに変わっていく。
白い霧の向こうで、黒装束の刃がぎらりと光った。




