第45話 主従
合同護衛訓練――初日。
今回の訓練に参加するのは俺たちだけではない。騎士科の他のグループもそれぞれ担当の貴族を護衛して同じ方面へ向かう。いくつもの班が別々に動く形だ。
出発の前、ライナスが生徒たちを集めて思いがけないことを告げた。
「今回の護衛先は王国の東――封魔の森を抜けた先だ。王都から封魔の森まで馬車でおよそ五日かかる。そして、お前たちに伝えておくことがある」
ライナスの声がいつになく硬かった。
「最近、封魔の森付近で行商人が襲われる事件が相次いでいる。護衛の傭兵が殺された例もある。死体を見る限り賊によるものと考えられるが、中には魔物の爪痕と思われる傷もあった。現在、封魔の森付近では金剛星将の部隊がいくつかに分かれ、展開して警戒している。それでも尻尾は掴めていない。だから今回、騎士科が護衛する貴族には商人に扮して囮になってもらう。お前たちも隊商を守る護衛として動く。騎士が隊商の護衛につくのは稀だが、ないことではない」
訓練のはずが実戦になる可能性がある。貴族科の者たちが商人に扮し、俺たち騎士科が傭兵を装うということだ。望むところだ。
「これはあくまで可能性の話だ。何も起きないかもしれん。だが、心づもりはしておけ。いいな」
全員が頷いた。これで覚悟を持って臨める。
ワフェルだけは商人に扮することに一つ愚痴を零した。
「マグナ侯爵家の僕が商人の真似事とは。屈辱的だ」
だが、それ以上は言わなかった。護衛訓練だ。決まりには従う。さすがにそこは弁えているらしい。
こうして商人に扮した貴族と偽の荷を乗せた馬車が次々に東へと出発する。
移動は班ごとに一定の距離を空けて行われた。互いに近すぎるといざという時に他の班を頼ってしまう者が出る。それを避けるため少人数の班を数多く作り、間隔を取って進む。各班が自分たちの力だけで貴族を守る。それが今回の訓練の趣旨だとライナスは言っていた。
そして俺たちはその隊列の先頭を進む。
♢
移動が始まると早速ワフェルが動いた。
「アリア嬢。僕の馬車の隣に来てくれ。何かあった時、すぐに守れるように」
顔合わせで言っていた通り、アリアを自分の傍に置こうとする。だが、アリアはやんわりと躱した。
「ワフェル様。私は隊列全体に目を配る必要があります。前方の警戒はソラと二人で受け持つのが最も効率的です。ワフェル様の近くにはカイトとガロが常にいますのでどうかご安心を。何かあればすぐに駆けつけますので」
もっともらしい口実だった。実際その通りでもある。アリアはリーダーとして全体を見る役目があり、前方の警戒は俺と二人で受け持つ。だからアリアはほとんど俺の隣にいた。馬車の前を二人で並んで進む。
ワフェルは何か言いたげだったが、リブラの手前もあってか強くは言わなかった。リブラが「リーダーの判断に任せるべきだ」という顔をしていたからだ。
俺とアリアは馬車の前方で周囲を警戒しながら進んだ。いつものように二人で並んで。これが俺たちの当たり前だ。何も言わずとも互いの位置が分かる。背中を預けられる。そこにイザベルも加わった。
「私も前線でお願い」
本来はカイトとガロのフォローをする役割のイザベル。これでは陣形が崩れてしまう。しかし、アリアは笑みで歓迎した。
「いいわよ」
「ありがとう。どうしてもあそこの雰囲気は慣れなくて……」
「ふふふ……言わなくてもわかるわ」
「ここも会話はないけど不思議と居心地はいいのよね」
雰囲気が慣れない? 後ろを振り返る。
馬車を先導するように鎧を装備したガロがもくもくと歩いている。その馬車の隣――ワフェルが座する方に、笑顔の仮面を被ったカイトが軽鎧を纏って周囲を警戒している。
馬車の中では、隙あらば互いの喉元に剣を突き刺そうとしている雰囲気すら感じるワフェルとリブラの二人。
なるほど……イザベルの言うこともわかる。精神的に疲れそうだ。それに遠くに閃光星将の部隊と思われる騎士が外套を羽織って巡回している。さすがにこの王都付近で襲撃というのはないだろう。それを知ってかイザベルは警戒する様子を見せることなく、雑談を弾ませる。
「二人とも、皮鎧すら装備しないの?」
「ええ、昔は軽鎧を装着していたんだけど、【聖翼纏】を最大限に活かすのであれば、装備しない方がいいかなって」
「戦場に出て鎧を装備しないのは不安じゃないの?」
「……実は今も不安よ。でも昔ソラが言ったのよ。『動けなくなるくらいなら、斬られない方を選ぶ』って。その時は理解できなかったけど、今はソラの言うことは理解できるの。だから今回、極力重い物を取り払って身軽にしようと」
アリアの意見を聞いたイザベルは、俺に問うように視線を向けてくる。
「やられる前にやればいい」
「集団で襲われたら?」
「全部躱せばいいだけだ」
「…………」
どうやら俺の答えに驚いたようで、イザベルは目を見開く。
「イザベル。私も最初そうだったけど、ソラの言うことは案外理にかなっているのよ……やれるやれないかは別として」
「そうね……あなたたち二人の速度を考えればそれもいいのかもしれない。私には無理な話だけど」
「人を真似ることはしなくてもいい。自分に合ったスタイルを見出せば」
そう言って、俺は白銀の鞘から木剣を抜き、素振りをしながら警戒にあたる。ただ目的地を目指すだけ、ただ護衛をするだけでは時間がもったいない。気づいたアリアも木剣を構え、いつしか馬車の周囲を駆け回りながら打ち合っていた。
♢
その夜は街道沿いの宿に泊まる。
部屋割りでひと悶着あった。アリアが決めた部屋割りにワフェルが口を出したのだ。
「寝る時が一番危ない。アリア嬢、あなたは僕の専属護衛だ。僕と同室……いや、安全を考慮するのであれば同じベッドに入るべきだ」
俺にはこいつとエイガーの違いがよくわからなかった。特にここ最近、アリアへの執着が激しい。
「申し訳ございません。ワフェル様にはカイトとガロの二人をつけて護衛させていただきますので、何卒ご安心ください」
二人のやり取りにリブラも呆れ顔だった。アリアは毅然とした態度を崩さず、淡々と部屋割りを告げる。ワフェルとカイトとガロが一部屋。アリアとイザベルが一部屋。そして俺はリブラと同室だ。
ワフェルは最後まで渋っていたが、護衛上の配置だと言われてはそれ以上ごねるわけにもいかなかったらしい。最後は苦い顔で引き下がる。
部屋に入るとリブラがふいに話しかけてきた。
「ソラ、一つ聞いてもいいか? 騎士になったらどこの部隊に入るつもりなんだ」
俺は寝台に腰を下ろしながら答えた。
「三大極星に一番近づける場所だ。どこだろうと強くなれるところに行く」
「三大極星か。大きな夢だな」
リブラが少し感心したように頷く。それから何か考えるような顔をして続けた。
「もし君が本当に三大極星になれるのだとしたら……その過程で軍閥貴族に仕えることも――」
だが、その続きはもう俺の耳には届いていなかった。横になった瞬間、俺はすとんと眠りに落ちていた。明日も移動だ。寝られる時に寝る。それが俺の流儀だ。リブラが何を言いかけていたのか、結局聞かずじまいだ。
♢
二日目の道中も俺はアリアと打ち合いながら周囲の警戒にあたっていた。そこへイザベルも加わる。
「私も身体を軽く動かしておこうかな。まだ大丈夫だとは思うけど、いつ急襲されるかわからないし」
「そうね。じゃあ、私とやりましょう」
確かにいつでも動けるように体を慣らしておくにこしたことはない。俺はふと馬車の隣を歩くカイトに目をやった。
「カイト、やるか?」
そう訊くと、カイトは目の奥にまで笑みを浮かべていた。
「そうだね、やろう。僕もソラとやるのは楽しい」
あの本物の顔だ。剣を交える時にだけ見せる作り物じゃない笑み。だが、その顔はすぐに掻き消された。
「カイトは常に僕の護衛だ。やる必要はない」
馬車の中からカイトを縛りつける声が飛んだ。ワフェルだ。途端にカイトの目の奥の笑みが失せて、いつもの偽りの仮面が貼りつく。
「カイトはやると言っている」
「ソラ殿。カイトは僕に仕えている。僕がやる必要がないと言えばそれで終わりだ」
「カイトにも意思はある。それに俺もカイトとやれば――」
「いいんだ、ソラ。ワフェル様、ご安心を。僕は隣を固めておきますので」
俺の言葉を遮ってカイトがニコニコと笑う。これ以上口論をするな、と言わんばかりに。
俺はそれ以上は言えなかった。カイトがそう言うなら引き下がるしかない。
だが――胸の奥にもやもやしたものが残った。
カイトには剣を交える時に見せる本物の顔がある。ワフェルの一声でそれは封じられた。カイトの意思なんてあの男は端から数に入れていない。カイトをただの道具みたいに扱う。
ワフェルへのもやもやがまた一つ積もった。アリアへの執拗な執着といい、カイトの扱いといい、あの男のやることはどうにも気に食わない。
♢
三日目。馬車が進み始めてしばらくすると、アリアが不意に切り出した。
「ワフェル様。今日は私がワフェル様の護衛につきます。いつ何が起きてもいいように、ソラとカイトには前方で体をあたためておいてもらいたいので」
配置の転換を申し出たのだ。アリアがワフェルの傍につき、カイトを前方の俺のところへ回す。
アリアは昨日の俺とカイトとワフェルのやり取りを遠くで聞いていたらしい。カイトが剣を交えたがっていたのにワフェルに封じられたあの一件を。だからアリアは俺とカイトのためにこの配置を考えてくれたのだ。体をあたためるというのは口実で本当は俺たちへの配慮だった。アリアはそういうことを口にはしない。だが、俺には分かった。
ワフェルはあっさりと頷く。
「アリア嬢が僕の傍についてくれるのか。それなら結構だ。カイトは好きにさせるといい」
アリアが隣に来ると分かった途端これだ。現金なものだと思ったがおかげでカイトが前に来られる。文句はない。
「カイト、来いよ」
「……いいのかい?」
「アリアがいいって言ってんだ。やるぞ」
カイトの顔からゆっくりと偽りの笑みが剥がれていく。代わりにあの本物の顔が覗いた。
「……うん。やろう」
俺たちは馬車の前方で木剣を構えた。
打ち合いが始まる。
カイトの剣は相変わらず捌きが冴えていた。俺の打ち込みをぬるりといなして受け流す。だが、ただ受けるだけじゃない。俺と打ち合う時のカイトは隙を見て前に出てくる。あの崩しの剣を織り交ぜてくる。
馬車の歩みに合わせて、ゆっくりと進みながらの打ち合いだ。本気の立ち合いとは違う。だが、それでも剣を交えれば互いの呼吸が伝わってくる。
カイトは楽しそうだった。
木剣を振るうたびにその顔から偽りが剥がれていく。受けて、いなして、時に前に出て。剣の応酬の中でカイトは心から笑っていた。あの作り物の笑みじゃない。目の奥まで笑った、本物の顔で。
「ソラ、君と打ち合ってるとなんだか時間を忘れるよ」
「俺もだ。お前の捌きは相手にしてて面白い」
「ふふ、それは光栄だな」
カイトの剣が軽やかに踊る。普段、ワフェルの前で押し殺している何かが剣を通して解き放たれているみたいだった。こうしている時のカイトはただの一人の剣士だ。誰の道具でもない。
いい時間だった。馬車はゆっくりと東へ進み、俺とカイトは飽きることなく剣を交え続ける。この時間がもっと続けばいいと思えるほどに。
♢
その夜。宿の中庭で俺は一人で木剣を振っていた。
明日にはいよいよ封魔の森に入る。体を鈍らせるわけにはいかない。月明かりの下で木剣を振っていると、ふと足音が近づいてくる。
カイトだった。
「ソラ。少しいいかな」
「ああ」
カイトが、俺の隣に立つ。しばらく二人で黙って夜空を見上げていた。やがてカイトがぽつりと口を開いた。
「昨日はありがとう。僕のためにワフェル様に食い下がってくれて」
「礼を言われることじゃない。俺がやりたかっただけだ」
「……それでも嬉しかったよ」
カイトが少し笑う。だが、その顔はすぐに翳った。
「でもね、ソラ。もうああいうことはしないでほしいんだ」
俺はカイトの横顔を見た。いつもの偽りの笑みでも剣を交える時の本物の顔でもない。何か思い詰めたような表情だった。
「僕の家は……マグナ侯爵家に家族ぐるみで養ってもらっているんだ」
カイトが静かに語り始めた。
「父も母も、弟と妹も。みんなあの家の世話になっている。住む場所も、食べるものも、全部あの家が与えてくれる。雇われて以降、金銭面で困ったことは一度もない。だから僕はあの家に逆らえない。逆らっちゃいけないんだ」
淡々とした口調だった。だが、その言葉の裏に何か重いものが沈んでいた。
「正直に言うとね。あの家での僕の……僕たち家族の扱いは……人間のものじゃないんだ。僕たちだけじゃない。他に仕えている人たちもみんなだ」
カイトの声がわずかに揺れた。
「養ってもらっている。だから文句は言えない。でも扱いは……道具とか家畜とかそういうものに近い。殴られることも蹴られることも日常だ。笑っていればまだマシなんだ。だから僕はいつも笑っている。逆らわず、波風を立てず、ただ笑っていれば、ひどいことをされずに済むから」
俺は言葉を失っていた。
あの偽りの笑み。いつも顔に貼りついている作り物の笑顔。あれはそういうことだったのか。殴られないために、ひどい目に遭わないためにカイトは笑っていたのか。
気づけば俺は木剣を握りしめていた。
「そんなのおかしいだろ! 養ってもらってるからって殴られていい道理がどこにある! 今すぐワフェルのところへ行って――」
「やめてくれ!」
カイトが俺の腕を掴んだ。必死の形相だった。あの笑みは跡形もない。
「頼む、ソラ。それだけは絶対にやめてくれ」
カイトの手が震えていた。
「ソラがワフェル様に突っかかるのを見て僕は怖くなったんだ。このままだとお前はワフェル様を本気で怒らせてしまう。そうなったら……困るのは僕なんだ」
「お前が……どうして?」
「マグナ侯爵家には僕の家族がいる。もし僕が、あるいは僕に関わるお前があの家の機嫌を損ねたら……その怒りは家にいる僕の家族に向かうんだ。僕がここで何をしようとしわ寄せは家族にいくんだ。だから――頼む。何もしないでくれ!」
カイトの目には必死の懇願があった。自分のためじゃない。家族のために。こいつは俺を止めている。
俺は握りしめた拳をゆっくりと下ろした……納得したわけじゃない。
カイトの家族が人質に取られているも同然だ。だからこいつは逆らえない。笑って耐えてすべてを呑み込むしかない。それがどれだけのことか。俺には想像することしかできない。
「……分かった」
俺は絞り出すように言った。
「お前の家族に迷惑はかけない。ワフェルには手を出さない。約束する」
「……ありがとう、ソラ」
カイトがほっとしたように息を吐いた。その顔にまた偽りの笑みが戻りかけて――だが、今度は少しだけ違った。
「こんな話、誰かにしたのは初めてだよ。君だから話せたんだ」
カイトはそう言って、夜空を見上げた。
俺は何も言えなかった。やり場のない怒りが胸の中で渦巻いている。カイトのために何かしてやりたい。だが、何をすればこいつを救えるのか分からない。下手に動けばこいつの家族が傷つく。
ただ、一つだけ思った。
いつか必ず、カイトが偽りの笑みを脱ぎ捨てて本物の顔で笑える日を来させてやりたい。誰の道具でもなく、ただの一人の剣士として胸を張って笑える日を。




