第5話 ☆銀色の矜持☆
ヴォリト様の背中を見ながら、馬を走らせる。
風が頬を叩いて、髪が乱れ、整える暇はない。ヴォリト様の馬は速くて、従士の私はついていくだけで精一杯だけれど、それでも遅れるわけにはいかない。この方の隣を走れることが、今の私にとって唯一の誇りなのだから。
テトラボアがフェリシテ星煌王国の外れの孤児院周辺に出没したという報告が入ったのは昨日のこと。Dランクの魔物。正規の騎士でも複数人で当たる相手を、ヴォリト様は私一人を連れて向かっている。試されているのだとわかっている。だからこそ、遅れるわけにはいかない。
セレスティア子爵家を立て直す。そのためにこの方に師事して、そのために剣を磨いてきた。感傷に浸っている暇はない。
孤児院が見えてきた瞬間、手綱を引く。壁が、吹き飛んでいる。
石造りの壁が粉砕されて、石畳がひび割れていて、血の跡が点々と残っている。テトラボアがここを襲ったのは明らか。でも、子供たちの声が聞こえる。泣き声や笑い声が混ざり合って、建物の中から溢れてくる。全員ではないかもしれないけれど、生きている。
それより――あの壁は何なの?
孤児院の裏庭の壁が、金色に輝いている。朝の光を受けてきらきらと光るその壁は、明らかに魔力の痕跡で、でもこんな金色の魔力を、私は見たことがない。聖魔法でも、炎魔法でも、雷魔法でもない。あれは何属性……?
ヴォリト様が馬から降りて孤児院の門をくぐり、私も続く。シスターが飛び出してきて、震える声で何か言っている。ヴォリト様が丁寧に答えながら、惨状を見渡す。
その時、裏庭で木剣を振っている少年が目に入った。
朝の光の中で、その髪が燃えるように輝いていた――金色。同い年くらいかしら。身なりはどう見ても孤児院の子供なのに、その動きが妙に引っかかる。素振りの一振り一振りに無駄がない。体の重心の置き方、踏み込みの深さ、腕の振り方――全部が、並の子供のそれではない。
ヴォリト様がその少年に何か聞いている。少年が「ああ」と答えた。タメ口――この方に向かって、タメ口を。思わず眉をひそめそうになるのを堪える。状況を整理しようとした時、自分の口が動いていた。
「運よく倒したのでしょう」
「運だと?」
その目が、私を真っ直ぐに見ている。怒っているのに、どこか純粋な目。言い訳をしようとしている目じゃない。本気で、心の底から、納得していない目だ。
「孤児院の子供がです。テトラボアはCランクの魔物。正規の騎士でも手こずる相手を木剣で――」
「俺が今日まで、どれだけ剣を振ったと思ってんだ」
遮られる。
「毎日夜明け前から限界まで剣を振って、魔力を枯渇するまで絞り出して、それを一日も休まずやってきた。その結果があれだ。運じゃない」
嘘をついている目じゃない。この少年は本気でそう思っていて、本気でそれをやってきたのが――体を見ればわかる。十二歳の子供の体じゃない。腕も、肩も、足も、常人離れした鍛え方をしている。でも、認めるわけにはいかない。
「……ずいぶんな言い草ですね。相手が誰かわかって言っているんですか」
「知らない。でも関係ない」
この少年は本当に知らないの? 私が何者かも、ヴォリト様が何者かも……それでもまったく物怖じしていない。無知なのか、それとも――ヴォリト様が、かすかに口の端を動かしていた。あの方が笑うのを、私は滅多に見たことがない。
「では実力を見せてもらおう」
「どうやって?」
「もちろん、アリアと戦ってもらう」
ヴォリト様が木剣を私に渡してくる。少年が「俺に女と戦えと?」と怪訝な表情を見せる。あまりに失礼な物言い。でもヴォリト様が「お前はアリアより弱いからな」と返した瞬間、少年の目に火が灯ったのが見えた。
「じゃあ俺が勝ったら次はお前だ」
向かい合って剣を構えると、嫌な予感がする。この少年の構えに、一切の無駄がない。体幹も尋常じゃなくて、力は間違いなく私より上で、剣技も下手すれば――そう思いかけた瞬間、踏み込んできた。
受けた瞬間、腕が痺れる。木剣なのに骨に響き、力で押され、体がずれる。それだけではない。剣技も魔力も、この少年の方が上だとわかった。魔法を使わなければ――負ける。
「――【聖翼纏】!」
白銀の光が全身を包み込み、体が軽くなる。重力が消えたみたいに、足が地面を離れそうになる。この感覚にはまだ慣れない。私自身、魔法を唱えられるようになったのはつい最近のことで、それでも同年代では最速と言われている。
強化された体で少年の攻撃を躱して反撃すると、少年が「くそ、捕まえられない!」と叫ぶのが聞こえた。金色の魔力をぶつけてくる。白銀の光が弾く。それでも少年は止まらない。何度弾かれても、何度躱されても、諦めない。
この少年は――きっと魔法を知らない。戦いながら気づいた。誰もが羨む膨大な魔力はあるのに、それを形にする言葉を持っていない。魔力をそのままぶつけてくるだけ。なのにこれだけ戦える。最後の一閃で木剣を弾き飛ばして、剣先を喉元に突きつけた。
「私の勝ちですね」
ソラが膝をついて、石畳を殴る。その悔しがり方が子供みたいで――目が離せない。
♢
出発したのは昼前だった。
馬を並べて走りながら、気づいたらソラと口喧嘩になっている。
「あなた、魔法の基礎も知らないんですか」
「知らない。誰も教えてくれなかったから」
「それで戦おうというのが信じられない。魔法は剣術と同じくらい基本よ。土台もなしに戦場に出るつもりなの」
「お前こそ魔法がなかったら俺に負けてたじゃないか」
「……それは」
「図星だろ」
悔しいことに、図星だ。言い返せなくて黙ると、ソラが「素直じゃないな」と言う。余計なお世話。
「そもそも、自分の魔力が何属性かも知らないの?」
「金色だってことはわかる」
「金色の魔力なんて聞いたことないわ。属性には炎、水、風、土、聖――」
「長い。結局俺のは何なんだ」
「だからわからないと言っているの! 話を聞いて!」
「聞いてる。でも長い」
「……あなたという人は」
頭が痛くなってきた。この少年は悪意があるわけじゃない。ただ純粋に、知らない。魔法の基礎も、属性の分類も、戦場での礼儀も。知らないまま木剣一本で戦ってきた。
「魔法……覚える気はないの?」
「あるけど」
「けど?」
「本が読めない」
「……字が、読めない?」
「ああ。教えてくれる人もいなかったし」
字が読めない。魔法書が読めない。師匠もいない。それであれだけ戦えるの。
「じゃあ私が教えてあげる」
口から出てから、しまったと思った。ソラが目を丸くしてこちらを見ている。
「お前が……本当か!?」
「……ヴォリト様のもとで共に学ぶなら、足を引っ張られても困るから」
「素直じゃないな、やっぱり」
「うるさい」
ソラが笑った。屈託のない笑い方で――なんというか、腹が立つ。
「なんで笑うの」
「いや、お前おもしろいなと思って」
「失礼ね」
「褒めてるんだけど」
「褒め方が下手すぎるわ」
前を走るヴォリト様が、静かに口を開いた。
「二人とも」
その一言で、私たちは黙る。ヴォリト様が振り返らずに言う。
「ソラの魔力の属性だが――俺にも判別できなかった。もしかしたら古い文献にあった天属性かもしれないが……」
隣を走るソラを、横目で見た。金色の髪が風に揺れていて、その意味をわかっているのかいないのか、ぽかんとした顔をしている。
「天属性って何だ? 強いのか?」
「……あなた今、ヴォリト様のお話を聞いていたわよね!?」
その夜、野営の火を見ながら、私はずっと考えていた。
認めたくない。でも認めざるを得ない。剣技も魔力も、ソラの方が上だった。魔法という土台がなければ、私は負けていた。じゃあ魔法を覚えたら――この少年はどこまで行くのか。
火が揺れる。ソラはもう眠っていて、地面に転がったまま鼾をかいている。品なんてあるわけがない。でもその寝顔には、昼間の熱がまだ残っているようだった。
次に戦う時は――また勝つ。ソラが強くなるなら、私はもっと強くなってセレスティア子爵家の名をもう一度このグランテラス大陸に轟かせる。
火が消えそうになる度に薪をくべながら、私はしばらくその場を離れられない。あの金色の髪が、瞼の裏にこびりついて、なかなか消えてくれなかったから。




