第40話 ♢閃光星将シャーレ・ルミナス♢
王宮の一室に、その執務室はある。
閃光星将シャーレの私室。栗色の髪を後ろでまとめた女が窓辺の机に向かって書類に目を通している。穏やかな横顔。ステラ星煌学校の受付に座る事務員「ルミィ」として生徒たちの前に立つ時と纏う空気は何も変わらない。掴みどころのない。静かな佇まいだ。
窓の外で、南へ向けて出立した第一軍の余韻がまだ王都の空気に残っていた。軍閥貴族の内乱――とはいえ、シャーレはさして気に留めていない。あの程度の反乱なら出陣した部隊だけで遠からず鎮圧されるだろう。事実、先触れの報告では閃光星将シャーレが出陣するかもという一報を聞いた貴族の騎士たちが続々と投降の意を示している。戦う前から大勢は決しつつあるという話も出回るほどだ。
書類を置いてシャーレは静かに息を吐く。それから扉の向こうへ声をかけた。
「ライナス。入りなさい」
扉が開き、ライナスが入ってくる。
騎士科の担任を務める男はシャーレの前まで進むと深く頭を垂れた。その所作には、配下としての絶対的な服従が滲んでいる。閃光星将シャーレ――三大極星の一人にして、第一軍を率いる主。その正体を知る数少ない者の一人がこのライナスだ。
「お呼びにより参上いたしました」
「ええ、楽にして。少し生徒たちの話を聞かせてほしいの」
シャーレの口調は穏やかだ。命じるというより語りかけるような声。だがライナスは姿勢を崩さない。
「新入生の中で見込みのある者は誰かしら。あなたの目から見て騎士に値する者を聞かせて」
ライナスが、報告を始めた。
「まず、アリアです」
ライナスは迷いなくその名を口にした。
「あの娘は今すぐ騎士に昇格させても何の問題もありません。それどころか、生徒のままでいること自体が惜しいほどです。私がこれまで見てきた生徒の中で間違いなく一番の傑物かと」
総合一位の実力。剣も魔法も座学もすべてが高い水準で揃っている。聖属性の制御は完璧で戦場での判断力も備えている。これほどの逸材はそうそう現れない。ライナスはそう続けた。
「アリアはシャーレ様の――閃光星将の部隊に入れるべき逸材です。学校に置いておくのがもったいないほどの。しかも希少な聖属性魔法の使い手。我らの部隊に属する聖魔法の使い手の誰より、精度、魔法の質は高いかと」
「ふふ。そこまで言うのね。次点は?」
「イザベルです」
ライナスは即座に答える。
「順位こそ三位ですが総合力は非常に高い。一つ一つは突出していなくとも穴がありません。武術も魔法も座学もすべてを安定してこなします。纏系魔法を使えるというも大きな強みかと。何より――父親が灼星柱アゼル。騎士の家で育った娘ですから騎士というものをよく分かっている。心構えも、立ち居振る舞いも、戦場の常識も、すべて身についています。例年であれば間違いなく一位かと。それも二位に大差をつけての」
「なるほど。血筋というより育ちね」
「はい。現状で騎士昇格に相応しいと判断できるのは、この二人だけかと存じます」
シャーレは小さく首を傾げた。
「一位と三位が昇格に値するなら……二位は? カイトはどうなのかしら」
ライナスの表情がわずかに曇る。
「カイトは……精神的に危ういのです」
言葉を選ぶように、ライナスは続けた。
「実力は申し分ありません。武術は一位、魔法も高い水準にあります。ですが、あの男はいつも笑っている。何があっても笑顔を絶やさない。その笑顔の下に何を抱えているのか――見えないのです。あれは本心を隠すための笑顔です」
シャーレは静かに耳を傾けている。
「それに、カイトはマグナ侯爵家に仕えています。騎士として昇格させるにしてもその主従関係をどう扱うか。考慮すべきことが多すぎる。実力だけで測れる生徒ではありません」
「主に仕える騎士、ね。難しいところだわ」
「はい。昇格には慎重を要するかと」
シャーレは小さく頷いてから、ふっと表情を緩めた。
「あなた、本当によく生徒を見ているのね」
「……恐れ入ります」
「順位や点数だけじゃない。一人一人の中身までちゃんと見ている。得難い目だわ」
ライナスが恐縮してさらに深く頭を下げる。
「当然のことをしているまでです」
シャーレに促されてライナスは他の生徒たちの評価も次々と述べていった。四位の生徒の長所と限界。六位の伸びしろ。七位の課題。一人一人を、的確に捉えている。
だが――ライナスは五位の話だけをしなかった。
四位を語り、六位以下を語っても五位には一向に触れない。意図して避けているのか最後に回しているのか。
シャーレはそれに気づいていた。
「五位は?」
穏やかに、しかし逃さぬように問う。
ライナスは少し間を置いてからようやく口を開いた。
「五位のソラは……私や他の教官では測りかねます」
「測りかねる?」
「はい」
ライナスは言葉を一つ一つ選びながら語り始めた。
「ソラは真っ直ぐに育った大樹のようです。芯が一本通っていて決してぶれない。精神面が極めて安定していて咄嗟の決断も躊躇わずにできる。あの歳であれほど肝の据わった人間は見たことがありません」
シャーレの目が、わずかに興味を帯びる。
「そして――まだ底が見えないのです。今の実力でも相当なものですが、その奥に眠っている力は計り知れない。恐ろしいのは本人すらそれに気づいていないことです。実技も間合いに入られれば騎柱でも負ける可能性が……いえ、魔法を使われれば負ける可能性のほうが高いかと。私が手合わせした時も剣術だけで互角。我流に見えてヴォリト様の剣を芯に持つ剣はまだいくらでも伸びます」
「ヴォリトの剣を……あの子が」
「はい。それともう一つ、奇妙なことが」
ライナスの声が少し低くなる。
「ソラの天属性は……相手の魔法を侵食しているように見えるのです。先日、同室のカイトが咄嗟に放った氷の魔法をソラは金色の纏で弾くわけでもなく、喰い消しました。あんな現象は見たことも聞いたこともありません」
シャーレの表情が初めて明確に動いた。
「魔法を、侵食……」
天属性。この世にただ一人、ソラだけが持つ属性。シャーレの中でその少年への興味がはっきりと形を成していく。
「面白いわね。続けて」
「ですが――あの男には、致命的な欠点が一つあります」
ライナスが苦い顔をする。
「人に物事を教えるのが絶望的に下手なのです。自分が感覚でやっていることを言葉にできない。剣も魔法も体は完璧に分かっているのに、それを人に伝える術がまるでない。課外授業でも指導実績がほとんど上がっていません。『こう、ぐわっと』だの『ばっと返す』だの擬音でしか説明できないのです。ソラは――人の上に立つのに最も向いていない男です。実力は底知れない。しかし、指揮官としては最も不適格かもしれません」
シャーレは少し考えてから、穏やかに返した。
「でも、ヴォリトのような者もいるでしょう。言葉ではなく背中を見せて育てるタイプ。教えるのが下手でもその生き様で人を導く者が」
ライナスが、苦笑する。
「シャーレ様。あの男の鍛錬量をご存知ですか? 夜明け前から打ち合い、城壁を二周走った後に正規授業、課外授業。そこでも皆を圧倒する運動量を見せてい下ります。それを何食わぬ顔でこなして、夜もまた剣を振る。あれを『背中で見せる指導』にされたら――部下が全員潰れます」
シャーレが、声に出して笑った。
珍しいことだった。普段は穏やかな微笑を浮かべるだけのこの女が思わずといった様子でふふっと笑い声を漏らす。
「それは困るわね。確かに」
報告が一段落したところで、シャーレがふと別の話を切り出した。
「昨日、そのソラとアリアに会ったの」
「会われたのですか」
「ええ。街で偶然ね。私の家名を文字ってルミィと名乗っておいたわ」
ルミナス。それがシャーレの家名だ。そこから取ったルミィという名をシャーレは普段から使っている。学校の他の事務官にもそう名乗っている。自分の正体を知るごく一部の者にさえその名で通している。だから、ルミィと名乗ること自体には何の問題もないはずだった。
「ただ……あの二人、最初から偽名だと疑っている節があるのよ」
シャーレの口元に、面白がるような笑みが浮かぶ。
「特にソラ。あの子は何かを感じ取っているわ。ルミィという女がただの事務員ではないと。違和感を覚えている様子だった」
「ソラの鋭さなら……あり得る話です。あいつは人に無関心なようで見ている。関心があるようで見ていない。そんな男です」
「ふふ……厄介な子ね。入試の時も四人の影武者を並べてこの中で誰が一番強いか当てよと問うたの。あの子は四人の誰でもなく目の前の私を指差したの。匂いで分かると。あんな子は初めてよ」
シャーレはどこか愉快そうに目を細めている。
報告はそこで終わった。
「ご苦労さま。引き続き生徒たちをよく見ていてちょうだい」
「は。失礼いたします」
ライナスが深く礼をして執務室を出ていく。最後まで配下としての服従の姿勢を微塵も崩さなかった。
扉が静かに閉まる。
♢
執務室にはシャーレ一人。
窓辺に立って南の空を眺める。内乱の鎮圧に向かったあの軍勢のいる方角を。仮面を被った男が閃光星将として号令をかけ軍を率いていった。街の誰もがあれを本物のシャーレだと信じている。閃光星将の素顔を知る者はごくわずか。だからこそ、この仕組みが成り立つ。
シャーレはソラのことを思う。
入試で自分を見抜いた少年。四人の影武者の中からではなく目の前の本物をまっすぐに指差した。匂いで、と。あんな芸当をやってのけた人間は一人もいなかった。
そして昨日また会った。ルミィという偽名を疑われた節がある。「次に正面から会う機会があればその時に答える」と、別れ際に告げた。あの少年はいつか必ずまた自分の前に立つだろう。
ヴォリトが推薦を出した二人。アリアとソラ。
アリアは文句なしの傑物だ。誰の目にもその才は明らかに映る。一目で分かる輝き。
だが、ソラは――。
「測りかねる、か」
シャーレはライナスの言葉を反芻した。真っ直ぐに育った大樹。底知れぬ力。本人すら気づかぬ才。人の上に立てぬという欠点。そして、相手の魔法を喰らう天属性。
その目がわずかに細められる。
あの少年がどこまで伸びるのか。どんな騎士になるのか。あるいは――騎士という枠に収まりきらない何かになるのか。
見届けたい、と思った。久しぶりにそう思わせる人間が現れた。数えきれぬ才能を見てきたシャーレの心をあの真っ直ぐな少年は確かに動かしている。
シャーレは窓の外の空を見上げた。
「楽しみにしているわ。ソラ――あなたがどこまで登るのか」
穏やかな呟きが静かな執務室に溶けていった。




