第39話 初デート?
翌日は課外授業を休むことにした。とはいえ朝練だけはいつも通り――いや、いつも以上にこなしてからの外出だ。アリアにお礼がしたいと言われて王都へ繰り出すことになったが、いつでも動けるように制服のままである。
これまで王都はほとんど城壁の外を走ることしかしてこなかった。街の中をこうしてゆっくり歩くのは初日以来。大通りには露店がずらりと並んで物売りの声が飛び交い、鍛冶屋の鎚の音と香辛料の匂いが入り混じって押し寄せてくる。
歩いているとアリアにばかり視線が集まるのが分かった。すれ違う男たちが揃って振り返る。いつもの髪留めで銀髪を纏めただけの簡素な格好だというのに、こいつは黙って歩いているだけで街の景色から浮き上がって見える。
小さい頃に一度だけ王都に来たことがあるアリアがおぼろげな記憶を頼りにあちこち案内してくれた。武具屋の店先に並ぶ剣に俺が目を奪われていると、アリアは少し待ってくれて、それから次の店へと俺の袖を引く。
「今日のお代は私が出すわ。お礼だもの」
「全部は出させない。俺も持ってる」
「騎士見習いの時のお金?」
「ああ。出せるところは出す」
見習い時代に貯めた金がまだ残っている。アリアに何もかも出させるつもりはなかった。出せるところは自分で出す。それだけは譲れない。アリアは少し呆れたように笑ったが、無理に止めはしなかった。
しばらく歩いてからアリアが俺を一軒の菓子屋へ連れていった。
店先には見たこともない菓子が並んでいる。蜜をたっぷり塗った焼き菓子に、果実を砂糖で固めたもの。ふわふわした生地でクリームを挟んだもの。孤児院育ちの俺には縁のなかった贅沢品ばかりだ。アリアが二人分を買ってくれて、そのうちの一つを俺に手渡す。
一口かじってみて、思わず動きが止まった。
「……甘い」
「そうよ。甘いものだもの」
「いや、こんなに甘いものがこの世にあるのか。すごいなこれは。どうなってるんだ」
舌の上で蜜がとろけて、それから生地の香ばしさが追いかけてくる……旨い! ほっぺが落ちそうだ。菓子ひとつにこれだけ驚いている自分が少しおかしかった。だが本当に旨いのだから仕方がない。夢中で頬張っていると、隣でアリアがくすくすと笑っていた。
「あなたって、こういう時は本当に子供みたいね」
「うまいんだから仕方ないだろ。お前も食え」
「食べてるわよ」
いつもの凛とした顔とは違う、やわらかい笑みだった。剣を握っている時のアリアしか普段は見ないから、こんな顔もするのかと少し意外に思う。
菓子を食べ終えてからも二人であてもなく街を歩く。
考えてみればこれまで俺たちの会話はいつも剣のことばかりだった。訓練のこと、試験のこと、どうやって強くなるか。だが今日は違う。アリアはガルドレアに来る前の昔の話を少しだけ聞かせてくれたし、俺も孤児院のことやシスターエレナのこと、それからクロフォードのことを、ぽつぽつと話した。
剣以外の話をこんなにしたのは、初めてかもしれない。
それに自分のことをこんなに話したのはアリアが初めてだ。
仲間と過ごす時間がこんなに楽しいというのを、俺は初めて知った。
♢
陽が傾きはじめた頃、アリアが俺をある職人の店へ連れていく。
どうやら前もって何かを頼んでおいたらしい。店主から包みを受け取ると、アリアはそれを俺の前へ差し出した。
「これ、あなたに」
包みの中から現れたのは――一振りの鞘だ。
俺の木剣に合わせて誂えられた鞘。飾りも宝石もなく、ただ磨き上げられただけの白銀の鞘だ。その色合いはどこかアリアの銀髪を思わせた。
「お前、これ……」
「昨日のお礼よ。エイガーから助けてくれたでしょう」
アリアは静かに続ける。
「あなたの木剣、ずっと鞘もなく持ち歩いていたから。さっき聞いたけど、大切なものなんでしょう? それなら、ちゃんとした鞘があった方がいいと思って」
俺の木剣はクロフォードの形見だ。この世で一番大切にしているもの。それにアリアが鞘を贈ってくれるという。なんと返せばいいのか分からず、俺はただ不器用に口を動かした。
「……いいのか。こんなもの、もらって」
「いいのよ。受け取って。私もあなたから大切なものを貰っているわ」
アリアがナイトクローラーの髪留めに触れる。
「……ありがとう。大事にする」
木剣を新しい鞘に納めてみる。白銀の鞘にクロフォードの木剣がするりと収まって、しっくりと馴染んだ。アリアはそれを見て満足そうに頷いていた。
これはアリアの心からの礼なのだと分かった。命を救ってくれた礼。それ以上でも以下でもない。俺たちはまず騎士になることが一番で、互いにそれを誰より分かっている。だからこそアリアは余計な意味を乗せずに、ただ感謝としてこの鞘を贈ってくれた。その真っ直ぐさが俺には嬉しかった。
♢
その時――
王城の方角から鐘が激しく鳴り響いた。
いつもの時刻を告げる穏やかな音とはまるで違う。けたたましく、何度も打ち鳴らされる切迫した鐘だ。大通りの人々がいっせいにざわめき始める。露店の主人が手を止め、行き交う人々が王城を振り仰ぐ。
「……何だ、あの鐘は」
「緊急事態を告げる鐘よ」
アリアの顔つきが一瞬で変わった。やわらかかった表情が引き締まって、騎士のものに戻る。
緊急事態を告げる鐘? 何が起きている?
すると、王都にいた住民たちがざわめく。
「おい、あれって出陣の鐘だよな?」
「ついに南の軍閥貴族を討ちに行くのか!?」
「そうだ、我らが閃光星将――三大極星シャーレ様のご出陣だ!」
三大極星!? 住民たちの声を確かめるようにアリアに問う。
「閃光星将は三大極星なのかっ!?」
「ええ。フェリシテ星煌王国に在する、ただ一人の三大極星よ」
水晶柱に名を刻む最上位の輝き。閃光星将シャーレがその一人だったのか。名前だけはライナスから聞いていたが、まさかそこまでの存在だとは思っていなかった。
腹の底がぞくりと震える。これから、その三大極星が出陣するところを見られるかもしれない。水晶柱に名を刻んだ本物の出陣をこの目で。
「アリア、見に行くぞ」
「ちょっと、ソラ……!」
俺はアリアの手を引いて、人波を掻き分けながら王城のよく見える広場まで足を運んだ。
あちこちで噂が飛び交っている。軍閥貴族が内乱を起こしたらしい。王家に反旗を翻した一部の貴族を鎮めるため、第一軍が出陣するのだと。詳しいことは分からないが、王都全体がにわかに張り詰めていくのが肌で伝わってくる。
やがて王城の門から軍勢が姿を現す。
その先頭に立っていたのは、長身痩躯の仮面を被った男だった――あいつが……閃光星将で三大極星?
「仮面を被っているのか」
「そうね。閃光星将は素顔を見た者がごく僅かという話よ。常に仮面をつけて人前に出るのだとか」
閃光星将が馬上で剣を高く掲げ、号令を放つ。
「第一軍、出るぞ! 王都を騒がす不忠の輩を討つ!」
兵たちが地鳴りのような声で応えた。三大極星の号令だ。あの一声でこれだけの軍勢が一つになって動き出す。空気がびりびりと震えるのを感じる。
あれが俺の目指す高みの一つだ。
俺とアリアも広場の隅からその出陣を見送ることしかできない。一介の見習い騎士にあの軍勢へ加わる資格などまだない。ただ立って見ているだけだ。だがいつか必ずあの先頭に立つ。
軍勢が王都の門へ向かって進んでいく。その壮観な眺めを見送っていると、ふと俺の目が王城の門付近の一角を捉える。
そこに、見覚えのある女が立っていた。
栗色の髪を後ろでまとめた入試の時の受付――昨日、俺たちのピンチを救ってくれた女だ。学校の事務員たちと並んで出陣する軍勢に向かって拍手を送っている。
「アリア。あそこにいるの昨日の女だよな」
「……本当だわ。事務員の人たちと一緒に見送っているのね。昨日のお礼を言いたいから一緒に来てもらっていい?」
有無も言わさず、今度はアリアが俺の手を引いて受付の女の前に出る。
「昨日はありがとうございました。あなた様のおかげで救われました」
アリアが深々と頭を下げる。
女は軍勢に拍手をしながら、アリアに視線を向けた。
「それは良かったわ。たまたまあの場に居合わせただけだったから……」
「お名前をうかがってもよろしいですか?」
「……ルミィよ」
「ルミィ様ですか……素敵なお名前ですね。普段はどういったお仕事を?」
「知っての通り、ステラ星煌学校の事務員。主に受付をしているわ」
「もしかして私たちの師であるヴォリト様とは既知の仲であったりしますか?」
「ヴォリト様? 轟雷星将の? 一度もお会いしたことはないわよ」
一瞬、アリアの表情に変化が見られる。ただその変化に気づいたのは俺だけのようで、ルミィは微笑みを崩さなかった。
「あなたたち学校に来てから初めての休みなのだから、こんなところで油を売ってないでデートを楽しみなさい」
「そ、ソラとはそんな関係じゃないですからっ!」
「隠さなくてもいいのよ。今もしっかり手を握っちゃって……お似合いね」
考えてみれば、鐘が鳴ってからずっと手を握っていた。それに気づいてアリアは慌てて手を放す。
「と、とにかく昨日は本当にありがとうございました! それではこれで!」
ペコっとお辞儀をして逃げるように去るアリア。
一瞬、その背中を追いかけようとしたが、聞いておきたいことがある。
「ルミィ、一つだけ教えろ。入試テストの時の俺の答えはあっていたか?」
「あら? もうどんな問題を出したか忘れてしまったわ」
「とぼけるな。この中で誰が一番強いかって問題だ」
「そういえば、あなたとアリアは私を選んでいたわね。今でもそう思う?」
「ああ、こうやって対峙していて思う。お前は誰よりも強い――」
ルミィの鋭い眼差しが俺を射抜く。
「ふふふ……そうね。次にこうやって正面から会う機会があればその時に答えるわ」
「もう見つからないとでも言いたそうだな」
「どうかしら? ほら、彼女が男性に声をかけられているわよ。行ってあげなきゃ」
くそっ、と思ってアリアが向かった方へ振り向く……が、アリアは別に声をかけられているわけでもなく、騎士たちが出陣するのを拍手をもって見送っていた。
「おまえ、嘘を――」
再度ルミィに視線を戻すと――もう、そこにルミィの姿はなかった。
「消え……た?」
しかし、微かに残る、煌めく魔力の残滓。
やはり只者ではない。そう思いながら、俺は騎士たちを見送るアリアのもとへ向かった。




