第38話 月例試験と凶行
入学から一ヶ月。最初の月例試験の日が来た。
席次が動く試験だ。三人での課外授業。アリアとの朝晩の鍛錬。この一ヶ月で積み上げてきたもののすべてが今日問われる。
二十四位――この順位は今日で塗り替える。座学も、武術も、魔法も。前回より上に行く。決めていた。
「緊張してる?」
隣を歩くアリアが聞いてくる。
「してない。早くやりたい」
「あなたらしいわね」
試験会場の訓練場に向かう。今回の試験は前回より項目が増えていた。座学、武術、魔法。そして――模擬戦。武術と魔法を合わせた実戦形式の試験が加わっている。
「模擬戦が入ったのね」
アリアが掲示を見て呟く。
「実技の比重が上がったということよ。ソラには有利ね」
試験会場に見覚えのある顔が戻っていた。
エイガーだ。謹慎処分が明けて試験を受けに来ている。
あの男が俺とアリアを睨んでいる。拳で叩きのめされた屈辱。ペアを解消された恨みが目の奥に宿っている気がする。だが、深くは考えなかった。降りかかる火の粉はその時払えばいい。アリアもエイガーに後れを取ることはない。今は試験に集中する。
♢
最初は座学だった。
戦略兵法、基礎数学、王国史、地理。様々な分野からランダムに問題が出る。問題用紙を見る。一ヶ月前なら目の前が真っ暗になっていた。陣形の名前すら知らなかった。
だが、今は違う。
鋒矢、魚鱗、鶴翼。区別がつく。アリアとイザベルに二人がかりで叩き込まれた軍略だ。完璧じゃない。だが、書ける。前回は名前と所属くらいしか満足に書けなかった解答欄が、今回は少しずつ埋まっていく。
基礎数学は壊滅的だ。王国史も半分も分からない。地理は勘で埋める。それでも白紙じゃない。一文字でも多く書く。書けるところを全部書く。時間が来る。解答用紙を見直す。前回とは比べ物にならない量がそこにあった。
次は武術。
木剣を持って教官の騎士と手合わせ。一ヶ月前と同じ形式だ。だが、俺の剣はあの頃より鋭くなっている。朝晩アリアと本気で打ち合ってきた。その積み重ねが剣に乗っている。
教官を前回以上に圧倒する。
結果――武術、九十五点。一位。
前回は九十点で二位だった。五点上げて一位に並んだ。
並んだというのは――もう一人同じ点を取った者がいるからだ。
カイト。
あいつも九十五点。武術一位は俺とカイトの二人。アリアとイザベルは八十五点だった。
「やるな」
俺が声をかけるとカイトはいつもの笑顔で返す。
「君こそ。前回よりずっと速くなってる」
次は魔法。
俺の魔法の精度は相変わらずそこそこ……と言っても、そこらの生徒よりは高い。だが、それを補う魔力があって、さらに天属性の希少性もある。【天翔纏】の規格外の出力で他を圧倒する。
結果――魔法、九十二点。一位。
アリアも九十二点。【聖翼纏】と【聖光癒】の精度でこちらも圧倒。魔法一位は俺とアリアの二人だ。カイトとイザベルは八十二点。
「また同点ね」
「魔力量は俺が上だ」
「精度は私が上よ」
アリアと同点。こいつよりももっと高みに行きたいと思う反面、こいつと同点で誇らしいという気持ちがある。だが、前回と一つ違う。前回俺はこの後の座学で沈んだ。だが今回は座学でも点を取った。先ほどのテストの採点結果が発表され、結果はなんと三十点。満点には程遠いが五点から三十点。三倍……いや、四倍……なはずだ。
そして、模擬戦。
今回の試験で新しく加わった項目。武術と魔法を合わせた実戦形式の試験だ。
ルールがこれまでと違う。比較的順位の近い者同士で戦わせてどちらが上かを見る。相手が強ければ相対的に自分の評価も変わる。
俺は何人もの生徒と戦った。
一人目――【天翔纏】を纏って瞬時に間合いを詰めて、一本。
二人目――金色を纏って相手の魔法をいなし、踏み込んで一本。
三人目――試合が始まる前から俺に気圧されて降参。
四人目、五人目……。
全勝だ。誰も俺を止められない。一ヶ月前の二十四位とは違う。実戦形式なら俺は誰にも負ける気がしない。
最後の相手はアリア。アリアはここに来るまでにイザベルを下していた。順位の近い者同士が当たる以上、一位のアリアと実技一位の俺がぶつかるのは必然だった。ただ、俺もアリアも最後までカイトとは当たらなかった。もしかしたら教師陣は、先日のカイトの暴走を危ぶんだのかもしれない。
アリアが銀を纏う。俺も金を纏う。
始まった瞬間、互いに踏み込んだ。
これはいつもの二人の鍛錬と同じだ。朝も夜もずっとこいつと打ち合ってきた。だが――試験という場でギャラリーが見ている中で本気のアリアとぶつかるのはまた違う緊張感がある。
金と銀が交錯する。アリアの【聖翼纏】の敏捷は、俺の【天翔纏】以上だ。地を蹴り、背の銀が羽ばたくと、【天翔纏】を纏わなければ目で追うのも難しい。
打ち合いが続く。十合、二十合。互角だ。決着がつくのは当分先になるだろう――そう思っていた。
数分に渡る高速の打ち合い。息をする暇もない。無呼吸のまま剣を振るい続ける。
そのときだった。アリアの動きがふと止まった。
ほんの一瞬。刃を繰り出す途中で何かに気づいたようにアリアの剣が鈍る。視線が俺ではないどこか別の方向に逸れる。
その隙を俺は逃さなかった。
踏み込んで、アリアの剣を弾く。銀の光が逸れて俺の木剣がアリアの首筋の寸前で止まる。
「……そこまで!」
教官の声が響く。俺の辛勝だった。
アリアがはっと我に返る。
「私……」
「どうした。急に止まったぞ」
「……何でもないわ」
アリアが首を振る。だが、その顔色が少し悪い。何かに怯んだような――そんな顔をしている。俺にはその理由が分からなかったし、アリアが何に気を取られたのか考えもしなかった。
♢
全試験が終わる。
座学、武術、魔法、模擬戦。長い一日だった。さすがの俺も模擬戦で何人も相手にして体力が――いや、体力はまだまだあるが、精神が擦り切れていた……主に座学でだが。アリアも疲れている様子。
アリアが水を飲んで着替えてくると言って女子寮に向かう。俺はその場に大の字になって天を仰いでテストを振り返る。ダントツではない。でも実技系で全て一位を取った。次はすべて単独一位を取る! そう心に誓った時だった。
女子寮に向かうアリアの背後から影が忍び寄る気配を感じた。
ばっと起き上がると――濁った目をしたエイガーが、疲れて油断したアリアに向かって突進している。手には短刀。その目は普通じゃない。狂気じみていた。
ずっと狙っていたのか――アリアを!
女子寮は厳重に警備されていて夜には近づけない。昼間もアリアの傍にはいつも俺がいて手が出せない。どうやってもアリアに近づけなかった。そうして鬱屈を募らせた末、全試験を終えて気が抜けたこの瞬間を奴は逃さなかった。
アリアが振り向く。だが、疲労で反応が遅れている。
間に合わない――アリアはそう思ったかもしれない。
だが――俺の体はもう動いていた。
金を纏ってアリアに向かって駆けていた。
エイガーはアリアを刺すつもりはなかったようだ。短刀で脅して何かを要求するつもりだったのかもしれない。アリアの手首を掴もうとするその刹那――俺はその手を払いのけ、エイガーとアリアの間に体を入れる。
「次はないと言ったよな」
自分の声があまりにも低くて、震えているのに驚く。
「お前っ――またお前か! いつもいつもアリアの周りをうろちょろして邪魔をしやがって……!」
エイガーが喚く。濁った目に涙とも怒りともつかないものが滲んでいる。
「アリアは俺のものになるはずだったんだ! お前さえ、お前さえいなければ……!」
逆上したエイガーが踏み込んで、俺の腹を刺そうとしてくる……が、【天翔纏】を纏った俺にはあまりにもその動きは遅く見えた。エイガーが短刀を突き出すと同時に、奴の袖から別の短刀が飛び出してくるのさえ視えている。
袖から射出される短刀の刃には紫色の液体。こんなものまで隠し持っていたのか。それを手で払おうとしたが本能がそれを止めた。気づけば魔力を練って口が動き、金を敷いていた。
「【天衝脚】!」
いつもは足場として使っている金だ。緩衝材の代わりに使えない道理はない。射出された短刀が金色に包まれ、減衰し、その場に落ちる。
「なっ――!? 俺の暗器を初見でっ!?」
目を見開くエイガー。
俺はその隙を見逃さない。即座に短刀を持つ右手を左手で掴む。エイガーがいくら抵抗しようと俺の拘束からは逃れられない。
そして、渾身の一発。ただ【天翔纏】は解いた。本気でぶん殴りたかったからだ。腹に拳を突き刺すと、エイガーは吐瀉し、体をくの字に折ってその場に崩れ落ちた。地面に蹲って、動けなくなる。
一ヶ月前と何も変わっていない。いや、力の差はもっと開いた。エイガーはこの一ヶ月何もしなかった。ただ濁った執着を膨らませただけだ。その間に俺はずっと前に進んでいる。アリアと共に。そんな男が俺に勝てるわけがない。
腹を押さえて転げながら、エイガーは呪詛を吐く。
そこに異常を察したライナスが駆け寄ってくる。
「どうしたっ!?」
先月と同じ光景――蹲るエイガー。立つ俺。青ざめたアリア。状況は一目で伝わったはずだ。しかし、先月と違うところは目撃者がいないこと。
「……ゲホッ、ゲホッ! あ、あいつが……いきなり襲ってきて……俺はアリアに……悪かったと……謝りたかっただけなのに……」
エイガーは悶絶しながらも俺のことを指さす。
「そ、そんなことない!」と、アリアが即座に否定する。「あなたが私に襲い掛かってきたのをソラが返り討ちにしただけでしょ!」
どう考えてもアリアが言っていることが正しい。それはライナスもわかっている。わかっているが確たる証拠がない。当事者同士しかいないのであれば水掛け論。
困るライナス。
その時――上から文字通り、天の声が注ぐ。
「私は見ていました。アリアの言っていることが正しいです」
はっと視線を上げると、校舎の二階から見下ろしていたのは受付の女。いつからそこにいた? 俺の心を読み取ったのか、女は微笑む。
「ずっと見ていましたよ――ずっと」
ずっとだと? そんなわけ……しかし、反応したのは俺だけではなかった。
まず一人目――エイガーだ。
「……お、お前は……入学説明とテストの時の……嘘をつくな! 女だからといって適当を抜かすとただでは済まないぞ!」
受付の女を睨みつけるエイガー。対する女はどこ吹く風。眉一つ動かさない。
そしてもう一人――ライナスだった。
ライナスは胸に手を当て、その場で片膝をつこうとする。しかし、その寸前――女がそれを制するように声を継ぐ。
「ライナス様。事務官の私が出しゃばった真似をして申し訳ございません。ですが、私は確かに見ました。アリアの背後からエイガーが襲おうとしたところを。ソラが助けたところを」
「わ、わかった。ここは貴女を……おまえを信じよう」
「ありがとうございます。して沙汰は?」
「沙汰は一度持ち帰って――」
「ライナス様?」と、受付の女がライナスの言葉を遮る。その言葉には有無も言わせぬ圧があった。「沙汰は?」
「た、退学だ……エイガー、本日をもってお前を退学とする!」
女に裏で糸を引かれているかのように沙汰を下す。
エイガーも食い下がる。
「そ、そんな簡単に退学処分はできないはずだ! 俺は疾風星将セフィーラ様の推薦枠だぞ!」
疾風星将セフィーラの名前に怯むライナス。しかし、女は違った。
「そうですか。セフィーラ様に見る目がなかったということがわかりました。ライナス様、エイガーの退学手続きは私の方でしておきます。あなたはこれからのことをお願いしますね」
ずっと丁寧な言葉遣いだったが、最後の最後――まるでライナスに指示をするような声色で、女は校舎の二階から姿を消す。
騒ぎを聞きつけた教官たちが集まってくると、ライナスが指示をする。
「連れていけ」
エイガーが引きずられるように連れていかれる。最後まで何か喚いていた。アリアへの執着を。俺への恨み言を。
謹慎では足りなかった。あいつは学ばなかった。だから学校を去ることになる。
濁ったものが一つ、この場所から消えた。
♢
その後、俺たち生徒は校庭に集められ、総合順位が発表される。
エイガーを抜いた四十九人分の総合順位を。
「総合一位――アリア。三百六十八点」
当然のように、アリアが一位。武術八十五、魔法九十二、座学九十六、模擬戦九十五。全項目で上位。文句のつけようがない。
「総合二位――カイト。三百四十点」
カイトが二位。武術九十五、魔法八十、座学七十、模擬戦九十五。武術と模擬戦で稼いでいる。模擬戦では俺と同じく無敗だったが、俺とアリアとは戦うことはなかった。先日の戦いで俺のほうが分があると試験官たちが踏んで、アリアと同じ九十五点をつけたのかもしれない。
「総合三位――イザベル」
イザベルが三位。順位を保っている。三人グループの成果だ。
順位が、次々と読み上げられていく。四位。そして――。
「総合五位――ソラ。三百十七点」
俺の名前が、五位で呼ばれる。
武術九十五、魔法九十二、座学三十、模擬戦百。模擬戦は全勝で満点。座学が三十点に上がったことで、総合が跳ね上がった。
前回、二十四位。今回、五位。
一気に、十九も順位を上げた。
これで騎士への道もぐっと近づいた。
会場がざわつく。二十四位から五位への大躍進。誰もが驚いている。だが俺は満足していない。五位。まだアリアには届いていない。一位はアリア。二位はカイト。俺はその背中を追いかけている。座学がまだ足を引っ張っている。三十点じゃ全然足りない。
ただ、ここに指導実績も加味されるという。「多少の順位の変動はあるというのは覚えておけ」と、ライナスが言ったところで解散となった。
♢
夜。アリアとの鍛錬。
城壁の外周を二人で走る。金と銀の光が夜を駆ける。
「順位、上がったわね。五位」
「まだお前には届いてない」
「当然よ。簡単に追いつかせないわ」
「次は追いつく」
走りながら、俺はふと昼間のことを思い出した。
「アリア。模擬戦の時に急に止まっただろ」
「……ええ」
「何かあったのか」
アリアが少し間を置いてから答える。
「……分からないの。あの時、急にぞわっとして。誰かに嫌な目で見られている気がして……剣に集中できなくなったの」
エイガーだ、と俺は思った。あの時からエイガーはアリアを狙っていた。その視線をアリアは感じ取ったのかもしれない。
「お前、勘が鋭くなったな」
「……そうかもしれないわ。良くも悪くもエイガーのおかげね」
乾いた笑みを見せるアリア。
「ねぇ? 明日の課外授業、お休みしない?」
珍しい。アリアがサボるなどとはこれまで一度もなかった。
「なんでだ?」
「あなたに……ソラにお礼がしたくて。たまには……いえ、初めて王都でショッピングもいいかなって。ほら、王都に来て一度もゆっくりと散歩とかしたことなかったでしょ? だから――」
言い淀むアリア。よっぽど俺に断られると思ったらしい。
「いいぞ」
「えっ!? 本当!?」
「ああ、でも条件がある」
「――条件?」
「朝練と夜練の密度を上げること」
すると、アリアが「ぷっ」と吹き出す。
「何がおかしい?」
「いえ……あなたらしいなって……やっぱりエイガーとは違うなって……」
「悪いな。俺はああいう風にはなれない」
「悪くないわ。ソラはソラのままでいたらいい」
昼から悩んでいたアリアの表情が少し明るくなる。
「なぁ」アリアに問いかけると、走りながら俺の声に耳を傾けるアリア。「受付の女は言っていたよな。エイガーに襲われるのをずっと見ていたって。あれってお前が襲われる直前まで動かなかったってことだよな?」
「……言われてみればそうね」
「俺が止めなければ、あの女はお前が襲われるのを黙って見ていたのか? それとも救い出せる自信があったのか」
「…………」
アリアは答えない。いや、分からないのかもしれない。
俺もそうだ。あそこまでアリアがエイガーに接近を許して、校舎の二階から助けられるわけがない。
沈黙が二人の間に降りる。
あの女は何者だ? 少なくともライナスの態度を見る限り、ただの事務官とは思えない。謎は深まるばかり。でもこういう時にやることは決まっている。
「考えても仕方ない。走りながら剣戟を交わすぞ」
「そうね。それが私たちよね」
木剣を取り出すアリア。
月明かりの下、金と銀の光が剣戟の残響を轟かせながら、夜をどこまでも駆け抜けていった。




