第37話 二人だけの時間
いつものようにアリアとの朝練を終えて、汗を流してから食堂に向かう。
俺が座るとアリアが正面に座って、イザベルが俺の隣に座る。ここまではいつものこと。だけど、イザベルの様子が少し違った。何か言いたげにアリアを見ている。
俺は野菜を噛みながらその様子に気づいた。だが理由は分からない。
しばらくしてイザベルがついに切り出した。
「ねえ、アリア。あなた最近、朝早く部屋を出ていくでしょう? 夜も私が寝る頃にやっと帰ってくる。毎日よ……何をしているの?」
イザベルはアリアと同室だ。アリアの早朝の外出と深夜の帰宅に気づかないはずがなかった。
アリアが答えるより先に俺が口を開いた。隠すことでもない。
「朝と夜、二人で鍛錬してる」
「男女が二人――あなたとアリアで?」
「ああ。ガルドレアの頃からの習慣だ」
イザベルが視線が何度も俺とアリアを往復する。
「……だから、あなたたちあんなに連携が取れているのね」
数年間の積み重ねだ。朝は誰よりも早く。夜は誰よりも遅く。イザベルの知らないところで俺とアリアはずっと剣を交えてきた。あの連携はその時間が生んだものだ。イザベルは今その理由を知ったらしい。
イザベルが少し考えてから言った。
「私もその鍛錬に混ぜてもらえる?」
「いいぞ」
だが、アリアが現実的な問題を指摘する。
「イザベル。朝練は夜明け前から始めるのよ。日が昇る前に校庭に出て半刻打ち合う。あなた起きられる?」
「……夜明け前?」
「そう。それにあなたは外に出る前にいつも支度をするでしょう。髪を整えて身なりを調えて……時間がかかるじゃない。結構大変よ?」
「……アリアはきつくないの?」
「……きついわよ。帰ってきたら汗びしょびしょで気持ち悪いし、どんなに身なりを整えてもボロボロになっているわ。でもソラに置いて行かれるのは悔しいし、負けるつもりはないから、すべてを訓練に捧げているのよ」
「一位が二十四位に置いて行かれるってのも変な話ね」
「でも実際はそうよ。ソラがいるからここまで来られたわ」
アリアの言葉を受けて、イザベルはしばらく黙考してから口を開く。
「……一度やってみるわ」
「分かった。今日の夕飯後、校庭で待っている。アリアと一緒に来ればいい」
♢
その日の昼休み。
水を汲みに渡り廊下を歩いていると、中庭の隅に見覚えのある二人の姿があった。ワフェルとカイトだ。俺は足を止める。柱の陰で見るつもりもなく目に入った。ワフェルが何か言っている。カイトがその前に立っている。いや――立っているというより控えている。主人を前にする従者として。
「カイト。あれを取ってこい」
「はい、ワフェル様」
ワフェルが顎で軽く示して、落とした手袋か何かを拾わせている。カイトがすぐに身を屈めて拾い両手で恭しく差し出す。
「ここの枕は質が落ちる。王都に出て最高級の枕を買ってこい」
「かしこまりました」
「お前も僕の世話を疎かにするなよ。誰のおかげでここにいられると思っている」
「……はい。ワフェル様のおかげです」
カイトは、笑顔だった。
いつものあの柔らかい笑顔。だがいつもより深く頭を垂れている。逆らう気配がまるでない。顎で使われても、見下されても、ただ従順に笑顔で受け流している。誰のおかげでと言われてもカイトは反論一つせず、ただ頷くだけだ。
「それに次は一位取れるのだろうな?」
「……頑張ってはいるのですが、アリア嬢は非常に手強く――」
「一丁前に言い訳か?」
「いえ、そんなことはございません」
「まぁいい。俺がアリア嬢を側室に迎えれば一位と二位はマグナ侯爵家の手中に収まる。お前は意地でも今の位置をキープしろ。灼星柱の娘には絶対に抜かれるなよ」
「かしこまりました」
カイトにもう一言二言話して、ワフェルが去っていく。カイトがその背を見送ってから一人になる。
その瞬間――カイトの笑顔がすっと消えた。
誰も見ていないと思っているんだろう。無表情のカイトがそこにいた。教室でも手合わせでも見たことのない、何の感情も浮かんでいない顔。
俺は柱の陰から動けなかった。声をかけるべきか……だが何と言えばいいのか分からない。結局、カイトは無表情のまま別の方向へ歩いていった。俺がそこにいたことには気づいていない。
俺は見なかったことにしてその場を離れる。
♢
夜。いつものアリアとの鍛錬にイザベルもついてきた。
俺とアリアは何も言わずに木剣を構える。イザベルも革巻き薙刀を構えると、合図もなしに素振りが始まる。
四半刻、素振りを続けてあったまったところで打ち合いに移る。
しかし、息の上がったイザベルはすでに座り込んでいた。
「はぁ……はぁ……えっ……? 待って? 休憩は!?」
「お前は準備運動後に休憩をとるのか?」
「こ、これが準備運動?」
「訓練中は一度も休まない。部屋に戻ってからいくらでも休めばいい」
「イザベル、いじめのように思うかもしれないけど本当のことよ。打ち合いが終わったら魔法を使ってもっと激しく打ち合うわ。朝、体力が余っているようだったら走ったりもする」
「疲れたならそこで休んでいればいい。アリア、やるぞ」
イザベルが休んでいる中、俺とアリアはいつものように激しく打ち合う。課外授業でも木剣を交わしているが、この訓練の時は違う。よそ行きの剣ではない。アリアの本気の剣、絶対に俺に勝ってやるという気概が伝わってくる剣だ。
魔法を使わなければ――剣術だけであれば、ほとんど俺が勝つ。
ただ、魔法を纏っての戦いとなれば、より拮抗した戦いになる。
アリアが銀を纏うと、俺も金を纏う。金を纏えば身体能力が爆発的に上がる。膂力も敏捷も視界も。
だけどそれはアリアにも言えること――【聖翼纏】は膂力や視界は広がらないが、敏捷の伸びは【天翔纏】以上。地を蹴り、背中の銀が羽ばたけば、【天翔纏】を展開していない限り、目で追うのも困難を極める。
今回も俺の方が取った回数は多いが僅差だった。それを見ていたイザベルが目を見開く。
「う、うそ……私と戦った時よりもソラの動きは速いし鋭い……にもかかわらず、女のアリアがそれについていって互角に戦っているなんて……」
すると、アリアが銀を解き、イザベルに向き直る。
「女だからって関係ない。戦場で女だから手加減してくれないでしょ? 少なくとも獣人は皆が本気で私たちを殺しに来ていたわ」
「……アリアの言うとおりね。私の甘えた考えだったわ。一つ聞いていいかしら? 轟雷星将の部隊ではこの訓練が普通なの?」
「まさか、ソラだけよ。私もソラがヴォリト様の部隊に入らなければ、あなたと同じように唇を噛みながらそこに座っていたわ」
話し込んでいるうちにいつもの打ち合いの時間が削れてしまった。アリアとイザベルが話している間、俺は素振りを続けていたがそれだけじゃ足りない。今日の鍛錬の量が足りていない。
「走ってくる」
「えっ?」
イザベルが座り込んだまま俺を見上げる。
「い、今から? あれだけ打ち合っておいて、まだ走るの?」
「訓練が足りない。城壁を二周」
「……二周?」
イザベルが呆然としている。俺は木剣を置いて走り出す準備をする。
アリアも続く。
「私も行くわ」
「アリアも!?」
イザベルの声が裏返る。アリアは平然と髪留めを締め直している。
「言ったでしょう。朝、体力が余っていたら走るって。今日は夜だけど削れた分を取り戻さないと」
「あなたたち、本当に……人間なの……?」
イザベルががっくりと肩を落とす。だが、すぐに首を振った。
「……今日はもう無理よ。昼の課外授業もあったし、この準備運動だけで私はもう動けないわ。素直に部屋に戻って休む」
「それでいい。無理して倒れたら意味がない」
「あなたは毎日無理して倒れていたでしょう?」
「そんな記憶はない」
「都合のいい頭ね」
俺とアリアの会話にイザベルが苦笑いしながら、ふらつく足で女子寮の方へ歩いていく。その背中が心なしか小さく見えた。
♢
城壁の外周。
夜の風を切って俺とアリアは走る。【天翔纏】と【聖翼纏】。金と銀の光が夜の城壁沿いを駆け抜けていく。
「アリア」
「何」
「次の試験、もっと上を目指す」
アリアが、横を走りながら俺を見る。
「二十四位なんて二度とごめんだ。座学も三十点は超える。武術も魔法も上を取る。総合でもっと前に行く」
風を切りながら、はっきりと宣言する。
「お前の隣までまだ遠い。背中すら見えない。だが必ず追いつく。そして追い越す」
アリアが少しだけ笑った。
「追い越されたら困るわ。私だって一位を守るもの」
「守れるもんなら守ってみろ」
「言ったわね」
金と銀が、夜の城壁を駆ける。隣を走るアリアの息遣いがすぐそこにある。二年間ずっとこうだった。ガルドレアでも、王都でも。隣にこいつがいて俺は走り続けてきた。
次の試験でもっと上に行く。座学を超えて、実技を磨いて、総合で前に出る。クロフォードに追いつくためにはこんなところで躓いていられない。
――待ってろよ、クロフォード。
月明かりの下、金と銀の光が夜をどこまでも駆け抜けていった。




