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宿星 〜遥か天頂を目指して〜  作者: けん@転生したら才能があった件書籍コミック発売中
第2章 ステラ星煌学校編

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第36話 笑顔の向こう

 陽が昇る前の校庭。


 いつものようにアリアが先にいる。銀髪を朝靄に溶かして淡々と木剣を振っている。俺が来ると振り向きもせずに言う。


「遅いわよ」

「お前が早いんだ」


 もう何度繰り返したか分からないやり取りだ。隣に並んで素振りから始める。体があたたまったところで打ち合いに移る。金と銀の光はまだ出さない。ただの木剣で互いに本気で打ち合う。純粋な剣術を向上させるためにだ。


 少し疲れてきたところで金を纏う。疲労時に【天翔纏ゼニス・エンチャント】を維持するのは難しい。精度が落ちないようにするためにここは必死。


 半刻ほど打ち合って、汗を流す。


「今日もライナス先生の実技があるわね」

「ああ。今日こそ一本取る」

「無理よ。あの方、騎柱だもの」

「取る」

「……あなたって本当に変わらないわね」


 アリアが小さく笑う。





 課外授業はすっかり回るようになっている。

 三人グループ。それぞれの役割がはっきりしてきた。


 アリアは俺と打ち合うことで己を磨く。俺の膂力と勘を相手にするのがこいつにとって一番の実戦訓練になるらしい。【天翔纏ゼニス・エンチャント】と【聖翼纏サンクト・エンチャント】がぶつかると火花の代わりに金と銀が散る。アリアの剣はどんどん鋭くなっていく。


 イザベルはアリアに魔法を教わる。纏系の精度、制御。出力の低かったイザベルの【灼纏フランマ・エンチャント】が、アリアの精密な指導で少しずつ完成度を上げていく。「あなたの制御、本当に綺麗ね」とイザベルがこぼすのを何度か聞いた。


 そして俺はアリアとイザベルの二人がかりで座学を叩き込まれる。アリアが理屈で、イザベルが実戦で。鋒矢、魚鱗、鶴翼。やっと区別がつくようになってきた。遅い。だが着実に進んでいる。


 三人とも、互いの得意で互いの不得意を埋めて、噛み合っている。


 その俺に羨望の視線が突き刺さる。一位のアリア、三位のイザベル。その二人と二十四位の俺が同じグループにいる。下位の連中からすれば信じられない好待遇なんだろう。「なんであいつが」という目がいつもどこかから飛んでくる。


 だが、気にしない。結果を出せばいい。それだけだ。





 食事の時間。


 ワフェルが、相変わらずアリアに声をかけてくる。側室の話を断られてもまったく引いていない。


「アリア嬢。今日の鍛錬はいかがでしたか」

「……つつがなく」

「相変わらず素っ気ない。ですがそういうところも好ましい」


 アリアは一定の距離を保って応じる。無下にはしない。だが心も許さない。絶妙な線を引いている。


 ワフェルだけじゃない。入学式以降、貴族科の連中の目がアリアに集まっている。女で一位の実力というのは貴族の男たちにとって格好の的らしい。直接声をかける者、遠巻きに眺める者。視線の数が日に日に増えている。


 俺は野菜を噛みながら、その視線の群れを感じている。アリアが他の男たちに見られているのがなぜか落ち着かない。胸の奥がざらつく。だがアリアは毅然としていて、俺が口を出す場面じゃない。


 自分のこの感情になんて名前をつければいいのか――俺はまだ知らない。





 午前の正規授業。実技の時間。


 騎士の教官たちと訓練しているとライナスが声をかけてきた。


「ソラ、カイト。前に出ろ」


 俺とカイトを戦わせるという。二位のカイトと二十四位の俺。だが武術の点数だけならカイトが九十二点で一位、俺が九十点で二位。実技は近い二人だ。


「ルールは剣術のみ。魔法はなしだ」


 剣術のみ。胸が高鳴った。カイトの剣をまだじっくりと見たことがない。同室なのに一度も打ち合っていない。ようやくこの男の剣が見られる。


 カイトはいつもの笑顔で木剣を構えた。


「お手柔らかに」


 手合わせが始まる。


 俺が踏み込む。いつものように攻めの剣。


 カイトは――受けた。


 俺の一撃を最小限の動きで受け流す。次の一撃も半身をずらして逸らす。さらに次も刃を滑らせていなす。攻めてこない。ただひたすら捌く。受ける。流す。


 波風を立てない剣だった。すべてを受け流すような剣。攻め気がまるでない。まるで勝とうとしていないかのような。だが崩れない。どれだけ攻めてもカイトの守りは破れない。


 俺の攻め手がなくなっていく。打っても打ってもぬるりと逸らされる。手応えがない。掴みどころがない。これはこれで厄介だ。


「お前、攻めてこないのか」

「僕は、こういう剣だから」


 カイトが笑顔で答える。攻めない。守るだけ。それがこいつの剣。


 ふと思った。カイトの剣はこの笑顔と同じだ。波風を立てず、当たり障りなく、すべてを受け流す。本心を見せない。剣にまで事なかれ主義が滲んでいる。


 攻め続ける側が先に疲れる。捌く側は最小限の動きで体力を温存する。攻め疲れたところを突くのがカイトの戦法だ。受け流して相手の体力を削って最後に勝つ。


 なら、根負けさせてやる!


 攻め続けても剣速は落とさない。むしろ、打てば打つほど乗ってくる。城壁を二周走っても平気な体力だ。ガルドレアで毎朝ヴォリトに挑み続けた体力だ。獣人と斬り合い続けた体力だ。普通の物差しじゃ測れない体力だ。


 カイトの捌きが徐々に追いつかなくなっていく。受け流すたびにわずかに遅れる。省エネのはずの守りが止まらない猛攻に削られていく。


 カイトの笑顔に初めてわずかな焦りが滲んだ。


 そして、その時が来た。


 カイトの捌きが決定的に遅れる。俺の剣が守りを抜いた。あと一撃で一本取れる。


 その瞬間――カイトの口が魔法を口ずさむ。


「【氷刃グラキエス・エッジ】!」


 剣術のみ、魔法なしの手合わせ。そのルールを破ってカイトの手から氷の刃が飛んだ。俺を捉えようとする咄嗟の一撃。


 普段の波風を立てない――事なかれ主義のカイトからは想像もつかない一手だった。負けが見えた瞬間、反射的に魔法が出た。理性じゃない。本能だ。負けられないという笑顔の奥に押し込めていた剥き出しの気概。


 だが――俺の体は即座に対応していた。


「――【天翔纏ゼニス・エンチャント】!」


 金色の光が全身を包む。氷の刃が金色に触れた瞬間――勢いが殺がれ、肌に浅く触れて散った。残ったのはかすかな切り傷だけ。痛みはない。


 なんとなくできるとは思っていた。炎の時もそうだった。イザベルの【灼纏フランマ・エンチャント】の熱が、俺の【天翔纏ゼニス・エンチャント】の前にはあまり通じなかった。だから氷もたぶん同じだろうと。深くは考えていなかった。考えなくてもできた。


 訓練場がしん――と静まる。


「……今の」


 最初に声を上げたのは、ライナスだった。ライナスの目が、俺の腕に注がれている。氷が消えたあたりに。騎柱が明らかに驚いている。


「魔法が……軽減――いや、侵食された……?」


 ライナスが呟く。剣術のみの手合わせのはずが、カイトが反則の魔法を放ち、それを俺が金色で捌いた。ライナスはその現象そのものに目を奪われている。


 一方のカイトは自分の放った魔法に自分で驚いていた。


「……あ」


 カイトが我に返る。無意識だったんだろう。負けると分かった瞬間、体が勝手に動いた。普段の笑顔が消えている。剥き出しの本当の顔。ルールを破ったこと、本性を見せたこと――その自覚が遅れて追いついてくる。


 慌てていつもの笑顔を取り繕おうとする。


「ごめん、つい……」


 だが、もう見た。あの一瞬――笑顔の奥から出てきた負けられないという剥き出しのもの。こいつにもこんなものがあったのか。


 そして、カイトもまた俺に驚いていた。


「この距離で【氷刃グラキエス・エッジ】……避けたの?」

「避けてない。纏っただけだ」

「あの速さで……?」


 カイトが目を見開いている。あの一瞬で纏系魔法を発動した。普通なら放たれた氷の刃に間に合う速度じゃないとカイトの顔が言っていた。


 そんな俺たちの間にライナスが割って入る。


「そこまでだ」


 ライナスの目は、まだ俺たち二人を見ている。特に俺の【天翔纏ゼニス・エンチャント】に。


「カイト。魔法を出したのは反則だ。だが――まあ、咄嗟だったんだろう。今回は不問にする」


 ライナスはカイトを軽く叱るだけで深くは咎めなかった。咄嗟に出た本能だと分かっているんだろう。むしろ二人の力量を確かめられたことに満足しているような顔すらしている。





 夜。寮の部屋。


 カイトが下の段にいる。俺が戻るといつもの笑顔で迎える。昼間のことなんてなかったみたいに。


 俺はベッドに上がりながら、聞いてみた。


「お前、なんで攻めないんだ」

「攻めると波風が立つからね」

「でも、最後は魔法を出したな」

「ああ、あれ? つい、だよ。手が滑っただけ。本当にごめん」


 カイトは笑っている。


「お前、本当はもっと攻められるだろ」

「どうかな。僕はこういう剣しか知らないよ」


 はぐらかされた。


 それ以上聞いても無駄だった。カイトは何を聞いても笑顔で受け流す。昼間と同じだ。知られたくないのかもしれない。人にはそういうものが一つ、二つはあるのだと思う。アリアにもそれがあるのはわかっている。だからもう聞かない。


 だが、昼間の一瞬で見えたものがある。こいつは本当は負けず嫌いだ。本当は攻めたいのかもしれない。なのに笑顔で全部を受け流している。波風を立てないように。何かに怯えるみたいに。


 ワフェルとの主従関係も笑顔の理由もまだ分からない。だが昼間の一瞬でその鍵の端がちらりと見えた気がした。


 まあ、急がなくていい。同じ部屋にいればそのうち分かることもあるだろう。


 俺は天井を見上げる。


 ――待ってろよ、クロフォード。


 そう呟いて目を閉じた。同室の男の剥き出しになった一瞬を頭の隅に置きながら。



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