第32話 授業
陽が昇る前に校庭に出ると、やっぱりアリアが先にいる。
素振り。打ち合い――半刻。汗を流して、それぞれ湯浴びをしてから食堂棟へ。
食堂では大皿に盛られた物を各自で取り分ける。椀や小鉢にも汁物や和え物がよそわれ、好きなだけ持っていく形式。アリアはビュッフェスタイルと洒落た言葉を口にしているが、中にはなくなったら終わりの物もあるので戦争だ。
トレーの上に戦利品をいっぱいにして席に着くと、目の前には風呂から上がったばかりのアリアが座った。そんなアリアは俺のトレーを見てため息をつく。
「はぁ……肉、肉、肉じゃない」
「動いたら肉を食うのは当然だ」
「あなたずっと動いているから常にお肉じゃない。ダメよ栄養が偏るわ」
アリアはそう言うと、自分のトレーの上にあった小鉢を二つ、俺のトレーの脇に置く。
「ほうれん草のソテーと、ブロッコリーのボイルよ」
「ソテー? ボイル?」
「……炒め物と茹でた物よ」
それならヴォリトのところでも食べたことがある。
「嫌いじゃないがいらない」
「脳にいいわよ」
こいつ、だから座学が得意なのか。これからはほうれん草とブロッコリーを食べまくる。食べることで座学をしなくてもいいのであれば安いものだ。
「同部屋のカイトとはやっていけそう?」
「はなひてない」
口の中を野菜でいっぱいにしながら答える。
「えっ? 一度も? 二段ベッドはどっちが上とか話さなかったの?」
「俺は高い方が好きだ。あいつは低い方が好きらしい」
頭を抱えるアリア。そんな時、不意に背後から声がかかった。
「ここ、いいかしら?」
振り向けばイザベルがトレーを持って立っていた。
「好きにしろ」
「どうぞ」
俺とアリアが同時に答えると、イザベルは俺の隣に座る。
「今日からの授業、やっぱり二人はペアを組むの?」
「ペア?」
「知らない? 課外授業で生徒同士が高め合う必要があるの。得意分野を教え合って弱点を埋める。騎士になれば部下の育成も必要だから、その一環として」
「まだ決めていない」
「そう、なら私がソラの相手として立候補していいかしら?」
「お前が?」
「アリアほどではないけど私の戦略兵法は七十五点。十分に教えられる点数よ」
七十五点。もし俺がその点数を取れればアリアに近づける。悪くはない。
「いいだろう。よろしく頼む」
俺が答えると、イザベルはアリアに視線を向ける。
「アリアもいい?」
「ええ、問題ないわ」
そう言い残し、アリアは席を立ってトレーを片付けに行く。ただその言葉には、何か棘のようなものが含まれている気がした。うまく言葉にできない引っかかりだ。
♢
授業は午前七時から始まる。まずはライナスが教壇に立つ。
「今日から授業を始める。騎士科のカリキュラムは大きく二つに分かれる。午前中の正規授業と午後の課外授業だ」
正規授業の武術と魔法はライナス含め数人の騎士たちが教え、座学はまた別の騎士が教えるようだ。戦略兵法、基礎数学、王国史、地理――これらが座学にあたる。
そして課外授業。午後からは生徒同士が教え合う。
「騎士は一人で戦う者ではない。部下を育て、隊を率いる。月例試験の評価には『指導実績』が加算される。自分より下位の者に教え、その者の成績が上がれば、教えた者の評価にもなる。午後にペアを決める時間を設けるから、先にめぼしい者のあたりをつけておけ! また、何度もペアは変えることもできるし、俺の判断で決めることもある。慣れればグループを作り、そこで切磋琢磨をしてもらう」
事前にイザベルから聞いた通りだ。生徒たちが顔を合わせて探り合う中、授業が始まる。
まずは王国史。分厚い本が配られ、それについて教師が講じる。知らない文字がたくさんあって、理解が追い付かない。知っている文字ばかりのところでも教師が早口でまくしたてるように喋り、ついていけない。
おかしい……ブロッコリーとほうれん草を食べたのに。足りなかったのかもしれない。これからは並んだ小鉢を全部食うことを心に誓う。
戦略兵法、基礎数学に地理と続き、やっと実技。教官役の騎士が十名以上、俺たちの武術や魔法を指導する。しかし、天属性を教えられる者などいるべくもない。だから俺は武術中心の指導だ。
生徒たちが各々の教官について散らばる中、俺の前に立ったのは担任のライナスだった。
「ソラ。お前の剣、見せてみろ」
騎柱の位。ガレスと同じ位だ。三十代半ば、鋭い目つき、立ち姿に隙がない。入試の試験官は圧倒できた。だがこの男は――簡単にいかないというのは分かる。
「ルールは?」
「魔法なし。純粋な武術だけだ。それでお前を測る」
魔法なし。それでこそ俺の素の剣が分かる。
木剣を構えると、ライナスも構える――先に動いたのはライナスだった。
速くて鋭い。一撃一撃に無駄がなく隙がない。試験官を圧倒した俺の剣が今度は受けに回る。
だが引かない。
ライナスの剣を受けながら体が勝手に動く。俺の剣は我流。でも毎朝ヴォリトに打ち込まれて嫌というほど体に染み込んだ捌き方。いいと思った動きはそいつの姿を脳裏に焼きつける。あとはぶっ倒れるまで振って体に覚え込ませる――そうやって高めてきた剣だ。
ライナスの目が少しずつ変わっていく。最初は新入生を測る目だった。それが途中から本気の剣士の目になる。互いに決め手を欠いたまま打ち合いが続く。気づけば周りの生徒たちが手を止めて見入っている。担任のライナスと二十四位の俺が互角に打ち合っている。
しばらく打ち合った後、ライナスが木剣を引いて構えを解く。
「そこまで」
不服だった。決着がついていない。だがライナスの目を見てこれは試験だったのだと気づく。勝敗をつける場ではなく俺を測る場だ。
ライナスが息を整えながら言う。
「その剣……我流のようでいて芯がしっかりしている。轟雷星将ヴォリト様――あの方に鍛えられたな」
驚いた。ライナスは俺の剣の中にヴォリトを見抜いた。
「入試で武術九十点がついたのも頷ける。俺であればもっと高得点をつけていただろう。ヴォリト様が推薦し、炎獄星将グラハルト様が推した。この歳でこの剣なら推されるわけだ」
互角で終わった悔しさはある。だがヴォリトの名前が出たことが少しだけ誇らしい。離れていてもヴォリトの剣は俺の中で生きている。
「次はもっと打ち合ってくれ。一本取る」
「その意気だ。だが今は他の生徒も見なきゃならん」
ライナスが背を向けて、次の生徒のところへ歩いていく。すると、アリアが俺の隣に立ち、珍しく感心した顔をしている。
「ライナス先生と互角だなんて。あの方、騎柱よ」
「決着はつかなかった。互角は負けと同じだ」
「……あなたって、本当にそういうところは変わらないわね」
そこにイザベルが来る。打ち合いを見ていたらしい。
「驚いたわ。父から聞いていた以上ね」
「お前の父親、俺の何を知ってるんだ」
「南部で獣柱を斬ったところを直接見たそうよ。必ずソラは頭角を現す。だから今のうちに――」
イザベルの目に昨日の手合わせの時と同じ光が混じる。だが俺はそれが何なのか分からなかった。
♢
午後。課外授業のペア決めの時間になる。生徒たちが互いに探り合う。誰と組めば評価が上がるか、誰に教えれば指導実績になるか。打算と思惑が飛び交う。
一番人気は――なんと俺だった。どうやら戦略兵法五点というのが効いているようだ。俺より伸びしろがある奴はいないというのが皆の意見。だけど俺はイザベルと組むと伝えると、蜘蛛の子を散らすように去っていく。
二番人気だったのはアリア。一位に教われば成績が上がる。一位とペアになれば箔がつく。そんな思いからか男子生徒たちが我先にとアリアに声をかける。
「アリア! 俺と組んでくれ!」
「俺の方が成績は上だ! 効率がいいぞ!」
「アリア様、ぜひ俺と――」
その中で一人、ひときわ熱心な男がいた。茶色の髪を遊ばせた軽薄そうな顔つきの男。エイガーと名乗っていた生徒だ。
「アリア、頼むよ。俺が一番真剣だ。誰よりもお前と高め合いたいんだ」
アリアは群がる男たちを横目にしばらく品定めをするように見回してから口を開く。
「……いいわ、エイガー。一番熱心だったあなたにする」
「やったぜ!」
エイガーが拳を握る。
アリアはというと一瞬俺に視線を配ってエイガーと共に教室の隅に行く。ナイトクローラーの髪留めがどこか暗く感じられた。
♢
午後の教室。イザベルとの最初の課外授業が始まる。
イザベルが俺の隣に座る。かなり近い。肩が触れそうな距離で同じ教科書を覗き込む。
「まず鋒矢の陣からね。これは先頭を尖らせて――」
「先頭が要なんだろ。試験で書いた」
「そうよ。なぜ要なの?」
「尖ってるから」
「……なぜ尖っていると要なの?」
「尖ってる方が強いだろ」
「…………」
イザベルが額を押さえる。
説明が進むほど理解が追いつかない。陣形の名前が覚えられない。鋒矢、魚鱗、鶴翼。イザベルが図を描いて説明するが、図のどこが頭でどこが尻尾かも分からない。
「ここが先頭。ここが後方。分かる?」
「どっちも線だろ」
「線じゃないわ。兵の配置よ」
「線に見える」
「……ソラ、戦場では大活躍だったと聞いたわ。なんで紙の上だとここまで……」
イザベルが頭を抱える。父の灼星柱アゼルから「駆け上がる男」と聞いていた少年が、座学の前ではここまで無力だとは思っていなかったんだろう。
それでもイザベルは投げ出さない。何度も言い方を変えて、具体例を出して、根気強く教える。俺も俺で剣を振る時と同じ集中力で食らいつく。分からないなりに何度も何度も繰り返す。
少しずつ、ほんの少しずつ、鋒矢の陣が「先頭を尖らせて敵陣を突き破る陣形」だと分かってくる。
「分かった。尖った先頭でぶち抜くんだろ」
「……乱暴な理解だけど、合ってるわ。三十分かかったけどね」
イザベルが息を吐く。距離は近いままだ。教科書を指差すたびに肩が触れる。髪から微かに香りがする。
だが俺の頭の中は鶴翼の陣と魚鱗の陣の区別で精一杯だ。
イザベルがふと俺の横顔を見る。
「ねえ、ソラ。私が近くにいて何とも思わないの?」
「思わない。それより魚鱗の陣ってのがまだ分からん」
「…………」
イザベルがまたもため息をつく。それから少しだけ口の端を上げた。
「……アリアが妙に張り合う理由が分かった気がするわ」
「何が?」
「何でもない。次、魚鱗の陣ね」
会話の意味が分からない。ただ座学が一つ進んだことだけは確かだ。
窓の外、別の教室でアリアがエイガーに何かを教えているのが見える。エイガーが身を乗り出して必要以上にアリアに近づいている。時には手を握り、しゃがんで脚に触れたり、顔を近づけたり……脚に触れたり、顔を近づける必要が俺には分からない。だけどアリアは涼しい顔で教えている。
……まあ、いい。アリアはアリアでやっている。俺は俺で魚鱗の陣を覚える。
「おい、魚鱗の陣だ。早く教えろ」
なぜか自分の声が鋭くなっていた。理由は分からない。
ただ、窓の外が気になって魚鱗の陣を覚えることができなかった。




