第31話 二十四位VS三位
目を覚ますと窓の外はまだ薄暗い。
下の段でカイトはまだ寝息を立てている。音を立てないようにベッドを降り、クロフォードの木剣を取って部屋を出る。階段を降りて男子寮の外へ。
校庭に出ると――先客がいた。
銀髪。月明かりが残る薄暮の中、木剣だけを構えて淡々と素振りをしている。
「……お前、いつから起きてる」
「少し前よ」
毎回同じ答えが返ってくる。今度こそ先に起きてやる……と、思ったのは南部で獣人たちの戦った時までの事。あれからもう数カ月が過ぎた。これに関しては悔しいけど負けを認めることにした。
俺はアリアの隣に立ち、木剣を構えて素振りを開始。体があったまったところで【天翔纏】を発動しようと魔力を練り始める。
「待って」
アリアが手を伸ばして止める。
「今日、試合があるのよ。午後まで魔力を温存しなさい」
「やる」
「やらないで。朝から【天翔纏】なんて使ったら、午後に持たないわ」
「持つ。俺の魔力量を知ってるだろ」
「知ってるけど念のためよ」
「朝練は全力でやるって決めてる」
「あなたねえ……」
俺はアリアの手を払って、【天翔纏】を発動する。金色の光が全身を包む。
アリアが大きくため息をついてから、自分も【聖翼纏】を発動する。白銀の光が体を覆う。
「分かればいい」
「分かりたくなかったわよ」
二人で木剣を構え直す。
数合の打ち合い。木剣がぶつかる音がまだ薄暗い校庭に響く。金と銀の光が朝の空気を切る。互いに本気で振っている。準備運動なんて生易しい言葉では収まらない。
半刻ほど続けて、ようやく息が上がる。
「これ、準備運動じゃないわ」
「準備運動だ」
「全力でしょう、今の」
「お前も全力だっただろ」
「……まあ、そうね」
互いに息を整える。汗が額を伝う。陽はもう昇っていた。
「結局、止められなかったわね」
「俺たちにそんなものは無理だ」
二人で顔を見合わせ、一拍の間。どちらからともなく笑みが零れる。最初から俺たちはこうなるとわかっていた。剣を握って隣にアリアがいれば結局打ち合う。それが俺たちの形だ。
♢
午前中は各自の調整に充てる。さすがに午後を控えてこれ以上消耗するのは避ける。アリアの忠告が、今になって効いてくる。
――正午過ぎ、中庭。
ギャラリーを避けるために、中庭の隅、校舎の影になる場所を選んでいる。新入生たちはそれぞれ午後の予定があるようで、ここを通る者は少ない。たまに通りかかる生徒はいるが、立ち止まらずに過ぎていく。
イザベルは既に来ていて準備運動をしていた。
俺は少し距離をとってアリアに視線を向ける。
「アリア、審判を頼む」
「そのつもりよ。イザベル、戦いの準備できたら教えて」
「いつでもいいわよ」
イザベルの言葉を受けて俺が前に出ると、イザベルは俺と正対する。
イザベルの手には剣ではなく妙な得物。持ち手は槍のように長く、反った刃の部分が分厚い革で何重にも包まれている。本来の鋭さは封じられてただの棒状の塊になっている。
「それは何だ?」
「革巻き薙刀。木の刃を革で包んで致命傷が出ないようにした稽古用の薙刀よ。薙刀の稽古はこれでするの。木剣じゃ間合いも振り回しの感覚も再現できないから」
長い間合いの武器なら、剣の俺よりリーチで有利というわけか。
「面白い!」
思わず口の端が上がる。【天翔纏】を発動して、金色の光を全身に纏わせる。それを見たイザベルが目を細めた。
「これが、あなたの纏系――濃くて……激しいわね」
「来い!」
「ええ、いざ尋常に!」
イザベルが革巻き薙刀を構える。姿勢を低くして、息を吸い込む。
「【灼纏】!」
炎が全身を薄く包む――火属性の纏系。アリアの【聖翼纏】や俺の【天翔纏】より出力は低く思える。完成度はまだなのかもしれない。だがそれでも纏系は纏系だ。
「始め!」
アリアの合図が落ちると同時――イザベルが踏み込んだ。
長い柄が円を描いた。革で包まれた刃が横一閃。俺の胴を薙ぎ払う軌道で風を巻きながら走る。剣で受ければ刃の重さと遠心力で持っていかれる。
身を低くする。
革で包まれた刃が頭上を通り過ぎる。風の唸りが耳元で鳴った。穂先のように尖っていなくてもこの重さと速さで頭に入れば大けがは免れない。
一閃が空を斬った瞬間に踏み込み、剣の間合いに入る。
間合いを潰せば薙刀は不利だ。長い柄と重い刃は近距離では振り回す空間が足りない。薙刀使いの一番嫌う距離。そこに俺が踏み込む。
が、イザベルは下がらなかった。
革巻き薙刀を引かない。代わりに柄を斜めに立てて、刃の根元側と柄の真ん中で俺の剣を受け止める。木と木がぶつかる鈍い音。受けた瞬間に柄を回転させて、今度は柄の端で俺の足元を払いに来る。
近接戦闘の引き出しがある。剣の間合いに入っても狼狽えない。薙刀の柄を器用に回す。さすが薙刀使い……というだけじゃない。戦い慣れている。
「【天衝脚】!」
地を蹴ると同時に空中に金色を敷く。柄の端が俺の脛があった場所を空振りで通り抜けていく。俺はもう一段上にいる。空中の足場を踏みしめて、上から振り下ろして、イザベルの肩に届く――その寸前。
イザベルが横に転がった。地面に背中をつけたかと思うと、その勢いを殺さずに柄を回して、再び立ち上がりながら革巻き薙刀を構え直す。
「……っ!」
イザベルの目が見開かれている。明らかに俺の動きを読みきれていない。ついてこれてもいない。それでも対応してくる。咄嗟の判断、咄嗟の動き、全部が訓練で叩き込まれた身体の反射だ。
正直ここまでやるとは思っていなかった。女だからというわけではない。長物使いの近接弱点を突けば終わると思っていたからだ。
ここからはその甘えた考えをぶん殴って木っ端みじんにする。剣の間合いに入った瞬間、薙刀は不利――その前提自体は変わらない。だがイザベルは、その不利な状況で粘る術を知っている。なら、粘らせる時間も与えない。
【天翔纏】で踏み込みを加速させ、剣風が立て続けに走る。イザベルの革巻き薙刀の柄が立て続けに俺の剣を受けると、木と木がぶつかる音が連続する。だが受けるたびにイザベルの体勢が崩れていく。後ろに下がり、柄の握りが徐々に甘くなっていく。膂力では俺が圧倒している。痺れてきて握れなくなっているのが攻め込んでいてわかる。
そして、決着。
俺の剣がイザベルの革巻き薙刀の柄を斜めから弾くと、薙刀が大きく逸れる。流れた一閃が首筋へ。剣の腹が触れる、その刹那――
イザベルが左手を上げた。【灼纏】の炎が左手に集中し、俺の腕にその手が触れる。
――熱っ……くない。火を伴った手に触れられているというのに。皮膚が灼かれる感覚はない。微かな温かさがあるだけ。
俺が眉一つ動かさないのを見て、イザベルが目を見開く
「……あ、熱くないの?」
「熱くない」
「剣戟を結んでいる時も?」
「ああ、別に変わった様子はない」
「そんな……纏系を使用されても伝わるはずなのに……」
見下ろすと、イザベルの紅い炎が金色に押し返されて薄れていく。俺自身も分からない。これは何だ? 俺の魔力で押し返しているのか、それとも【天翔纏】が何かを弱めているのか。
考えても答えは出ない。だが事実として火は効いていない。
「勝負ありね」
アリアが宣言する。
イザベルは俺の手を握ったまま。
アリアがもう一度「勝負ありよ、イザベル」と述べると、ようやくイザベルは俺の手を離し息を吐く。【灼纏】が解け、革巻き薙刀を地面に置く。
「完敗よ。勝てるビジョンが浮かばなかったわ」
しばらくイザベルの真紅の瞳は俺を捉えたまま。俺は気にせず下がって距離を取る。
その時――背筋がぞくりとした。
匂い。いや、気配。
ずっとそこにあった。試合の最中ずっと誰かが見ていた。だが気づかなかった。今、向こうが気を緩めた瞬間にようやく察知した。
中庭の隅、校舎の二階。窓から誰かが見下ろしている。
栗色の髪をした女が窓辺に立っていた。入試の時のあの女。受付に立っていて、最後に「一番強い者を当てろ」と問いを出したあの女だ。
目が合う。
女の目がわずかに見開かれる。気配を消していたのに察知された――という驚き……いや、興味がその顔に走った。それからゆっくりと微笑む。穏やかな微笑。だが含みのある微笑。何かを認めるような目で俺を見ている。
そして窓から離れ、姿が見えなくなる。
「ソラ、どうしたの」
アリアが横に来る。俺の視線を追って二階の窓を見る。だがもう誰もいない。
「……あの女がいた」
「あの女?」
「入試の時の。一番強い者を当てろって問いを出したあの受付の女」
「気づかなかったわ」
「俺もだ。最後の瞬間まで」
「学校関係者であれば生徒の模擬戦を見ること自体は不思議なことじゃないけど、気配を消して見ていたとなると……注意した方がいいかもしれないわね」
俺もアリアの意見と同じだ。危険な香りはしない。それでも探られているような気がして、腹の底がむずむずする。
「直接聞きに行こうとしてるでしょ?」
「……そんなわけがない」
こいつ、また俺が考えていることをドンピシャで当てやがった。
「目立った行動は慎みなさい。連帯責任になる可能性だってあるわ」
「わかってる」
振り返るとイザベルが俺たちに軽く頭を下げてから、女子寮の方へ向かう。
「ソラ、私たちも戻りましょう」
「戻らない」
「は?」
「イザベルに勝っただけだ。次の試験まで何もしないわけがない」
「あなた朝から打ち合いして、試合もやって、結構消耗してるわよ」
「足りない」
俺は中庭の隅に向かう。木剣を構えて素振りから始める。
アリアがため息をつく。だが止めない。止めても無駄だとこいつもさすがに分かっている。
【天翔纏】を発動する。さっきイザベルの火が触れた腕にもう一度金色の光を纏わせる。火を弱めた感覚がまだ腕に残っている。あれは何だ? 考えながら剣を振る。
ヴォリトの【迅雷纏】に直接打ち込まれた時も痺れはした。だがあれは打ち込まれた衝撃で痺れたもので、電撃で痺れたのは少しだけ。当時は単に魔力量で押し返しているのだと思っていた。
【天翔纏】に何かあるのかもしれない。いや、天属性の魔力の方か? 分からない……分からないならひたすら剣を振って、いつか答えに辿り着く。それが俺のやり方だ。
そして、あの女。
受付であの問題を出した女がまた現れた。気配を消して、俺たちの試合を見ていた。何を見たのか、何を確かめたのか。俺には分からない。だが、見られていた事実はある。
アリアは少し離れた場所で本を読んでいた。寮に帰る素振りもない。少し経てば俺の隣で剣を振り、また読書に耽る。
結局どこに行ってもやることは変わらない。
日が落ちるまでずっと俺は剣を振り続けた。




