第3話 塗りつぶせ!
「マルク、もう一回!」
「……お前、加減ってもんを知らないのか」
マルクが膝に手をついて、荒い息を吐いている。十五歳、孤児院で一番剣が立つ年長者。半年前まではいい勝負ができていたのに、最近は俺が一方的に打ち込んでしまう。それでも物足りない。
「もう一本だけ!」
「……はあ。わかった」
マルクが木剣を構え直すのを見て、俺も構える。踏み込んで、打ち込んで、三合も持たずに弾き飛ばすと、マルクが地面に転がってそのまま動かなくなる。
「お前、どこまで強くなるんだ」
天を見上げたまま、マルクが言う。呆れているのか、感心しているのか、よくわからない声だ。
「まだ全然足りない」
本気でそう思っている。クロフォードと離れてもう二年――あいつの幻影は、まだ俺の遥か前を歩いていて、追いつく気配すらない。だったら走るまでだ。毎日そう思って、毎日木剣を振っている。
「足りないって……お前、騎士見習いの連中にもいい勝負じゃないか」
「勝ってない」
「……当たり前だろ。毎日ふらふらになるまで訓練した後に挑んでいるんだ。それで勝ててしまったら、それこそこの国の行く末が不安になる」
マルクはそう言ってゆっくり立ち上がり、木剣についた土を払って俺に頷く。
「また明日な」
「ああ」
マルクが去った裏庭で、一人素振りを続ける。クロフォードの木剣は壁の前に立てかけたまま、自分の木剣を握ってひたすら振る。腕が悲鳴を上げても絶対にやめない。
♢
それが崩れたのは、昼のことだ。
轟音と共に孤児院の壁が吹き飛んで、石造りの壁が粉砕され、粉塵が舞い上がる。子供たちの悲鳴が重なり合って、一瞬何が起きたかわからない。粉塵が晴れた先に――それはいた。
全身が黒い剛毛に覆われた大型の獣。脚の一本一本が俺の胴体ほどもあって、踏みしめるたびに石畳がひび割れる。何より気味が悪いのは目だ。顔のあちこちに四つの赤い目が散らばっていて、それぞれが勝手に動いている。どこを見ているのかまるで読めない。
もしかしてこれが魔物ってやつか!?
エレナが子供たちをかばいながら叫ぶ。
「逃げて! 早く!」
魔物が退路を塞ぐように動いて、四つの目が子供たちを捉える。低い唸り声が腹の底まで響いてきて、小さい子が泣き崩れて動けない。
マルクが前に出る。
「逃げろ! 俺が食い止める!」
剣を抜いて魔物に向かっていく。勇気だけは本物だ。でも――一撃だった。魔物の前脚が薙ぎ払って、マルクが吹き飛び、壁に激突してそのまま崩れ落ちる。動かない。
俺は気づいたら、先頭に立っていた。
「お前らも逃げろ! 俺がやる!」
木剣じゃ話にならないのはわかってる。でも今この瞬間、俺の手にあるのはこれだけだ。
『それ』は俺を一瞥して、興味なさそうに視線を外す。気絶したマルクに向かって、太い前足を振り上げる。
させるか――!
踏み込んで思い切り腹を蹴り、木剣で横腹を叩く。『それ』がこちらを向き、四つの赤い光が俺を捉えた刹那――前足を振る。空気を切る音が耳をかすめて、俺は後方に跳ぶ。
着地した石畳が軋む。
力強く速い――年上の孤児たちとも、騎士見習いたちとも次元が違う。
だが、遅い――幻影のクロフォードに比べれば。
それでも対峙すれば、体中の血が沸き立つような感覚がある。怖いのか、興奮しているのか、自分でもわからない。
『それ』が俺に向かって突進してくる。サイドステップで躱して脚に木剣をたたき込むと、効いてないと言わんばかりに大きな口を開けて噛み殺そうとしてくる。バックステップを踏んで回避。
木剣じゃ傷一つつけられない。このまま体力を削られたら俺が先に潰れる。クロフォードとの夢が果たせなくなる!
それだけはダメだ!
ならば――
体の奥底に意識を向けて、蓋を探す。いつもそこにある分厚くて重い蓋を……あれ? ない……蓋がない! 昨日まであったはずの蓋が、どこにも見当たらない!
代わりに、膨大な何かが溢れ出しそうになっている。
出せ! 今すぐ出せ!
左手を木剣にかざして、体の奥底から金色の何かを送り込む。魔力と呼ばれるもの――俺が発する金色の光。これを木剣に流すと、繊維の隙間に魔力が伝播して金を帯び、鉄のように硬くなる。
が、今日の光はいつもよりも濃い!
薄金ではなく黄金だ!
一歩踏み込めばすぐ『それ』の懐へ。金を帯びた木剣を薙ぐと、あの分厚い剛毛ごと皮を裂いて刃が食い込み、黒い毛の塊が数房、地に落ちる。
『それ』は激痛のあまり咆哮する。
いける――!
自分の足が地面を蹴る感覚が、木剣を振るう感覚が、さっきまでとまるで違う。『それ』の爪が迫ってくるのを寸前で躱して迎え撃ち、俺が振るう金の軌跡が『それ』の首を捉える。互いの勢いが乗った一閃――余裕で首を刎ねたと思ったが、想像以上に硬くて刃が途中で止まり、抜けない。
ヤバい――
『それ』は咆えて、俺を振り落とそうと体を揺さぶる。石畳に叩きつけられて息が詰まる。金を纏っていなかったら立ち上がれなかったかもしれない。
もっとだ。もっとひきつけて、もっと魔力を込めて、もっと思いっきり振り切らなければ首は落とせない。防御は無視。全部を攻撃に回す。
軽く横に跳んで、空中に金を敷き、足場として踏み込んで『それ』の頭上を取る。
「うぉぉぉおおおりゃぁぁぁあああ!!!!!」
そのまま首の付け根に、金に輝く木剣を叩き込んだ。
衝撃が腕の骨まで伝わってきて、それでも押し切ると、『それ』の巨体がゆっくりと傾いていく。四つの赤い目から光が失われて、石畳を揺らしながら崩れ落ちる。
俺はまだ立っている。荒い息だけが白く散っていく――生きている。
手の中で乾いた音がして、カランと石畳の上に刀身が落ちる。金色の光が消えて、真っ二つに割れた断面がやけに綺麗で、しばらくそれを見つめたまま動けない。
♢
子供たちの声が聞こえてきて、エレナが「ソラ!」と叫んでいる。マルクが壁にもたれながら呆然とこちらを見ている。けど、俺の足は自然と裏庭に向かっていた。
壁の染みが、今日も黒い。変わらず黒くて、消える気配が一ミリもない。
その隣に、立てかけてあるクロフォードの木剣――柄の部分が少し欠けていて、テープを巻いて使っていたやつ。二年間ずっとそこに置いてあって、俺が毎日横を通り過ぎながら、でも手を伸ばさなかった木剣。
折れた自分の木剣を地面に置いて、クロフォードの木剣を両手で手に取る。冷たい――いつも冷たい。でも握ると手に馴染んで、何千回も横を通り過ぎてきたこの手が、自然とその形を覚えている。
壁の染みを見る。黒い。まだ黒い。まだ上書きできていない。
でも今日、蓋が吹き飛んだ。今なら――
そう思いながら壁の黒い染みに手を翳して、ありったけの魔力を叩きつける。金色の光が両手から溢れ出して、石壁を照らして、黒い染みにぶつかっていく。
吸われない! 今日は吸われない!
染みの端が、じわりと金色に染まっていく。
塗りつぶせ! クロフォードの暗闇を! ありったけの魔力で!
金色の光がどんどん広がって、黒い染みを端から端まで塗りつぶしていく。クロフォードの闇が、俺の金色に飲み込まれていく。二年間、一ミリも動かなかった染みが――消えていく。
やった……やったぞクロフォード! ――お前の置いていったもの、全部塗りつぶしてやった。今日この時! 二年前のお前を、俺はようやく越えた。
拳を握る。震えている。嬉しくて、悔しくて、それ以上に――早くまた戦いたくて、たまらない。
視界が暗くなってくる。
体の奥底が空っぽだ。魔力が底をついていく感覚がじわじわと全身に広がって、膝が笑い始める。それでも拳を握ったまま、壁を見続ける。金色に塗りつぶされた壁が、夕日を受けてきらきらと輝いている。
綺麗だな――そう思った瞬間、俺は裏庭の地面に崩れ落ちた。
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