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宿星 〜遥か天頂を目指して〜  作者: けん@転生したら才能があった件書籍コミック発売中
第1章 従士編

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第27話 巣立ち

 ヴォリトの木剣が紫電を纏って振り下ろされる。


 一ヶ月前なら、この一撃で終わっていた。迅雷纏を出された瞬間に剣が弾かれて、衝撃で腕が痺れて、首筋に木の感触だけが残る。それがいつもの負け方だった。


 だが今日は違う。衝撃で痺れは走るが剣は落ちない。踏みとどまって、もう一度踏み込む。ヴォリトの二撃目を半歩ずらして躱して、三撃目を剣で受ける。腕が軋むが、耐える。四合目で弾かれて、五合目で足を払われて背中から落ちる。


 ……五合。迅雷纏を出された後に五合持ちこたえた。


「もう一本!」

「十本目だ」

「だから何だ! まだ一本も取れてない!」


 悔しい。五合凌ごうが十合凌ごうが、一本も取れなければ負けだ。惜しかったとか、成長したとか、そんな言葉に意味はない。勝つか負けるか。俺は負けた。それだけの話で、それが死ぬほど悔しい。


「もう一本!」

「飯の後にしろ。次はアリアだ」

「…………」


 ガルドレアに帰還して一ヶ月。毎朝ヴォリトに挑んで、毎朝負けている。でも負け方が変わってきている。それは認める。認めるが、納得はしない。一本取るまで、絶対に納得しない。


 中庭の端でガレスが水を持って立っている。いつものように。


 天衝脚の精度も一ヶ月で変わった。三枚目まで安定して踏める。四枚目はまだ五分。一ヶ月前は三枚目すら怪しかったが、今は当たり前になっている。アリアに教わった「吐く時に敷く」が体に染みついてきて、魔力の厚みを揃える感覚が少しずつ馴染んできた。







 その日の午後、ヴォリトが全員を中庭に集める。


「王都セプテルムから通達が来ている。南部合同作戦の論功行賞だ」


 論功行賞。武功を審査して褒賞を与える式典。アリアから聞いたことがある。騎士にとっては昇格の機会でもあると。


「まずガレス。お前は王都での式典に出席しろ。騎柱に昇格する」


 中庭がざわつく。騎柱。千人まで率いることが許される位。上位騎士の一つ上。ガレスが静かに頭を下げる。表情はいつもと変わらないが、目に光がある。十年ヴォリトに仕えてきた男が、ようやく次の段に登る。


「遅すぎるくらいだ」


 ヴォリトの一言に、ガレスの目が一瞬揺れる。だがすぐにいつもの顔に戻って、「はっ」とだけ答えた。


「残りの六名には報奨金として大銀貨一枚ずつ」


 レオたちの顔が明るくなる。見習いにとっては大金だ。


「そしてソラ、アリア。お前たちには金貨二枚。炎獄星将グラハルトの推薦と、陛下の裁可による特別褒賞だ。さらにステラ星煌学校への無償入学が許可されている」


 学校。ステラ星煌学校。王都セプテルムにある、アリアから何度か聞いた名前だ。


「行きます」


 アリアが即答する。迷いがない。


「行かない」


 俺も即答する。学校なんて座って勉強する場所だ。ここでヴォリトの下で剣を振っている方がよほど強くなれる。


 ヴォリトが俺を見る。


「ステラ星煌学校の騎士科は定員五十名。七輝星将の過半数がこの学校の出身だ。俺もグラハルトもな」


 耳がぴくりと動く。七輝星将の過半数。炎獄星将グラハルトも、そしてヴォリト自身もその学校の出か。


「それと、騎士は元服しなければなれない。通常は十八歳で元服が認められるが、学校で優秀な成績を収めた者は十六歳で元服できる。つまり十六歳で騎士になれる」


 二年早い。十八歳が十六歳になる。騎士になれば、その先の道が二年分縮まる。位が上がれば強い敵とたくさん戦える機会が増える。それは三大極星になれる可能性も増えるということだ。


「……行く」


 手のひらを返すのが早すぎてアリアが呆れた目をしているが、知ったことか。二年だ。二年早く騎士になれるなら、学校だろうが牢屋だろうが行く。


 レオがこちらを見ている。レオは今年十六歳。仮に来年学校に入ったとしても、出る頃には十八歳。通常ルートと変わらない。そもそも推薦も出ていない。


「俺は俺のやり方でやるさ」


 それだけ言って、拳を突き出してくる。悔しさはあるだろう。でもそれを飲み込んで、自分の道を選べるのがレオの強さだ。俺もそれに拳を合わせる。







 ある夜。部屋の中で金貨二枚を手の中で転がしている。


 生まれて初めて手にした大金だ。孤児院では想像もできなかった金額。金色に光る丸い金属が、掌の中でちゃりちゃりと鳴っている。


 一枚を懐に仕舞う。これは孤児院に送る。エレナに。あの場所がなければ今の自分はいない。


 もう一枚を持って、部屋を出る。


 外ではアリアが中庭で月明かりの下、騎士の男と話していた。


「アリア! 俺は本気だ! 本気でお前を――」

「ごめんなさい。私には今そのようなことに現を抜かしている余裕はないのです」


 アリアがいなくなると聞いた者たちが、連日思いの丈を打ち明けていく。騎士が肩を落として去り、アリアが木剣を握って素振りを開始。頃合いを見計らって近づくと、一瞬強張った表情を見せたが、俺の姿を認めるとホッと息を吐き、剣を止める。


 俺は何も言わずに、金貨を差し出す。


「何これ」

「やる」


 アリアが首を傾げながら受け取る。月明かりに翳して、それが金貨だと気づいた瞬間、目が見開かれる。


「返すわ」

「いらない」

「いらないって、あなた――」

「いらない」

「これがいくらか、わかってるの」

「知らない。でもいらない。剣と飯があれば生きていける」


 アリアが金貨を握ったまま、しばらく俺の顔を見ている。何か言いたそうな顔。でも俺は何も言わない。ただいらないからお前にやる。それだけだ。


 アリアが視線を落とす。金貨を握りしめた指が、少しだけ震えている。


「……ありがとう」


 小さな声だった。俺は頷いて、自分の部屋に戻る。背中に月明かりの視線を感じながら。





 出発の朝。


 ガルドレアの門の前に、ガレスが立っている。レオも、他の見習いたちもいる。


「ソラ」


 ガレスが手を差し出す。その手の中に、小さな箱が二つある。


「ヴォリト様から預かっている。卒業祝いだ」


 箱を開ける。中には懐中時計が入っていた。銀色の蓋に、雷の紋様が細く刻まれている。轟雷星将の紋。ヴォリトの部隊の証だ。アリアの箱にも同じものが入っている。


「お前たちが離れても、この部隊の一員だという証にと。ヴォリト様が選ばれたものだ」


 懐中時計を握りしめる。銀色の金属が手の中でじんわりと温かくなっていく。


「ガレス」

「なんだ」

「ありがとう。南部で、お前がいなかったら俺たちは生きて帰れなかった」


 ガレスが目を見開く。俺がこういうことを言うのが珍しいのだろう。少し間を置いてから、いつもの顔に戻って笑う。


「当たり前だ。お前たちの面倒を見るのが俺の仕事だからな。――次に会う時は、騎士になってろよ」

「なってやるさ」


 レオが駆けてくる。だがその目は俺ではなく、隣のアリアに向かっている。


「アリア……好きだった。達者でな」

「ええ、またいつか」


 レオが差し出した手に、アリアの細い手が重なる。箸より重い物を持ったことがないような白い手と、火属性の魔力で少しだけ熱を持ったレオの手。レオが何度も頷いてから、ようやく手を離す。


 次は俺の番だ。


「ソラ、先に行って待ってろ」

「ああ、三大極星になって待っててやる」

「言ったな。覚えとけよ」


 拳を合わせる。レオの火属性の魔力がほんの少しだけ手に伝わってきて、温かい。


 ヴォリトがゆっくりとした歩調でガルドレアの門まで見送りに来る。。約二年前、孤児院の裏庭から俺をこの街に連れてきた時と同じ場所に。あの日、俺はテトラボアを倒した翌朝、この男に従って馬に乗った。今、俺はその同じ門を、自分の馬で出ていく。


「騎士になれば、己の属性と同じ星将の下に就くのが基本だ。だがお前たちの属性を持つ星将はいない。気が向いたら戻ってこい」


 ぶっきらぼうな声だった。だが二年一緒にいれば、この人なりの言い方がわかる。戻ってこい、と言っている。それだけ言って、ヴォリトが背を向ける。広い背中が朝日を浴びて、紫紺の外套が風に揺れる。


 ここに来てからずっと向かい合った背中だ。何度叩きつけられても、何度立ち上がっても、いつも目の前に立っていた背中。あの裏庭から俺を連れ出して、剣の振り方を教えて、戦場に送り出して、帰ってくるのを待っていた人の背中。


 その背中が、遠ざかっていく。


 胸の奥で、何かが詰まる。声にならない。涙でもない。ただこの二年がぎゅっと固まって喉のあたりに留まっているような、そういう熱だ。


「ヴォリト――!」


 気づいたら叫んでいた。


 ヴォリトの足が止まる。だが振り返らない。


「もっと強くなって、お前から一本取れるようになったら戻ってくる! それまで待ってろよ!」


 しばらく、沈黙が落ちる。


 それから、ヴォリトの背中が、小さく頷いた――気がした。気のせいかもしれない。だが俺にはそう見えた。それで十分だった。


 ヴォリトが歩き出す。今度は止まらない。広い背中が屋敷の奥に消えていく。


 隣でアリアが小さく息を吐いている。横目で見ると、こいつも目を伏せて、何かを噛み締めるような顔をしていた。





 馬に跨がる。隣にアリア。二人だけだ。


 ガルドレアの門が、ゆっくりと遠ざかっていく。振り返ると、紫紺の外套が朝日の中で揺れているのが見える。ガレスが手を上げている。レオが何か叫んでいる。他の同門たちも手を振っている。


 手を振り返す。何度も振り返す。あいつらの姿が小さくなって、それでも振り続ける。


 懐中時計を胸に仕舞う。


「アリア」

「何」

「お前のも同じやつだな」

「……ええ。お揃いね」

「お揃いって言うな。部隊の証だ」

「同じことよ」


 アリアが小さく笑う。風が銀髪を揺らして、黒い髪留めが朝日にちらりと光る。ナイトクローラーの鱗で作った不格好な髪留め。今でもこいつはこれをつけている。


 ガルドレアが地平の向こうに沈んでいく。二年暮らした街が、見えなくなる。


 ここに来た時、俺が持っていたのはクロフォードの木剣一本と、孤児院から着てきた服だけだった。字もろくに読めなかった。誰の名前も知らなかった。覚醒したばかりの天属性の魔力を、ただ振り回すことしかできなかった。それが二年前の俺だ。


 それが今、懐にはヴォリトの時計があり、腰には鉄の剣があり、体には天翔纏と天衝脚がある。読める字が増えた。書ける字も増えた。世界は孤児院の裏庭よりずっと広いことを知った。星将がいて、騎士がいて、見習いがいて、敵がいて、味方がいて、戦場があって、王都があることを知った。


 そして、隣にはアリアがいる。


 二年前の自分には何もなかった。今はこんなにもある。


 全部、ここで貰ったものだ。ヴォリトから、ガレスから、アリアから、レオから――名前を挙げきれないほど多くの人から、少しずつ受け取ってきたものだ。


 全部持って、行く。


 前を向く。南の空は広くて、その先に王都がある。知らない街がある。知らない学校がある。知らない奴らがいる。怖くない。楽しみだ。


 懐の懐中時計を、もう一度握る。雷の紋様が手のひらに食い込む。


 ――待ってろよ、クロフォード。


 あの裏庭で誓った、三大極星スリースターズ。あの夢に向かって、俺はやっと一歩踏み出した。お前のいる場所まで、まだ遠い。途方もなく遠い。だが、もう動けない子供じゃない。


 俺はもうすぐ、騎士になる。

 そしていつか――お前と一緒に三大極星になる。

ここまで読んでいただきありがとうございました!

ここまででちょうど十万字です。

2章は別作品の書籍化作業が落ち着いたら再開予定です!

ブクマと★★★★★をお待ちしております!!!

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