第26話 帰還
ラッパの鳴る時間にこっそり起きて、周囲を見渡す。よし、首根っこを掴まれない。木剣を片手に天幕からそろ~りと足音を立てずに出る。
「遅かったわね」
すでにアリアが素振りを始めていた。
「遅くない。お前が早い」
「そうね、あなたのおかげで熟睡できているから」
「俺のおかげ?」
「そう、天幕にいるのがあなただから何も気にせず眠れるってことよ」
意味がわからないが、悪いことを言われているような気はしない。
アリアの隣に並んでまずは素振り。これをしないと一日が始まらない。四半刻――およそ半刻の半分で二千本、丁寧に本気で振り続ける。体があったまったところで本番。
左手を掲げて金色を敷く。
「天衝脚!」
一枚目――成功。硬くて踏み込める。上に二枚目を作る。
二枚目――成功。だが踏み込むと踏み抜いてしまいそう。さらに上空に三枚目。
三枚目――沈む。足が金色に埋まって、そのまま落下し、尻もちをつく。
もう一度。
一枚目――成功。分厚くしたので余裕かと思いきや足場自体が沈んでいく感覚。
二枚目――成功。ただ、魔力が均一ではないから不安定。
三枚目――失敗。魔力を練ったにもかかわらず、沈み込んでしまう。
何度やっても三枚目が安定しない。いや、二枚目すら怪しい。
「なんで踏み抜くんだ。魔力は余ってるのに」
「あなたの問題は魔力の量じゃないわ。精度よ」
アリアが的確に指摘する。
「天衝脚は魔力を空中の一点に均一に敷いて硬化させる魔法。多すぎれば重くなって沈むし、少なすぎれば踏み抜く。厚さと密度を毎回同じに揃えなければいけない。あなたは奔流を作るのは得意だけど、滴を操るのが下手なのよ」
「そんなことはない」
「事実でしょう。天翔纏は全身に纏うから大雑把でも成立するけど、天衝脚は一点集中の精密制御。あなたの一番苦手な分野ね」
「お前だったらできるのか?」
「私の属性は聖だから天衝脚は使えないわ。でも同じ原理の魔法なら、たぶん一回で成功する」
「…………」
悔しい。悔しいが事実だ。アリアの聖翼纏の精度は二年間見てきた。必要な量を必要な場所に寸分違わず送れる制御の才。俺にはそれができない。力は有り余っているのに、力の出し方がわからない。
「量じゃなくて、精度を上げろということか」
「そう。あなたにとって一番難しい課題ね」
「どうやったら精度が上がる?」
「とにかく訓練ね。だけどこれからまた戦場。時間があったら指導してあげるから今日はこれくらいにして」
そこに、受付の前で会った深紅の騎士が来る。
「グラハルト様から伝言だ」
「私たちにですか? ガレス様は――」
「お前たちでもよい。獣人たちは布陣こそしているが攻めて来る様子はない。恐らくけが人の応急処置を終えれば引くだろう。それまでお前たちは待機、とのことだ」
言い終えると騎士は俺の顔を見る。
「なんだ?」
「……いや、別に」
そう言って騎士は踵を返す。
「認めてくれたのよ」
「そうか?」
「じゃなきゃ、ガレス様とお話をするでしょ? 私たちを一人前と認めてくれたからこそよ」
騎士の背中はどこか悔しそうだったが、礼を言っているようでもあった。
♢
この日から俺は天衝脚の修練に明け暮れる。
一日目。三枚目が一度だけ成功する。だが再現できない。成功した時と失敗した時の違いが自分でわからない。同じようにやっているつもりなのに結果が変わる。魔力の微調整ができていないのだと頭では理解しているが、体が言うことを聞かない。力を込めれば解決する類の問題なら、とっくに片がついている。力で解決できないという事実が、一番堪える。
二日目。アリアが気づいたことがあると言い、指導してくれる。「息を吐きながら敷いて。吸いながらだと力が入りすぎる」。言われた通りにやると、三枚目の成功率が少し上がる。だが四枚目は厚みがばらばらで、踏むたびに感触が違う。右足は硬いのに左足が沈む。均一に敷けない。
「お前はなんでそんなに上手く制御できるんだ」
「練習したからよ。聖翼纏も最初から精密だったわけじゃないわ。何千回も失敗して、体に覚え込ませたの」
「何千回か」
「あなたにできない回数じゃないでしょう」
それは確かにそうだ。回数なら誰にも負けない。
三日目。朝から夕方まで跳び続ける。体は元気だ。魔力も余っている。天衝脚自体の消費はほとんどない。なのに三枚から先が安定しない。何百回跳んでも、三枚目の成功率は五割を超えない。
ガレスが見に来る。
「お前、体力も魔力も余ってるのに顔だけ疲れてるな」
「精度が足りない。何回やっても三枚から先が安定しない」
「珍しいな。お前がそこまで苦戦するのは」
「ガレス様、ソラを持ち上げすぎです。座学もですよ」
「それはそうか」
「うるせえ」
レオも横で自分の火魔法を練っている。拳大の火の玉を安定させる練習を黙々と続けている。
「レオ、お前も精度で苦労してるのか」
「まぁそんなところだな。上に行くには足りないものだらけだよ。俺はお前と違って全部足りない。お前は魔力がありすぎて精度が出ないだけだろ。贅沢な悩みだよ」
レオが笑う。俺も笑えてくる。魔力がありすぎて困るなんて、四年前の自分に言ったら信じないだろう。あの時はクロフォードの黒い魔力に嫉妬ばかりしていた。
三日目の夕方。斥候の報告が届く。
獣人の本陣が完全に撤収している。国境の向こうに消えている。
戦は終わったのだと。
陣に歓声が上がり、深紅の騎士たちが拳を突き上げている。蒼い外套も、鉄色も、深緑も。各部隊がそれぞれのやり方で勝利を噛み締めている。
そんな中でも俺は跳び続けた。天衝脚を――アリアが見守る中でずっと。
ガレスが小隊を集める。
「明朝、撤収する。ガルドレアに帰るぞ。準備しろ」
♢
五日間いた陣を今日出発する。来る前は侮りばかりの視線だったが、そんな視線はどこにもない。ガレスはいつもどおりで、アリアも澄ました顔。いつもどおりではなかったのはレオたちだ。馬上から自信を覗かせ、馬と馬の間隔を広く取って我が物顔で走らせている。
そこに俺たちの行く手を阻むように一人の男が前に立つ。その男を見た瞬間、レオはガレスの後ろに隠れ、借りてきた猫のようにおとなしくなる。
立ち塞がったのは炎獄星将――グラハルトだった。
「ガレスよ。ヴォリトに伝えろ。助かったと。此度の件、陛下の方にもしっかり伝えておく。論功行賞を楽しみにしておけ」
「はっ! ありがとうございます!」
ガレスは馬から降りて、頭を下げる。
グラハルトは頷くと、馬上の俺に視線を向ける。
「小僧、次は騎士として来い」
「小僧じゃねぇ! 俺は――」
「ソラ、その時を楽しみにしているぞ」
ただ名前を呼ばれただけなのに、なぜか嬉しくて悔しかった。
♢
北への街道を、七つの紫紺が揺れながら進んでいく。
馬の上でも指先に金色の魔力を灯して、精度の練習をしている。指先に薄い膜を作って、厚みを一定に保つ。天衝脚の縮小版だ。膜が厚くなったら薄く、薄くなったら厚く。感覚を研ぎ澄ませて、ほんの僅かなズレを修正していく。
「馬の上でまでやるの」
「手持ち無沙汰だ」
「あなたの手持ち無沙汰は他人の全力より忙しいわ」
アリアが呆れ顔だが、止めには来ない。
そこに俺たちを追うように騎馬が一騎駆けてくる。ヴァーグナー傭兵団の女団長だ。俺の隣に馬を並べる。
「ソラ、アリア。あんたら大活躍だったじゃないかい」
「獣将を倒せなかった」
「ソラ、そこはありがとうございます、でいいの」
俺とアリアのやり取りに、からからと笑う女団長。
「ソラはもう磨く必要はないんじゃないかい? あたしも見ていたけど十分通じる強さだよ。どうだい? うちの傭兵団に」
「まだまだです! ソラは――」
「団長、俺はまだここで伸びる。またな」
俺の言葉に女団長だけでなく、アリアまで目を丸くしている。
「……そうかい。でもあたしゃ諦めないよ。一緒に来ていた騎士たちと同じ末路にはしたくないからねぇ」
「末路?」
「なんだい? 知らなかったのかい? 往路で一緒だった騎士や見習いたちの半数は死んじまったよ。統率が取れていなかったからねぇ。ま、そういうことだから」
それだけ言うと、女団長は馬首を返し、来た道を戻っていく
「頭なき集団は脆いのよ」
「騎士たちのことか?」
「そう。しっかり率いる人がいないと」
ガレスを見る。確かに戦場でのガレスは強かったし、指揮も抜群だった。
俺にはできない。でも、できるようにならないといけない。だけど今やらなくてもいい。今やらなくてはならないことは、天衝脚の修練。
「ほら、また吸う時に敷いてる。吐く時を意識して」
「わかってる」
「わかってないから――」
ガルドレアまでの帰路、ずっとアリアが隣で声を張り上げていた。




