第20話 深紅の陣
前線基地の中に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
外套の色が入り乱れている。炎獄星将の深紅が圧倒的に多いが、それだけじゃない。深緑の外套を纏った一団が、天幕の前で角が生えた巨大な馬の世話をしている。蒼い外套の騎士たちが地図を囲んでいる。鉄色の外套の男たちが武具の手入れをしている。どれも統一された紋様が入っていて、星将の部隊だとわかる。
「深緑が疾風星将、蒼が氷刻星将、鉄色が金剛星将の部隊よ」
アリアが小声で教えてくれる。
どの部隊の騎士も、纏っている空気が違う。道中で合流した一般の騎士とは明らかに格が違う。すれ違うだけで背筋が伸びる。これが他の星将配下の騎士か。
そして、その全員の視線が俺たちに向く。
紫紺の外套。轟雷星将の部隊だと一目でわかるはずだ。
「上位騎士だと!?」
「北の帝国は大丈夫なのか!?」
「その代わりそれ以外が……」
ガレスを見る目には敬意と畏れがある。しかし、俺たちを見る目にそれはない。怪訝と侮りが混じった視線ばかり。さらに言うとアリアにだけは粘っこい視線を送る奴もいた。
この戦いで全員見返してやる!
そう思ったのは俺だけではなかった。
その証拠に隣に立つアリアの瞳には決意が宿っていた。
♢
受付に案内される途中、深紅の外套を纏った騎士の一人が俺たちの前に立ちはだかる。
「轟雷星将の部隊だな。隊長は誰だ」
ガレスが一歩前に出る。
「俺だ。雷騎士ガレス。ヴォリト様の命で南部の合同作戦に参加する」
騎士は一瞬目を見開いて驚く……が、次に後ろの俺たちを見渡し、鼻で笑った。
「いくら上位騎士とは言え、残りは全員見習い……しかも昨日見習いになったような年の男女が二人。花売りにしては極上かもしれぬが……轟雷星将様は何を考えておられるのか」
後ろに控えていた深紅の騎士たちからも、小さな笑い声が漏れる。ガレスの表情は変わらない。だがその横で、アリアの拳が白くなるまで握り締められているのが見える。
俺の中で、何かが爆ぜた。
「見習いだろうが何だろうが、ヴォリトが送ると決めた者たちだ。文句があるなら直接ヴォリトに言え」
口が先に動いていた。騎士の視線が俺に移る。俺の装備を上から下まで見て、目が止まる。鎧がない。外套の下は軽装。
「……鎧も着ていないのか。戦場を何だと思っている」
「動きやすい方が強い」
「ほう。獣人の一撃を生身で受けるつもりか。見習いの分際で大口を叩くな」
「お前よりは強い」
「なにを――っ!!!」
激高した騎士が腕まくりをする。
そっちがその気なら、こっちもやってやる!
一歩踏み出そうとした俺の腕を、アリアが掴む。
「ソラ。今はだめ」
声が低い。怒っているのは俺と同じだ。でもここで騒ぎを起こすわけにはいかないこともわかっている。ヴォリトの名に泥を塗ることになる。俺は唇を噛んで、足を止める。
騎士が鼻を鳴らして去っていく。その背中に向かって何か言い返したかったが、アリアの手が腕を離さない。しばらくして、ようやく離してくれた。
「……すまん」
「謝らなくていい。でも実力で示すのは戦場で。ここで喧嘩しても意味がないわ」
「わかってる」
「わかってないから止めたの」
返す言葉がない。レオが後ろで「まあまあ」と手を振っているが、こいつも顔が険しい。見習い全員が、同じ悔しさを噛み締めている。
♢
天幕を与えられて荷を下ろした後、ガレスとアリアが前線の状況を聞きに行く。俺も二人の後をついていく。
蒼い外套の氷刻星将の騎士が、比較的話しやすかった。三十代半ばの落ち着いた男で、俺たちが見習いだと知っても態度を変えなかった。
「前線は南の丘陵地帯に張られている。獣人の部隊は数百、だが斥候の報告では後方に数千以上の控えがいるらしい。正面からぶつかれば押し返せる数だが、獣人のフィジカルが問題でね。一対一では騎士と互角と謳っているが、相手が上と思ってくれていい。しかも前線に出ているのは精鋭揃いで、小細工が通じない」
「被害は?」
ガレスが聞く。
「炎獄星将の前衛が二度ほど押し返されている。死者は少ないが、負傷者は多い。獣人の膂力は凄まじいよ。鎧ごと叩き潰されるのを見ると、嫌でも身が引き締まる」
鎧ごと叩き潰される。その言葉が頭に残る。俺は鎧を着ていない。鎧を着た騎士ですら潰されるなら、俺が食らったらどうなるか。答えは簡単だ。食らわなければいい。
アリアが補足の質問を重ねていく。地形のこと、獣人の陣形のこと、各部隊の配置。ガレスが大枠を聞き、アリアが細部を詰める。この二人の役割分担が自然にできていて、俺にはできないことだと改めて思う。
深緑の疾風星将の部隊からは、東部の国境で呪国との小競り合いを経験しているらしく、実戦慣れした雰囲気が漂っている。何より飼いならしている角が生えた馬が大きく圧倒される。鉄色の金剛星将の部隊は重装備の騎士が多く、前線の盾役を担うようだ。それぞれの星将の色が、部隊の戦い方にそのまま出ている。
深紅がとにかく多い。どこを向いても深紅だ。ここは炎獄星将の陣なのだと、嫌でもわかる。ただ、その深紅の大半は天幕を立てたり、馬の世話をしたり荷を運んだり、伝令をしたりの雑務にあたっている見習いばかり。そんな深紅を見て気づいたことがあった。
「見習いって若い奴ばかりじゃないんだな」
「そうよ。年を重ねれば騎士になれるわけではないもの」
「騎士になるのって難しいのか?」
「もちろんよ。十人に一人も通過できない狭き門。三十歳までに辿りつければ、老後は左団扇と言われているわ」
左団扇――意味がわからないが頷いておく。
「彼らも必死なの。少しでも早く騎士になるために。だから、私たち年下に対して鋭い視線が向けたり、辛辣な言葉を向けるの。お前らなんかに絶対に負けない、と」
「俺は負けないけどな」
「私もよ」
どちらからともなく視線が合わさると、自然を笑みが零れる。
敵は獣人。しかしライバルは搦め手にたくさんいるということか。
上等だ。俺の前に立つ奴は片っ端から薙ぎ払う!
そう心に決め、天幕へと戻った。
♢
夕刻、陣の中央に騎士や指揮官たちが集められる。
深紅、深緑、蒼、鉄色、紫紺。そこに一般の騎士やヴァーグナー傭兵団の面々も加わって、広場を埋め尽くす人の数は数千に届きそうだ。これだけの人間が一箇所に集まっているのを見たのは初めてで、ガルドレアの街で人混みに圧倒された時のことを思い出す。
だがあの時とはまるで違う。全員が武装していて、全員が戦いに来ている。空気が重くて、張り詰めていて、一歩間違えれば弾けそうだ。
そして、壇上に一人の男が立つ。
その体躯を見た瞬間、息が止まる。並の人間を二人並べても足りないほどに巨大で、丸太のような四肢と、見る者に絶望を叩きつけるような屈強な肩幅。身に纏っているのは深紅の鎧だが、騎士たちの鎧とはまるで違う。赤黒い色で、骨や角を削り出したような異様な質感がある。兜からは牛の角を思わせる巨大な二本の角が天を突いていて、背中に担いだ大斧の柄が、俺の身長ほどもある。
炎獄星将だ。
ヴォリトとはまるで違う種類の威圧感で、ヴォリトが静かに圧してくるのに対して、この男は存在そのものが轟音を発している。近づいただけで焼き殺されそうな、そういう化け物だ。
レオが隣で息を呑むのがわかる。同じ火属性の、遥か高みにいる存在を目の前にして、体が強張っている。アリアが小声で囁いてくる。
「あの鎧は紅緋角の重鎧。深紅の魔牛の角から削り出した特別な装備よ。斧は断頭大斧。炎獄星将の代名詞」
ガレスも腕を組んで壇上を見上げている。表情は変わっていないが、目が鋭くなっている。別の星将に仕える者として、あの存在をどう感じているのか。
炎獄星将が口を開く。声が、広場の端まで届く。
「獣人どもが国境を越えて、我が領地を踏み荒らしている。各星将から援軍を頂いたことには感謝する。だが忘れるな! ここは俺の領地だ! この戦で功を立てた者には相応の報いがある! だが足を引っ張る者は容赦しない! 星将の名も、騎士の位も関係ない! 弱い者は下がれ! 強い者だけが前に出ろ!」
――力がすべて!
アリアが言っていた通りの男だ。訓示というより宣言で、鼓舞というより脅しに近い。だが不思議と反感は湧かない。この男は本気で言っている。弱い者は下がれ、という言葉に嘘がない。裏を返せば、強い者なら誰でも認めるということだ。
周囲の騎士たちが気圧されている中で、俺は拳を握る。
見習いだから下がれと言われるなら、力で示してやる!
強い者だけが前に出ろと言うなら、前に出て見せるだけだ!
炎獄星将の視線が、一瞬だけ俺たちの方を向いた気がした。紫紺の外套、鎧を着ていない少年。こいつの目に俺がどう映っているかは知らない。だが次にこいつの目に映る時は、もっと近い場所からだ。
隣のアリアが小さく息を吐く。
「……ソラ、今何を考えている?」
「あいつの前で暴れたい」
「…………」
明日から、戦が始まる。




