第15話 不格好な贈り物
あれから数日が経っても、気になって仕方がない。
アリアが紐で髪を束ねている。いつもの繊細な髪留めじゃなくて、ただの革紐。まとめ方も雑で、風が吹くたびにほつれた銀髪が揺れる。周りは誰も気にしていないが、俺にはずっと引っかかっている。
あの髪留めは母親の形見だった。子爵家がまだ栄えていた頃の。同じものは二度と手に入らない。
休日に街に出て、装飾品を扱う店を覗いてみる。ガラスの窓の向こうに、銀細工の髪留めが並んでいた。値札を見て、手が止まる。
――無理だ。
一番安いものでも、騎士見習いの給金三ヶ月分はする。それに、仮に買えたとしても、あの形見の代わりにはならない。金を積んで解決する問題じゃない。
店を離れて歩きながら、別のことを考え始める。買えないなら――作るか。
♢
ヴォリトの執務室の扉を叩く。
「何だ?」
「ナイトクローラーの鱗が欲しい。欠片一つでいい」
ヴォリトが書類から目を上げて、俺を見る。数秒の沈黙。何に使うのか聞かれると思っていたが、ヴォリトは何も言わずに立ち上がり、棚の奥から布に包まれた黒い欠片を取り出す。
「好きに使え」
それだけ言って、また書類に戻る。俺は欠片を受け取って「ありがとう」と述べると、ヴォリトが顔をしかめる。
「明日は雨か」
「お前にもう礼は言わない」
手のひらに乗せた鱗の欠片は、中指ほどの大きさで、黒くてごつごつしている。光の角度を変えると、奥の方に暗い虹色が見える。あの夜、アリアと二人で戦った相手の一部だ。
これを磨いて、形にして、髪留めにする。
どうやって? 知らない。作り方なんて誰にも教わったことがない。でも関係ない。剣だって最初は誰にも教わらずに振り続けた。アリアに助けてもらったことは山ほどあるが、やると決めたら自分でやる。髪留め一つ、作れないはずがない。
♢
その夜から、毎晩の訓練に変化が起きる。
素振りを切り上げた後、中庭の隅に座り込んで、鱗と向き合う。武具の手入れで使い慣れた砥石と油を出して、まず表面を磨いてみる。
硬い。当たり前だ。剣を弾き返した鱗だ。砥石が滑って、なかなか削れない。力を込めると、今度は削りすぎて端が欠けた。
くそっ。
翌日も、翌々日も、夜が来るたびに中庭の隅で鱗を磨く。砥石の角度を変え、力の入れ方を変え、少しずつ表面が滑らかになっていく。剣を振るのとはまるで違う。力任せじゃどうにもならない。繊細な加減が求められて、それが死ぬほどもどかしい。
三日目、形を整えようとして割った。
真っ二つになった鱗を手の中で見つめて、しばらく動けなかった。もう一つ欠片をもらうなんて図々しいことは言えない。割れた片方――親指程度の大きさの鱗から作り直すしかない。
一からやり直す。
五日目、ようやく表面がつるりと光り始める。磨けば磨くほど、奥の虹色が浮かび上がってくるのがわかる。黒い光沢の中に、暗い青と紫が揺れている。綺麗だ。
でも形がいびつだ。丸くしたいのに角が残る。角を削ると別の角ができる。剣なら一振りで済むのに、砥石を何百回動かしても思い通りにならない。
テトラボアは倒せたのに。ナイトクローラーも倒せたのに。鱗の欠片一つが、こんなに手強いとは。
♢
「最近、夜の訓練が短いわね」
巡回中にアリアが言ってくる。やっぱり気づいていた。
「体調管理だ」
「嘘。あなたが体調管理なんてするわけないでしょう」
「……してる」
「してないわ。何か隠してるでしょう」
「隠してない」
「目が泳いでる」
「泳いでない」
アリアが俺の顔を覗き込んでくる。近い。でも目を逸らしたら負けだ。じっと見返すと、アリアが先に視線を外す。
「……まあいいわ。でも訓練を疎かにしないで。ヴォリト様に怒られるわよ」
「わかってる」
わかってる。でもあと少しだ。あと少しで形になる。
♢
十日目の夜、完成する。
手のひらの上に、黒い光沢を持つ小さな飾りが乗っている。形は完璧じゃない。左右が少しだけ非対称で、端に削り残しがある。でも磨き上げた表面は滑らかで、光の角度を変えると暗い虹色が揺れる。
何より、硬い。ナイトクローラーの鱗だ。そう簡単には壊れない。
髪留めの金具は、武具の手入れで余った鉄片を曲げて作った。不格好だが、しっかり留まる。何度も開閉を繰り返して確認する。壊れない。これなら二度とアリアのあの表情を見ずに済む。
翌朝。
朝の訓練が終わった後、アリアを呼び止める。中庭の隅で、二人きりになったところで懐から包みを取り出す。
「何?」
「やる」
布の包みを差し出すと、アリアが怪訝な顔で受け取る。開いた瞬間、手が止まった。
「これ……」
「ナイトクローラーの鱗だ。磨いて削って、髪留めにした」
アリアが飾りを手に取って、光にかざす。黒い光沢の奥で、暗い虹色が揺れている。
「あなたが作ったの?」
「ああ」
「……だから夜の訓練が短かったのね」
「短くない。体調管理をしていただけだ」
しばらく沈黙が続く。アリアが飾りを指先で撫でている。
「壊れたやつの代わりにはならないと思う。でも――」
言葉を探す。気の利いたことなんて出てこない。
「これは壊れない」
それだけ言うのが精一杯だ。
アリアが俺を見る。蒼い瞳が揺れている。唇が微かに震えて、でもすぐに引き結ぶ。
「……不格好ね」
そう言いながら、髪留めを手に取って、ほどけた銀髪をまとめ始める。慣れた手つきで髪を束ねて、黒い飾りを留める。銀色の髪に黒い光沢が映えて、朝の光の中で暗い虹色がちらりと輝いた。
「……どう?」
「いいんじゃないか。知らないけど」
「知らないのに勧めないで」
アリアが視線を外す。耳の先が赤い。
「代わりにはならないわ。母のものとは、全然違う」
一拍置いて。
「でも――ありがとう」
声が小さい。だけど確かに聞こえた。俺は何も返さずに、素振りに戻る。返す言葉が見つからなかったんじゃなくて、これ以上何か言ったら、たぶん余計なことを言ってしまう気がしたからだ。
♢
翌朝の巡回。
隣を歩くアリアの銀髪に、黒い髪留めがついている。不格好で、左右非対称で、職人が見たら笑うかもしれない。でもしっかり髪を留めていて、歩くたびに暗い虹色がちらちら光る。
アリアが一度だけ、手を上げて髪留めに触れる。そしてすぐに手を下ろして、前を向く。
俺も前を向く。
何も言わない。それでいい。




