第112話 天下一闘技大会・決勝
控室へ戻ろうとした時、ミレイユの部屋の前に蒼い髪が二つ並んでいた。
扉は開いていて、中から空色の髪の女が出てくるところだった。準決勝へ向かうようで、腰に剣を提げて髪を後ろで縛り直している。
「ミレイユ、無理をしてはいけませんわ」
片方が両手を握って、下から覗き込むようにしている。目が潤んでいた。
「わたくし、見ていられませんの。もし何かあったら……わたくし――」
「危なくなったら降参しろよ」
もう片方が腕を組んで、口を尖らせる。
「勝てそうにないと思ったら、さっさと手を上げな。あたしらのことは気にすんな」
「お二人とも、必ず勝ちます。ご心配なさらず」
それだけ言って通路を歩いていく途中、俺と目が合うが、互いに何も言わない。
俺は通路から観戦しようと、リングが見える位置に立つ。すると、双子が俺の隣に並んだ。
「あんた、ジャックスに勝ったんだってね」
「見てないのか?」
「殺されると思っていたから、あたしたちは見てないよ」
悪びれた様子もなく答える双子の一人。
もう一人は会話に参加するつもりはないようで、胸の前で手を組んで、祈るような態勢をとる。まるでアリアが俺の試合を観戦している時のような姿勢だった。
「第七試合! アクエリス公国近衛騎士、ミレイユッ――!」
相手は俺より頭一つ大きい男で、両手に鉈のようなものを提げている。
合図が下りた瞬間、ミレイユの姿がぶれた。速い。だが、それだけではない。
ミレイユの足元から水が湧いている。薄く広がって地面を覆い、その上を滑るように動いていた。踏み込むたびに水が跳ねて、次の一歩へ繋がっていく。
「厄介だな」
「当たり前でしょう」
丁寧な方が俺を見ずに、祈りを捧げながら答えた。
「アクエリスは水の国でしたの。王家は代々、水を扱う家系でしたわ……ミレイユは王家の血ではありませんけれど」
男の鉈が振り下ろされると、ミレイユはそれを避けずに水を纏った剣で受け流した。刃が滑り、勢いを殺されて、男の体勢が崩れる。そこへ切っ先が伸びて、喉の手前で止まった。
「……見事だな」
かなり余力を残した戦いだ。
「当然ですわ」
「ミレイユはアクエリス公国の天才剣士って呼ばれていたんだから」
試合が終わっても、双子は俺の隣から動かなかった。
「ミレイユはわたくしたちが幼い頃から、そばにおりました。剣の稽古が嫌で嫌で、わたくしはいつも逃げ回っておりましたの。庭の木に登って、降りてこないと言い張って……ミレイユは日が暮れるまで、下で待っておりました」
「あたしは仮病使ったな」
「ロールは十日連続で腹痛になりましたわね」
「バレてた?」
「ミレイユは気づいておりましたけれど、一度も咎めませんでしたわ」
二人が同時に少しだけ笑って、それから笑いが消えた。
「城が落ちた日。わたくしたちは奥の間に隠されておりました。表で何が起きているのか、音だけが聞こえて……怒号と剣の音がずっと続いておりましたの。何刻経っても止まらなくて……」
思い出したのか、丁寧な方が堪えきれなくなって、頬に涙が伝う。
口の悪い方が、丁寧な方の言葉を継ぐ。
「兵はもうほとんど死んでて、逃げた奴もいて。あいつだけが残ってた……あたしらが引きずり出されて、刃を突きつけられるまで、ずっと……傷だらけになりながら」
剣を捨てて輪を受け入れたとミレイユは言っていたが、その前にずっと一人で立っていたということか。
「ミレイユは一度もわたくしたちを責めませんでしたの。わたくしたちが逃げ遅れなければ、ミレイユも逃げられていたでしょうに」
言葉が途切れて、しばらく誰も何も言わなかった。
やがて、丁寧な方が顔を上げる。
「大公は――」
その瞬間、首の輪が縮んだ。喉に食い込んで、細い体が前へ折れる。息が詰まる音が漏れて、指が輪の縁を掻いた。
「リール!」
もう片方が背中をさする。
数を数えるほどの間で輪は元に戻る。丁寧な方が一度深く息を吸ってから背筋を伸ばし、何事もなかったように微笑んだ。
「……失礼いたしました」
慣れている。ミレイユと同じでこの二人も何度も同じ目に遭ってきたのだろう。
俺は何も言えずに見ていることしかできなかった。
しばらくして、口が勝手に動く。
「一つ聞く。お前たちの望みはなんだ?」
二人がこちらを向く。
「……ミレイユの無事」
「三人で安全なところに」
二人が顔を見合わせて頷く。
「願わくば――」
「リール!」
口の悪い方に丁寧な方が諭されて、言葉が途切れた。
輪は縮まない。締めつけてもいない。ただ、こいつは口を閉じただけだ。
俺はそれ以上、何も聞かなかった。聞かなくても分かってしまったからだ。
♢
決勝が始まるまでの間、部屋で待機していると、扉を叩く音がした。
「ソラ? いいかしら?」
「いいぞ」
入ってきたのはアリア。俺が座るベッドの隣に腰掛ける。
ここに来たということは、金を握らせたのだろう。
「決勝の倍率、凄いことになっているわよ」
「興味ない」
「でしょうね。でもソラとジャックスの時と同じくらいの倍率よ」
そう言って、ヴェルディアン製白金貨を二枚、俺に見せた。
「ソラに大金貨一枚賭けたら、白金貨一枚になって戻ってきたわ。もう一枚は、ヴェルディアン大公との賭けに勝ったお金よ」
ちゃっかりしている。
が、アリアの瞳は真剣そのものだ。
「ミレイユの試合、見た?」
「ああ」
「足元に水を薄く敷いて、自分は滑るように動いて、相手の足は絡めとる。厄介なのは、体重を乗せる場所を変えて、踏み込む方向を読みにくくすること。上から見ていても、ミレイユがどちらに向かうか予想がつかなかった。正面に立つ者からすれば、もっと惑わされるはずよ」
貴賓席から見ればこそ、気づいたことか。
「それに、剣を水で包んでいたわ。あれは斬るための剣じゃない。相手の刃を滑らせるため……受け流しに使っていたわ」
「まるでカイトの剣だな」
「ええ、でもカイトは純粋な剣技。ミレイユはそこに魔法も加わっているわ」
カイトより厄介ということか。
「気をつけて。あの人、たぶん今までの試合で全力を出していないわ」
「分かっている」
アリアが少し笑って立ち上がる。
「もうそろそろ時間ね」
「ああ、行ってくる」
「……ソラ、試合に勝つことだけが勝利じゃない、ということは頭に入れておいて」
「どういうことだ?」
「……ううん、なんでもないわ」
アリアは俺の手を引いて立ち上がらせる。そのまま背中を押されて、俺はアリアに見送られながらリングへと向かった。
♢
「決勝戦! アクエリス公国近衛騎士、ミレイユッ――!」
「対するは星国より、ソラッ――!!!」
石段を上がると、五万の声が降ってくる。正面に空色の髪が立っていて、剣を抜いて静かに構えていた。
「――始めっ!」
合図と同時に、ミレイユが剣を構えて魔法を唱える。
「【水縛界】!」
ミレイユの足元から水が湧き、リングを染めていく。
「【天翔纏】!」
金を纏うが、氣は巡らせない。
ミレイユが突っ込んできて、剣を振るう。
アリアの言っていたように、踏み込んでくる場所が分からない。
それでも反応できる――届かせない。
ミレイユの剣が水を纏って伸びてくるのを、カイトの剣で受け流す。こちらの剣には金が乗っている。滑りきる前に押し返す。
「……っ!?」
ミレイユが下がる。その顔に初めて焦りが浮かんでいた。
今の一瞬で、己との力量の差が分かったのだろう。ミレイユの視線は俺の足元――自らが創り出した水が、金に喰われているのを見ていた。
「わ、私奴の水魔法を……」
「ああ、これが俺の魔力だ」
「それでもッ――!」
再度、水を剣に纏わせて迫るミレイユ。
しかし、この剣は護るための剣。誰かを傷つける剣ではないのは明らかだ。
俺には届かない……が、こいつは諦めない。そういう瞳をしている。
「私奴は絶対に負けません! たとえこの身が朽ちようとも!」
鬼気迫る表情で剣を振りかぶる。
そこにはもう剣技などない。気持ちだけで挑んできていた。
「どうしてそこまでする?」
「私奴が負ければ、公女様方は他人の手に渡ります!」
「俺が勝ったら二人を解放して自由にしてやる」
「では、その後は!?」
「後……だと?」
一合、二合と押し返しても、また来る。
「国は滅び、身寄りもなく、行く当てもない! 外へ放り出されれば、潜りの奴隷商に攫われるだけです! あの方々に何ができますか! 畑を耕せますか!? 商いができますか!?」
剣が噛み合って、鍔迫り合いになる。空色の髪が乱れて、その下から目が俺を睨んでいた。
押し込んでくる腕が震えている。力ではもう及ばないと分かっていて、それでも退かない。
「自由とは――力がある者にだけ、与えられる言葉です!」
押し返されて、俺は後ろに跳んで構えなおす。
言い返せなかった。
奴隷商の店で俺は言った。あいつらは明日どこへ行くか自分で決められない、だから嫌なのだと。
だが、この女が言っているのは、その先だった。決められるようにしてやったところで、生き抜く力がなければ、また奴隷に逆戻りだ。
俺が勝った場合、副賞として双子が手に入るから、解放してやればいい。だが、この女の首輪は外れない。優勝しなければ、こいつは大公の奴隷のままだ。欲しい人材が手に入らない。
では、こいつが勝った場合はどうだ? 首輪が外れて、副賞も手に入る。こいつは解放されるが、双子の公女は表向きは解放されるだけ。別の隷属の魔法が縛り付けている。
ミレイユの剣を受け流し、返し、弾く……でも、考えは止まらない。
自由になったこの女なら誘える。断られるかもしれないが、まだ可能性はある。
そして、あの二人。あいつらは既に答えを持っていた。どうしたい? と聞かれて迷わずミレイユとの三人の未来を語っていた。
行き先がないと、この女は言う。だが、あの二人はもう決めている。
その時、アリアの言葉が浮かんだ。
試合に勝つことだけが勝利じゃないということは頭に入れておいて――何を言っているのか、意味が分からなかった。でも、今なら少しは分かる気がする。
剣を打ち合わせながら、俺は貴賓席を見た。アリアと目が合う。
一瞬、アリアが目を伏せて、それから顔を上げ、はっきりと頷く。説明は要らないらしい。
――俺は息を吸って、纏の出力を上げた。
金が濃くなり、ミレイユの目がそれを追いきれずに揺れる。
地を蹴った。全力の【天翔纏】に対し、ミレイユの水はあまり妨害の意味を成さない。水の上を滑って回り込もうとした足を踏み込みで潰し、回り込まれる前に内側へ入る。
本気で薙ぐと、水を纏った刃が金に触れて霧散した。支えを失った剣が跳ね上がり、ミレイユの手から離れて宙を舞う。
膝が落ちた。俺は切っ先をその喉元に添える。
コロシアムが沸く。誰が見ても決着していて、審判が手を上げかけているのが視界の端に映る。
同時にミレイユが顔を上げた。その瞳には悔しさと、情けなさ。そういった感情が溢れ、同時に涙も零れる。
「……最後に、あのお二方だけはよろしくお願いします」
声が震えていた。
「早く、お斬りなさい。生き恥を晒すのは――」
「参った」
「……え?」
「降参だ。俺の負けだ」




