第110話 天下一闘技大会・食堂
「はい、新しい剣よ」
午後の部が始まるまでの間、関係者専用の食堂で腹を満たしていると、アリアが向かいに座って、一振りの剣を卓に置いた。
鞘を払ってみると、飾り気はないが刃筋がまっすぐで、重心も悪くない。柄の握りも、俺の手に馴染む太さだ。こいつは俺が何を使うかを分かっている。ずっと隣で剣を見てきたのだから、当然といえば当然だが。
「……ここの食堂は選手のみじゃないのか?」
「関係者専用でしょう? 貴賓席にいる人は基本どこの通行も許可されているから、ここにも来られるわ。お金を握らせれば、控室にも少しであれば行けるみたい」
そう言われてみれば、確かにミレイユの控室に公女の二人が来ていた。あれももしかしたら、金が動いた結果なのかもしれない。
当のミレイユたちはどこか別の場所にいるらしく、姿は見えない。あの首輪を嵌めている限り、企むことすらできないのだから、監視すら要らないということか。
というより、この食堂にいるのは俺とアリアだけだった。他の連中は試合前に食わない主義なのか、それとも別の場所で食っているのだろう。
それを好都合と思ったのか、アリアが身を乗り出してきた。
「貴賓席で聞いたのだけど、アクエリス公国は西方諸国連合に加盟している国だったの」
誰もいないのに、こいつは周囲を窺うようにして声量を絞る。
「でね、アクエリス公国を滅ぼしたのも、西方諸国連合に属している国なのよ」
「仲間同士じゃないのか?」
「表向きはね。でも、裏では利権争いが激しいみたい」
アリアが指を折りながら続けた。
「アクエリス公国は塩の名産地なの。星国に流れている塩も、もとはあそこのものよ。それに水の景勝地として名高くて、方々から人が集まる。国は小さいけれど、懐はかなり豊かだったのですって……それを良く思わない者たちがいた」
「潰して、取り上げたということか」
「そういうことね……そこで問題。アクエリス公国が滅んで、どこの国が一番得をしたと思う?」
どこの国と言われても、俺が知っている西方諸国など三つしかない。ヴェルディアン大公国と、マルザと、滅んだアクエリス公国だけだから、消去法で答えた。
「ヴェルディアンか」
「正解よ」
アリアが軽く手を叩いた。
「攻め滅ぼしたのは別の国らしいのだけど、利権はすべてヴェルディアンに移ったの。塩も、景勝地も、交易路も……裏で手を回したのがヴェルディアン大公だという噂よ」
なるほど。だが、だからどうしたという話でもある。他所の国が他所の国を潰しただけで、俺たちには関わりのない話だ。
そう思っていると、アリアが手招きをした。耳を貸せということらしい。顔を寄せると、吐息が耳にかかる。
「実はこの話、ミレイユたちも知っているらしいのよ」
その一言で、話の意味が変わる。
「でも、隷属の魔法で縛られているから何もできない。あの三人はヴェルディアン大公に対して、相当の恨みがあるはずよ……その辺を上手く突けば……」
ミレイユの心が動くかもしれない、ということか。こいつは俺と違って、そこまで考えている。俺は目の前の相手を斬ることしか考えていなかった。
「それと、もう一つ」
アリアの声が、さらに低くなる。
「やっぱりヴェルディアン大公は、ジャックスを特別な隷属性魔法で縛っているらしいのよ。かなり特殊な魔法で、外からは見えない。かける条件も色々あるみたいで、気軽には使えないものなのですって」
「あの爺さんの言っていたことは本当だったわけか」
「そう……それと、嫌な話がもう一つあるの」
アリアが一度、唇を噛む。
「どうやらその魔法で、公女の二人も縛られているらしいわ」
「首の輪の他にもか?」
「ええ」
俺は食いかけの皿を押しやった。大公はあの二人を手放す気がないということだ。副賞として台に並べておきながら、渡す気は最初からない。どうせジャックスが勝つと決めてかかっているのだろう。
賭けの条件を出してきた時と同じ顔が浮かぶ。あの男は負けると思った勝負をしない。孤児院時代に手合わせをした騎士見習いの奴らと同じだ。俺が疲れている時しか手合わせをしてこない。自分が疲れれば剣を置く。そういう奴だ。
「どこから聞いた?」
「貴賓席の貴族たちからよ」
「虚言ではないのか?」
「多分違うわ。かなりのお金を握らせたから」
そう言って、アリアが卓の上に袋を置く。中で硬い音が鳴り、開いてみると大金貨と金貨がぎっしり詰まっていた。ヴェルディアンの紋だ。
「星国製の白金貨を両替したのか?」
「そんなことするわけないじゃない。天聖隊のお金には手を付けていないわ」
「じゃあ、これはどうした?」
「この国で最も由緒正しい遊びで稼いだのよ」
どこかで聞いた言い回しだ。思い出すのに、そう時間はかからない。ヴェルディアン大公だ。
「……賭けたのか?」
「その通り」
アリアが胸を張る。
「あなたの勝利に星国製の大金貨を賭けたの。本当は白金貨を賭けたかったのだけど、額が大きすぎて受け付けてもらえなかったの……それでも、あなたが一試合勝ってくれただけで、ヴェルディアン製の大金貨が二十枚になって戻ってきたわ」
誰も俺が勝つと思っていなかったからこそ、配当がついたのだろう。
「だけど、一つ残念なことがあるのよ」
アリアが袋の口を締めながら続ける。
「このヴェルディアン製の貨幣は、星国ではそこまでの価値がないの。もちろん、金や白金としての価値はあるけれど、それだけ。だからこの国で稼いだお金はこの国で使った方がお得なのよ……だったら、天聖隊のために使った方がいいでしょう?」
「それはそうだ」
俺が頷くと、アリアが少し安堵した顔をする。
こいつは金の使い道をいちいち俺に断ってくる。俺は金のことなど気にしないから好きにすればいいと思うのだが、そういうものではないらしい。もしかしたら、俺も金の管理をやらなければならない可能性がある、ということなのかもしれない。
「でね、ここからが本題なのだけど」
アリアが卓に肘をついて、指を組む。
「ミレイユは公女の二人が鉄の輪以外でも縛られていることを知らないのかもしれない……いえ、きっと知らないわ」
言われて、俺も気づいた。あの女は優勝すれば二人を解放できると信じている。だが、輪が外れたところで、もう一つの縛りが残るのなら。
「勝っても、無駄になるということか」
「可能性は高いわ」
「なら、ミレイユに言っておく」
「ダメよ」
即座に止められる。
「なぜだ?」
「そうしたら、あの人は大公に詰め寄るかもしれないでしょう。そうなれば首の輪が締まる……そのまま口封じされる可能性だってあるわ」
あの輪は大公のことを話そうとしただけで締まった。詰め寄ればどうなるか。
「じゃあ、アリア。お前の――」
「それもダメ。あれは限定的なの。どこに、なにが仕掛けられているか分からないと効果を発揮しないのよ」
そういうものなのか。
「勘で手あたり次第って方法もあるけど、失敗したら現状と変わらない……いえ、警戒されて好機すら窺えなくなるわ」
その通りで俺には返す言葉がない。結局、今できることは一つしかないらしい。
「……なるようにしかならないか」
「そうね。だから」
アリアが立ち上がって、俺の席の方へ回ってくる。
「私の方でももう少し探ってみるから、ソラも頑張って。最悪、怪我は私が治してあげられる――」
背中に手が回された。
「でも、絶対に生きてね。もう……あなただけの身体じゃないのだから」
同じことを、前にも言われた。あの山で重りを捨てさせられた時も、アリアは同じ言い方をしている。
「分かった」
そう答えると、アリアは背中を軽く叩いて食堂を出ていった。
俺は新しい剣を鞘に納めて、腰に佩く。金属の擦れる音が、やけによく響いた。
♢
午後の部が始まると、二回戦の第一試合は予想通りになった。
「棄権! ジャックスの不戦勝!」
午前中に接戦を制した男が、リングに上がることすらしない。控室で怪我の手当てを受けていると聞いたが、それが本当かどうかは分からなかった。
ジャックスは石段の下に立ったまま、シルクハットの縁を摘まんで下げると、そのまま戻っていく。
二試合目は俺の番だったが、こちらも同じだった。
「棄権! ソラの不戦勝!」
午前に俺と当たるはずだった男は、三試合目の消耗を引きずっていたらしい。担架で運ばれた男を見ているのだから、当然の判断だろう。
これで準決勝は決まった。俺とジャックスだ。
反対側では、順当にミレイユが勝ち上がっていく。相手の武器を弾き、喉元に切っ先を添えて終わり。今度も殺してはいない。
もう一つの山からも、大柄な男が一人上がってくる。
残ったのは四人。俺と、白い衣と、空色の髪と、名前も知らない男だ。
通路の壁に背を預けて、俺は目を閉じる。
二年連続で勝っている男。手刀だけで百人を沈めた男。人の体の造りを誰よりも知っていて、どこを切れば死ぬかを知っている男。
俺は目を開けて、腰の剣に触れる。アリアが選んだ剣だ。
「準決勝、第一試合!」
進行役の声がコロシアムに響き渡る。
「今大会の大本命! ジャックスッ――!!!」
地鳴りのような歓声が上がった。
「対するは、今大会のダークホース、ソラッ――!!!」
俺は石段を上がった。
貴賓席でアリアが祈るように手を組んでいるのを見て、腰から剣を抜いた。




