第109話 天下一闘技大会・本選
朝の走り込みと素振りを終えて、湯を浴びてから宿を出る。
街は今までで一番騒がしかった。通りという通りに人が溢れ、露店の売り子が声を張り上げ、その合間を賭けの札を持った男たちが走り回っている。どこを歩いても聞こえてくるのは同じ話題だった。
「本命はジャックスだろ。三連覇で決まりだ」
「対抗はあの空色の姉ちゃんだな。第十六ブロックを片付けた速さを見たか?」
「いや、あの傭兵上がりの大男も捨てがたい」
俺の名前はなかなか出てこない。
ようやく耳に入ったのはコロシアムに到着するくらいの時だった。
「星国から来た小僧はどうだ?」
「ああ、あれか。悪くはねぇが、ジャックスとは格が違うだろ」
「そういや、あいつの札が出てたぜ。ジャックスにどう殺されるかって賭けだ」
どう殺されるか?
勝つか負けるかではなく、そちらを賭けの対象にされているらしい。
俺自身はこういうことをあまり気にしない。他人が何を言おうと、剣を振れば結果は出る。だが、隣を歩く女は違ったようだった。
繋いだ手に痛いほど力がこもっている。顔を見ると、アリアは前を向いたまま何も言わない。ただ、口が固く結ばれていた。
「アリア」
「なに?」
「勝つ」
「……それだけじゃダメ。傷一つ負わないで」
「心配しているのか?」
「……違うわよ。星国の名誉のために」
「素直じゃないな」
「…………」
手の力はコロシアムに着くまで緩まなかった。
♢
本選になると、控室は一人に一部屋あてがわれた。石造りの小さな部屋で、寝台と水差しだけが置いてある。予選の時のように押し合いへし合いすることもない。残っているのは十六人だけなのだから、当然といえば当然だ。
もっとも、待たされる時間は長い。通路に出ればリングは見えるので、俺は壁に背を預けて、他の試合を眺めることにした。
「第一試合! 二連覇の男、ジャックスッ――!」
進行役の声に五万の観客が応えた。
白い衣が石段を上がっていく。相手は第二ブロックを勝ち上がってきた男で、両手に短い斧を提げている。腕も肩も分厚く、予選で見た時は確かに強かった。
合図が下りた瞬間、男が斧を投げ捨てて両手を上げる。
「降参だ!」
「は……?」
思わず、声が出る。
降参? 聞き間違えか?
しかし、男は両手を上げている。一歩も動いていない。剣を交える前に勝負が終わっていた。
どうなっているんだ? 困惑していると、コロシアム全体から罵声の嵐。観客が着ていた服すら投げ込まれる始末。ドレスコードがなければ、色々な物が投げ込まれていたかもしれない。
審判がジャックスの勝利を告げると、ジャックスは肩をすくめ、シルクハットの縁を摘まんで下げ、そのまま石段を降りていった。
男の方は係の者に引きずられるようにして退場していく。五万から罵声を浴びながら、その顔には恥じる色よりも安堵の色が濃かった。
「賢明だな」
隣で声がした。こいつは確か……第九ブロックの勝者だ。
「あいつは去年、ジャックスに当たった奴の最期を見てる。生きて帰るにはあれしかねぇよ」
「じゃあ、なんで出場したんだ?」
「金だよ。おめぇさんも貰っただろ? 銀貨三枚。本選まで辿り着けば金貨三枚だ。金貨三枚もありゃあ、一か月は豪遊できるしな」
俺には分からない考え方だが、間違ってはいないのだろう。
次の試合まで妙に間が空いた。
「何を待っている?」
「賭けだよ」
同じ男が教えてくれた。
「試合と試合の間に次の賭けを受け付けるのさ。今の試合に賭けてた奴らは何も増えちゃいねぇがな」
「増えない?」
「ジャックスに賭けても、銀貨一枚が銀貨一枚で戻ってくるだけだ。誰も負けると思ってねぇからな」
勝つと分かりきった者に賭けても、金は増えない。剣を振ることで金が動く街だと思っていたが、その金の動き方にも決まりがあるらしい。
第二試合と第三試合はさっきとはまるで違った。
どちらの試合も長い。刃が噛み合う音が続き、そのたびに客が沸く。血が飛ぶと、さらに沸いた。
どちらも接戦。あと少しでとどめ、というところで「参った」の声が出て、どちらの試合も死人は出ていない……が、二試合目で勝った奴の次戦はジャックス。あれじゃあ戦えないだろうから、棄権は確定。
三試合目に勝った奴も、余力はない。
四試合目の勝者――つまり、俺の相手も消耗しきっている。
次の試合に勝てば、ジャックスと戦う準決勝までは一本道だろう。
そう考えていると、俺の名前が呼ばれた。
♢
「第四試合! 星国より、ソラッ――!」
自分の名が呼ばれて、俺は石段を上がる。昨日までと同じでざわめきが起きるが、今日はそこに笑い声が混じっていた。どうせすぐに終わる、とでも言っているのだろう。
貴賓席の方を見ると、アリアがこちらを見ている。両手を胸の前で組んでいた。
俺は片手を上げて、それから正面を向いた。
対面に立ったのは、俺の倍はありそうな大男だ。腹が突き出していて、腕も丸太のように太い。その手にあるものが目を引いた。
長い柄の先から鎖が垂れていて、その先に鉄の球がぶら下がっている。球には棘がびっしりと生えていた。剣でも槍でもない。斬るための道具ではなく、潰すための道具だ。
「よぉ、坊主」
男が球をぶらぶらと揺らす。
「こいつを見るのは初めてかい? 本選でしか使えねぇんだ。当たり所が悪けりゃ死ぬからな」
「そうだろうな」
「怖いか?」
「いや」
実際、怖くはない。ただ、この男は武器に頼っている男ではなかった。
立ち方を見れば分かる。あの重い球を振り回して、なお足元が崩れない。腰から下が地面に根を張っている。武器がなくても、本選には残れただろう。
だからこそ、面白い。
「――始めっ!」
合図と同時に、男が腕を回した。
鉄球が弧を描いて唸る。速い。あれだけの重さをあの速度で振れるのか。だが、弧は大きい。
俺は心臓に少しだけ魔力を送り、体の中で金を回す。血に乗って全身へ広がるだけで、地面を蹴る力が変わった。
鉄球が空を薙いだ場所にもう俺はいない。一歩で懐へ入っていた。
「なっ――」
男の目が見開かれる。あの太い腕は振り切った後に戻すのが遅い。武器が重いということはそういうことだ。
剣を返して、腹に叩き込む。手応えは岩を打った時に近かった。腹の肉とその下の分厚い筋肉が、衝撃を受け止めきれずに沈んでいく。
剣が曲がると同時に男の巨体が二つに折れた。膝から落ちて、そのまま丸まって動かなくなる。
「…………」
しばらく、コロシアムが静まり返っている。やがて、男が地面に手をついたまま、絞り出すように言った。
「……ま、参った」
審判の手が上がる。
その瞬間、音が降ってきた。昨日と同じ、雨のような拍手だ。今日はそこに、驚きの混じった声が乗っている。
俺は曲がった剣を鞘に納めようとして、入らないことに気づく。仕方がないので、そのまま提げて石段を降りた。
貴賓席の方を見ると、アリアが両手を振っていた。周りの貴族が何事かとそちらを見ているのに、アリアは気にする素振りも見せずに笑顔を見せる。
ただ、俺と目が合うと、今まで喜んでいたのが嘘かのように澄ましている。
なんなんだ……こいつは? やっぱり女はよく分からない。
♢
俺が戻ると、次はさっきまで俺に色々教えてくれていた男。
賭けの時間が終わると、男はリングに上がり――散った。
死んだわけではないが、担架で運ばれていく。
それを通路で見ていた俺の背後を二人の女が通り過ぎる。気になったので確認すると、鉄の輪を嵌められた双子。確か、亡国の公女だったな。どっちがどっちかまったく分からないが、どっちも無表情。
その後ろ姿を視線で追うと、控室の前で足が止まる。
扉を叩くと、出てきたのはミレイユだった。
ミレイユの顔を見た途端、二人は感情を露にする。
「ミレイユ、無理をしてはいけませんわ」
片方が身をかがめて、ミレイユの手を握る。
表情は、アリアが俺を見るような心配そうな顔。
「わたくし、心配で心配で。昨夜も眠れませんでしたの」
「そーそー。公国では最強だったけど、大公国相手には分が悪い。あたしらのことは気にしないで、すぐに降参していいからね」
口は悪いが、ミレイユを心配しているのは分かる。
にしても、顔は同じなのに、言葉遣いがまるで違う。
「お二人とも、大丈夫です」
ミレイユが二人の手を順に取る。
「必ず勝ちます。そして必ず、お二人を――」
そこで言葉が止まり、ミレイユの首の輪がわずかに動いたように見える。ミレイユが一度、深く息を吸った。
「必ず、お守りいたします」
「ミレイユ……」
「泣くなよリール。まだ負けてないっての」
「ロールこそ、目が赤いですわ」
「赤くないし」
そこで、丁寧な方が顔を上げて目が合った。俺が扉の外に立っているのに気づいたらしく、もう一人も振り返る。
「あら……どちら様ですの?」
「あ、この人、さっき勝った奴じゃん」
「まぁ。第七ブロックの方ですわね」
二人が同時にこちらを向く。あの台の上で正面を見つめたまま動かなかった顔と、同じ顔とは思えない。
「――公女様」
ミレイユが俺と二人の間に体を入れる。
「この方は敵です。お下がりください」
声は硬く、俺を見る目も昨日と同じだ。
「悪いな。観戦したら目についただけだ」
「そうですか」
「一つだけ言っておく」
俺は言った。
「俺も負けるつもりはない」
「存じております」
それだけで、扉が閉められる。閉まる直前、二人が隙間からこちらを見ているのが見えた。片方は不安そうに、もう片方は睨むように。
♢
「第八試合! アクエリス公国近衛騎士、ミレイユッ――!」
その試合は、あっという間に終わった。
空色の髪が地を滑るように動いたかと思うと、相手の剣が宙を舞っている。斬ってはいない。手首を打って弾いただけだ。武器を失った男が呆然としている間に、切っ先が喉元へ添えられていた。
審判の手が上がる。殺してはいない。殺す必要がなかったからだ。
あの女は必要な分しか振らない。
俺は通路の壁に背を預けたまま、それを見ていた。勝ち上がった八人が決まり、コロシアムに休憩を告げる銅鑼が鳴る。
午後から二回戦が始まる。




