第108話 奴隷商
「ここが奴隷商ね」
通りから一本入った先にその店はあった。
表通りの賑わいが嘘のように暗い。
俺たちが立ち止まると、奥から人が出てきた。腰の曲がった爺さんで、頭に黒い布を巻き、杖をついている。顔は皺が深く刻まれていて、目がどこを見ているのか分かりづらい。商人は白い布を巻いていたから、奴隷商は黒なのだろう。
その爺さんが俺たちの外套を見るなり、口の端を上げた。
「ひっひっひ、戦闘奴隷をお探しかい?」
「いや、俺たちは――」
「はい、お願いします」
俺の言葉をアリアが遮る。
どういうことだ? と目で訴えると、アリアが耳元に顔を寄せてきた。
「一応、どういうところか見ておきたいの」
正直、気は進まなかった。人も物も同じ棚に並ぶ。酒臭い男がそう言っていたのを思い出す。だが、アリアが見ておくと言うのなら、見ておく価値はあるのだろう。
「戦闘奴隷は奥だよ。ついてきな」
爺さんが杖をつきながら、先に立って歩き出した。
店の中は思ったより広い。
戦闘奴隷がいるという場所へ通じる通路の途中に、首に鉄の輪を嵌めた者たちが、椅子に座って手を動かしていた――女が三人、布を広げて縫っている。その向こうでは、男が床を拭いていた。奥の方からは湯気と、飯の匂いが流れてくる。
着ているものは粗末で、継ぎが当たり、色も褪せている。だが、痩せこけているわけでもなければ、痣があるわけでもない。どこか楽しげにも見えた。
「……こいつらは?」
「家事担当さね。掃除に、繕い物に、飯炊き。そんなところさね」
振り返らずに答える爺さんの後ろで、アリアが目を丸くしている。
「奴隷って、もっと……その、窮屈なところに閉じ込められているのかと」
「俺もそう思っていた」
二人でそんなことを言っていると、爺さんが杖を止めて笑う。
「馬鹿を言いなさんな。奴隷にだって口はあるさね」
こちらを向いた顔に揶揄する色はなかった。
「生かすためには働いてもらわにゃならん。それに、こいつらは商品さ。少しでも研鑽して、自分の値を上げてもらわなきゃ、こっちも商売にならん。病気がちだの、痩せこけてるだのという奴隷を誰が買うかね。よほどの物好きでもなけりゃ、商品にはならんさね」
言い返す言葉が出てこない。筋が通っている。
「まぁ、あんたらの想像するような奴隷商もいるにはいるさね。潜りの奴隷商さ。届けも出さず、値もつけず、ただ人を集めて使い潰す。やってることは極悪非道、人の風上にも置けん連中だよ。魔物の巣に斥候として放り込んで、生きて戻らなけりゃそれまで、なんてこともやる」
「そんなことが、許されているのですか?」
「許されちゃいないさ。だから潜りと言うんだよ」
アリアが眉をひそめる。
「……奴隷商にも、道理をわきまえた方がいるということですね」
「道理じゃないよ。商売さね。金のためにやっているさね」
爺さんがまた笑った。
♢
通路の突き当たりの扉を抜けると、外に出た。塀に囲まれた広い庭に、男たちがいる。丸太を担いでいる者、大きな石を運んでいる者、冬に備えて薪を割っている者、木剣を振っている者。全員の首に、鉄の輪があった。
その中に見覚えのある顔がいくつかある。一昨日リングに立っていた連中だ。
「うちの戦闘奴隷さね。まぁ待遇は悪くないほうだと思うがね」
「悪くない?」
「食わせて、寝かせて、鍛えさせる。しっかり仕事もしてもらう。手に職を持たせて、体が思うように動かなくなっても働けるようにする。だからか、逃げようとする奴もおらん……もっとも、店によるさね」
爺さんが塀の向こうを顎で示した。
「変な奴隷商に買われりゃあ、こうはいかん。使い潰されて終わりさね。首の輪が締まっても逃げようとして、そのまま死ぬ奴もいるさね」
庭の男たちはこちらを一瞥しただけで、作業に戻る。俺たちが客だと思ったのだろう。値踏みされるのに慣れている者の目だった。
ひと通り見終えたところで、アリアが切り出した。
「一つ、お伺いしてもよろしいですか?」
「さては客じゃないさね? それを聞いたら帰ってくれさね」
アリアが少しばつの悪そうな顔をしてから続ける。
「首の輪のことです。あれは、どうやって外すのですか?」
爺さんが目を見開く。
「なぜそれを知りたい」
「知識として、です」
「……ふん」
しばらく黙ってから、爺さんは杖に体重を預けた。
「あれはうちら、隷属性の魔法で嵌めるものさね。だから外すのも、隷属性の使い手が解くしかない……うちが知る限り、そうやって外れるのしか見たことがないね」
「見たことがない?」
そこが引っかかった。
「見たことがないということは、別の方法もあるということか」
爺さんの眉が動く。こちらを見上げる目に、初めて興味のようなものが浮かんだ。
「……坊主。なかなか鋭いさね」
「教えろ」
「教えるほどのもんじゃないさね。眉唾さね」
「構わない」
爺さんが杖の先で、地面を二度叩く。
「昔から言われとる話でね。聖属性の魔法に隷属の縛りを解くものがあると。確か【聖解隷】とかいう名前だったかね。隷属性の刻印そのものを、聖の力で祓っちまうんだと」
「それなら、聖属性の奴がいれば奴隷はいくらでも解放できるのか?」
「だから眉唾だと言っとるんだよ」
爺さんが呆れたように鼻を鳴らす。
「聖属性の使い手はなかなかいないさね。一つの国に百人いればいい方さね。聞いた話じゃ、そこらの聖属性じゃ話にならん。よほどの実力がなけりゃ祓えんそうだ……うちは五十年この商売をやっとるが、そんな真似ができる者に会ったことは一度もない」
語り終えた爺さんが肩をすくめる。
「まぁ、与太話さね。真に受けるもんじゃないさね」
だが、俺とアリアは顔を見合わせていた。眉唾だろうと、試す価値はある。少なくとも、方法があるということは分かった。
「爺さん、助かった」
「ありがとうございます。これは情報料です」
アリアが星国製の金貨を一枚、爺さんに握らせる。
金貨一枚――大金だ。それでも、今の情報にはそれだけの価値があったのだろう。
「ほう……こんなに……」
驚いた様子で唸る爺さん。
すると、手で俺たちを招いて、爺さんが声量を絞る。
「ここだけの話さね。大公閣下は隷属性魔法の使い手と噂されとるさね」
「大公が?」
「そうさね。誰も大公閣下が奴隷商を雇っているのを見たことがないさね。なのに奴隷がどんどん増えていくさね。それともう一つ。ジャックスって知っとるさね?」
「ああ、元医者の殺人鬼だろ」
「そう。あんな快楽殺人者を縛らず、近くに置いておくのはおかしいさね」
「でもジャックスに首の輪はないぞ?」
「きっと、鉄の輪以外のやり方で縛っているさね。隷属性魔法にも色々あるさね」
アリアが隣で頷いている。
「この話はもう終わりさね。どこに目と耳があるか、分かったもんじゃないさね」
そう言って、爺さんは店へと戻る。
俺たちもその背中を見送って、店を後にして宿に向かった。
♢
「思ったよりも、奴隷の扱いは良かったわね。ご飯も食べられて、あれくらいしっかりしていれば、星国に導入してもいいかもしれないわね」
「俺は嫌だ」
「……どうして?」
あの店は俺が思っていたような場所ではなかった。飯があって、寝る場所があって、殴られてもいない。孤児院の頃の俺よりよほどいいものを喰っているかもしれない。
それでも、どうしても奴隷が嫌な理由がある。
「あいつら、明日どこへ行くか、自分で決められない」
アリアの足が一瞬止まる。
「俺は決められた」
言いながら、順に思い出していく。
ヴォリトについていくと決めたのは俺だ。第一軍の誘いを断ったのも、東へ行くと決めたのも、あの山に登ると決めたのも、全部俺が決めた。
間違えたこともある。間に合わなかったことも、届かなかったことも数えきれない。だが、後悔はない。すべて自分が招いた結果――どこへ歩くかは、いつも自分で決めてきた。
あいつらには飯や寝床はあるかもしれない。
でも、自由はない。
俺は自由を取る。そして、自分の力で切り拓く――それだけだ。
隣が静かなので横を見ると、アリアがこちらを見上げていた。
なぜか、少し泣きそうな顔をしている。
……そうか。
アリアも決めた側の人間だった。
貴族の家に生まれて、道は敷かれていた。縁談を受けていれば、そのまま歩けたはずだ。それを蹴って、自分の力で家を立て直すと決めたのはアリア自身だった。
アリアが俺の手を取って、指を絡めてきた。
人通りの多い通りだったが、離す気はないらしい。
「たまには良いことを言うじゃない」
「いつもだ」
「……あなたを……ソラを好きな理由が、また一つ――」
尻すぼみになって聞こえない。
「ん? なんだ?」
「何でもないわよ!」
それきり、俺たちは何も話さずに宿へ戻る。
ただ、アリアとの距離が、いつもよりも近かった。




