第107話 ミレイユ
「やっぱり、この外套が一番落ち着くわね」
天翼の外套に袖を通したアリアが肩の紋章を撫でる。昨日までの恰好も悪くはなかったが、俺もこっちの方が見慣れている。白地に金の剣と白銀の翼。二人で決めた意匠だ。
「ソラもこっちの方がいいわね」
少し照れたように、アリアが俺の襟を直してくる。宿を出る前から二度目だ。
街へ出ると、案の定すぐに声がかかった。
「そこのお嬢さん、少し話でも――」
「一昨日の第七ブロックの兄ちゃんだろ?」
いつもならアリアが一言で切り上げるところだが、今日は違う。
アリアは足を止めて、丁寧に応じた。
「少しお伺いしたいことがあるのです。第十六ブロックを勝ち上がった女性をご存じありませんか」
目的があるからだ。
昨日、リングに立っていたあの女――元・アクエリス公国近衛騎士ミレイユ。その人物がどのような者かを見極めるためだ。
入る隊員を一人一人こうやって精査するわけにはいかない。ただ、発足前のメンバーくらいは、しっかりとした人を選びたい。そんな思いから、俺とアリアは慎重に人選をしているのだ。
声をかけてくる連中は、下心だけの者ばかりでもなかった。
「おめぇ……七番の。うちの旦那が興味を持っててな。ちょいと腕前を見せちゃもらえねぇか」
そう言って剣の柄に手をかけてくる男もいる。本選に残った誰かの使いだろう。俺の間合いや構えを探ろうとしているのが立ち方で分かった。もっとも、そいつの視線も途中から俺ではなく、アリアへ流れていた。この街の男はどいつもこいつも同じだ。
五人目か六人目で、ようやく当たりを引いた。
「ああ、あの空色の髪の姉ちゃんか。大公閣下の屋敷にいるはずだぜ」
白髪の混じった男が、酒臭い息で答える。
「閣下は奴隷を山ほど抱えてるからな。顔のいい女や、価値のある人物を買い集めちゃ、こういう時に商品として出すのさ。今年の目玉は双子の公女だ」
「商品?」
「そうさ。あんたも知ってるだろう。この街じゃ、人も物も同じ棚に並ぶんだよ」
その言い方に腹の底が鈍く重くなるが、居場所は掴めた。
♢
大公の屋敷は街の高台にあった。城壁の内側にもう一つ塀を巡らせたような造りで、門の左右に衛兵が立っている。
近づいた途端――槍が交差する。
「止まれ。ここは閣下の屋敷である」
「中の者に会いたい」
「用向きは?」
「ミレイユという騎士に話がある」
衛兵が顔を見合わせて、それから鼻で笑う。
「閣下の許可がなければ無理だ。失せろ」
取りつく島もない。アリアが何か言おうとしたが、その言葉も遮られた。
塀から少し離れたところで、俺たちは足を止める。
「どうする?」
「困ったわね」
「【天瞰眼】を使えば、中は視える」
言ってから、自分でもどうかと思う。他人の屋敷を勝手に覗くのはあまり褒められた話ではない。それに、視えたところで門が開くわけでもなかった。
「……それは最後の手段にしましょう」
アリアも同じことを考えたらしい。
その時、門の脇の小さな扉が開いて、淡い空色の髪の女が出てきた。昨日と同じく、腰まで届く髪を後ろで軽くまとめている。首の鉄の輪はそのままだ。
俺とアリアは顔を見合わせて、そのまま後を追う。
♢
声をかけたのは、中心街に入ってからだ。人通りの多い通りなら、相手も少しは安心できるはず、とアリアの提案だ。俺が半歩前に出て、アリアがその横に並ぶ。
「ミレイユだな?」
女の足が止まり、振り返った瞬間に肩が沈む。構えている。剣は提げていないのに、いつでも動ける位置に体重が乗った。やはり訓練を受けた者の反応だ。
「……第七ブロックの?」
「そうだ」
「何の用?」
声が硬く、目つきも険しい。当然だろう。本選で当たるかもしれない相手が、いきなり背後から声をかけてきたのだから。
だが、その視線が俺の隣へ移った途端、空気が変わった。
ミレイユがアリアを見つめたまま、しばらく動かない。値踏みするというより、確かめているような目だ。やがて肩から力が抜けていく。構えが解けて、警戒の色が薄れていくのが傍目にも分かった。
「少し話がしたい。飯でもどうだ?」
「いえ、私奴は――」
「行きましょう。ここでは話しづらいこともありますから」
アリアが遠慮を無視して、ミレイユの手を取る。半ば引きずられるようにして、俺たちは近くの食事処へ入った。
♢
「単刀直入に申し上げます」
料理が来る前に、アリアが切り出した。
「私たちの隊に来ていただけませんか?」
ミレイユの手が止まった。
「……隊……ですか? あなたたちは何者?」
「星国の天聖隊と申します。今はそれだけのことしか言えないですが、報酬は見合った分、お支払いします」
「星国……フェリシテ星煌王国の天聖隊?」
天聖隊という言葉だけでは何か分からない。しかし、星国の第十一軍と言えば分かってしまう。だから、アリアはそこしか言わなかった。
「あなたの戦い方を昨日見ました。あの組であの速さで勝ち上がる人は、そうはいません……それに、あなたには水属性の心得があるのではありませんか? 戦いの最中、魔力が見えたので」
ミレイユの目がわずかに動く。当たりらしい。
「アクエリスは水の国だったと聞いています。私たちには水を扱える人が必要なのです。どうか天聖隊に来ていただけませんか?」
しばらく黙ってから、ミレイユは首を横に振った。
「お断りいたします。私奴はアクエリス公国の近衛騎士です」
背筋が伸びている。首に鉄の輪を嵌めたまま、この女はまだアクエリス公国の近衛騎士と名乗るのか。
「国が滅んだ時、私奴は最後まで戦いました。城が落ち、兵が散り、それでも城門の前で剣を振っていました……ですが、降りました」
「なぜだ?」
「公女様方を人質に取られたからです。私奴が一人で暴れたところで、あのお二人が刃を向けられれば、それまでです。だから剣を捨てて、この輪を受け入れました」
ミレイユが自分の首に触れ、鉄の帯を指でなぞってから手を下ろす。
アリアが少し身を乗り出した。
「不躾なことを伺います……ひどい扱いは受けていませんか?」
「受けておりません」
即答だった。
「この大会まで、私奴は指一本触れられておりません。公女様方も同じです」
「本当に?」
「本当です。大公は――」
刹那――ミレイユの首に嵌められた輪が縮み、こいつの首を絞めつける。
「おいっ!」
「だ、大丈夫っ!?」
僅かな時間だが首が締め付けられ、苦しい表情を見せる。喉の奥で息が詰まる音がして、指が輪の縁を掻いた。
やがて、何事もなかったように輪はすぐ元の大きさに戻る。ミレイユは一度だけ深く息を吸い、それから背筋を戻した。慣れている。何度もこうなったのだろう。
「……大公のことを言ったり、秘匿情報を漏らすと、輪が締め付けるのですね?」
アリアの言葉にミレイユは頷く。
「でも、私奴の言ったことは本当です。私奴も公女様も何もされておりません」
その瞳に嘘の色はない。
ただ、この輪……気に入らないな。
そう思ったのは俺だけではないようだ。
アリアもミレイユの首に嵌められた輪を、忌々しく見つめていた。
料理が並んでから、俺はミレイユに訊ねた。
「首が締まらないのであれば聞きたい。ジャックスという男のことだ。予選では無手だった。本選では武器を使うのか?」
「使います」
「何を使う」
「執刀を」
ミレイユは首の輪が締まらないか確認しながら、ゆっくりと話す。
「……なんだ、それは?」
「刃物です。ですが、戦うためのものではありません」
ミレイユが自分の腕に、指で細い線を引いてみせる。
「あの男は医師です。この国で一番腕のいい外科医だと言われていました。人の体の造りを、誰よりもよく知っている」
「言われていた?」
「はい。人を切り刻みたい衝動が勝り、殺人鬼となったのです」
アリアが生唾を飲む。
「捕らえようとする者も全員殺し、捕まえた時には百人以上の死体が転がっていたと聞いております。そのまま処刑されるはずでした。しかし、民の願いに反して、それを止めたのが――」
ここで言葉を止めるミレイユ。
アリアが続ける。
「大公ってわけね」
ミレイユが頷く。
「ジャックスは闘技奴隷となりました。しかし、あれだけの罪を犯して初年度に優勝した時、奴隷から解放されたのです。以後は自らの意志で大公に仕えています。大公に従っていれば、合法的に人を殺せる。そう思っているのかもしれません」
ミレイユの瞳は沈んではいなかった。
「だから、私奴にもチャンスがあるのです。今回の大会で勝てば、私奴は解放される。そして、公女様のお二人も解放できる! そしたら私奴は今度こそ、お二人をお守りする騎士として仕えるのです!」
国はもうないのに、それでも公女の二人に忠誠を誓うか。
こういう奴は嫌いじゃない。
「……お分かりいただけましたか?」
ミレイユが立ち上がる。
「私奴は誰とも組めません。誰にも譲れません。あなた方がどれほど善良な方々であろうと、それは変わりません」
「ミレイユさん」
「あなたは敵です」
まっすぐに俺を見て言い切った。
「あなたがジャックスを倒せたなら、決勝でお会いしましょう。その時は私奴のすべてを賭けて、あなたを倒します」
卓の上に硬貨を数枚置いて、ミレイユは店を出ていった。
空色の髪が人混みに紛れて、すぐに見えなくなった。
残された料理を前に、アリアが小さく息を吐く。
「……困ったわね……あの人……いい人だわ」
そう言って、卓を指先で叩くアリア。
「それにもう一つ。あの輪……厄介よね」
「ああ」
「あれは、誰が付けているのかしら? 誰にも聞かれていないはずなのに、勝手に首が締まって……」
「外すことはできないのか?」
「できると思うわ。じゃなきゃジャックスは、今も輪をつけていなければならないもの。でも、どうやって外すのか。自力では外せないはず。恐らくはあの輪に何か仕掛けがあって、それをつけているのだと思うけど……」
そんなの、答えは簡単だ。
「聞いてみればいい」
「誰によ?」
「街で男が言っていた。人が賞品として並んでいると。売っている奴に聞けばいい」
卓を指先で叩くのを止めるアリア。
「そうよ! それよ!」
立ち上がるアリア。
俺は今にでも店を出ようとするアリアの腕を掴む。
「ど、どうしたの?」
「飯を食べてからだ」
「……そうね。せっかく作っていただいたものだから、いただきましょう」
食事をとってから、俺たちは奴隷商と呼ばれる店へと足を向けた。




