第104話 天下一闘技大会
三日後――
花の香りと、微かな体温を感じて目を覚ました。
瞼を開けるとすぐ目の前に顔がある。長椅子で寝ている俺をアリアが上から覗き込んでいた。
「お、おはよう」
「あ、ああ……」
朝からこの距離でアリアの顔を見せられれば、誰だって心臓が跳ねる。だが、俺が本当に驚いたのはそこではなかった。
こいつの服装が昨日までとまるで違う。
空色の薄い布地の衣で、袖は短くて襟が大きく落ちている。この国の女たちが着ていたものと同じ形だ。しかもアリアは俺を前かがみで覗き込む姿勢を取っていた。
俺はさりげなく、明後日の方を向いた。
だが遅い。見えたものはそのまま頭に焼きついてしまっている。
アリアも気づいたのか、自分の身を抱くようにして胸元を隠した。
「み、見えた……?」
嘘をついたところで、こいつには通じない。
「……すまない」
「…………」
しばらく、どちらも何も言えなかった。
やがて、アリアが咳払いをして、卓の上の水差しを意味もなく動かし始める。
「べ、別に、あなたが悪いわけではないの。私が覗き込んだのだし……それに、今日からこれを着なければならないのだから」
分かっている。コロシアムの観客席に入るには、決まった装いをしなければならないと聞かされていた。
まず武具の持ち込みは一切禁止。厚手の衣も駄目。薄手のものしか認められないのだ。厚い上着を着ていれば、その下に短剣などは仕込めてしまう。同じ理由でさらしも不可。
今は昨日買ったブラジャーというものをつけている。途中まで一緒だったのだが、胸のサイズを測らないといけないというあたりで、俺は店を出た。女の店員がDじゃきつそうだからE……もしかしたらFがちょうどいいかもしれない、と言った意味は理解できなかったが、妙に頭に残っている。
アリアが立ち上がって、白いスカートの裾を軽くつまんでみせる。膝は隠れていて、街を歩いていた女たちより、そこは控えめだ。だが、上は同じだった。
「ど、どうかしら……やっぱり、似合わないわよね」
自信のなさそうな声で、アリアがこういう言い方をするのは珍しい。剣を構えている時も、交渉をしている時も、指示を出す時も、いつも背筋が伸びているのに、今は肩が少し丸まっている。
俺は言葉を探す。ここで下手なことを言えば、また面倒なことになる。スカートの時がそうだった。動きづらそうだと言っただけで、こいつは二年以上それを守り続けたのだから。
だから、慎重に選んだ。選んだうえで、思ったことをそのまま言った。
「似合っている」
「……本当に?」
「ああ。目のやり場に困るくらいだ」
言った瞬間、アリアの顔が耳まで赤くなった。
「そ、そういうことを、そんな真顔で言わないでっ!」
「事実だ」
「事実でも言わないの!」
枕がまた飛んできたので、受け止めた。
女の考えることはやはり分からない。
♢
コロシアムまでの道も人でごった返していた。
おしくらまんじゅうをしながら進む。
こういう時、アリアの手を取って【天衝脚】を使えば飛び越えられるのだが、あいにくアリアはスカートだ。
だから、俺たちは流れに身をまかせながら、コロシアムに向かう。
なんとかコロシアム内に入って、アリアが買った席に向かう。
すり鉢の底に円い決闘場があり、それを取り囲むように、石の座席が幾重にも積み上がっている。上を見ると、座席の列が空に向かって続いていた。
アリアが買ったのは決闘場にほど近く、首長や貴族専用の席――貴賓席からも近い場所。ここも相当高かったようだが、安い席はすべて完売とのことで、渋々この席を買っていた。
ちなみに俺の席はない。俺は出場者なので、厚手の衣類――天翼の外套を着ても許されるが、代わりに観客席での観戦は禁止されている。開会の式が始まったら、出場者の控室に移動しなければならない。
「どのくらい入るんだ?」
「五万は下らないでしょうね。立ち見も入れれば、もっと」
五万。星国の軍団五つ分に匹敵する数。それに近い数の人間が戦いを見るために集まっているということか。
「出場者は二千を超えたそうよ」
通りかかった係の男から聞き出したらしく、アリアが耳元で囁く。
「二千?」
「受付の時にも言われていたけど、十六の組に分けて、それぞれ百人以上が同時に戦うのですって。最後まで立っていた一人だけが、本選に上がるの」
腹の底が勝手に熱くなってくる。百人以上を相手に一人で立ち続ける。こんな機会は二度とないかもしれない。
「……ソラ。顔がすごいことになっているわよ」
「そうか」
「笑っているわ。とても嫌な感じに」
自覚はなかった。
♢
開始の刻限が近づくと、俺たち出場者は観客席から出るように促される。アリアに別れを告げ、決闘場の脇に設けられた出場者用の区画に入ると、ここも人でごった返していた。
剣、槍、斧、棍棒。防具をつけた者、上半身裸の者、外套の頭巾を目深にかぶった者。押し合いへし合いしながら、皆が自分の番号札を握っている。
そして、一番見かけるのが、首に鉄の輪を付けられた者たち――奴隷だ。
聞けば、こいつらはこの興行のために貴族や商人に買われているとのこと。
その先頭で試合の開始を待っていると、進行役が決闘場に現れ、手に持った小さな何かを口にあてる。すると、そいつの声が大きくなって、コロシアム中に響き渡った。
「皆様! 大変お待たせいたしました。これより天下一闘技大会の開始となります! その前に主催者である我がヴェルディアン大公国の首長、ヴェルディアン大公による挨拶となります! ヴェルディアン大公! リングへどうぞ!」
りんぐ?
すると、決闘場の一角に設けられた台の上に人が現れて、途端に五万の歓声が地を揺らした。中央の決闘場のことをリングと呼ぶのか。
台に立ったのは恰幅のいい中年の男だ。金糸をこれでもかと縫い込んだ上着に、羽根が何本も刺さった帽子。指という指に輪をはめている。
こいつがここの首長か。
ヴェルディアン大公と言っていたが、この国は国王が治めるのではないのか。
大公が両手を上げると、歓声が引いていく。それから、進行役と同じような小さなものを口元に持っていき、コロシアムに声を響かせながら語り始めた。
「…………」
「………………」
「……………………」
挨拶が長い。この国の繁栄がどうの、交易がどうの、大公家の徳がどうの。半分も聞いていられず、子守唄に聞こえてきた。それは俺だけではなく、周囲の奴らも退屈そうにしていた……が、次の言葉で会場の空気が変わった。
「――優勝者への賞金はヴェルディアン白金貨三枚!」
地鳴りのような声が上がる。
白金貨三枚。俺が陛下から賜ったのが十枚だから、額としては劣る。だが、それを一つの大会に懸けるというのは、話が違う。
「さらに副賞として、大通り一等地の商館の権利証書! 向こう十年の税免除の証! 東方渡りの香木五十斤!」
一つ告げられるたびに歓声が跳ね上がるが、俺には価値のよく分からないものばかりだ。商館も、税も、香木も、剣の役には立たない。
「そして――」
大公がそこで言葉を切る。その間の取り方に会場が静まった。何かを見せる時の呼吸だ。
「最後の副賞は……昨年、隣国との争いに敗れて滅んだアクエリス公国! 公爵家の血は絶えて久しい――が、その中で二人だけ生き残りがいる! この二人が最後の副賞だ!」
台の後ろの幕が引かれると、そこに二人立っていた。
背丈も顔立ちも同じ。並んで立っていると、見分けがつかないほどだ。歳は俺やアリアと、そう変わらないくらい。
髪は空色というよりかは蒼。その首に鉄の輪が嵌まっていた。街で何度も見たのと同じものだ。飾り気のない鉄の帯。継ぎ目が潰してあって、外せないようになっている。
「元・アクエリス公国が双子の公女! リールとロール!」
コロシアムが今日一番の盛り上がりを見せた。




