第103話 ヴェルディアン大公国・商都ロンバルギア
マルザからさらに南西へ、街道を五日――
道は驚くほどに整備されていた。星国の街道も悪くはないが、造りが違う。星国のそれは軍が動くための道で、こちらは金が動くための道だ。
そして五日目の夕刻、丘を越えた先にそれが見えた。
「なんだ、あれは……」
思わず声が出る。
城壁に囲まれた街だが、その規模が違った。王都セプテルムも大きいと思っていたが、こちらは横に広い。城壁の内側に建物が密集していて、いくつもの塔が突き出している。夕日を受けて、屋根という屋根が金色に光っていた。
そして街の中央に、円形の巨大な建造物が見える。
あれだけは他と造りが違い、石を積み上げた壁が幾重にも重なって、すり鉢のような形をしていた。
「ヴェルディアン大公国の首都、ロンバルギア……そして、あの真ん中にあるのがコロシアムよ」
「ころしあむ」
「そう……あそこで実力を証明するの。円形になっているのは、どこからでも人々が見られるようによ」
どこからでも見られる。つまり、誰が強いのかを、知らしめるための造りということか。
剣を振るところを人に見せるという発想が俺にはない。強くなるために振るものであって、見せるために振るものではない。
だが、腕自慢が集まるというのは事実らしい。城門へ近づくにつれ、道を行く者の中に、明らかに剣を提げた連中が増えてくる。
街の中は熱に浮かされたようだった。
三日後に迫った闘技大会のせいだろう。通りのあちこちに幟が立ち、露店が競うように声を張り上げている。串焼きの煙、酒の匂い、賭けの札を売る男の呼び声。人と人の肩がぶつかっても、誰も気にしていない。
「すごい熱気ね」
「祭りか」
「祭りみたいなものでしょうね。三日後には、この人たちが全員あそこへ入るのだろうから」
アリアがコロシアムを見上げる。近くで見ると、その大きさがさらに分かった。城壁と同じ高さの石組みが、円を描いてそびえている。
その人混みを歩いていて、俺は妙なものに気づいた。
「アリア」
「なに?」
「あれは何だ?」
通りの端を、荷を担いだ男が歩いている。その首に、鉄の輪が嵌まっていた。
装飾ではない。飾り気のない鉄の帯が首を一周している。継ぎ目が潰してあって、外せないようになっていた。
「……分からないわ」
アリアも眉を寄せている。こいつが分からないというのは珍しい。
それから街を歩くうちに、同じものを何度も見た。水を運ぶ女。石を積む男。荷車を引く老人。どれも首に鉄の輪をつけている。
そして、共通していることがもう一つあった。服だ。
継ぎの当たった、色の褪せた粗布。裾も袖も擦り切れていて、履物のない者もいる。
同じようなものを、俺は知っている。
孤児院にいた頃、俺が着ていたものと同じだ。シスターが古着屋から貰ってきて、破れれば繕い、それでも駄目になれば下の子へ回した。あの布の手触りまで思い出せる。肩のあたりがいつも硬くて、洗うたびに色が抜けていった。
「……ソラ。たぶん、あれは奴隷よ。星国にも軍閥貴族の中には、奴隷を雇っているところもあるわ。借金を返せなくなった人や、罪を犯した人が身を売ることはあるもの。でも数は多くないし、国の方針で苛烈なことはさせないの。首に輪を嵌めたりなんて、もってのほか」
通りを見渡すと、金糸の刺繍が入った上着を着て、羽根つきの帽子をかぶった男が露店で銀貨を数えていた。その足元を鉄の輪をつけた子供が箒で掃いている。
「……ソラ?」
「なんでもない」
考えても仕方がない。ここは他所の国で俺は他所者だ。
そう思ったが、視線がなかなか離せない。
♢
人混みを抜けて広場に出たところで、俺は足を止めた。
広場の中央に巨大な釜のようなものが据えられている。石造りの縁が円く巡っていて、その中に水が張られていた。中央からは水が吹き上がっていて、絶えず落ちては跳ねている。
そして、その中に女がいた。
一人ではない。何人もの女が水に入って、肌を晒したまま笑い合っている。
「なっ――」
思わず息を呑む。
女の肌をこれほど見たのは、子供の頃、まだエレナがシスターになる前に一緒に湯浴びをした時以来。心臓が跳ねて、頬と体が熱くなる――刹那。
「ソラっ!」
いきなり視界が塞がれた。アリアの両手が、俺の目を後ろから覆っている。背中に体が押しつけられていて、慌てて回り込んできたのが分かった。
「見ない! 絶対に見ないで!」
「見ていない」
「見たでしょう今!」
「見えただけだ」
「同じことよ!」
言い争っているうちに、こいつの手の力が少し緩む。指の隙間から、広場の様子がわずかに見えた。
「……あら」
アリアの声が変わる。
「あの人たち、何か着ているわ」
「着ている?」
「ええ。下着のような……でも、下着とは違うわね。濡れているのに、透けていないもの」
手が離れた。改めて見ると、確かに女たちは何かを身につけている。肌の面積は多いが、隠すべきところは隠されていた。それに濡れても布が張りつくだけで、透けてはいない。
「そういう衣があるのね。水に入るための」
ということはこれは水場か。水を吹き上げているのはそういう仕掛けなのだろう。
「あの人たちは、暑いから涼んでいるだけね」
「そうか」
納得しかけたところで、隣から声がかかった。
「でも、やっぱり見ないで」
アリアが俺の袖を引いて、広場から連れ出す。
女の考えることは、どこの国でも分からない。
♢
コロシアムの受付は建物の裏手にあった。
長い列ができている。前に並んでいるのは、大剣を背負った大男。その前は槍を持った女。さらに前には、上半身に何も着ていない筋肉の塊みたいな男がいた。その中には首に鉄の輪っかを付けた者も多くいた。
どいつも腕に覚えがありそうな顔をしている。悪くない。
順番が回ってくると、受付の男が羊皮紙から目も上げずに言った。
「名前と出身」
「ソラ。星国だ」
そこで男が初めて顔を上げる。
「……星国?」
「そうだ」
男が俺の全身を眺めてから、隣に立つアリアを見て、そこで目を留める。しばらく戻ってこない。
「おい」
「あ、ああ、失礼。星国から来る者は珍しくてね」
男が咳払いをして、羊皮紙に書き込み始める。
「参加費はない。だが規則はある。相手が降参するか、場外に出るか、動けなくなれば終わり。ベスト16までは殺しは禁止。審判が止めたら即座に引け。従わない者はその場で失格の上、罰金だ」
「分かった」
「魔法は許可されている。ただし観客席へ向けるな。一発で失格だ」
「分かった」
「それから、これを持っていけ」
男が木札を一枚と、小さな革袋を差し出してくる。
木札には数字が彫られていた――『7』。
「その番号がお前のブロックだ。組ごとに一斉に戦って、勝ち残った一名が本選出場。本選に出場するだけでも賞金が出る。頑張れよ」
「この袋は?」
「出場料だ。銀貨三枚入ってる」
俺は袋を開けた。確かにヴェルディアン銀貨が三枚入っている。
「出るだけで金がもらえるのか」
「星国だったら知らないか。客が入る。賭けが動く。動いた金の一部があんたたちに回る……そういう仕組みだ」
なるほど、剣を振ることで金が動く街ということか。星国では考えられない話だが、確かにこれなら腕自慢が集まる。
登録を終えて、俺はアリアを振り返った。
「お前は出ないのか」
「出ないわ。私が出たら、目的が変わってしまうもの」
こいつが小さく首を振った。
「私たちが来たのは人を探すためよ。あなたが戦っている間に、私は別のところを見て回る」
「どこを見る?」
「まずは控室のあたりね。それと、観客席から見て強いと思った者を見ようと思っているの。出場してしまうと、他の出場者のことをあまり見られないもの」
言われてみればそうかもしれない。俺は戦う相手のことしか見ないが、こいつは戦っていない時の相手を見る。同じ場所にいても、見るものが違う。
「無理はするな」
「あなたに言われたくないわ」
♢
日が落ちてから宿を探し始めて、俺たちはすぐに壁にぶつかった。
「満室ですねぇ」
「こちらも埋まってます」
「大会前ですから。三日前じゃあ、もう無理でしょうな」
どこも同じ返事だ。安い宿から順に当たっていったが、五軒目でアリアが溜息をついた。
「甘く見ていたわ。この街にそこら中から人が来ているのだもの」
「高い宿でいい」
結局、大通りに面した宿に入る。玄関に灯りが並んでいて、扉の脇に制服の男が立っていた。ひと目で高い宿だと分かる。
「空いておりますが、一室のみでございます」
「一室」
「大会前でございますので。それも、本日限りのご案内で。よろしければ、明日以降の分もお取りしておきますが」
値段を聞いて、アリアが顔色一つ変えずに頷いた。
「取ります。三日分」
俺は口を挟まなかった。宿代の相場など知らないし、金ならある。
褒賞で貰った白金貨のうち、一枚はブランドンとプリシラに渡して、王都での生活費に充ててもらっている。残りは手元にあるし、その他にも大金貨や金貨がじゃらじゃらとある。
通された部屋は無駄に広かった。五人は寝られそうな寝台が一つ。それから長椅子と、卓と、水差しの載った台。窓からはコロシアムの影が見える。
「……一つね」
「そうだな」
かなり前、王都セプテルムでステラ星煌学校の寮に入る前にも、同じようなことがあった。あの時は金を節約するという目的で同室で寝たが、寝台は二つあった。
でも今回は一つ。しかも互いに気持ちを分かり合っている。
俺はアリアが好きだ。悔しいことに、たまらなく。
こいつも俺を好きだと言ってくれている。その言葉に嘘はない……と思う。
「ま、まずは湯浴びにしましょう」
「そうだな。アリアから入っていいぞ」
「ありがと」
アリアの後に俺が入ってから、いざ寝るとなるが、何度見ても寝台は一つ。
「長椅子で寝る」
「……悪いわよ」
「ここの長椅子は、孤児院の物よりも上等だ」
実際にそうだった。
ここの長椅子はふわふわしている。
「……そう」
アリアが少し黙ってから、寝台の端に腰を下ろす。
「別に、その、長椅子じゃなくて、一緒のベッドでも……」
言葉が尻すぼみになって、最後の方が聞きとれない。
「なんだ?」
「な、なんでもないわよ!」
アリアが顔を真っ赤にして枕を投げてきたので、受け止める。結局、それを使って長椅子で寝ることにした。
灯りを消してから、寝台で寝返りを打つ音がする。
「ソラ」
「なんだ?」
「三日後、勝ってね」
「当たり前だ」
それきり、こいつは何も言わない。窓の外ではまだ人の声がしている。祭りの夜だ。
俺は目を閉じて、三日後のことを考えた。十六の組に分かれて百名以上の中から一人が勝ち抜ける。そして本選。
その中に天聖隊に必要な人間がいるかもしれない。だが、それ以上に――強い奴と、思い切り剣を交えられる。
それだけで、明日が待ち遠しかった。




