第102話 国境の向こう
二年ぶりに見るアストレアは、まるで別の街になっていた。
かつては昼間から人通りの少なかった大通りに今は荷車が列をなしている。店という店の戸が開いていて、それだけでは足りないのか通りの両脇に露店までひしめいていた。銀細工、干し果実、西方風の織物。呼び込みの声が絶えず飛び交っている。
あの日、俺たちが歩いた通りはこんな音がしていなかった。戸を閉ざした店の前を、痩せた犬が横切るだけの街だった。
銀山が生き返り、交易路が戻った。それだけでこうなるのか。
「見違えたでしょう?」
隣を歩くアリアが少し得意そうに言う。
「父様が街に入る商人の税を三年間安くしたの。そうしたら人が集まって、集まったら人が住み始めて。今は住むところが足りないくらいなのですって」
父の名を口にする時のアリアの顔が二年前とは違っている。有角馬を引くのと反対の手が少し照れくさそうに指を絡めてくるので、俺もその手を握る。
「全部、ソラ。あなたのおかげよ」
「俺は何もしていない」
「そんなことない。あなたがいなければ、この街は変わっていなかったわ」
屋敷の門をくぐると、待ち構えていたように二人が出てきた。その後ろには執事。横を向けば庭師が手入れをしている。
ヴィクター・セレスティア。以前より血色がいい。あの頃は頬がこけていたのに、今は肩幅がしっかりして見える。その隣にロゼリア。こちらは以前と変わらず品のいい佇まいだが、俺を見る目つきだけがすっかり違っていた。
「よく来たな」
「久しぶりだ」
「相変わらずだな」
そう言いながら、ヴィクターの口の端が上がっている。
隣のロゼリアが俺の手をありがたそうに握る。
「ソラさん、ゆっくりしていってください」
あまりの歓迎ぶりに何かあるのでは? と身構えてしまうほど。
本当にアストレアの復興を俺のおかげだと思っているのか?
有角馬と有角馬を厩舎へ入れると、屋敷の使用人たちが遠巻きに集まってきた。有角馬を見たことがないのだろう。
そんな奴らの視線を浴びながら、アリアがヴィクターに頼む。
「父様、母様。この子たちを預かってほしいの。西へ行く間だけ」
「西……西方諸国か」
「はい」
ヴィクターの眉が寄る。
「アリア。あそこは表向きこそ友好国だが――」
「分かっています。それも承知の上です」
「……そうか。馬は預かろう。ただし、飼い方を教えてもらわねばな。この体格では、そこらの飼葉では足りんだろう」
「こいつらは雑食だ。肉でも草でも何でも食う。人の魔力ですら。軍馬の五倍は食べると思ってくれ。特に俺の方の小さい方は、十倍近く食う」
「だから、父様……これを」
飼育代として数枚の金貨を渡そうとするアリア。
実際、馬宿や餌代などを考えると、そのくらいの金額はかかる。
しかし、ヴィクターは受け取らない。
「お前たちのおかげでアストレアは生き返った。このくらい、わしたちにやらせてくれ」
「そうよ。さ、上がって。食事にしましょう。ステラ星煌学校にいるリオンのことも教えてほしいし、二人が纏っている、その素敵な外套。それについても詳しくね」
セレスティア家に歓迎され、その日は遅くまで語り合った。
♢
出立の朝、門の前で二人が見送りに出てきた。俺が屋敷から借りた軍馬の腹帯を締めていると、ヴィクターが近づいてくる。
「ソラ」
「なんだ?」
「アリアを頼む」
もう何度目か分からない。
「任せろ」
それだけでヴィクターは満足したように頷く。
ロゼリアは娘の外套を直しながら何か囁いている。アリアが真っ赤になって、母親の手を押しのけた。
「母様! そういう話は今しないで!」
「あら、大事なお話でしょう」
「もう行きます!」
アリアが逃げるように馬へ跨り、俺も続く。厩舎の方から二頭が首を出してこちらを見ていた。金と銀の角が朝日を受けている。
「オル、ルナ。少しの間、いい子にしていてね」
アリアが声をかけると、二頭が同時に鼻を鳴らす。
俺たちは軍馬の腹を蹴って、西へ向かう。
♢
その日のうちに城塞都市オルセアへ着いた。二年ぶりの街だが、ここはほとんど変わっていない。分厚い城壁、灰色の石畳、氷刻星将の蒼の外套を纏った騎士たちがせわしなく動いている。
面会の申し入れは思ったよりあっさりと通った。
「久しいな。ソラ、アリア」
執務室で迎えられる。実際には祝賀会で少し話してはいるがその程度。久しぶりと言われれば久しぶりだ。部屋の隅には、変わらず氷の彫像。ただし、以前あったものとは違う。閉じ込められている魔物が別のものに入れ替わっていた。
二年という時間がこの部屋にも流れているらしい。
「話は聞いている。第十一軍だそうだな。それも天聖隊という名で」
「知っていたのか」
「星将のもとには回ってくる……それで、その用向きで来たのだろう」
話が早い。俺は単刀直入に切り出す。
「水属性の騎士を分けてほしい」
コンラートが天井を仰ぐ。
「やはりそう来たか」
「無理か?」
「無理だな」
コンラートが机の引き出しから一枚の紙を取り出して、こちらへ滑らせる。異動の名簿らしく、名前がずらりと並んでいた。
「見ての通りだ。第八軍と第九軍に、既に四人の水属性の騎士が持っていかれた」
「四人も?」
「そうだ。騎士だけで四人。属性、階級を問わなければ、今年中に百は持っていかれる」
名簿を見ながら、アリアが小さく息を吐く。
「……お願いした私たちが言うことではありませんが、削られすぎではありませんか?」
「新規の軍を立てるというのは、そういうことだ。どこかから引き抜かねば、人は湧かん……お前たちもそのうち恨まれる側に回る」
その言葉が妙に頭に残る。
「すまんな。力にはなれん」
「いや、聞けただけでいい」
俺は立ち上がる。最初から断られることは予想がついていた。
「西へ行くのか」
「ああ」
「関門は通してやる。だが一つ言っておく。あっちの国は良くも悪くも金次第だ。その辺をよく弁えておけ。それと、胸の徽章は外しておいた方がいい」
♢
翌日、俺たちは関門に立っていた。二年前、検問をしていた場所だ。木樽の中にぎっちり詰まった塩の中に手を突っ込み、西の様式の剣を見つけたのもここだった。
星国側の検問はあってないようなもの。
俺とアリアを覚えている者がいて、あっさりと通される。
西方諸国側の検問も大した質問はされなかった。
「通行の目的は?」
「闘技大会に出るためだ」
「闘技大会?」
「ヴェルディアンで行われるやつだ」
「ああ……」
門兵が何かを確認すると、もう一人の門兵が頷く。
「持ち物だけ検めさせてもらう」
闘技大会に出ると言ったから、当然剣の持ち込みはしているし、門兵もそれに対して何も言わない。ただ、かなり厳重に検められた。
アリアの方も女性の門兵に検められる。
こちらも随分厳重に検められ、さらしを解くようにと言われていた。
後から聞いた話だが、こいつらは武具よりも書類の方が怖いようだ。密偵に対する指示書などがないかを探していて、となると、さらしの中は十分疑わしいこととなる。
アリアは女性門兵と詰所の中に入り、出てきたときには、女性門兵が俺のことをにやにやと見てきたのが印象的だった。
関門を抜けると、道の様子が変わった。石畳の質が違う。星国のものより目地が細かく、まるで王都の石畳のように金をかけているのが分かる。
♢
そこから半日ほど進んで、最初の街に入った。
すでに日は沈んでいるので、今日の宿はここ――マルザ。星国と国境を接する、西方諸国の一つだ。
「露店で貨幣、使えるかしら?」
露店で肉串を買おうとしたアリアが、そう呟く。俺には何の話か分からない。
「貨幣が違うのか?」
「ええ。ここはマルザ貨よ。たぶん使えると思うのだけど……星国の貨幣を使ってみるわ。ダメであれば両替商を探すしかないけど……」
アリアが星国の銅貨を差し出すと、店主は嫌な顔一つせずに受け取る。それどころか、ずいぶん愛想がよくなった。
「うほぉ! 星国の銅貨じゃねぇか。姉ちゃん可愛いし、こっちもおまけしてやる」
銅貨一枚で二倍の価値。
星国の貨幣のおかげか、アリアのおかげか……。
「やはり使えたわね」
「使えると思っていたのか?」
「ええ、星国は大陸の盟主。国が潰れる心配がない。だから星国の貨幣が一番信用されているの。西方諸国の中には、隣の国の貨幣は受け取らないという街もあると聞くわ」
……とりあえず分かったと言って頷く。
街を歩いていると、他にも違いが目についた。まずは頭巾――帽子というそうだ。かぶっている者が多い。それも形が様々。つばの広いもの、縦に長いもの、羽根の刺さったもの。
「あれは職業や階級を示すのよ」
「階級?」
「見て。あの人のは、つばが広くて羽根が三本でしょう。あれは貴族の証。その隣のつばの狭い人は使用人……ここでは帽子で身分が分かるの」
言われて見回すと、確かに帽子をかぶっていない者もいる。荷を担いだ男たちや、道端に座り込んでいる者たちだ。
「かぶっていない奴は?」
「……ただ被っていないか、職がないだけ。遊びに出ているというのもあるわね。一概に、かぶっていないから位が低いとは言えないと思うわ。私たち騎士だって、常に胸の徽章を付けているわけではないでしょう?」
言われてみればそうだ。俺は天翼の外套に付けっぱなし。軽く訓練をする程度であれば、外套は着ないで素振りを始める。それと同じか。
星国では徽章の星の数で位が分かる。ここでは帽子で身分が分かる。どちらも同じようなものかと思ったが、少し違う気がした。
徽章は自分で勝ち取るものだ。帽子はそうではない。
そして、もう一つ目についたものがある。女の服装だ。
「アリア」
「なに?」
「あれは、膝が出ているぞ」
通りを歩く若い女たちの多くが、膝の上までしかない丈の裾を穿いていた。
星国でもたまに見かけるが、こっちではほとんどの女がスカートを穿いている。
「そうね。この辺りでは流行っているみたい」
「防具としてどうなんだ。あれでは脚を斬られる」
アリアが噴き出す。
「逆よ。あれは防御が高いの」
「高い?」
「あれだけ脚を出していれば、もしかしたら男の人は目を奪われるかもしれないでしょう? 目を奪われた男はそれ以外のことができなくなる……その隙に何をされても文句は言えないわね」
アリアが言うのであればそうかもしれない。俺は納得しかけて、視線を上げたところでまた止まった。
女たちの胸元が大きく開いている。それも一人や二人ではない。若い娘たちは襟ぐりを深く落として、谷間を晒すようにして歩いている。
「……あれもか」
「あれもよ」
「星国では見ないな」
「ええ。国が違えば美しいとされるものも違うということね」
アリアが平然と言うので、俺は黙って前を向く。どうにも落ち着かない。目のやり場に困るというのは、こういうことか。
その時、隣から視線を感じた。アリアがじっと俺を見ている。
「なんだ?」
「……別に」
「見ていただろう」
「見ていません」
アリアが少し早足になる。追いつくと、横顔がわずかに膨れていた。
「……ソラは、ああいうのが好きなの?」
「ああいうの?」
「そ、その……胸が見えるような服が……」
「知らん」
「知らんって何よ」
「考えたこともない」
本当に考えたことがない。
強くなるためには、いらないことだからだ。
アリアがしばらく黙ってから、小さく呟く。
「……まぁ、あなたらしいわね」
そう言って、今日の宿へと入っていくのだった。




