37大晦日
大晦日の夕方
温泉旅館の食事処は
木の灯りがやわらかく広がっている
外は冷たい風 中は湯気と出汁の香り
「久しぶりやな ここでゆっくり話すん」
菫が湯のみを置く
さくらは少し緊張したように笑う
「はい なんか ちゃんと相談したくて」
女将さんが
「今日はゆっくりしていき」と
温かいお茶を置いてくれる
テーブルには年末年始限定
クジラ肉と梅入り鍋うどん定食
「やっぱり村のご飯 落ち着くな」
さくらがぽつりと言う
菫は静かに聞く姿勢になる
「で どう考えている?」
さくらは少し視線を落とす
「正直 迷ってます」
「うん」
「道の駅ができたら 食の開発とか
地元食材の商品化とか やりたいです」
目が少し輝く
「でも 学校の先生には
外も見てから戻る方がいい って
言われました」
静かな間 外から湯の流れる音が聞こえる
「なあ さくら」
菫は穏やかに言う
「村に残ることが 逃げ やったらあかん
でも 挑戦やったら 胸張ってええ」
さくらは顔を上げる
「外を見たい気持ちもあるんやろ?」
「…あります」
「ほな それは大事にしとき」
菫は続ける
「村は 逃げ場所やなくて
帰って来られる場所でええ」
その言葉に さくらの肩の力が少し抜ける
「じゃあ 一回外に出ても ええですか?」
「もちろん」
菫は笑う
「この村は なくならへん
道の駅も ちゃんと持っとる」
湯気がゆらりと揺れる
さくらはゆっくり頷いた
「私 食で人を支えたいです」
その声は 前よりも迷いが少ない
湯気の向こうで さくらが言う
「菫さんは…都会に出たいって
思ったことないんですか」
箸が止まる
「あるよ」
あっさりした返事
「内定もらってな 大阪の会社やった」
「え 知らなかったです」
「言うほどのことちゃう」
肩をすくめる
「アパートも探して 家具も見に行って」
クジラをひと口
「でも 会社なくなった」
淡々としている
「コロナで」
少し沈黙
さくらが小さく言う
「悔しくなかったですか」
箸を置く
「うん 悔しかった」
ここまでは静か
しかし次の瞬間 声の温度が変わる
「何で私やねん!って思ったわ!」
さくらが顔を上げる
地雷!?
「やっと 村 を出られる思ったのに!
やっと 外 に行ける思ったのに!」
言葉が少し荒くなる
「ニュースで 倒産 って出てな
画面の向こうで終わった」
一拍
「私の人生やのに」
強く言ったあと 自分で気づいたように黙る
湯気だけが揺れる
数秒
深く息を吸う
「…ごめん」
声が元に戻る
「ちょっと言い過ぎた」
湯呑を持つ手はもう震えていない
「戻る電車の中でな」
静かに続ける
「負けた気がした」
視線は窓の外
「自分で戻るんやなくて 戻るしかなかった」
そしてゆっくり さくらをみる
「しばらく 人に会いたくなかった」
それ以上語らない
しばらくして
「でも 役場でバイトして
その後 職員に採用されて」
「気づいたら もう何年もたってる」
「今は ここでよかったとも思ってる」
完全な強がりではない
「選べへんかったことも
後から自分の選択にできる」
小さく笑う
「だから あんたはちゃんと選び」
湯気が立ちのぼる
「逃げてもええ でも 自分で決め」
さくらは黙って頷く
その横顔は 少しだけ大人びて見えた
同じ大晦日の夜
女子校学生寮 多くの生徒が帰省した
廊下はひっそりとしているが
何人か同級生も残っている
葵は机に向かっていた
准看護師試験まであと少し
参考書には付箋がびっしり貼られている
再確認 ペンを動かし ノートに書き込む
遠くで除夜の鐘の音が聞こえ始める
ゴーン
少しだけ顔を上げる
「もうそんな時間か」
スマホには さくらからメッセージ
「今 温泉旅館で菫さんと進路相談していた」
葵は微笑む
「私は今 循環器まとめ中
年越しは心電図や」
さくらから笑いのスタンプが返る
零時
何処かで小さな歓声
葵は小さく呟く
「今年 受かる」
誰に聞かせるわけでもなく
その目は静かで強い
村で未来を語るさくら
寮で未来に向かう葵
場所は違う でも 目指すものは似ている
支えること 生きること 年が変わり
二人の未来も少しだけ前へ進んだ
家に戻った頃 村はもう静かだった
玄関の灯りをつける
靴を脱ぐ音だけがやけに大きい
さくらとの会話が 頭の奥に残っている
「やっと外に行けると思ったのに」
あんな言い方 久しぶりだった
台所で水を飲む コップを置いた瞬間
ふと 思い出す
内定通知のメール 父の「よかったな」の声
アパートの内見でみた 狭いベランダ
ニュース速報の文字
倒産
あの夜 布団の中でスマホを握りしめた感触
胸の奥が 少しだけ痛む
椅子に座る
深夜の静けさが 容赦なく広がる
「悔しかった」
誰もいない部屋で呟く
悔しかった
声は小さい
悔しかった
今なら認められる
悔しかった
逃げ場がなくて
悔しかった
選べなかった自分が
悔しかった
喉の奥が熱くなる
悔しかった
涙が込み上げる
悔しかった
唇をかみしめる
泣くな!
自分に言い聞かせる もう終わったことだ
今は違う 今は立ち上がる
カーテンを少しだけ開ける
遠くに 建設中の道の駅の灯りが見える
あの光は 自分が関わっている
「今は ここを支える」
はっきりと言葉にする
「選ばれへんかったけど ここは自分で選ぶ」
瞬間こらえていた涙が 一筋だけ落ちる
頬を伝って 顎で止まる
それ以上は流れない
深呼吸 顔を洗う 鏡の中の自分を見る
泣き顔ではない
少しだけ 強くなった顔だ
電気を消す 布団に入る
外は静か 村は眠っている
その中で 菫は目を閉じる
もう逃げない




