【2】都合のいい存在
自由になった要だったが、親を含め知人は誰も迎えに来なかった。
当然だと彼は諦めていた。返してもらったスマホから久しぶりにネットで情報を探ってみる。出版社のホームページからは自著は削除されていた。見たこと聞いたこともない本と作者が、かつての自分の場所を埋めていた。
SNSでは自著は事件のことを含め、作者共々底辺だと扱われていた。予想通りとはいえ今までのファンでさえ足蹴にしてくる様に、ひたすら腹が立った。
そして、あれだけ売れていた壮哉の本も出版社から削除されていた。
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拘置された間もとくに痩せなかった。本来なら将来を危惧してやつれて当然だ。
しかし要には未来があった。
満を持して壮哉のSNSにアクセスしてみた。
壮哉は要のアクセスをブロックしていた。
要は壮哉が私的なSNSも完全に遮断していたことに嫌な予感しかしなかった。
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要は足を進めた。
節約のためにひたすら歩いて二時間。覚悟を決めたときと同じ道程。あの角を曲がればあの古い家が見える。記憶通りに要は足を運んだ。
要は言葉を失った。柱だけになった家が重機で破壊される最中だった。ふらふらの足で近づく要を作業員が慌てて止めに入る。ようやく我に返ると要は地面に膝をつき声を上げた。
「こんなことが。こんなことが」
守られなかった約束に、取り戻せない自分に絶望は叫びを与えるだけだった。
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テレビにもネットにも広告がないのに、壮哉の本はSNSや掲示板で話題になっている。本は出版社を通さず電子書籍や通販で売られていた。
高い。ハードカバーで高級感ある装丁だが、それでも書店の数倍の価格だ。同じように電子書籍も普通なら誰も手を出さない値付けだった。
しかし数多くの感想から、この本の評価の高さが伝わってくる。
ここにいるのは投稿サイトで新作を求めて移り気な、にわかファンではなかった。壮哉の価値観を共有した熱狂的な人たちだった。自費出版、ネット販売のみという閉じた世界で隆盛を奮う姿は、かつて居酒屋で語っていた彼の夢と合致していた。
なろう小説だって現実を盛り込んだ要素は少なからずある。どれだけ主人公が無双しようとも、どれだけ脇役が噛ませ犬だろうとも、現実に即した世界観が文章のどこかに残っている。まるでそれは読者が現世から乖離するのを避けたい良心だった。
しかしここまで読者の理想を書いたなろう小説は前代未聞だった。
主人公が負けたり傷つくような要素を徹底的に排除し、読者にとって気持ちいい展開だけを詰め込んでいる。優秀。金持ち。権力者を片っ端から罠にはめ陰惨な死を与える。無条件で異性は抱かれ、誰からも褒め称えられひれ伏される。テーマや内容は存在しない。読者の歪んだ支配欲と性欲を満たし続けるだけの文章の羅列。
出版社は未だになろう小説と作家を啓蒙したいらしく、そこまで突き抜けた本は存在しなかった。それもあって壮哉の本は底辺中の底辺を熱狂的な信者にしていた。
自分が起こした事件が切欠で、なろう小説は以前ほど売れなくなったらしい。芸能人がテレビやネットで宣伝することもなくなった。
しかし親に暴力を奮って得た金で高価な本を買う読者のSNSに、要は壮哉の的確な志向に納得すると同時に、うすら寒いものを感じた。
これだけ成功している壮哉に会うために、助けてもらうために。要は底の見えている残金で、日雇い労働者のための格安の宿泊所で毎日検索し続けた。
堆い情報の落ち葉の下に、ついに見つけた。
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芝生の囲む豪奢な新居の駐車場に高級外車が滑り込んだ。ラフでありながら清楚な身だしなみは、貧相な体型を繕うのに十分だった。
車から降りた壮哉が家に入るそのとき、要は退路を塞ぎ立ちはだかった。
「約束通り帰ってきたぞ」
しかし壮哉はまるで空気だという顔で脇をすり抜けようとする。
「俺のおかげで稼いでいるみたいだな」
「さあ」
「とぼけるな」
要は壮哉の両肩を掴んだ。
「お前のグループに入れてくれるんじゃないのか。俺の本を売ってくれるんじゃないのか。お前みたいに稼がせてくれるんじゃないのか」
「さて」
「約束を守れ。お前の契約が解除できたのは誰のおかげだ。バラされたいのか」
「俺は何をしろと言った覚えはないぞ」
「なんだと」
「お前が勝手に解釈して、勝手に果物ナイフを持って勝手に編集部を襲撃した」
「だからそれは」
「そこまで言うなら証明してみろよ」
「証明だと」
「俺が発した言葉が何かに残っているのか」
壮哉がそこまで言うと要は言葉を詰まらせた。
「お前の妄想だろうが」
「そんなはずはない」
自分の動機を立証できない。理想をつなぎ合わせた思い込みなのかも知れない。壮哉に否定されたことで真実が濁ってゆく。
しかし要は否定に飲み込まれたくないと顔を真っ赤にして叫んだ。
「俺はファンも金も全て失った。それなのにお前は俺を利用して」
「黙れ犯罪者。執行猶予中なんだろ。これ以上騒ぐと警察を呼ぶ」
「くそう」
「出て行け」
壮哉がスマホを耳に当てるだけで、要は驚き喚きながら逃げていった。
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「母さん行こう。今日は懐石料理だよ」
外の騒ぎを聞きつけ、玄関を開けたのは老いた母親だった。得意げな壮哉は最近になって、ようやく母が行動を共にしてくれることが嬉しかった。
「お前のおかげで全てがうまくいったよ」
壮哉は笑った。
笑いながら要のことが意識の外に消えていった。
「さあ母さん」
壮哉が外車のドアを開けると母親がゆっくり乗ってくる。
「これからは好きなものを買ってあげるよ。欲しいもの何でもだ」
助手席で母親は喜んでいた。
少なくとも壮哉にだけはその喜びが感じられていた。




