【1】プライドは生きるのに邪魔なだけ
――現実を変革する力。
――貧困者の最後の希望。
――悪辣な政府に鉄槌を下す正義の先鋒。
なろう小説はマスコミで大々的に取り上げられ空前の売り上げとなってゆく。
バラエティー番組で雛壇のタレントに質問されていたのは、勝浦 壮哉だった。どれだけ依頼があっても決して正体を現さなかったのに、社会が変わるのを目の当たりにして彼も浮かれたのだろう。『壮絶だった』人生を語り、それにタレントが涙する。緊張しつつも壮哉はときどき満足な笑みを浮かべていた。
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いつものビルのいつもの出版社。いつものように雑談と罵声が飛び交うフロア。入口にある受付で対峙していたのは編集部員と。
「だからさあ。俺の小説も再販されたら売り上げが三万部になったんだ。もっと印税上げてくれよ」
三好 要だった。
「だからねえ。それはダメだと言いたでしょう」
「なんでだ」
工場で派遣社員として働いていたときの貧困な姿はそこにはない。金髪に染め、極太チェーンの金のネックレスを掛けた要が、編集部員にオラオラと迫っていた。
しかし編集部員の方は平然とした顔で契約書を出してきた。
「書いてあるでしょう。ほらここ。印税は6パーセントで固定。いくら売れても変わりません」
「それがおかしいって言ってるんだ」
要は激昂した。
「ここまで売れた俺を蔑ろにするのか! 全くブラック企業だな」
「何とでも言えばいいでしょう。契約は契約です」
「だったら契約を変更しろ」
「それも出来ません」
「なんでだ」
「それも契約だからです。期間は五年間。変更は双方の合意がない限りありません」
「こんな出版社辞めてやる。契約解除だ」
「契約解除はいいですよ別に。しかし解除の際には出版分はすべて返本になります。印税は刷り部数で払っていますから、返本の分の印税は返してもらいます」
「なんだと」
「三万部くらいで、ほかの出版社が取り合ってくれるとは思いませんがね」
「くそう! 覚えてろ」
そう息巻いた要だったが、いそいそ駆け込んだ他の出版社も、話は聞いてくれるものの、判で押したように同じ印税率、同じ条件だった。
怒りで去ってゆく要に、ほかの出版社の社員は冷たい目を向けていた。
「泡沫作家にはふさわしい待遇だろう」
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「くそうくそうくそう」
要はオラオラと周囲を睨みつけながらのし歩く。
「俺は人気作家だ。俺はもっと贅沢するべき存在なんだ。お前らのような貧困な庶民とは違う」
誰もが彼を避ける駅前は肌寒い夜だった。ATMで先に並んでいた老人を突き飛ばし、周囲が騒ぐ中でカードを入れた。
少ないとはいえ印税は確かにある。机に座っているだけで金が手に入る。雑巾のようにボロボロに絞られた派遣の職場とは天と地の差だ。
そう考えると悪い気はしなかった。
「まずはコーヒー飲み放題のカフェで休憩だな。あとは回転寿司屋で豪遊するか」
しかし。
操作しただけの出金額は出てこなかった。
「どうしてだ? なぜだ」
何度確認しても表示される残高は千円未満だった。
「印税が入っていない」
慌てて要はそこを離れる。殺気溢れるその歩き方ですぐに出版社に戻った。
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働き方改革など無縁な出版社は、夜でも煌々と明かりが灯っていた。要は警備員に早口で伝えると、エレベーターを上がりドアを足で蹴破った。
「ふざけやがって」
驚く編集部員を突き飛ばし、フロアのいちばん奥にある編集長の席に駆け寄りまくし立てた。
「どういうことだ? どうしてなんだ」
「何だ騒々しい」
訝る編集長の机を要は蹴飛ばした。
衝撃で編集長は車輪付きの椅子ごと後ろに滑って、後ろにひっくり返った。
「印税が入っていない」
「はて」
「とぼけるな! 今日は新刊の印税の二回目の支払日だろうが」
そこで察したかのようにほかの編集部員が要の肩を叩いた。
「おいおい。何か勘違いしているようだが、君の印税なんかあるわけないだろ」
「印税は六パーセントだと言ったのはお前らだろうが」
編集部員は面倒くさそうに壁のキャビネットを漁り、もう一度封筒を持ってきた。
無造作にカウンターに広げられたのは二通ある契約書のうちの一通だった。
それは昼間見たものと同じだったことに今度は要が訝った。
「ほれ。よく読んでみろ」
指し示されるまま、要が目を皿のようにする。
しばらくするとその手が震えはじめた。
「6パーセントはただの例示。新刊は買取だと」
これはニセモノだと暴れようとする要に、編集部員は冷淡に言い放った。
「これはお前のサインだ。自分で書いたんだろうが」
契約書は同じものを二通作成し各自で保管するのがルールだ。
――活動再開おめでとう。
――これだけ面白ければ前の何倍も売れますよ。
――きみもベストセラー作家の仲間入りですね。
そういえばあのとき。受付で渡された契約書によく読まずにサインをした。おだてられ嬉しかった。そのあと飲みに連れて行かれ契約のことなどすっかり忘れていた。受け取った一通も家で埋もれていた。
「騙したな」
殴りかかる要の足を編集部員は引っ掛けた。派手に転ぶ姿を周囲は失笑した。
「話は終わりだ」
「訴えてやる」
「警察が先だぞ」
要が編集部員たちに床に押さえつけられ通報されようとしていた。
そこに誰かが入ってきた。
「よう」
それは、編集部員に馴れ馴れしく挨拶する勝浦 壮哉だった。まるで骸骨のような体つきは実年齢よりずっと老けて見えた。しかしその姿に、いままで要をゴミのように扱っていた編集部員の態度が途端に真摯になったのだ。
「どうしたんですか。こんな時間に」
「飲んだ後近くを通ってね」
堂々とした壮哉の姿を、要もテレビやネットのインタビューで見たことがあった。その壮哉のために、椅子ごとひっくり返ったままの編集長がすっくと立ち、わざわざカウンターまで来て頭を下げた。
「おめでとうございます。通巻100万部突破しましたよ」
「ついにか」
「テレビアニメも好調で、我々としても嬉しい限りです」
感慨深く壮哉が頷く。押さえつけられたままの要が遠目に見上げるのは、体格を裏切る貫禄たっぷりの、なろう小説界のトップだ。しかし壮哉は喜びもそこそこに口を開いた。
「前に話した印税のことだが」
「それはちょっと」
編集長が作り笑いでもみ手をした。
「いまでも12パーセントお支払いしています。当社の規定では最高額ですよ」
「何? 12パーセント」
「こらじっとしてろ」
思わずその話に飛びつく要が、編集部員に踏みつけられる。
「犯罪者扱いしやがって」
「黙れ」
暴れる要を編集長は雑音だと、まるで構わなかった。
それは会話に集中したい壮哉も同じだった。
「コミックやアニメの印税は一円も入らないのにか」
「それは契約でして。出版印税以外は還元しないのがこの業界の決まりです」
「その出版印税さえも変えないくせに」
「それも契約でして」
壮哉が露骨に不機嫌になった。
「正当な売り上げには正当な印税を支払うのが常識ではないのか」
いままで冷静だった壮哉が声を荒げた。ほかの編集部員が宥めにかかる。
「まあまあ抑えてください」
「お願いします。ね」
「俺はミリオンセラー作家なんだぞ」
「今度食事にご招待しますから。豪華なお店を用意しますよ」
「そうやって、いつもごまかす」
編集部員や編集長が作り笑いを浮かべる。しかし壮哉の怒りは収まらなかった。
「こうなったら契約解除だ」
壮哉は編集長に唾を飛ばしながら言い放った。
「覚えてろ! 誰のおかげでお前らの給料が出ているのか」
そう吐き捨て壮哉はドアを蹴飛ばした。
「ああ待って。待ってくださーい」
要が一瞬の隙を突き、編集部員の拘束から脱出し壮哉を追いかけた。




