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恢復《かいふく》のディストピア  作者: すが ともひろ
 第3話 有卦に入る日々
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【5】噂の確証を巡って

「さあどうぞ」


 まるで工事現場の事務所のようなプレハブの建物だった。鉄線で壁を支えられた平屋のプレハブは、夕日を受けて住宅地の外れに建っていた。


 中は食堂だった。外観と同じ古びた店内にはテーブル席と小上がりの板間があり、ジャージやステテコ姿の老人たちで賑わっていた。


「あれ? あの人たち」


 要が気がついた。

 彼が慈に言われるままにテーブル席に座ると、役所に押しかけていた老人が集まった。


「よう! さっきの兄ちゃん。生活保護の申請はうまくいったか」

「はあ」


 ジョッキ片手に機嫌がいい老人の男。


「それはよかった。これでワシらも堂々と飲み食い出来るぞ」

「あ、ありがとうございます」


 要は彼らに頭を下げる。


「でも、どうして俺を助けてくれたんだ」


 ビールの泡を飛ばしながら老人の女が答えた。


「そりゃああんた。昔の血が騒ぐからだよ」

「昔の血?」

「若い時は警官相手に大暴れしたもんさ」


 女は近くの席にあった空のビール瓶を、要のテーブルの前に置いて得意げだ。


「また始まったよ」

「本当は党の金でタダ酒飲めるからだろ」


 野次を入れる老人たちに囲まれ、慈は昔話に呆れ顔だ。

 それでも得意げな女はビール瓶を指さした。


「こいつにガソリンを詰めて布で蓋する。火をつけて投げ込めば大騒ぎってわけさ」

「もう六十年前のことだがな」

「それって犯罪じゃあ」


 物騒な話に驚く要にお構いなしで、女は自信たっぷりに語り続ける。


「ガソリンに鉄粉とか釘を混ぜたわけよ。爆発と同時に警官が火だるまになって、のたうち回るのは最高だったよ」


「やっぱりそれって犯罪」

「独裁的な政府と戦う学生はテレビや新聞も応援してくれたしね」


 ガハハと笑う女は要を軽くいなした。

 男の老人もビールを飲み干してから思い出していた。


「いい時代だった。暴れるだけ暴れて、卒業したら何事もなく一流企業に入れたからな」

「モロトフカクテルはもう作れないが人海戦術ならお手の物さ」


 ほかの老人も盛り上がっている。


「党が大盤振る舞いするようになって、すぐに酒にありつける」

「あれだけ渋ちんの党のどこにこんな金が?」


「いいじゃないか。楽しければなんでも」

「そういうわけで君も飲め飲め。ガハハ」


 老人たちは楽しそうに昔語りを続けていた。要は目を丸くするばかりだ。


「……こいつら犯罪を平然と語ってやがる」

「昔のことだしね。本当かどうかも解らないし」


「そういうもんか」

「というわけで、今日は全部わたしの奢りだから何でも頼んで。おばちゃーん」


 慈が呼ぶと客と変わらない年齢の老人がゆっくり来た。

 要がおそるおそる注文する。


「お、俺は生中と唐揚げ、いいかな」

「わたしはチューハイと枝豆」


 すぐに二つのジョッキがレンチンしたつまみといっしょに出てきた。

 要は久しぶりにアルコールを口につけた。あまりの甘露に全身の神経が踊る。


「よかった」


 慈がその顔に嬉しそうにしていた。



 慈は三杯目のチューハイだった。

 彼女は同じように三杯目の生ビールの要に聞いた。


「あなた小説家だったんでしょ。どうして生活保護に頼るようになったの」


 酔いを感じさせない冷静な慈に対し、要はすっかり出来上がっていた。


「それがさあ。聞いてくれよお」

「はいはい」


「俺の小説が突然売れなくなったんだ。前は二万部以上売れてたんだぜ。二万部っていったら大した印税だ。72万円もあるんだぞ」

「すごいじゃない」


 慈は褒め称える。


「ところで要さんは、どんな小説書いてるの」

「よくぞ聞いてくれた」


 要は立ち上がって、いつも持ち歩いている自著をテーブルに置いた。


「これはただの小説じゃない。いま一番売れているジャンル、なろう小説だ」

「なろう小説」


 含みあるかのように慈は呟いた。

 しかし要には届かず、彼は本を掲げ胸を張っていた。


「現実で虐げられていた奴が異世界に転生して、無敵のヒーローになる小説だ」

「へえ。そうなんだ」


「現実には夢も希望もない。どれだけ努力してもブラック労働やホームレスしか道がない。そんな俺の、そしてあいつら読者の希望なんだ。なろう小説は」

「そうなんだ」


 慈は頷きながら要の話を聞いていた。


 どれだけ辛い人生を歩んできたのかを語る要。彼の苦労話は努力を放棄した自己責任の帰結なのだが、慈はときどき相槌を打ちながら聞き続けた。


 自分の全てを認めてくれたような気がして、要の話はヒートアップしてゆく。


「俺を雇ってくれるのはきつくて安い仕事ばかりだった。全て社会が悪いと思っていたとき、ネットで見つけたのがなろう小説だった」


 四杯目の要に対し、慈は氷ですっかり薄くなったチューハイに口をつけた。


「なろう小説の中では誰もが成功者だ。俺をバカにした偉そうな正社員も、なろう小説の中では簡単に土下座してしまう。何十本もなろう小説を読むうち俺は思った。金持ちは努力しなくても最初から勝ち組だ。俺たちはタダみたいな時給でこき使われるだけだ」


 要の怒りが盛り上がる。


「貧困から金持ちになった奴は努力とは関係ない。運が良かっただけだ。努力は嘘つきだ。だから俺は努力を否定するためになろう小説を書いてサイトに投稿したんだ」


「それで?」

「あっという間に人気が出てな。出版もすぐに決まった。俺と同じ考えの読者がたくさんいて嬉しかった。それから」


 そこから先を聞きたいと、慈がそば耳立てた。


「ずっと思っていた。俺の小説は文章の中だけで完結していない。小説の世界で俺と読者は繋がっている。読者の反応がSNSや投稿サイトを通して俺の頭にダイレクトに伝わって来る。まるで俺と読者で作る一つの世界だった」


 そこまで言うと思い出し、要はジョッキをテーブルに叩きつけた。


「その世界をあいつが徹底的に破壊したんだ」

「あいつって」


「それが解れば苦労はしない」


 要は激昂した。


「あいつが小説の世界を壊してから読者が離れ、投稿サイトのアクセス数は激減。本は売れなくなって出版社からは契約解除。アパートも家賃が払えず、あっという間にホームレス寸前だ」


「ふうん。そうなんだ」

「その適当な口ぶりはなんだよ」


 要は酔った勢いで今度は机を叩いた。慈が慌てて取り繕う。


「ごめんね。そういう話、聞いたことあるから」

「本当か」


 慈が頷く。


「俺と仲良くなったなろう作家もみんな廃業していった」

「……要さんはもう小説は書いていないの」


「読者さえいれば! 俺の小説を認めてくれる読者さえいればいつでも書ける」


 そこで慈が立ち上がった。


「要さん」


 慈は要の手をそっと握った。女の子と触れたことなど一度だってなかった要にとってこれは衝撃だった。慈は上目遣いで言った。


「本当に辛い人生を歩んでいたのね」

「あ、ああ」


「その気持ち、お察しします」

「ありがとう」


 まるで芝居がかった台詞なのに、要にとっては人生が開けた瞬間だった。



 居酒屋を出る頃にはすっかり夜の闇だった。街路灯だけが眩しく視線に掛かる。


「ほ、本当にありがとう。慈さん」

「困ったことがあったらいつでも相談してね」


 彼女はSNSのアドレスを交換して、別れ際に手を握ってくれた。


「要さん。あなたは必ず小説家として復帰できる」

「それは読者が戻ってくるということか」

「そういう時代がもうすぐ来るから、だから諦めないで」


 要がニコニコ顔で別れたあとに、慈は店から持ち出した使い捨て手拭きで、残った要の油分を徹底的に拭った。


 そしてSNSを開いた。そこには最近出版が打ち切られたなろう作家のリストがあった。


「噂は本当だった」


 慈は確信した。その瞳はネットの中を向いていた。

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