12
電車に乗って一駅。
ぞろぞろと車両から降りていく波に混ざり下車した伊織は、改札の向こう側で己に手を振る女を発見した。
Tシャツにジーンズというかなりシンプルな服装なのに、いや、だからこそ引き立てられた彼女の美貌はしっかり周りの注目を集めていた。
「綺麗」やら「女優さんかな」やら囁かれる声が聞こえているのかいないのか、本人は素知らぬ顔で改札を潜った伊織へと近寄って来た。
「こっちこっち! 悪いね、仕事中じゃなかった?」
「いや、大丈夫。急にどうした?」
電話の主、恭子からの呼び出しに隣の駅までやって来た伊織。
恭子は買ったばかりの冷えたペットボトルの水を伊織に渡すと、自分の分をぐいっと煽った。
「それがさぁ、師匠をおちょくってやろうと思って、あんたから聞いた話を自分で見たことにして話したら速攻でバレちゃって。呼べってうるさくて困ったわ」
連絡先も知らなかったものだから、同窓会で渡された番号に電話しまくって聞いたということらしい。
名前もうろ覚えだったし苦労した、と苦い表情をする恭子にその光景が想像出来た伊織は吹き出す。
「ははっ、災難だったな!」
「本当に。……って、あれ? あんた何か変わった? 前よりすっきりした顔してっけど」
「ああ、うん。そうかも。実はさっき会社辞めてきたから」
少し前の伊織なら必死に隠していたはずのことをあっさりと話した後で、伊織も自分の変化に気付く。
不思議と後悔も、ましてや後ろめたい気持ちなんかも湧かずに、ただ事実だけを見つめられていた。
「ふぅん。ま、それですっきりしたなら正解なんじゃね? 今だったらあんたが龍使いだって言われても信じれるかもねー」
「波に乗ってそう?」
「あなたに明るい未来が見えます。……なーんてね。ほら、師匠が首を長くして待ってっから、さっさと行くよ!」
伊織の軽口に乗って占い師らしく神妙な表情で言った後、伊織の腕を引いて歩き出した恭子は照れているのかやたらと早足で。彼女の初めて見る面に伊織は苦笑すると、追及することなく大人しく従った。
「ようこそ占いの館へ〜」
恭子に案内されたのは高層マンションの一室で、仕事場に行くと聞いていた伊織は驚いた。
オートロックのエントランスを抜け、やたらと高速で上るエレベーターに圧倒されていた伊織は、恭子が鍵を開けると同時に内側から開いた玄関扉に仰け反った。
「師匠! 急に開けたら危ないでしょうが」
「ごめんごめん。君が水沢くん? いきなり呼び出しちゃって悪いわねぇ」
「いえ……ちょうど時間が空いていたので」
ささ、入って入って、と促すたびにパーマのかかった明るい髪がふわふわと揺れる。
服装も恭子同様ラフな格好で、二人とも言われなければ占い師だとは分からない。
師匠だと聞いて気難しい人を想像していた伊織は、思っていたより断然緩やかな雰囲気にほっと息をついた。
リビングに通された伊織が興味深そうに部屋を見回す間も、恭子の師匠は興味津々といった様子で伊織を見つめていた。
「師匠はコーヒーでいいよね。水沢は?」
「じゃあ俺もそれで」
「あいよっ」
恭子が三人分のカップを持ってダイニングテーブルにつくと、待ちきれない様子で師匠が対面の伊織に身を乗り出した。
「単刀直入に聞くけど、龍が見えるって本当!?」
「えっ、あ、はい。見えます」
「おおっ! 凄い……何かコツとか――――」
「その前に自己紹介でしょ。ったく……この人があたしの師匠で叔母の加賀美由美子。ここに二人で住んでるんだけど、師匠ったらいつ龍が来てもいいようにって、龍用の座布団と水まで用意してんのよ。そこなんだけど何か見える?」
呆れた様子で恭子が指した背の低い棚の上には、人形などが乗るためのミニチュア座布団とお猪口が置かれていて、ちょっとした祭壇のようになっていた。
「……いや、ここにはいないみたい」
「ええっ!? 家の中には!?」
「家の中、というか見た範囲ですけど、いないみたいです」
「ええ〜、そんなぁ……」
肩を落として項垂れる由美子だったが、すぐに切り替えるとがっしりと伊織の手を握った。
「龍が好きそうな物はっ!? 今までどういう場所で、どんなことをしてた!?」
「好きそうな物……電車を見ていたり、神社とか公園の池なんかで寝てることがありましたが……あっ、コンビニにいたこともありました!」
「コンビニ……」
目撃した場所や状況を挙げていくが、特に共通点は見つけられずに次第に表情が曇っていく。
「そ、そういえば、前に写真に撮ってみたんですよ。えっと、これなんで、す……が――――」
撮れたのは言われて見ればなんか龍に見えなくもない程度の雲であったが、なんとか元気になってもらおうと焦りながらスマートフォンを取り出して由美子の方を向いた伊織は、そのまま動きを止めた。
急に停止した伊織に由美子が訝しげに声をかけるが、その視線は彼女の後ろへ向いたまま動かない。
伊織の視線の先、ベランダに面した窓をすり抜けて部屋に侵入して来たそれは、ゆったりとした動きで先程話題に上げられた祭壇へと近寄って行く。
伊織が職場で見たものと同じだろうか。前に見たときよりも少しヒゲが長い気がするが、白蛇によく似たそれは興味深げに奉られている水を覗き込んだ。
「…………来てます」
「えっ、うそ、ほんと!? どんな子!?」
「あっ」
勢い良く振り返った由美子の声に驚いたのか、龍は来たときよりも早い速度で出て行ってしまった。
固まる伊織の様子にそれを察した由美子は「うわあああ!」と頭を抱えた。
「やっちゃった! 二度とこんなチャンスないかもしれないのに!!」
「ま、まあまあ。家に来たってのが知れただけでも良かったじゃん。ねっ? ……ちなみに、どんなのだったわけ?」
「さっき話した白蛇に似たやつ。前よりヒゲが伸びてた気がするけど」
「…………白龍ってこと……? あああ……逃した魚は大き過ぎるっ……」
念願の龍を逃してしまったのだから、伊織と恭子の慰めを持ってしても立ち直れない。
「あー……師匠、こうなったら長いから。悪いけど今日はもう」
「なんかごめんな。俺もちゃんと居着いてから言えばよかったわ」
こうなったら時間が解決するのを待つしかない。恭子は申し訳なさげに耳打ちすると、伊織を送り出すために席を立つ。
伊織もそれに倣って立ち上がるが、ふと気配を感じて振り返った。
先程いなくなったばかりの龍がこちらの様子を伺うように、玄関から顔を出していた。
「加賀美さん。ちょっと待って」
「あ? ……りょーかい」
今度こそ驚かせないように口には出さなかったが、伊織の視線を追った恭子は理解してくれたようだ。
しばらくすると何も恐れるものがないと分かったのか、ゆっくりと祭壇へと近寄っていく。
お猪口に顔を近付けた龍が、どこか不満げに目を細めた。何度か座布団の上をぐるぐると回ってはみせるが、座りが悪いのか降り立つことはない。
その様子を見つめていた伊織の視線に気付いた龍が、何かを訴えるような瞳でじっと見つめてきた。
伊織は困惑しつつも口を開く。
「えっと……加賀美さん」
「なに?」
「いや、師匠の方の。……由美子さん?」
「――――へ? 私?」
急に呼ばれた由美子が素っ頓狂な声を出す。
気付かぬ間に漂っている神妙な空気に、一瞬きょとんとした表情を浮かべた後すぐ、思い当たったのか顔を引き締めて小さく「もしかして」と呟いた。伊織もそれに小さく頷く。
「あのお猪口の水は毎日変えてますか?」
「う、うん。そうだけど」
「えっと……よく分からないんですが、なんか納得いってないみたいで」
完全に伊織を見える人だと判断したのか、小さな龍はぽそぽそとした未だ毛の生え揃わない尻尾で何度も座布団を叩いて抗議している。
何度もぺしぺしと叩いているのに、実際の座布団は凹まないのだから不思議だ。
「水道水だからダメなんじゃね?」
「水道水……お酒! 日本酒はどう!?」
由美子の提案に尻尾の勢いが弱まる。
少し考える様子を見せたけれど、龍は必死な由美子の表情を見つめると「もう一息」と言いたげにまた数度叩いた。
「あと少し……!」
「ええっ!? そ、それじゃあ毎月違う銘柄の日本酒! これでどうだ!!」
今度こそ満足したのか、龍は先の割れた赤い舌をちろちろと出すと、長い体でとぐろを巻いて座布団へと落ち着けた。
「交渉、成立したみたいです」
伊織の言葉を聞いて、張り詰めていた空気が霧散する。
本当に龍と呼べるのか疑惑が残るが、恭子と抱き合って喜ぶ由美子に水を差すことは言えなかった。




