6聖女として
翌日からアリサは神殿に呼び出されるとこれからやるべき事を聞くことになった。
大神官は忙しいと言う理由で同席はなく、神官がたくさんの書類を抱えている。どうやら彼が説明をしてくれるらしい。
もちろんアリサの護衛であるアンドリューはいつもアリサに同行をする事になっていて今日もアリサの後ろに控えているがいつものようにお堅い顔つきで距離を置いている。
「聖女様、早速ですがまずは我が国の状況をお話しします。まずは今から発生している疫病の重症患者の治癒を行って貰いそしてあちこちで瘴気の発生がある王都の浄化を行って頂きます。まあ、これが数日程度かかると思います。ある程度王都の事態が収束したら今度はあちこちで発生している瘴気の浄化に行って頂きます。その間、王都にいる時は疫病などで苦しむ人々を見て頂き、騎士団の魔獣討伐出動の際はそれに同行して騎士達の後方支援に加わってもらいます。騎士の怪我を治癒して頂く事になりますね。それが終わったら」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「はい?」
神官は話を遮られてそこで初めて顔を上げた。今まで彼の視線はずっと書類を追っていてアリサを見る事さえなかった。
「それ全部私一人がやるんです?」
神官は一瞬えっ?と言うような顔をしたがすぐに気を取り直して姿勢を正す。
「はい、聖女様にしか出来ない事なので、我々も心苦しいとは思いますが、どれも緊急を要する事でして、申し訳ありませんがどうかよろしくお願いします」
神官もアリサの言いたい事は分かるとでも言うように深く頭を下げる。
「でも、私、何をどうすれば良いのかも分からないんですよ。そんなに一度に頼まれても!」
「こちらに代々召喚されたが聖女様が残された手引き書をまとめた物がありますので、これをご覧になってやれば出来るはずです。かなり古い資料でしたのでこちらで分かりやすくしてありますので」
「でも、少し練習っていうか、いきなり本番はちょっと」
アリサの心は不安しかない。
「ですが、あなたは聖女様ですからその力をお持ちです。だから安心していただいて良いかと」
神官が手引き書と書かれた書類をアリサの前に置く。
アリサは差し出された書類を手に取った。
どれどれ‥(確かに治癒は手を翳せば何とかなりそうだ。結界の張り方は?一度練り上げて放出する感覚でって‥何これ?)
引いた。
脳が一度ひくついてその後凪ぐって感じ。
ハハ。
(次は浄化。穢れを祓う聖女として最も重要な仕事だって。心を落ち着けて気持ちを込めてって‥浄化は昨日の水を綺麗にする感じって事、だよね。昨日も出来たんだからきっと出来るだろうけど、けど‥)
何だかもやっとする気持ちになるが元々困っている人を放っておくのが嫌な性格のアリサ。最初から出来ないなどと言うのも嫌だった。
(まあ、それで仕事はいつも私に回されて上司からも後輩からもいいように使われてたんだけど、今は状況も違うんだから)
アリサの脳内にチラリと元の会社の頃の記憶が蘇る。
「聖女様?」
「あっ、うん。出来ると思う。いえ、思います‥」
「ですよね!聖女様ですから。良かった。私もこんなにたくさんのことをお願いするのが心苦しくかったのですが、快く引き受けて頂き本当にありがとうございます。では、まずは診療所にご案内しますので」
(えっ?もう行くの?どうしよう)
「そうですか、はい、わかりました」
アリサは戸惑いながらもそれを受け入れるしかない。
案内されながら後ろにはアンドリューが付き添っていた。
「聖女殿、いきなり無理を言ってすみません。もし、体調に無理があるようならいつでも言って下さい」
「アンドリュー様ありがとうございます」
アリサは定型分のような返事をした。
(だって彼とはもう気安く言葉を交わせる関係ではないんだから)
また、胸の中に穴が空いた気がした。
アリサは診療所に入ると息を飲んだ。
何十人もの人がベッドの上で苦しそうに喘いでいる。疫病は高い熱と肺の具合が悪くなるらしく、皆、咳き込んだり高熱でうなされている。
医者やシスターらしき人達が必死で手当や看病をしている様子も伺える。
アリサは迷うことなく重症患者から手当を始めた。
気持ちを込めて回復を願い治癒魔法をかけていくと思っていた以上に治癒魔法が出来た。
治癒魔法を受けた人々はすぐに顔色が良くなり咳や熱が下がって行った。
「ああ、神様。ありがとうございます」
「さすがは聖女様だ」
アリサの噂は王都中に広がって行った。
王都にアリサの姿があると人々が集まって来た。井戸の浄化をすれば歓声が上がった。治癒を目の当たりにして涙を流し手を合わせる人がいた。
皆んな次第にアリサを神のように崇めた。
アリサは必死だった。でも次第に力を使うたびの身体の一部が削り取られるようになった。
アリサを崇めはするが誰も気安く声もかけない、近づかない。それは婚約者であるレオンハークも同じだった。
彼は最初こそ毎日のようにアリサの様子を見に来た。
「聖女殿、いつもすまない。君には感謝している。疲れただろう。ゆっくり休んでくれ。何かあったらいつでも言ってくれ。では私は忙しいから失礼する」
でも、次第にアリサの所に来る回数は減って行った。
来ればまるで定型分のように決まった言葉。決まった気遣い。でも、アリサが気安く何か頼める事もなかった。
確かに食べ物も着るものも住まいも困ってはいない。人々から感謝され神殿からも頼りにされ騎士団でさえアリサにはひれ伏す。
でも、心の繋がりはなかった。
半年が過ぎる頃、アリサはレオンハークの所に呼ばれて彼の執務室を訪ねた。その時間はあいにくアンドリューが騎士団の用事で席を外していた。
「殿下、お呼びだと伺いました」
執務室の外には護衛兵もいなくてアリサは自分で声を掛けた。返事はなく、かわりに聞こえて来たのは女の人の声。
「もう、嫌ですわ。殿下ったら今日は私が殿下にお菓子を食べさせるって約束ですよ」
(何度も聞いた事のある特徴のある声。高い声、甘えたような喋り方。ロージェンナ様の声だ)
「失礼します。お呼びと伺いました」
アリサはわざと扉を開けて中に入った。
殿下はロージェンナと隣り合わせに座り彼女が甘えるように殿下の身体に縋っていた。
「おい、いきなり開けるなんて失礼だろう!」
殿下が慌てて立ち上がる。そのせいでロージェンナ様の体勢が崩れた。
「声は掛けました。それに何故か護衛兵もおりません」
「それは‥」
これまでにもロージェンナは何度もアリサの所にお茶を一緒にとやって来ては殿下がアリサとの婚約を嫌がっているとやんわりと言っていた。
アリサはレオンハークに特に気があるわけでもない。ただ、聖女だから王太子である彼との婚姻が決まっただけだった。
でも、この半年でアンドリューも態度は変わらず彼が自分を聖女としか見ていないと分かった。それに日本に帰る事も叶わないだろう。そうなればレオンハークを結婚するしかなくなると諦めた。だからこそ夫婦となるからにはお互い最低限の信頼関係は持ちたいと思った。いつも自分を気遣う言葉も彼の優しさだと受け入れる事にしてレオンハークと言う人を信じようと思い始めていた。
それなのに、こんな公の場で裏切りをあからさまに見せつけられるとは思ってもいなかった。確かに殿下とロージェンナ様は思い合っているのかも知れない。そう言う噂を何度も聞いた。
でも、だからといってこれは見過ごせなかった。
「どう言うおつもりですか?お二人とも一応、殿下と私は婚約関係にあるはずです。それなのにロージェンナ様は度々私に殿下と婚約を解消しろと何度も仰います。そして殿下とこうやって公然と浮気ですか。ちょっと殿下、その唇、紅が付いてますよ。ったく!いい気なもんですね。私は毎日クタクタになるまで聖女としての勤めを果たし休みも楽しみも無いんですよ!それなのに何度か優しい言葉だけかけとけばいいと?何が忙しいんです?こんなことする暇があるんじゃないですか!それにロージェンナ様、あなた私に言いましたよね。殿下が私との婚約を嫌がっていると。ふざけないで!私だってこんな婚約好きでしている訳ではありません。今すぐ解消して貰えませんか?」
「聖女殿、まあここは。一旦落ち着いて話をすればわかる事。君との婚約は国の方針で個人の一存で解消出来るはずもない。それは分かっているだろう?」
殿下がアリサの前に立って手を伸ばす。
アリサはその手を振り払う。
「殿下、聖女様がお嫌なら仕方がないのでは?」
「ロージェンナ何を言っている!そんな事出来るはずが無い。分かっているだろう?」
「でも、私は殿下を諦めるなんて出来ません!」
「だから君は私の側妃として迎えると言ってるだろう」
レオンハークがロージェンナに駆け寄る。
(いい加減にして、どこまで人を馬鹿にすればいいのよ!)
「殿下、とにかく婚約の件はお断りします!私だってあなたなんかと結婚するなんてお断りですから!」
「殿下‥」
ロージェンナがレオンハークに縋り泣きそうな顔をしている。殿下はロージェンナを抱き抱えながらアリサを睨みつけるといっぱくおいてずかずかアリサの前に立った。
そして指をアリサの胸に押し付けて押した。思わずアリサは足元がふらついたが何とか姿勢を立て直した。
そして大声で喚き始めた。
「さっきから聞いていれば何だ?私が毎日どれほどの重圧に耐えているか知っているのか?毎日あちこちの苦情や陳情書の数々。それに諸外国との調整。食料不足。医薬品の算段。騎士団の予算までどれほどの苦労があるかわかるのか?それをほんの少し女と雑談をしていたくらいでそこまで言われるとは‥」
殿下は呆れ果てたとでも言いたいらしい。
「だからといってこんな事していいんですか?もし、私が同じ事をしたら殿下はどうするんです?」
「貴様は聖女だ。そこら辺にいる女とは違う。そんな事も分からないのか?それに私が誰と何をしようと君には関係ない事だ。確かに君を召喚した。だが、少しばかり人より力があるからとあちこちに出掛けて行って聖女だからと力を振りまいて、みんながお前を称賛するからと言っていい気になるなよ。前に召喚された聖女ならとっくに結界のの不安定化も収めていた。なのに結界はまだほとんど安定していないんだ。お前の力が足りないでいだ。それに例え聖女だろうと次期国王は私でここは私の国なんだ!何でもかんでも思い通りになると思うな。それにお前が何を言おうと私との結婚は変わる事はない。勘違いするなよ。お前など反吐が出るほど嫌いだ。でも、王太子として聖女との結婚は仕方のない事だ。だからこっちだって我慢してお前と結婚してやるんだ。勘違いするな!」
「そんな。酷い!」
アリサは堪えきれなくなって涙をこぼしながらレオンハークの執務室を飛び出した。




