10牢の中で
アリサは牢に入った日の事だった。
「あんた聖女だったんだろう?」
「それが?」
冤罪で牢に入れられているアリサの機嫌はすこぶる悪かったし警戒もしていた。
(うわっ、何言われるんだろう。この人も私を傷つける気?)
アリサは瞬間的に身体が強張った。
だが、その牢番の男はアリサの前に跪くと優しい目でこちらを見た。
「あの、怖がらなくていい。いや、うちの妹と甥っ子があんたに助けてもらったって聞いたから」
戸惑うように口から落ちた言葉に一瞬時間が止まった。
(妹と甥っ子?親子って事?いつの話だろう)
「それはいつの話ですか?」
気づくと尋ねていた。
男はさらに詳しく話を始めた。
「ありゃ、 三ヶ月ほど前だ。聖女様が王都の貧民街を通りがかった時、物盗りに襲われて倒れてた親子がいただろう?」
アリサは考えた。そう言えば街の井戸の浄化をした帰りそんな事があった。
「ええ、たまたま通りがかった時目に入りましたから、放っては置けませんでした」
(確か、アンドリューや他にも神官が同行していて止められたんだった)
「本当ならあのまま死んでたかもしれないって妹が言ってたんだ。聖女様が気付いてくれなかったら誰も気にもしなかっただろうって」
「そんな事はないでしょう。女の人と子供が倒れてるんです。私でなくても誰かが助けたはずです」
アリサは冤罪で牢に入れられている。その牢番らしき男に言う事を素直に答える気にはならなかった。
「あんた知らないんだな。貴族っていうのは平民がどうなろうと知っちゃあいない。死のうと倒れていようとどうでもいいんだ。あるのは自分に利があるかどうかだけだ」
その言葉に心が動いた。ずっとあった違和感。貴族が特別で平民は虫ケラ同然のような考え方。アンドリューの態度さえもアリサが聖女になった瞬間から一変した。今は誰も信じられなかった。
(この人信じていいのかな?)
つい心が緩む。
「まあ、神殿で治癒を依頼されるのは殆どが貴族の方ですし、平民の方の治癒は月に一度聖女のお披露目の時くらいですから」
「ああ、だからあの時あんたが助けてくれた事感謝してる。でも、あんたもバカだ。王太子の女に毒を守るなんてよぉ」
「私は毒なんか盛ってません。言いがかりです」
「そうなのか?まあ考えてみりゃ王太子の女が聖女の力が使えるなんて、なんか話がうま過ぎじゃねぇか?」
「それは分かりません。でも、私は反論もさせてもらえませんでしたから」
「すまねぇ、俺らに何か出来ればいいんだが、まあ、とにかく。ここの飯は食えたもんじゃねぇから、これでも食ってくれ」
牢番の男は懐からパンにチーズを挟んだ包みをこっそり渡してくれた。
「ありがとうございます。でも、こんな事した事がばれたら」
「心配ねぇ、牢番は交代制だから今は俺しかいねぇからよ。心配しなくても毎日聖女さんに差し入れするからよ。だから、元気出してくれ」
「私、聖女じゃないって言われてるのに?」
「いいや、あんたは女神の祝福を受けた人だから身分に関係なく助けて下さる。あんたは本物の聖女様だ。間違いねぇ!」
「そんなの当然の事です。私はこの力はみんなの為に使われるべきだと思ってますから」
「俺はみんなに声をかけてあんたが正しい事をして来たって話を広める。王だって民衆の声を無視は出来ないだろうからな」
「ありがとう。あなたお名前は?」
「俺か?俺の名前なんか聞いてどうすんだ?」
「だって、あなたはいい人だから‥」
「ば、ばか言うな。そりゃあんたの方だろ。コペル。俺はコペルだ」
彼は少し照れた様にぶっきら棒に言った。
「コペルさんありがとう。気持ちはすごく嬉しい。でも、絶対に無理はしないで下さいね」
アリサはコペルを真っ直ぐに見て言った。
「あんたやっぱり優しな。とにかく頑張ってくれ」
コペルさんはそういうとアリサの牢から離れて行った。
夕方になってアンドリューがやって来た。少し疲れたような顔で彼はアリサを見た。
「聖女殿、夜は冷える。これを使ってくれ」
差し出された手には毛布が二枚あった。
「ありがとうございます。アンドリュー様」
「それからこれも」
紙に包まれた温かいパイだった。
グゥ〜
「もう、やだ」
「ここの飯は食えたもんじゃないだろう」
「でも、昼に牢番の人が身内を助けて貰ったってパンを差し入れてくれたのよ。すごく美味しかった」
「‥‥‥」
アンドリューの口があんぐりと開いた気がした。
「牢番が?アリサ、そいつに何かされなかったか?こういう所は弱っている女に言い寄る奴もいるかも知れないんだぞ!」
いきなり声を荒げて怒られる。彼の手が小刻みに震えて鉄格子が軋んだ音がした。
(怒ってるの?何に?)
「そんな事あるはずないじゃない。ただお礼だって。優しかったわよ」
アリサはあの牢番の言葉を思い出してふふと笑みを浮かべた。
アンドリューの眉間にギュッと皺がよった。
「そんな嬉しそうな顔を見せたのか?勘違いされたらどうする?あまり牢番と親しくするな。危険だ。いいな」
「そうなの?でも、あの牢番優しかったわよ。毎日差し入れ持ってくるって言ってた」
「毎日?そんな物食べるんじゃない。いいかアリサ。俺が差し入れた物しか食べるな。万が一命を狙われる可能性もあるんだ。相手は大神官と宰相。それに兄上も噛んでいるかも知れないんだ!」
(アンドリュー?今、私の事名前で呼んでくれた。それにすごく心配してくれて‥ううん、異世界に来てしまった私に責任を感じてるだけよ。それに大神官や宰相が私を追い出そうとしてるって事?何だかマジやばそう)
アリサは急に恐くなった。
「アンドリュー?私、恐い」
そっと呟くような声だった。頼るような縋るような気持ちがこぼれ落ちた。
彼は少し落ち着いたらしく今は少し距離を取って鉄格子越しにアリサを見つめていたがアリサがそう言うと彼に瞳が見開かれた。
「ったく!」
アンドリューは一度髪を掻きむしり尻尾をバタンバタンを言うほど揺らし唇をぐっと噛んで鼻息を荒くして息を吐き出した。
「アリサ。とにかく今夜はもう何も考えず寝ろ。いいか、明日の朝食べ物を持ってくるから」
アンドリューはそれだけ言うとくるりと向きを変えた。
相変わらず尻尾は落ち着きを失って左右に揺れている。
(えっ?)
「うそ、もう行ちゃうの?こんな所に一人でいるなんて怖いよ」
アリサはいつになくアンドリューに甘えた。まあ。無理もない。一度感じた恐怖にこの冷たい石の壁と床しかない地下牢に一人でいるなんて恐怖しかない。
アンドリューが瞬時に振り返った。
「そ、そうだよな。こんな所女が一人でいる所じゃないしな。分かった。朝までここに居る、だから安心して寝ろ」
アンドリューは牢の前に座り込んだ。
「うそ、いいの?」
「ああ、最初からそうすれば良かったと思ってる」
アンドリューはふっと肩の力を抜いて頷いた。
アリサはアンドリューが無理をしているんじゃないと感じた。
「ありがとう、私のためにごめんね」
「それはこっちのセリフだ。アリサは被害者だ。こっちこそすまん」
アンドリューが頭を下げた。
「そんな。アンドリューが一緒に居てくれるから。あっ、でも、アンドリューそんな所で寒くない?そうだ。この毛布使って」
アリサはさっき貰った毛布を一枚アンドリューに渡す。
「俺はマントもつけてるしこんなの慣れてるから大丈夫だ。いいからアリサが使え」
「ダメよ。アンドリューも使って、じゃないと心配で眠れないから」
「ったく、俺は日本にいた時の猫じゃないんだぞ。獣人は体毛もあって寒さには強いんだ。だから、ほら、いいから使って」
「そうか、獣人だったね。ねぇ、ずっと思ってんだけど、その耳触らせて貰えない?」
「耳?いいけど」
アンドリューが鉄格子越しに耳を近づける。彼の顔は優しさで溢れている。
アリサはふわふわの耳を両手でもふもふしまくる。
獣人の耳は性感帯で気持ちいいし、興奮もしてくる場所だ。
気持ち良いけど触りまくられてアンドリューはたまらなくなる。
「ちょ、ちょっと待って、もう、勘弁してくれ」
アリサが一気に興醒めした顔をした。
「ごめん、嫌だった?猫だった時はいっぱいさせてくれたのに」
「今は獣人だからな」
「そうだね。ごめん。あっ、でも、すごく気持ち良かった。ありがとうアンドリュー」
「ああ、良いんだ。それより食べろ」
「うん、アップルパイだね。半分こしよ」
「俺はいい。アリサが食べればいいから」
「そんなのダメだよ。アンドリューにここにいてって頼んだのは私なんだから!さあ、食べてよ」
「そういうとこ、変わってないよな。よく買って来たチキンとか俺が食いついたらいつだってアリサ半分こっていっぱい分けてくれたよな」
「何、虎太郎が食いしん坊だったからじゃない!」
「日本での生活はほんと。楽しかった。あんな暮らしはここでは無理だからなぁ‥」
「まあ、日本とここでは常識も全く違うんだから仕方ないよ。何だか今日のアンドリュー、虎太郎に戻ったみたい。あっ、その感じがって事よ。今はアンドリューが獣人だって分かってるから」
「アリサが言う事は分かる。この世界は貴族社会で父や兄からすれば俺は邪魔な存在でとてもちっぽけな存在なんだ。逆らえばいつでも切り捨てられる。俺はそんな世界でずっと息を殺して生きてきた。転移してアリサと出会ってすごく楽しかった。猫の姿で話は出来なかったけど心は通い合ってただろう。でも、またこの世界に戻って来た。だから俺はまた息を殺して生きていかなくてはならないと思った。アリサは聖女だし俺には手の届かない存在になっていずれは兄の婚約者で兄の物になる。だから心を殺して‥それなのに、あいつはアリサにこんな仕打ちをしやがった。なんか、もう自分を押し殺してるのがやってられなくて‥」
「私だってここに来てアンドリューは他人みたいに冷たくなって寂しかった。でも、みんなに頼られてだから頑張らなきゃって、でも、ずっと苦しかった。ねぇ、アンドリュー?私の事今でも好き?」
アンドリューの顔がアリサを捉える。二人の瞳があって時間が止まったみたいになって暫く二人とも動けずにいた。
やっとアンドリューが視線を逸らして首を振った。
「俺、アリサを助け出して聖女としてちゃんとやって行けるようにするから安心して」
「アンドリュー?それって聖女として?アンドリューはどうなの?あなたはどうしたい?」
「そんな事、聖女様をどうにかしようなんて出来るわけないだろう!さあ、もう寝た方がいい」
アンドリューは立ち上がると蝋燭の炎を吹き消した。辺りは真っ暗になって彼が腰を下ろす気配だけがした。それっきり音はしなくなった。
暫く薄赤い光が瞼に残っていたがそれもすぐに消えると本当に真っ暗な世界が訪れた。
「アンドリューいる?」
「ああ、ここにいる。安心して」
「うん、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
アリサは毛布を肩までかけると今度こそ目を閉じた。




