第9話:サキガケ堂参上!
白く明るい景色は、常に何もかもぼんやりと滲んでいた。
人の声がするが、水の中で聴いているかのようにくぐもっている。その中を力なくまったり漂っているようで、自分自身が定かじゃない。
水の上に浮かび上がるようにして、フッと意識が鮮明になっていく。
「気づかれましたか? 直秀様」
「……ばあや?」
洋間の1人用ソファに直秀は座っていた。
背もたれに頭を預け、ぼうっとした顔を天井に向けている。焦点の合わない目が、水面のようにゆらゆら揺れていた。
「あれ、さっきは違うとこにいたよ…ね」
頭を小さな拳でコツンと叩く。
いつも頭の中や目の前は、霞がかかったように薄ぼんやりとしていた。
周りで何を言っているか判りづらいし、自分は起きて動いているかもはっきりしない。
霞む遠くに、別の自分が居る気がしていた。
その別人は、誰かに何かを言われて行動している。躊躇いもなく、唯々諾々と。
不思議だった。
別人が何かをしている時は、自分のことは曖昧で、感情が蓋をされてるみたいに何も感じない。
そんな日々が続いていたが、突然目の前に赤いドレスの女性が現れた。
どこか親し気で、話しかけてくる声は穏やかでふわりと優しい響きをしている。昔聞いたことがあったような、そんな錯覚を感じた。もっと傍に寄って声を聞いていたいと思うのに、何故か他人事のような気持ちで女性を見ていた。
相反する自分に、ちょっと腹が立つ。
「ばあや、あの女の人は?」
「女の人でございますか? …さあ、ばあやは存じ上げませんが」
「そう…」
赤いドレスの女性とは初対面なのに、今はどこか懐かしさを感じる。
自分に優しく触れてくれる手が温かく、とても恋しく思った。
意識がよりはっきりしてくる。
「ねえ、ここはドコ? 僕知らないよ、こんな部屋」
ちょっと不機嫌そうに直秀は室内を見回す。
「日本橋にある布留川の屋敷の一つでございます。旦那様の御指示で、こちらにいらっしゃるのですよ」
「ふうん……。父上は僕のことが嫌いだから、お家から追い出されたのかと思った」
「そんなことありませんよ。何か、ご用がおありなのでしょう」
「そうかな」
直秀はソファから立ち上がると、窓辺に駆けて行った。
目を焼くような眩しさに、直秀は目を細めた。色素の薄い瞳は、眩しい光に弱い。窓の外はとても明るい快晴だ。
「まだ頭がフラフラする……でも、おなかすいちゃった」
お腹の辺りをさする直秀に、文月はにっこりと微笑んだ。
「すぐに朝餉をご用意いたします。少しお待ちくださいまし」
「はーい」
部屋を出ていく文月を見送り、そして袖口に赤いシミが出来ていることに気付いた。
ニオイを嗅いでみると、なんだか食べ物の匂いがした。
「そういえば、何かを食べてた気がするんだけど……、初めての味で、なんか美味しかったような」
黄色い何かに、甘みと酸味のある赤い何かがかかっていた。思い出そうとするが、ハッキリとしない。
「また食べたいなあ、アレ」
* * *
「今日は午後にも追加の船が来る。荷物を整理しとけよ」
「発送分の荷物と混ざらないようにしとけ!」
港から運ばれてくる多くの荷物を各倉庫に運び込んでいた従業員たちは、突然辺りに鳴り響く爆音に顔を上げた。
そこへ特大の蒸気とエンジン音を鳴り響かせ、陽の光を弾かせながら『風神』が飛び込んできた。
「うわあああ!」
「なんだなんだ!?」
突然の闖入車に、運んでいた木箱を落とす者、慌てて逃げ出す者。誰もが唖然とし、轟音と白煙に呑み込まれていった。
通常より倍もある車体の蒸気車。そこから3人の人影が飛び出してきた。
「ご武運を!!」
彬子の叫びに、3人の人影は手を上げて応えた。
「俺たちはこのまま屋敷へ突っ込むぞ!」
「はいっ!」
* *
堀留橋で一旦『風神』は停まる。目指す布留川の倉庫と屋敷は目の前だ。
「まず壱番倉庫で小豆畑、弐番倉庫で永露、参番倉庫は久多良木、降りてそれぞれ直秀君を捜索。ついでに派手に暴れてください」
「おう!」
「まかせときな!」
「社長と俵積田さんは奥の屋敷へ」
「判りました」
キャメラ子をしっかりと持ち、彬子は頷く。
「いいですか、俵積田さんは敷地に入ったら、しっかりとキャメラ子で撮影するんです。あなたに戦闘はできない。ですが、布留川の現状を撮ることは可能だ。証拠をしっかりと撮影してください」
「はい!」
「社長は俵積田さんの護衛です」
「ははっ、泥船に乗ったつもりで安心しろぃ」
「心強いです!」
「いや、それ沈んじゃうから…」
永露がしっかりツッコミを入れておく。
「十中八九、直秀君は屋敷にいるでしょう。ですが、我々が倉庫で暴れていれば、多少の戦力分散にはなると思います」
「そーそー。雑魚戦力はおいらたちがボッコボコにしておくよ!」
「先日の借りは返すよ、熨斗つけて盛大にね」
* *
倉庫街を抜けると、すぐに屋敷が姿を現した。世田谷の洋館と同じくらいの、立派な屋敷だ。
『風神』は速度を落とすことなく屋敷を目指す。
「このまま屋敷へ突っ込む。衝撃に備えとけよ彬子!」
「はい! 遠慮なくどうぞ!」
日本松はアクセルを更に踏み込んだ。ドゥルンドゥルンと原動機が迫力を増して唸る。
彬子は衝撃に備えて、扉を両手でしっかりと掴む。これから起こる破天荒な展開に、興奮して鼓動が大きくなった。
怒涛の加速をつけて、『風神』は屋敷の扉を突き破って侵入した。




