第7話:奪われた子、揺さぶられる心
「はあ……」
彬子は頭を抱え、何度ついたか判らないため息を連続して吐きだす。
「ため息なんて、そう何度もするもんじゃない」
「判っているわよ。でも、勝手に出てくるんですもの」
「お前のガキのこと、林太郎から色々訊き出したんだろ?」
斎部刑事はジャケットのポケットから、くたびれた紙巻きたばこを取り出す。
「直秀に良くないことをさせているのは判ったわ。でも、それ以外のことも山ほど問い質したいことがあったのに、感情が昂っちゃって」
「そういうガキの頃からの癖は、治ってないみたいだなあ?」
「自分の未熟に涙が出そうよ」
たばこに火をつけながら笑う斎部刑事を、彬子は恨みがましく見上げた。
斎部刑事とは幼馴染で、小さい頃は一緒によく遊んだ。腹を割って何でも話せる数少ない友達であり、彬子が最初にフッた男性でもある。
「実はな、林太郎は警察局でマークされている」
「えっ」
「灯紫喜家の御威光を笠に着て、あくどいことも法律違反ギリギリのこともやっている。すぐにでもしょっ引きたいんだが、手が出せずにいる」
「そんな…」
林太郎が犯罪者になれば、灯紫喜の家は、直秀の立場は。
「最近な、財界人の不可解な死亡事件が出始めているんだ。目撃者は殆ど出ないし、現場も奇麗に処理された跡がある」
(彼は灯紫喜の異能力のことまでは知らない筈。林太郎はともかく、直秀が関わっていることは、絶対知られては駄目)
動揺を悟られないよう、彬子は表情を平静に保った。
斎部刑事はマッチを擦ってたばこに火をつけた。
「奴が関連している、俺はそう見ているんだがな。――おっと、着いたな」
路面電車が銀座一丁目の乗り場に停まった。
「もうすっかり夕方ね。今からご飯の仕度じゃ時間がかかっちゃう。どこか出前かしら」
紫色を滲ませた朱の空を見上げて呟いていると、
「あきちゃーん!」
賑わう雑踏の向こうから、大声を張り上げて永露が駆けてきた。
「伊久磨くん」
「大変なんだあきちゃん、サキガケ堂が襲われて、なおちゃんが攫われちゃったって」
彬子の顔が一瞬で険しくなる。
「直秀――」
一目散にサキガケ堂へ向けて駆けだした。
「直秀、直秀」
行きかう人々の間を器用にすり抜け、流れるようにサキガケ堂のビルを目指す。
出遅れた永露と斎部刑事が、慌てて後を追った。
サキガケ堂の前には野次馬の人だかりが出来て、警察局の警官たちも出入りしていた。
「通してください、関係者です!」
引き留めてくる警官に、彬子は食いつくように叫んだ。
「今は駄目です! お通しできません」
「でも!」
「通してやってくれ」
追いついた斎部刑事が、警察手帳を掲げながら警官の肩に手を置く。
「これは斎部刑事! 構わないのですか?」
ビシッと敬礼する警官に斎部刑事は頷く。
警官は留めていた腕を下ろすと、彬子はビルの中に走り込んだ。永露も後に続く。
2階の事務所では、力なく座る久多良木がいた。
「美桜さん!」
駆け寄ってくる彬子に、久多良木は頬を震わせた。今にも泣きだしそうな表情だ。
「美桜さん、直秀は、一体何がどうしたんですか?」
目の前にしゃがみ込んだ彬子に、久多良木はくしゃりと顔を歪ませる。
「ごめんよ彬子。直秀を、攫われちまった」
いつもの勝気で姉御肌の久多良木が、なりをひそめていた。
ビルの惨状から察するに、きっと直秀の為に奮闘してくれたのだろう。急く彬子の昂ぶった感情が、潮が引くように鎮まっていく。
「美桜さんは大丈夫ですか? どこかお怪我はしてませんか?」
「あたしはどこも…」
「良かった」
労わるように久多良木の膝を優しく叩いて、彬子は立ち上がる。
「戻っていましたか、俵積田さん」
やや疲れた様子で、小豆畑が事務所に入ってきた。
久多良木をちらりと見やって、黒縁眼鏡をクイッと押し上げる。
「ちょうど昼時でした。直秀くんに昼食を食べさせていたところで、複数人の黒服たちの襲撃に遭いました」
「襲撃……」
彬子の顔が曇る。
「私と久多良木さんで応戦したのですが、力及ばず…。申し訳ありません」
折り目正しく頭を下げる小豆畑に、
「お2人のせいじゃありません。顔をあげてください」
小豆畑は薙刀使いの師範代、久多良木は柔道をたしなんでいる。
その2人が反撃しての結果ならどうしようもない。
(林太郎がこんなに早く手を回してくるなんて。油断していたわ)
「おいら調査で空けてたから、くそう!」
拳を掌に打ち付けて、永露は悔しがる。
「なんだ、暗いな」
咥えたばこで事務所に入ってきた斎部刑事は、突き刺さるような4人の視線を受けて首をすくませた。
「犯人の目星はついてんのか?」
小豆畑が否定するように首を振る。
「心当たりは、あります」
鋭い光が、彬子の黒い瞳を過る。
「林太郎の手の者――いえ、灯紫喜家の武の実行部隊『建御雷神』でしょう」
「灯紫喜の裏か」
「ええ。――桜島も林太郎についている様子。恐らく『建御雷神』も掌握しているでしょうね」
8年で変わってしまった灯紫喜家。
(おじい様は関与しているの?)
林太郎に質せなかったことが、心底悔やまれた。
「灯紫喜の本宅へ逃げ込まれてたら、いくら警察局でも簡単には手が出せない。布留川関連の施設なりなら、踏み込めるんだがな」
「林太郎の仕事について、私は何も知らないの。情けないけど…」
「派手に立ち去った蒸気車の目撃証言やこちらで抑えている情報で、ある程度特定できるだろう」
「教えて!」
前のめりになる彬子の額を、斎部刑事は人差し指で押し返す。
「バーカ、こっからは警察局の仕事だ。浮気調査会社の出番はねえよ」
「でも――」
「でももヘチマモねえ。とっちらかってるビルの掃除でもやってろ」
襲撃や現場調査のため、ビルの中はしっちゃかめっちゃかだ。
引き結んだ口を震わせ、感情を抑え込むように彬子はその場に踏ん張った。
「じゃじゃ馬が暴走しないよう、しっかり見張っといてくれ、小豆畑のダンナ」
「任せてもらおう」
「じゃあな。また連絡する」
片手を振って、斎部刑事は出て行った。




