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第6話:林太郎

 彬子の出て行った扉を見つめ、林太郎は忌々し気に唇を噛んだ。


「初めて会ったときも気に食わなかったが、更に磨きがかかったな」


* *


 顔合わせの時に初めて見た彬子は、苦労知らずなお姫様という印象。

 奇麗に整えられた黒髪も、京友禅の豪奢な振袖も、磨き上げた美しい爪も。

 今まで自分の周りにはいなかったタイプ。全身が拒絶するほどの不快を感じた。


「中々に、好いお嬢様じゃないか」


 父の俊作は、嬉しそうに感想を述べた。


「気取らず、気さくで、私たちにも配慮してくださっていた」

「フンッ、そうでしょうか」


 息子の素っ気ない反応に、俊作は苦笑する。


「気に入らないのであれば、お断りするかい?」

「い、いえ、それは」

「構わないんだよ。お前の気持ちを犠牲にしてまで、縁談を進める気は無いから」


 父は質屋から財を築き上げ、今では誰もが認める豪商。財力なら国内でも上位に入るほどだ。

 しかし財を積んでも、手に入らぬものがある。それが身分だった。


「政財界への足掛かり、このチャンスを逃す手はありません。犠牲なんかじゃない、これは投資です」

「ははっ、そうか。そうだね、投資だ」


 父のため、布留川家のためならば、あの不愉快な令嬢と結婚することも厭わない。

 そして結婚してみれば、彬子の頭の中は花畑で、斟酌(しんしゃく)の意味を履き違えている。義務を果たすとき以外は、なるべく接触しないように努めた。

 3年経ってようやく男児が生まれたときは、別のことで快哉を叫んだ。


「これで、あの女と別れられる」


 彬子を陥れる算段も根回しも、全て準備万端整えた。そうして彬子を排除して、心底清々する。

 だが、もう一つ林太郎の心を不快にさせる存在があった。

 直秀だ。


「髪の色、目の色、何故私に似たんだ? お前は灯紫喜の子供だろう」


 何も知らずにスヤスヤ眠る直秀に、唾を吐きたい気持ちに襲われた。


「父は、商いで知り合った阿蘭陀人(オランダじん)と結婚した。私と兄は混血、そのせいでこの容姿だ」


 顔立ちも異国人のようで、子供の頃は随分と苛められた。

 両親を恨んだことは一度もない。ただ、父に似ればよかったのに、と思うことはあった。


「あの女は、私の容姿を褒めちぎっていた。――人の気も知らないで」


 無神経に言われるたびに、肩のあたりが嫌悪にゾワッと総毛立った。

 感情の赴くまま、何度その顔を引っ叩いてやりたいと思ったか。

 常に笑っていた女。それがたった一度、感情任せに平手打ちをしてきたことがある。

 頬にそっと触れた。


* *


「8年前は、あちらから手をあげられてしまったか」


 林太郎は自嘲気味に言い、回想を払う様に頭を何度か振った。


「そう、直秀だ」


 デスクの上の鈴を、荒々しく何度か振る。

 数十秒ほどで桜島が顔を出した。


「お呼びで」

「逢引き宿に向かわせた直秀のことを、何故か彬子が知っていた。私が直秀に何をしていたかまでもだ」


 主の言葉に、桜島の顔にサッと緊張が走る。


「一部始終を、お嬢様はご覧になっていたのでしょうか?」

「判らない。だが、妙に詳細に知っているようだった」


 顎に手を当て、林太郎は考え込んだ。眉間に皺が寄る。


「浮気調査会社サキガケ堂、といったか。確か甲斐荘(かいのしょう)重工所有のビルを使っていたな」

「社長は甲斐荘(かいのしょう)子爵家所縁の者です」

「ああ…、目障りなあの」


 小さく舌打ちする。

 軍需産業でトップに君臨する甲斐荘重工。

 布留川家も軍需産業に手を広げているが、引き摺り下ろせるほど軽い存在ではない。


「どの程度甲斐荘子爵家が関わっているか判らないが、直秀をこのままにはできない」

有島(ありしま)に指示を出します」

「うん。奪い返してこい。そして、灯紫喜に……いや、布留川に手が出せないよう、しっかりと判らせてやるように」

「承りました」


 執務室を出て行く桜島を視線で見送り、林太郎は応接ソファの一つに座った。

 片腕を背もたれにかけ、顔を上げて目を閉じる。

 俗世も知らなかった御令嬢が、職業婦人も板につき、鋭い眼光で宣言してきた。弱弱しさなど微塵も感じさせない。


「私は直秀の母です!」


 直秀の外見は父に似たが、内面が本当に母に似ている。


「それを知ったら、あの女は喜ぶんだろうか?」


 そんなことが、ふと気になった。


「産んだのが彬子だろうが関係ない」


 ひんやりとした響きを帯びて、林太郎の声が室内を漂う。


「直秀は灯紫喜を継ぐ。そして、布留川がもっと大きくなるために、存分に利用してやるまでだ」


 あげていた顔を下げ、顎を引いた。色素の薄い瞳に、狩人のような光が宿る。


「異能力『虚実綴り』を使ってな」


 喉を震わせるような笑い声。次第に屋敷中に轟く大声になった。



* * *



 彬子が外出してからそう経たず、昼を報せる鐘の音が銀座の街に鳴り響く。

 相変わらずぼうっとしている直秀だったが、唐突に「おなかすいた」と呟いた。

 久多良木は小豆畑に言って、行きつけの食堂に出前を頼んだ。




 黄色い卵に包まれた、木の葉型のオムライス。赤いケチャップがたくさんかけてある。卵の中もケチャップライスで赤い。

 ニタっとした笑みを顔に浮かべ、オムライスを食べ始める直秀。その表情に、キャメラ子で撮影された映像で見た表情(かお)と重なり、久多良木はゾッとした。


「ゆ、ゆっくり、よく噛んで食べるんだよ」


 少し怯みながらも、白いナプキンで直秀の口周りについたケチャップを拭ってやる。


「美味しいかい? あんたのような(ぼん)に、庶民の味はどうかと思うけど」


 食べる手を止めず、目元には喜色が浮かんでいる。どうやらお口に合うようだ。


「あんたのお母さんの作るご飯も美味しいんだよ。これからは、沢山作ってもらいなね」


 夢中でオムライスを頬張る直秀に、久多良木は柔らかく微笑んだ。

 その時、ガシャンッと窓ガラスが割れる音がして、何かが室内に放り込まれた。


「なんだい?――発煙弾!!」


 カラカラとした音をさせ、缶から突如灰色の煙が勢いよく噴き出した。


「クッ、直秀!」


 煙が噴き出したと同時に、室内に黒服が複数人雪崩れ込んできた。


「直秀!!」


 久多良木は口元を覆いながら、ありったけの大声で呼ぶ。

 煙と黒色で6畳間は密になり、直秀がどうなっているかが判らない。


「久多良木さん!」


 階下で小豆畑の叫び声がする。


「目標確保、行くぞ」


 くぐもった男の声がする。

 直秀は抵抗すらせず、ケチャップだらけの口をもごもごさせたまま、黒服たちに抱えられていく。

 煙の切れ目からその様子が見て取れ、


「お待ちよ! 直秀!」


 久多良木が叫んでも、振り返る様子すらない。ケチャップまみれの放心顔が煙に消えていった。

 絶望的な現状に、彬子の笑顔や過去話が脳裏を過る。逸る様に手が震えた。


「8年ぶりに会えた母子なんだよ、彬子がどれほど喜んだか――」


 2人の幸せを守りたい気持ちに身体が熱を帯び、直秀が攫われて行った方へ踏み込む。しかし、大きな手が久多良木の繊細な肩を力強く鷲掴みにした。


「舐めんじゃないよ!!」


 相手の腕をガシッと掴み、久多良木は「うおりゃあっ」と怒号をあげて一本背負いした。


「ぐふっ」


 投げられた黒服は、壁に身体を強打して床に沈んだ。


「直秀!」


 出て行った他の黒服を追い、久多良木は部屋を飛び出した。




 階段のところまで駆けていくと、階下は騒然となっていた。


「営業妨害とは、許せませんね」


 神経質に彩られた小豆畑の声の後に、複数の黒服が吹っ飛んでいく。薙刀が空を唸る音がフロアに響いていた。


「お客様がご来訪なさってなくて、心底良かったです。さあ、覚悟は良いですか?」


 その様子に久多良木はホッとすると、更に階段を駆け下りた。




 久多良木がビルを出たときには、黒服たちは大きな蒸気車に飛び乗っている。直秀の小さな身体は黒服の脇に抱えられ、無抵抗のままだ。


「お待ち、直秀をお返し!!」


 走りながら久多良木は怒鳴ったが、蒸気車はガスと蒸気を噴射させて、突風のように走り去ってしまった。

 蒸気車の去っていった方面を唖然と見やり、


「なんなんだよ、もー!!」


 地団太を踏んで絶叫した。


「彬子になんて言えばいいんだ……クソッ」


 乱れた着物を直そうともせず、久多良木はへなりとその場に座り込んでしまった。

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