第18話:異能力『虚実綴り』
「直秀!」
部屋に入ってきた直秀に、彬子は慌てて駆け寄る。
膝立ちになり、直秀と視線を合わせた。
「大丈夫ですよ、お嬢様。催眠効果も完全に抜けて、直秀様本来のお姿に戻られました」
扉の外に控える有島が答えた。
「ああ…」
目は澄んでいて、表情もしっかりとしている。会いたかった本当の直秀。彬子は感無量になり、涙を溢れさせた。口を両手で押さえ、泣き崩れる。
微笑みながら、直秀はそっと腕を伸ばし、彬子の身体を優しく抱きしめた。
「ばあやがお母様の写真を、ずっと見せてくれてたんです。だから僕、あなたがお母様だって、すぐ判りました」
「うっ…うっ…文月が…そうだったのね」
「良かった、僕のお母様は美人で」
「まあ、まあ」
「おませさんか……」
後ろの方で斎部刑事がボソリとツッコんだ。
「何をしに来た、直秀」
苦々しい声に、直秀は顔を上げる。
「もちろん、次期当主としての務めを果たしに来たんです、父上」
「…なんだと?」
思わず林太郎はよろりと後退る。
林太郎と直秀の外見は、本当によく似ていた。赤茶けた薄い髪の毛も、色素の薄い瞳も、白い面も。彬子に似ていると言えるのは、その目つきだった。
彬子から離れると、直秀は父の前に立つ。そして毅然と見上げた。
「父上は常々仰っていましたよね、母は不貞を働いて家を追い出されたのだと。だらしのない女性であったと。でも、真実は大違いです。有島が全部教えてくれましたよ、不貞を働いていたのは、父上のほうだって」
息子の指摘に、林太郎の頬が引き攣った。
「ひいじい様が亡くなったら、この家に迎えることになってるんですよね。そして僕の母親にする予定だって」
「……そんなことまで」
林太郎は扉の外に、険しい視線を向ける。
「僕はイヤです、そんな人。僕には本当のお母様がいらっしゃるんだもの。代わりなんて欲しくありません」
「さっきからこの――」
林太郎は大きく手を上げ、直秀の頬目掛けて振り下ろした。
しかしその手は直秀に当たることなく、タックルしてきた彬子に林太郎の長身は派手にひっくり返ってしまった。
「直秀に暴力なんて許しません!!」
「このっ」
林太郎は足掻いたが、彬子にしっかりホールドされて起き上がれずにいた。
仰向けに転がる林太郎の顔の傍に、小さな足が立った。
「ありがとうございます、お母様。ほんの少しだけ、そのままお願いします」
「判ったわ!」
見かけによらずの怪力を発揮して、彬子は林太郎を抑え込んだ。息子から頼られ、身体に力が漲った。
「2年間記憶を沢山弄られて、何が本当のことなのか、僕は判らなくなってしまっていた。だって、別人の記憶を教えられたり、その人になりきったり、僕自身さえもあやふやでした。でもね」
必死の彬子を見て、直秀は愛らしい笑みを浮かべる。
「お母様に会って、それからどんどん靄が晴れて行ったの。散らばっていた記憶の欠片が、どんどん嵌まっていって。僕は僕を取り戻せたの」
「ぐう…」
「父上が灯紫喜の為に、お金を沢山運んでくれたことは、感謝しています。僕はまだ子供だから、お仕事なんて出来ないし」
直秀はその場にしゃがんだ。
「父上が居なくなっても、僕が大人になるまでは、お台所は大丈夫だそうです。だからね、父上には罰を受けていただきます」
「なっ、なんだと」
直秀が宣言したとき、彬子、斎部刑事、有島、林太郎の頭に、ある光景が浮かぶ。
「”父・林太郎は突然恋に目覚め、灯紫喜の家を飛び出していった。行先は品川の娼館。そこに父が人生を全て捧げても足りないくらい、愛しい娼婦がいる。父上は二度と灯紫喜に戻らなかった”」
その言葉が紡がれた瞬間、林太郎の顔色から血の気が引き、瞳の奥にかすかな虚ろが走った。
反論しようと口を開いたが、声は出ない。脳裏に別の記憶が流れ込み、自分の過去と溶け合っていく。
「み……みつよ……」
頬が緩み、端整だった顔に恍惚とした笑みが広がる。
それは怒りや理性の残滓を、完全に押し流した、異様な幸福の表情だった。
「異能力『虚実綴り』」
冷え冷えとするような声で直秀が言うと、林太郎は途端、彬子を撥ねのけて立ち上がった。
「きゃっ」
まるで糸の切れた操り人形のように、ふらつきながらも部屋を飛び出して行ってしまった。
「僕、名前まで設定していないんだけど」
子供らしからぬ仕草で肩をすくめる。そして転がったまま呆気に取られている彬子に、直秀は小さな手を差し伸べた。
「お母様、大丈夫?」
「え…、ええ」
小さなその手を握り、彬子は立ち上がった。
「おい、俺はどうすればいいんだ……」
心底困惑した顔で、斎部刑事が直秀を見る。
「逮捕なさるなら、品川にある娼館を探してください。きっと、すぐ見つかるんじゃないかなあ」
「まじか…」
頭をガシガシ掻くと、
「地味だがとんでもねえ異能だな…。まあ、また後でな」
斎部刑事は林太郎を追いかけるように、駆け出して行った。
鳥の鳴き声が過ぎ去り、室内に静寂が降りる。窓から射しこむ光は弱く、そろそろ陽が翳ろうとしていた。
「直秀…」
小さな手を両手で包み込むようにして握る。
「私は、本当に助けられてばかりね。あなたに辛い思いをずっとさせていたのに、助けてもらって…。情けない母で、ごめんなさい」
忸怩たる思いに顔を上げられずにいると、頬に口づけられる感触がして、驚いて顔を上げた。
「僕は男の子だよ。女性を守るのが男なの。僕はまだ子供だけど、有島にいっぱい強くしてもらうから。安心して、お母様」
年相応の愛らしい笑顔。
「もう、好い子!」
ギュッと強く直秀を抱きしめた。
込み上げてくる愛しさ、頼もしさ、成長を間近で見られた喜びに、胸がはちきれそうだった。8年の悲しみも苦しみも、一瞬で弾け飛んでしまうほどに。
「うっ…お母様…歯車が刺さって痛い…」
「え、きゃっ、大変!」
赤くなっている直秀の頬に、彬子はおろおろと手をあてるのだった。




