第17話:林太郎の本音
直秀を有島に託し、彬子と斎部刑事は離れへと向かう。日本松はいつの間にか姿を消していた。
一度中庭に出て、こじんまりと建つ小さな洋館の扉の前に立った。
真鍮のドアノブに手をかけ、僅かに躊躇いつつ回す。
「外国にあるお家を、移築したのですって。素敵ね…」
華美さはないが、木の温もりとペンキ塗りの色合いが愛らしい。
階段を上がり、突き当りの部屋をノックする。そして返事を待たずに扉を開けた。
「何故生きている……」
窓辺に立ち、パイプを吸っていた林太郎は、開口一番忌々し気に吐き捨てた。
「先日ぶりね」
短く答え、彬子は部屋に入る。斎部刑事はドアのすぐ前に控えた。
敷地を囲う竹林の葉音が、そよそよと小さな部屋に流れた。
「日本橋を荒らしてくれたようだな」
「ええ。従業員の方たちには申し訳ないけど、だいぶ暴れさせてもらいました」
「まさか、お前まで異能力を持っていたとか言わないだろうな……」
不信感を募らせる林太郎に、彬子は「ぷっ」と吹き出し笑ってしまった。
「私はみんなのオマケですのよ。自分1人じゃ何もできない、せいぜい走ることと、体力だけは一人前ですが」
苦笑を浮かべて林太郎を見る。
「そんなことは、林太郎さんが、一番知っていたでしょう?」
窓を覆う麗糸のカーテンが、林太郎の頭髪に細かい模様を刻む。それを目の端に捉え、彬子は真顔になる。
「有島から全て聞きました。使用人達への未払いの賃金を、あなたが立て替えてくださっていたことを。ありがとうございます」
そっと頭を下げた。
「ですが、直秀のことは別の話です。あなたがなさってきたこと、けっして許されることではありません。斎部刑事もいらしてます。罪を償ってください」
「喧しい!!」
林太郎は大声で叫ぶと、手にしていたパイプを彬子に投げつけた。
「くっ」
咄嗟に顔を庇ったが、パイプは額を直撃した。
「初めて会ったときから、お前には反吐が出るほどうんざりしていた!」
ビシっと彬子を指さし、端整な容姿が醜く歪む。
「苦労一つ知らずに上げ膳据え膳で育ったお姫様気取りが、何を知った顔で人に笑いかける。鏡を見りゃわかるだろう、取り巻きどもがお追従で容姿を褒めるのは当然だ。なのにお前は、無神経に誰にでもそれを口にする。人を見下してるのか、それとも頭の中がお花畑で気づかないだけか?
世間知らずのカマトトぶりやがって――そんなものを誰が真に受けるか!」
林太郎は胸のシャツを鷲掴みにして、一歩前に足を踏み出す。息は荒く、あまりの形相に、彬子は唾を飲み込んだ。
「本心では私を庶民だと見下しているくせに、薄っぺらい優しさで取り繕って、さぞ気持ちがいいだろうな!」
言葉と姿から伝わってくる、彬子への本音。
夫婦で居た頃は、そんな気振りを少しも見せなかった。
彬子は俯く。
「不思議ね…、これだけ言われたら、普通は泣き伏してしまうのでしょうね。でも、涙は出てこないの。それどころか、恥ずかしさで全身が熱いわ」
我知らず、キャメラ子のハンドルを強く握りしめる。
「それに、林太郎さんの本音を直に聴けて、なんだか嬉しいわ、本当よ。――私ってどうしようもない妻だったのね」
有島と林太郎の話を聞いて、恥じ入るばかりである。
一生分の恥を感じたのではないかと、彬子は内心溜息を連続でついた。
「夫婦の時に、ぶつけてほしかった。――布留川のこと、婿養子の立場、そういったものが、林太郎さんの本音に蓋をしていたのでしょうけど」
彬子の反応が予想外だったのか、林太郎は逆に冷静になったようだ。
「……言ったところで判らなかっただろう」
「そうですね」
くすっと笑った。
林太郎は小さく息をつき、デスクの上に視線を落とす。
「賃金の支払いが済んだ後から、使用人たちの私への接し方が変わった。良い意味でな。それからは、桜島から灯紫喜のことを色々訊くことが出来た。その時、『虚実綴り』のことを知ったのだ」
灯紫喜の直系男子のみが引き継ぐという異能力。
”自らの記憶を改竄してそれを周囲の他人にも強制的に認知させることが出来る”という『虚実綴り』。
「この異能を使い、灯紫喜は繁栄を極めていた。この国の頂点を奪うことも出来ただろう。それなのに、台所事情が芳しくないのはどう考えてもおかしい。疑問に思い、当主に問い質してみたんだ。しかし、答えてはくれなかった」
「おじい様…」
「労働者に賃金を支払うのは、雇用主の最低限の責任だ。それを何十年と放置しておいて、使用人たちを当たり前のよう搾取し続けるお前たちを、心から軽蔑したよ」
「……はい」
事実なので否定しようがない。
「直秀が『虚実綴り』を継承していることを知り、灯紫喜の食い扶持を稼ぐなら、灯紫喜自身で稼げばいい、そう私は考えた」
林太郎の顔に残忍な笑みが浮かぶ。
「直秀は優秀だ。なにせ、今まで失敗したことがない」
再び林太郎は彬子を睨む。
「――おまえに再会するまではな。8年経っても目障りなことこの上ない」
「そんなことありませんよ、父上」
静かに扉を開き、直秀が姿を現した。
幼いはずの声に揺らぎはなく、むしろ林太郎と同じ冷ややかな響きを帯びていた。




