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幕間 狐塚ユミ①

 〇


 幕間 狐塚(きつねづか)ユミ


 〇


 並びたかった人がいる。

 とても近くて遠い人だ。

 

 初鳥シオリ。

 私の場所は彼女の場所だ。


 〇


「ユミ、4月からは公立の小学校に行くから、友達とは少し離れ離れになるよ。でもユミなら大丈夫。友達も、みんな初めての人が多いし、最初は難しいかもしれないけど、きっとみんなと仲良くなれる。そして強くなれるからね」

 

 幼稚園を卒園する間際(まぎわ)、父は、そんな風に言った。

 

 私には4つ上の兄がいる。

 勉強もスポーツも出来るし、とても尊敬できる人だ。

 私の通った幼稚園は、兄と同じ私立の幼稚園。

 望めば、大学まで受験無しの一貫校。

 ただし、小学校からは、女子校になるので、男子は他へ行くしかない。

 兄は小学校から公立に通った。私たち一家が住んでいる桜山(さくらやま)の自宅から、ほど近い場所の桜山小学校。

 幼稚園の時から、優等生だった兄は、小学校へ入学してからも友達が多く、多くの友達を家に連れてきた。私も、兄が連れてきた多くの『お兄さん』たちに可愛がられた。

 公立へ行ったことで兄はたくましく育った、両親はそんな風に言う。

 家の教育方針で、兄と同じに育つならと、私も公立の小学校に行かせよう、そんな話だった。

 仲の良い友達と別れるのは少し、いやかなり(さび)しかったが、兄と同じようになれるならと、これからの自分への期待があった。

 

 〇


 獣の巣かと思った。

 しつけのなっていない、貧乏団地の子供たちは、服は泥だらけ。

 同じ日本語をしゃべっているはずなのに、荒くて同じに聞こえなかった。

 勉強も、幼稚園で1度習った内容からやらされて、しかもそれがわからない子までいる。

 掃除(そうじ)の時間も誰かがふざけていて、同じ班に5人いるなら、ちゃんとやる子は2人か3人。不潔な場所でも平気なやつらだった。

 休み時間もぎゃあぎゃあとうるさい。とても休めたものではない。

 放課後だって、我先に教室から出ていく子たちに突き飛ばされ、みんな他人のことが見えていない。

 今を生きるのに精いっぱいで、明日も見ていないような、そんな子らだった。

 そして、私が一番、嫌だったのは、――そんな子たちに私はさっぱり受け入れてもらえないのだ。

 友達ができない。

 着ている物は、私の方がどうみてもちゃんとしている。言葉だって子供なりに上品だし、においだって変なにおいはしない。勉強だって、スポーツだって、私は出来る方だ。

 つまり、あの子たちより、私は明らかに『上』なのだ。

 仲良くしようと必死になっているのに、明らかに、私より下の子たちなのに、その意思を示しているのに――私と友達になってくれない。

 帰りたかった。こんな汚く臭い校舎ではなくて、甘ったるい匂いのする幼稚園に帰りたかった。今頃あの幼稚園を卒園した友達がいるであろう、私立の小学校に行きたかった。

 兄のことも嫌いになった。この人が公立で上手くやれていなければ、私は今頃私立の小学校で友達と過ごせていたのに。

 日中、周りに同級生がいっぱいいるのに、泣きそうになったこともある。同じ年の子供たちは、誰も私を見てくれない。

 それでも、絶対に人前では泣けなかった。泣かなかった。私が『上』で、あいつらが『下』だ。負けてたまるか。


 〇


 汚いチビのクソガキだと思った。

 桜山に多い集合住宅や、県営住宅、母子寮(ぼしりょう)の子ではないけれど。着ている物は汚いし、それに他の子と同じようになんだかくさい。金のなさそうな家の子だった。

 なぜこいつが、みんなの中心にいるのか、わからなかった。勉強は出来るらしい。そこは私と同じかもしれない。スポーツはてんでダメだ。私の方が『上』だ。

 そんなシオリが、ある日、声をかけてきた。

 

「ねえ、いっつもさ――」

 

「は、なに?」

 

 言った瞬間、シオリの動きは止まり、――目から涙があふれだした。止まらない。

 

「ちょ、ちょっと、どうしたの。やめてよ、私が何かしたみたいじゃん」

 

 私は焦った。そんなにキツくは言っていないはずだ。仲間が多いこいつをイジメてるみたいに見られて、立場が悪くなったら困る。後で考えたら、悪くなる立場もなかったのだけれど。

 泣きじゃくるシオリをなだめて、なんとか引き出した台詞。要約すればこうだ。

 

「あなたに、かける言葉が見つからない」

 

 一瞬、理解するのに時間がかかった。理解した後に来た感情は怒り。

 ナメるな、と思った。汚い団地のクソガキに同情されるほど、私は落ちぶれてはいない。友達ができないくらいで、かわいそうだとでも思っているのか。

 反発しながら、ケンカしながら、言いあいながら、よくよく聞けばそうではなかった。

 私のことをかわいそうと思っていたのではなく、その立場と心情を完全に、頭で理解して、共感し、その同じ想いになって、泣いていた。

 共感力がとても高く、相手と同じ気持ちを理解する。言えない本心を理解する。ただし、頭は良いのに、その理解した情緒(じょうちょ)をまるで処理できない子供。

 ほとんど初めて話す相手の気持ちになって、泣く子供。

 それがシオリだった。

 その日は、私の家まで一緒に帰った。シオリは何を言うでもなく、泣きながらついてきて、お互い――私も、何か言いたそうにして、家の前で別れた。


 〇


 少しだけ、一緒にいることにした。

 人気者のシオリの周りにいるのは、なんだか()びを売るようで、周りの目が気になったが、シオリは気にしていなかった。それになんとなくだが、『お前らより私の方がシオリの(かたわら)相応(ふさわ)しい』みたいな気持ちもあった。

 もうこの時、私の気持ちは、武装(ぶそう)していたとするならば、私の(よろい)は、私の城は、とっくにシオリに陥落(かんらく)されていたのかもしれない。


 シオリはとにかく、よく泣いた。悲しい誰かの、やるせない友達の、怒れる知り合いの話を聞いてよく泣いた。どうしようもない悲しみのやり場を、みんなシオリに求めているようだった。そして、シオリはその気持ちをいつもちゃんと理解し、共感する。しかし処理できないし、解決も出来ない――子供の力で解決できることなど、子供は悩まない――ので、よく泣いた。他人と一緒に、そしてその他人が目の前から消えても、思い出したように。

 みんなは笑顔のシオリばかり見るけれど、私の中のシオリは、いつも泣いている。


 鏡のような人間だ、とも思った。

 決して聖人ではないけれど、まっすぐな子で、悲しみを一緒に分かち合ってくれるし、笑顔を返せば笑顔をくれる。(さび)しさを感じたなら、シオリに言えばいい。きっと寂しさも分け合ってくれる。

 誰かがシオリのことを見て、そこに善なる存在を見たのなら、それは見た者自身がそうであるし、強さを見たならば、見た者自身が強いのだろう。

 私の中のシオリがいつも泣いている、とはつまりそういうことかもしれない。


 シオリの気持ちをわかりたかった。他者の気持ちがわかるとは、どういうものかわかりたかった。そして、泣くほど心をあふれさせるのなら、傍にいる私に分けても欲しかった。

 昔からシオリと一緒にいるサトミも、シオリの共感までは理解できていないようだった。私は、形から入ってシオリに共感してみようと思った。

 言葉を、少しだけ下品にしてみた。というか、いつの間にか荒々(あらあら)しくなっていた。

『ちゃん付け』『くん付け』もやめた。シオリみたいに。

 着る物を、男子のような、動きやすい服装にしてみた。元のフリルのついた服も時々は着るけれど、頻度(ひんど)を減らし、他の子と同じような物を着る。

 母の買ってくるブランドの服ではなくて、スーパーで、自分で選んだ服を着たときは、少し不良になったみたいでドキドキした。

 くさい子たちと駆け回るのも、なんだか少し楽しくなっていた。


 共感を理解するのは難しかった。シオリのそれは技術ではおそらくなかったから。

 それでも、みんなの中心にはいつもシオリがいて、シオリの傍にはいつも私と――おそらくは、シオリみたいになりたい私と――サトミがいて、それで私は満足だった。


 〇

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