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幕間 狐塚ユミ②

 〇


 端的(たんてき)に言えば、シオリを壊したのは私だ。

 きっかけは、前日、シオリの帰りが遅くなったこと。

 シオリの家は、一家で、とある新興宗教(しんこうしゅうきょう)を信仰していた。

 シオリが他人に共感できるのは、その宗教の機関誌(きかんし)や、児童向け書籍なんかで、つらく苦しい体験をさんざん見せられたからかもしれない、と私は考えたこともある。宗教は、(みじ)めな境遇(きょうぐう)に付け込むものと決まっている。まあ、おそらくそこまで因果(いんが)はないだろうと、同じ宗教をやっている他の人間を見て、判断しているけれど。

 ともかく、その宗教は、他者の勧誘(かんゆう)に熱心で、機関誌の購読(こうどく)を勧められたり、選挙でその宗教が関わっている党への投票を頼んだり、入信しなくても良いから『友達名簿』みたいな物に、名前を書いてくれないか、とかそんな話が多かった。

 親や祖父母同士の話であり、私たちには関係ない。

 シオリはそんなことをしない。大嫌いだったし。

 

 前日、シオリの祖母が、多くの友達の家へ電話をかけたり、直接訪問したりしたことを、彼女は気にしていた。すごく恥ずかしがっていた。友達大勢が集まった時に、シオリは謝った。別に悪いことをしたわけでもないし、仮にそうだとしても、彼女自身がしたことでもないのに。

 「みんな、ごめんね。うちの家族が迷惑かけて」と、いつもと違う、神妙(しんみょう)な態度でそんなことを言っていた。

 誰かが言った。「それにしても、シオリちゃんのおばあちゃんが来たから、何かと思ったよ。選挙は無いし、また宗教の勧誘かと思っちゃった」

 シオリは固まって、言葉が返せずにいた。誰かが「あ、私も」と言った。他の友達からも、口々に声が上がる。「オレも」「せんきょの話かなって」「いつもそれだもんな」「教えを理解しろとかさ」「友達になれとか言ってくるらしいぜ。大人のくせに」。

 シオリが家の宗教のことを、嫌っているのは知っていた。そして、他人の悪口を決して言わない彼女が、祖母のことだけは例外で、口汚く(ののし)るのを知っていた。

 シオリは知らなかった。自分の家族が、自分のいないところで、自分の嫌いな宗教の勧誘や活動を、自分の友達やその家族にしているのを知らなかった。

 みんなの間の暗黙(あんもく)の了解、それは、シオリが嫌っている物――この場合は家の宗教――の話をしない。所詮は保護者同士のこと。シオリの魅力(みりょく)はそんなもので(かげ)ったりはしない。

 口々に上がる、シオリの家の宗教の話。勧誘の話も、機関誌の話も、選挙の話も、『友達名簿』の話も。シオリがそれを嫌っているのだから、悪口を言ってもいいと思っていた。きっと、一緒に笑ってくれると。

 

 間違っていた。見誤(みあや)っていた。

 鏡のようなシオリの中に、どうしても共感できず、周りにも漏らすことのできない大きな欠落。それが家の宗教の話だった。その話を持ち出されるだけでシオリはとても苦しむ。その時まで、しないようにしていた話は、シオリの中で育ちに育った、大きなひずみだった。

 みんなの話、全部を聞いた後で、シオリは「……ちがう、……私は、そんなつもりで、みんなと……」と言って、泣きそうな、笑うような顔で私を見た。

 そこでシオリに必要だったのは、シオリのように相手より先に相手の本心に共感し、相手より先に泣いてしまえるような、シオリ自身だったのかもしれない。

 しかし、そこで隣にいたのはシオリではなかった。表面だけ模倣(もほう)したシオリの出来損(できそこ)ない、シオリになりそこなった私だった。

 そう。鏡は自分を写せない。

 場の流れが「大したことないよ」「気にすんなよ」という雰囲気だった。

 シオリがこんな話を重く受け止める必要はない。バカバカしい話だ、と。流してしまえ、と私が選んだ言葉は。


「シオリ、あんたはいつ私を折伏(しゃくぶく)に来るの?」


 シオリの顔から表情が消えた。

「ごめんなさい。ごめんなさい」と言っていた。


 その日から、シオリはいなくなった。

 笑顔が消えた。

 多人数で友達と遊ばなくなった。グループで遊びに行くからと誘っても絶対に来なくなった。

 子供だから、偶然大勢で集まった時も、集まってしまう時もある。シオリはサトミの後ろに引っ込んで、絶対前に出てこなかった。話を振ってみても、それが集団の中である限りは、口がパクパクと動くだけで、言葉を発することはなかった。

 そして――私を()けるようになった。

 私がいる場を避けるようになった。


 私は謝った。私と話をしてくれないシオリに、無理やり何度も謝った。

 それでも駄目だ。シオリは、私を意識で避けているのではなく、体が受け付けないようだった。

 あの日あったことを、みんなの前で、シオリ自身がなじられたと感じたであろう日のことを、まるで覚えていなかった。

 そして、記憶(きおく)もおかしい。以前の自分をすっかり忘れていた。

 シオリはみんなの中心だったはずだが、彼女の認識では『友達の中心にいるのは私やサトミ』で、自分はサトミの隣についていただけだ、と。今のシオリは、まるで別の世界から、姿かたちはそっくりな、別な過去を持つ別人を連れてきたように話す。

 呼び方も変わった。以前のシオリは友達のことをみんな呼び捨てにしていた。私は一度も「ユミちゃん」などと呼ばれたことは無い。

 壊れたシオリは、私のことを「ユミちゃん」と呼ぶ。他の友達のことも『ちゃん付け』で呼ぶ。まるで媚びを売るかのように、私がやめた「ちゃん付け」をする。唯一の例外はサトミだけだ。

 そう。壊れたシオリが唯一頼りにしているもの。頼りにしている人。それが私より前からの友達、サトミ。

 壊れたシオリはサトミに完全に依存して、サトミがいないと立てない幼児のような目でサトミを見る。

 サトミがシオリに向ける目は、シオリが壊れる前から『友達』と言いながら、初恋(はつこい)相手に向けるそれだった。シオリが気づいていたのかは知らないが。

 ある時、サトミが、シオリのことを「どうしよう」と言うので、私は言った。

 

「今のシオリは完全にあんたを頼りにしていて、あんたは唯一の安らぎ。しっかり支えてね」

 

 と。ただ、直後に、サトミの優越感(ゆうえつかん)のようなものも透けて見えて、この色ボケ野郎、とも思ったので、どうしても我慢できなくなり、付け加えた。

 

「いいじゃない。あんたはシオリに頼られてるんだから。どう? みんなのヒーローが自分だけのものになった気分は?」

 

 頼られるサトミがうらやましい気持ちも否定できなかった。もしかすると、初恋の目でシオリを見ていたのは私も同じだったのかもしれない。

 シオリを壊してしまったのは、私なのだから、サトミに代われるわけもなかったのだけれど。

 代わりに、と言っては何だが、私にはシオリがいた、『みんなの中心』の場所が転がり込んだ。シオリにほど近く、つまりそこに一番近かったのが私とサトミで、サトミはシオリと2人でいることを選んだから、それは必然だった。

 シオリがやるように、弱者にやさしく、弱った人間に手を差し伸べて。解決は出来ないけれども、「同じ気持ちでいるぞ」「自分はお前をみているぞ」とメッセージを出す。それだけで良かった。みんなの中心にいる人間、クラス内カーストの頂点、それが共感してくれるだけで弱者は救われるし、強者の地位はその分、盤石(ばんじゃく)になる。

 それでも、だ。

 それでも、私の心からは、ここは自分の場所では無い、という意識が消えない。ここはシオリがいるべき場所で、私が壊していなければ、みんなのためにシオリがいてくれたはずの場所なのだ。

 出来損ないの、偽物の私ではなくて、きちんと弱者に共感できるシオリが。


 〇

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