第59話/99話 「見送る その流れを」①
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2月20日(月)
「――え、じ、じゃあ、は、初鳥さん」
――手を、挙げてみた。
小学5年生ともなれば、アタシにはあまり信じられないが事実として、勉強が遅れるせいで教師の質問がわからない子供が出てきたり、そうでなくても羞恥心やしがらみで、授業中に挙手できない子たちも多数出てきたりする。
教師としても、少し困る瞬間だろう。とはいえ、そこでどう進めるかが教師の腕の見せ所かもしれないが。
午後の教室。算数の授業。弛緩した空気。
いつも元気な獅子戸先生も、「わかる人」と訊いたものの、手が上がらず、少し、どうしようかな、と逡巡する雰囲気。
アタシと目が合ったわけではないが、こっちの方が視界にあるのは分かる。
だから、手を挙げてみた。
できると思ったから。当たり前のように。確信があったから。
指名されたので、はい、と返事をして立つ。
「――――。」
答えを言って座る。
簡単だった。当たり前だ。みんなやっている。
なぜこれができなかったのだろう。
ざわざわ、と。
弛緩していたはずの教室が、少しひそひそ声の連鎖に包まれる。
大勢の視線がアタシに集まるのを感じる。
前の席のスズちゃんと、トモクニも、振り返って、目を丸くしている。
――騒ぐな、さわぐな。また再発したらどうする。……な~~んて。
アタシは少しニヤリとし、鼻で笑う。10年に1回だけ動く秘密兵器にでもなったみたいだ。
と。
隣の席からイサオが、アタシに目線をくれずに、拳をこっちに突き出しているのが見える。
ああ、これね。
それに、アタシも拳を突き出し、当てる。
ゴン
いわゆるグータッチだ。それで十分だ。
「――っ、はい、授業を続けるぞ。静かにして――」
獅子戸先生が、教室の雑音を沈めにかかる。
まだ少し怖いけど、アタシはもう大丈夫。……多分。
〇
「シオリちゃん、ど、どうしたの。さっきの。すごいね」
放課後、帰りの会と呼ばれるショートホームルームを終えたアタシ。
よく考えると、手を挙げるにしても、ちょっとスカしすぎて、正直恥ずかしいから、さっさと帰ろうと立ち上がってランドセルを背負ったところ。
そこに、スズちゃんたちが話しかけてきた。
「う~~ん、別に。出来そうだったから。すごくはないでしょ、やっと普通になっただけだよ」
アタシは、少し自嘲気味に言う。
やっとだ、という想いだってあるにはあるのだ。
「いや、でも、2年間できなかったのができるのは、すごいだろ」
「だよな」
イサオとトモクニがそんな風にスズちゃんを補足する。
「……なにかあったのか?」
イサオは続けて、そんな風に聞く。
と、言われても、説明できない。
世界の中に自分がいるのに気付いた、言葉にすればそうなる。フルートの合奏がきっかけで、それでもそれに気づくにはアタシが強くなる必要があって……。
まあいい、説明してみよう。
アタシは意を決して、この土日の合奏で見た、青い空と平原と川を伝えようとする。
「3人とも、感謝してるから、聞いて。世界は、流れで、アタシは水なんだよ。同じ方向に向いてるんだよ」
「「お、おう」」
「……うん」
突然のアタシの説明に、それでも3人は聞いてくれる。
「アタシに集まる視線も、そこにあるだけで、結局アタシたちは、同じ方向を向いて流れていかなきゃいけないんだよ。視線の裏に何があるかとか、いずれそれが変わってしまうとか関係ないの。その変わってしまうより、もっと奥の方に、変わらないものがあって、その先に、みんなが目指すものがあるんだよ。で、それを支えるように世界はどこまでも広くて、どっしりしてるの。それがアタシで、世界の在り方で……それに気づいたら、多分もう、大丈夫なんだ」
……。
どうだ。フルートやらなくてもわかるように説明したアタシは、眉間にしわを寄せる3人を見やる。
……ちょっと難しかったかな。アタシのフルートが、見た物を伝えられるくらい上手ければいいんだけど。そんな風に少し寂しく思う。
昨日アタシの見たヨーロッパの景色を見てくれれば、絶対わかるはずなのに。
と。
「なあ、シオリ」
「ん」
難しそうな顔のまま、トモクニが口を開く。
「お前の家って、めんどくさい宗教に入ってるだけで、別にお前は普通じゃなかったっけ? ……教祖にでもなるつもりか?」
「んなっ」
言うに事を欠いてコイツ!
「いや、めんどくさい宗教って言い方は、いくらなんでもないだろ。めんどくさいけど。でもそうだぜ、シオリ。今のは無い。さっぱりわからん」
「うん、私もちょっと……」
ええ~……。アタシの下の顎がかくかくと動く。
アタシはちょっとがっかりする。さっぱりとはなんだ、さっぱりとは。
少しは理解してくれると思っていた。
「……わかるまで、説明しようか?」
「う~~ん。シオリちゃんくらい、頭良ければわかるのかもしれないけど、私たちは多分無理だよ」
スズちゃんが軽く笑ってそう言った。
……失望。
これが、失望か。アタシは見た物を他人に伝えることすらできない。
「ええっと、わっ」
バーン!
再度、説明のために口を開こうしたアタシの、背負ったランドセル。背後から叩かれたので反射的に振り返る。
それを叩いたユミちゃんの後ろ姿が見える。
他人にわからない説明をしようとしたアタシに、話しかけようと待っていたのかもしれない。で、しびれを切らして叩いたと。
ユミちゃんは、そのまま、こっちに、手をひらひらとさせて、振り返らずに教室から出て行ってしまった。
……あれ、かっこいいな。アタシも今度やろう。
じゃなくて。
「わかるように、説明できるように、次は準備してくるよ」
「おう、無駄だと思うけどな」
「ああそうだ、でもシオリ」
「「よかったな」」
「ん」
男子2人の祝福。
と、教室の視線がちらちらアタシに集まっているのを感じる。
不規則なそれは、まだ少し不安もある。
「……今日は、一緒に帰ろう、スズちゃん」
「うん、帰ろっか」
女子1人の祝福。
この日以降、アタシが授業中に固まることは無くなった。
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