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第58話/99話 「奏でる 何のために」②

 〇

   2月18日(土)

「は~~い。じゃあ、今日と明日は、『全日本楽器コンクール』県代表の初鳥さんが、一緒に合わせてくれまぁす。ご挨拶をおねがいしまぁす」

 

「初鳥シオリです。2日間だけですが、一生懸命やりますので、よろしくお願いします」

 

「はい、拍手~」

 

 パチパチパチパチ。


 午前は学校で半ドン。授業を受けて、家に迎えに来てくれた師匠の車。

 師匠に連れられて行った、住宅街にほど近い、人通りの多いビルの並び。

 その一角に、鷲足先生のフルート教室がある。

 階段を登り、ドアから入って、上履きに履き替える。

 廊下のにおいが学校とは違う。木のような、ただ、古いにおいではない。

 師匠に続いて、教室に入る。

 学校の教室よりは少し狭い部屋。

 ポスターや、棚の上のメトロノームが、ここは音楽をやる部屋ですよ、と言ってくる。

 これから並べるであろう、楽譜置きと椅子が片隅に。

 すでに準備をする子供が10人くらい。年上の人が多そうに見える。

 アタシが入ったとたん、すこし怪訝(けげん)な顔でこっちを見ている。

 軽く、会釈(えしゃく)をしてみる。向こうも返してくる。

 なお師匠にはこう言われている。「明日のお前たちの場を奪いに来た侵略者(しんりゃくしゃ)だぞ、とアピールしなさい」。無茶を言うな。


「一生懸命やりますので、よろしくお願いします」

 

 そう言ったアタシに、みんなが拍手をしてくれる。

 生徒は全部で15人。中学生くらいの、アタシより少し上の子が多い。

 高校生みたいな子もいる。明日一緒に合奏するのはこのうち7人。もっとも、全員に出番はあるらしい。

 

 準備をする子たちの中に2人、アタシのみたことのないフルートがあった。少しアタシのフルートより大きいもの。そして、それよりさらに、アタシの普通のフルートと比べると2倍くらい大きいもの。

 楽器は大きい方が低い音が出るから、きっとアタシのフルートより低い音が出るんだろう。準備をするその子たちは、どこか誇らしげで、特別なそれを任された充実感(じゅうじつかん)を感じさせる。

 ――かっこいい。アタシは素直にそう思った。

 そう、デカい楽器はかっこいいのだ。

 

 〇


基準音(きじゅんおん)出すので、音合わせからいきます」

 

 案内された端っこの椅子に座り、準備をして待っていたところ、鷲足先生が大きな声でそんなことを呼びかける。

 そういえば、「~っス」みたいな口調じゃないんだな。教室ではちゃんと先生っぽい口調なんだ。

 

 ピアノの音――Aいわゆるラの音に合わせて音を出す。そういう指示のもと。

 あ、これはどこでも同じなんだ。いつもと同じ音を出せるだけで安心する。

 正直、気分的にはアウェーで、少し、みんなと同じにやれなかったらどうしようと、気が張っていたから。

 

 ピアノの音に合わせて、音を――出した瞬間、世界が変わった。

 空間に、音が、音のかたまり?が浮かぶ。

 透明ななにかが形を作る。形にならない形を。

 何か、大きなものがそこにある。アタシと、他の15人で作った、出した音が作った、音だけれども、音ではない何かがそこにある。

 アタシから、アタシのフルートから出た物が、その大きな何かとつながっている。その大きな何かの一部として。

 つながりながら、吸い込まれながら、ただ消えないで、普段の生活として言うなら――自転車で坂道を降りていくような感覚が続く。

 アタシは、思わず、吹くのを止めてしまう。

 止めた瞬間、つながりが消える。

 

「初鳥さん?」

 

「は、はい」

 

 鷲足先生の呼びかけに応じて、アタシはまた吹き始める。

 なんでこんなにいるのに、離れているのに、アタシだけ止まったのがバレたんだろ。

 吹き始めた瞬間、つながりは戻る。

 世界とつながるために、アタシのフルートはある、そう教えるかのように、音が何かとつながった。


 〇


 ロングトーンはさらに強烈(きょうれつ)だった。

 鷲足先生の教室のロングトーンは、音を出した後、1人ずつ順番に音を変えていく。

 音合わせの音と同じように、空間に作られた何か。

 その何かが、ゆっくり変わる。

 求めに応じて、アタシたち16人の出す音。おそらくそれが作っているもの。

 ――少しずつ、少しずつ……。

 それがどんどん変化する。世界の色はこんなにあったのかと思うほどに、目に見えない色が変わる。透明な色が変わる。温度は変わっていないはずなのに、感じる温度までもが変わっている。重さまでもが変わっていく。それには触れないのだが、触り心地も変わっていく。

 

 ふわあああああああああああ

(――これはアタシの心の中。単に感動しただけだ)

 

 世界を変えるために、アタシたちのフルートはある、そう教えるかのように、音が何かを変えていく。


 音が止むと、さっきまで空間にあったそれも消えた。少し(さび)しい。……それより、ここにいる人たちは、みんな、あれを日常的に感じるのだろうか。みんな、平然としている。少しうらやましく思う。

 さっきのなにかかに、心を(とら)われているアタシに構わず、鷲足先生がこう言った。

 

「じゃあ、今日はせっかく初鳥さんが来ているから、モルダウからやりましょうか。参加する子たちは準備をして~~」

 

 それに合わせるように、生徒たちが立ち上がる。前後の位置を入れ替えるようにしている。吹く子は前に、ということだろうか。促されるままに前の方の椅子に座る。

 ざわざわ、まではいかないけれど、小さな雑音――譜面台の紙をめくる音や椅子のきしむ音なんかが、空間にこぼれる。

 アタシの隣に師匠も座る。1stを吹くと言っていたから、そうなんだろう。

 こんなに大勢で吹くのは初めてだ。少し胸が高鳴る。

 鷲足先生が、指揮棒(しきぼう)を持って、譜面台の前に立つ。

 始まる。

 師匠からは「みんな、あんたよりキャリアは長くて、合わせるのはあんたより上手いから、いつも通り吹くだけでいいわ」なんて言われてる。基本通りに、とも。

 

「じゃあ、通しで1回」

 

 ふ、と。

 鷲足先生の手がアタシたちの音を求める。

 一瞬の間。


 アタシのフルートが音を放ち始めた。

 音が空間に満ちる。

 さっきの音合わせの時ともまたちがう、次々に変わっていく、音、と単にはもう言えないなにか。大きな流れのような。

 アタシの2ndフルートが口火(くちび)を切ったそれは、アタシがその一部を出しているのが信じられないような塊となって、アタシと吹いている全員をつなげ、どこかへ動かしてゆく。座っているだけのはずのアタシたちは、自分たちが作った何かに動かされてゆく。


 その中でアタシは――何かを感じていた。何か。なんだ、これは。


 アタシの吹いている曲は、小さな水源の始まりから、集まる水が少しずつ大きくなり、川となり、山を抜け、大きな緑の平原を渡り、海の彼方へ流れてゆく大河となる曲だ。

 師匠が「イメージが大事」と言って写真を何度も、何枚も見せてくれた。


 その風景が見える。

 小さな川の時は少なかった水が、水流(すいりゅう)が大きくなる風景が見える。行ったこともない山奥の水源が、急流が、流れ出すふもとが、緑の大きな平原と空が、風が、日差しが見える。

 アタシの息は、口は、胸は、手は、指は止まらない。師匠に、多少ミスっても、絶対に曲を止めるなと叩きこまれた、鍛えられたこの体は、アタシがどんな心情を持っていても、勝手に曲を(つむ)ぎ出す。今日この時吹いているのが、渡されて4週間足らず、たったの900回程度しか吹いていない曲でも、――止まらない。

 だから、アタシは。

 集中した体の、意識の向こうでこれを感じる。


 ――この曲は、アタシだ。


 アタシを導く1stの師匠の音が、ほんの少しだけ先に行って、アタシを導く。

 3rd以下のフルートがアタシの2ndのメロディーを支えるように絡み合って、太くなって、同じ方向へ川になって。束になって流れていく。

 そして今日初めて見た、大きなフルートの低音が、大きな平原のようにアタシたちの音の真下に、どこまでも広がる。

 平原に支えられて、アタシたちの流れはどこまでも――山からは見えない、海の方までも。

 ――この曲は、世界で、アタシだ。

 世界に溶けたアタシだ。


 海まで流れて、曲が終わる。

 周りの余韻を感じる。

 ――と、アタシは隣に座った子の視線に気づく。

 

「えっ、……初鳥さん、どうしたの!?」

 

「え?」

 

 頬に熱いものが流れてくるのを感じる。

 アタシは気づけば、涙をあふれさせていた。

 どうした、と言われても説明できない。……世界に、包まれたとでもいうか。あふれているのは涙なのだが、感情だとでもいうか。

 

「ちょ、ちょっと、大丈夫?」

 

 隣で師匠が慌てている。

 

「……師匠、今の、すごくて。見ました? その、世界が……アタシが……見えました。そのまま世界が見えました」

 

 見ているわけはない。目の前にあるのは、ただの音楽教室で、壁で、ピアノで、譜面台なのだから。アタシも頭ではわかっている。

 それでも、アタシは言ってしまう。

 見た物はそれだけ凄かった。

 感じた物はもの凄かった。

 

「いや、でも涙が。鷲足先生、ちょっと、この子外してもらってもいいかしら? あたしが2ndを吹くから」

 

 慌てた師匠がそんなことを言う、ごそごそと、ひっぱりだしたティッシュをアタシに渡しながら。

 アタシは言った。

 

「あ、ありがとうございます。……でも、大丈夫です。別に悲しいとか、そういうんじゃないんです。……感動、そう感動したんです。このまま続けても、何回でも大丈夫です」

 

「え、え……と、ど、どうしましょうか。……あ、たまにこういう子はいるんですけど」

 

 鷲足先生が困惑(こんわく)した顔でこちらを見ている。

 そうか、無理してないかと心配しているのかな。

 確かに、曲の終わりから、少し呆然(ぼうぜん)としていたけれど、大丈夫ですよ。


 アタシは続ける。

 高揚(こうよう)した気分で、真っ直ぐ前を見て。

 

「大丈夫です。強がりじゃないです。お願いします」

 

 アタシを少し見た鷲足先生は、師匠に目をやり、互いにうなずきあって。

 パンパン、と手を叩き、教室をぐるりと見渡した。

 

「いいメロディーが来てくれました。もう1回通します。あなたたちも、これに負けないように。準備は良いですか? 集中して――、行きますよ」

 少しだけぴりっとしたような空気の中。

 


 ふ、と。

 鷲足先生の手がアタシたちの音を求める。

 一瞬の間。


 アタシのフルートが音を放つ。

 その後、何度やっても、見たこともない水源と、平原と、空が、アタシの目の前に広がった。


 〇

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