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第56話/99話 「叫ぶ バカになる儀式」

 〇

    1月1日(日)

「おはよう!あけましておめでとう」

 

「おはよ。あけまsひゃあああああああああ」

 

 両の頬に突如として襲来した冷たさに、アタシは悲鳴をあげる。反射で出た音だ。

 朝5時。年が明けようが、変わろうが、そこに空気と地面がある限り、アタシたちのやることは変わらない。

 鍛えよ、ともに。

 なお、いつもの日曜なら、アキはいない。が、リーニャ先生が年末年始出かけているとかで、今朝はいつもの電柱で、暗闇の中、アタシを待っていた。

 ひゃああああ、と悲鳴を上げたアタシのうしろに。

 

「……***……ア……ウ…」

 

 何かがいる!

 

「いやあああああああああ!!!」

 

 アタシは全力で、目の前のアキの方へダッシュし、後ろへ回り込む。

 ドン!

 

「たたた、食べるなら、こここここ、こっちにしてくださいいぃ!」

 

「うえっ」

 

 アタシに押されたアキの情けない声が、肺からの押し出された空気が響く。

 

「……たべないわよ!!!」

 

 暗闇の中、響く声。

 ――――よくよく見れば。

 

「……師匠!?」

 

 外灯に照らされたその顔は、ジャージを着こんだ師匠だった。


 


「……ったく、たまにはバカ弟子を、喜ばせてやろうと思えば……さむ、さむいわね」

 

 ガタガタ震えながら師匠は言う。手は手袋をしていない。素手だ。

 つまりさっきの冷たさは師匠の手。

 

「あ、あけましておめでとうございます。ど、どうしたんですか」

 

「弟子に付き合ってトレーニングよ。毎朝走ってるんでしょ?」

 

「僕は、し~~っ、って言われたから」

 

 暗い街の中、外灯の明かりでもわかる程度にニヤニヤしているアキがいる。

 ……共謀して、アタシを驚かせた、と。

 

「は、はあ。今から校庭に行って走りますけど」

 

「だから、付き合うわ」

 

「突然どうしたんですか?」

 

 アタシの当然の疑問に、師匠は憮然とした態度でこう言った。

 

「……去年のドレスが、入らないのよ」


 〇


 暗闇の中、外灯で照らされた光の中には、ぱらつく雪が見え始めていた。

 今日は雪らしい。細かい雪だから、降り続けば積もる。

 寒い日が続いているから、地面も冷たく、多分溶けない。

 

「食べるなら、こっち、は無いよなあ……。シオリがピンチでどういう行動取るか、よくわかったよ」

 

 校庭までの道を、歩きながらアキがぼやく。

 

「うるさい。男なんだからアタシを守れ」

 

 どっくんと。さっきのは。

 新年早々、心臓が縮むかと思った。

 恐怖で体が跳ねた。

 

「寒いのに、あんたたち元気ねえ……」

 

「走ればあったかくなりますよ。雪つもる前に行きましょう」


 〇


「ゼーッ……ゼーッ……さ、さきに行ってなさい」

 

 走り出して10分。

 たったの10分で師匠はわき腹を抑えて、歩き出した。

 10分が本人にとって、長いか短いかは知らない。

 仕方ない、先へ行こう。

 

「あ、あの、一緒のペースで行きましょうか」

 

 師匠に話しかけるアキはやさしい。そういえば、アタシが走りはじめた頃も、一緒にずっと並んで、合わせてくれたっけ。

 でもさあ。

 

「要らないわよ! あんたたちは進みなさい!」

 

 ……ね。

 その人、アタシより意固地だから。


 〇


「ゼーッ……ゼーッ……ふう……ふう……」

 

 これはアタシの声。

 全力で走って一時間。

 最近は、アキも少し息を切らしている……こともある。

 

「……か、かえろ」

 

「うん」

 

 それでもアタシよりはずっと平然としている。まだまだ勝てない。コイツは化け物だ。

 なお、師匠は。

 

「お、おわったの……? クソ……運動不足が……ここまでとは」

 

 とぼとぼ歩いたり、走ったり、止まったり、アタシたちに何度も抜かされながら、ふらふらになって……一応、終わりにしようとしたときは、立っていた。


 〇


「子供の体力ナメてたわ……」

 

「カップ麺ばっかり、食べてるからですよ」

 

 家までの帰り道。

 師匠のボヤキに、少し荒い息で応える。

 走り始めた頃のアタシは、終わったあとあまり喋れなかったから、あの頃のアタシよりは師匠の方が、まだ体力がある。

 

「……朝、付き合うのも良いかと思ったけど、……しばらく1人で走るわ」

 

「時々来てくれても、アタシはうれしいですけど」

 

「……無理」

 

 つれない。

 そういえば。

 

「アキは、今日はどうするの?」

 

「午前は母さんと出かけて、帰ってきたら……どうしようかなあ。日中はあったかければ、ため池かなあ」

 

「そっか」

 

 アタシは、今日は師匠のレッスンだ。

 1日分、これならアタシの方が進むのが早い。差が縮まるな。

 

「……気持ち悪い。……バカ弟子、家のお手洗い貸しなさい」

 

「トイレですか? 別に、良いですけど」

 

 師匠は青い顔して、ふらふら歩いてついてくる。

 

「トイレの前に、肩、貸しましょうか。ちょっと高さ足りませんけど」

 

「……要らないわよ」


 〇


「おええええええええええっ、うえっ、うええええええ・・・・えろろろろろ」

 ……吐いてる。いい大人が。

 アタシの家に入った瞬間、「あら、先生、明けまして――」という母に、無言であいさつした後、師匠はトイレに駆け込んだ。

 そのまま嘔吐したので、アタシが背中をさすっている。

 

「……あ、あんたも気を付けなさいよ……おえっ、えろろろろろ」

 

 ……吐かれながら言われても説得力ないです。

 吐くものがとっくになくなっているだろうに、師匠はえうっ、おうっと、えづき続ける。

 ……運動不足ってこうなるのか。


 〇


「シオリ、新年会は……無理ね。先生をしっかり看病するのよ」

 

「いってきま~~す!」

 

 毎年恒例、我が家の入っている新興宗教の新年会。

 祖父母とパパは一足先に、ママとシュンはたった今出かけて行った。

 居間で、座布団を枕に寝る師匠の看病に、アタシは残る。ナイス師匠。

 まあ、仮に用事が無くても行かないけど。

 最近わかってきたけど、我が家はそこまで、収入が、稼ぎが無いわけじゃあない。年末に、財務とか言う名目で、余っている分を、貯金でなく宗教にお布施してしまうから無いんだ。

 我が家で唯一、働いていない大人である祖母は「いつかはミケタやりたいわね」なんて言っている。ミケタ=三桁。つまり百万円台の寄付だ。冗談ではない。

 

「お水です、師匠」

 

 寝ている師匠のところへコップで水を運ぶ。

 

「う、う……置いといてちょうだい。少しやすんだら、アタシの家まで送るから、そしたらレッスンよ」

 

 まだ水も飲みたくないらしい。

 そういえば、朝食で雑煮を勧めたのに、寝たままだったっけ。去年、あんなに喜んでくれたのにな。


 〇


 師匠の家に移動して、着替えをする師匠を待つ。

 間にロングトーンを何度も。時間の使い方もなんだか上手くなってきた気がする。

 昨年の師匠の台詞を思い出す。「時間をチリツモで大事にしていきましょ」……うん。出来てる。……と思う。

 

「よおし、やるわよ!」

 

 着替えたら、妙にしゃっきりした師匠が戻ってくる。さすがです師匠。

 服装はいつもの、Yシャツ、ノースリーブのベスト、パンツスーツ。

 師匠は続ける。

 

「まあ新年だからって言っても、昨日もいつもどおりだったし、特別なことをやるわけじゃない。午前は……あたしが倒れてたせいで、時間が短くなっちゃったわね。……ひたすら基礎練。1人でやる方じゃなくて、メトロノーム動かす方だけをずっとやりましょう。あたしが動かすから、あんたは言う通りやればいいわ」

 

「はい!」

 

 やっぱり、師匠はこうでないと。

 アタシをしごき倒して、「だらしないわね」なんて言ってるくらいが師匠はちょうどいいのだ。

 そんなアタシの内心をよそに。

 

「よし、新年一発目。『バカになる儀式』やるわよ。せっかくだから、始めたときに、つまり去年に合わせましょうか」

 

「……はい」

 

 ……かっこ悪いけど、燃えるし、集中できるのは間違いない。

 師匠が、口の端をニヤリと上げた気がする。

 師匠が胸の前で両手の拳を作る。

 アタシも真似して2つの拳を作る。

 

「頭空っぽにして叫びなさい!『ニューヨークへ、行きたいかああああああ!!!!!』」

 

「う、うおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」

 

 声を張り上げ、拳を突き出せ!

 レッスン室にバカ2人の声が、今年も響き渡った。


 〇


「ゆらさない! ゆらさな~い! まだゆれてる! プルプルしてる! お豆腐にしない!」

 

「一発目が弱い! トスは要らない! ツーアタックでもいい!」

 

「息があるのはわかったから! ブレス、ちゃんと決まったところで! ブレスの長さも意識して!」

 

「配分、ちゃんとやって!! 次、腹60、喉40で下から順番に!!」

 

「日本語になってる! イタリア語にしなさい! イタリア語に! トレビア~~ン!」

 

 ……正直に言うと、アタシは師匠の言うことを何度聞いてもわからない時もある。

 抽象的すぎるんだもん。

 わかんなくても、言わなくていいって言うし。

 そして、結局は。

 

「こうよ、こう!」

 

 これだ。実演。

 それにしても、アタシの細かいミスまで再現するんだから、すごいよな……。

 1年以上やっても、同じメニューなのに、いくら改善しても、新しいポイントを同じくらい指摘してくるし。

 フルートを吹きながら、意識の遠くの彼方で、そんなことをふと思う。

 ……物覚えの悪い弟子ですみません。でも、今年もがんばります。


 〇


「師匠、午後のレッスンの前に、アタシの家に戻りましょう。お昼ご飯食べなきゃいけないし」

 

「う~~ん、どうしようかなあ」

 

「ほら、朝食べられなかったけど、雑煮ありますし」

 

「う~~ん」

 

「牡蠣雑炊もありますよ!」

 

「……まあ、行くかあ」

 

「やったあ!」


 〇


「先生が、今年もいらしてくれるなんて、うれしいわ。たくさんめしあがってください」

 

「は、はい。ありがとうございます。いただきます」

 

 アタシの家の食卓。師匠とママとアタシ。

 祖父母とパパはまだ宗教の会場から戻らない。もしくはよその家に行っている。

 シュンは子供部屋。師匠が来ると、相変わらずほとんど顔を出さない。アンタの好きな美人がいるのに。

 ……まあ、本人なりの事情か、理由があるのだろう。ほっとこ。

 去年と同じく湯気を立てる雑炊。

 大量の牡蠣に、セリと豆腐を足したすまし汁。――の残りで作った牡蠣雑炊。

 我が家の、数少ない、どこへ出しても、旨いと言ってもらえるはずの、恥ずかしくない料理。

 ふうふう、と。

 息を吹きかけ、師匠はおいしそうに食べる。この人は、何を食べさせても上品に食べる。コンビニ弁当とカップ麺ばかり食べているくせに。ホテルの高い食事も、こういう庶民的な雑炊も。

 

「ししょ……先生、雑煮もどうぞ」

 

「ありがとう、あら……相変わらず、きれいね」

 

 我が家の雑煮は、すまし汁にいくらと三つ葉、ナルト、高野豆腐が入っている。いくらの赤と三つ葉の緑が白に映えて、美しい。我が家には美しいものはほとんどない。

 この地方の雑煮は、乾燥したハゼで取る出汁が基本。……なのだけれど、駅前の朝市まで行っても、不漁のせいか安いものが見つからなかったとかで、今年は煮干し出汁。それでも十分おいしいとアタシは思う。

 どうせ1年は長すぎて、昨年のハゼ出汁の味など覚えちゃいない。……昨年も煮干し出汁だったことなど、どうせ誰も覚えちゃいない。

 

「先生、実家を思い出す、って去年言ってましたよね」

 

「あ。ああ、そうだっけ? よく覚えてるわね」

 

 アタシは記憶力には自信がある。

 

「やっぱ、先生の家だから、大きいんですか?」

 

「白亜の宮殿よ」

 

「ハクアの……? よくわかりませんけど、いつか行ってみたいです。そうだ! 『全楽』の本選出るとき、連れて行ってください」

 

 師匠の地元。

 楽しみだなあ。

 

「はいはい。今年も本選に出られたら、言いましょうね。死ぬまで……っていうと、あんた本当に死ぬまで吹くから……ほどほどに頑張りましょうね」

 

 そうか。去年出られたからって、今年も出られる保証はない。

 年齢制限までに、本選に1度でも出られれば幸運、という話をアキはしていた。

 つまり……、去年1度出ているアタシは、もう幸運は使えない。変な理屈だが。

 まあ、今年は実力で出ればいい。

 

「ほどほどに、死ぬまで、吹きます。任せてください」

 

「はいはい、午後も鍛えるわよ」

 

 今年も、もっともっと上手くなる。 

 アタシの、12歳になる年は、こうして始まった。


 〇


 第56話/99話 「叫ぶ バカになる儀式」 終

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